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(未完)1970年代のディスコの話




■これはブログで少しずつ書きためていて、完全に完成したら脳内電波コラム
で公開しようと思っていたんですが、2年半前に見つかった胆管細胞癌が全身
に廻って末期癌になってしまい、肝臓門脈が肥大した癌によって詰まったせい
で胃と食道に静脈瘤が大量に出来てしまったため、医者に早くて2〜3日、長く
ても3ヶ月で静脈瘤が破裂して死ぬって言われたので、中途半端な話をブログ
としてネットに残すのも嫌なのでブログは即座に廃止したんですが、やっぱ
もったいないので未完の原稿として公開することにしました。長い前説が終
わってさぁこれからってとこで話がおしまいになったけどしゃーない。

JWを辞めた15歳から海上自衛隊に入る19歳まで何をしていたか、当時の自分の
趣味だったディスコの話にからめてその時代の話を書きたかったんだけど、17
歳になったあたりで時間切れになってしまいました。

んなわけで未完でも良ければお読み下さい。









■まずは私のディスコ歴から。



初めてDISCO、(つーか当時はディスコティック(フランス語)って言ってて
ディスコなんて言葉はありませんでしたが、)に行きだしたのは1974年、
16歳の時ですね。このころは新宿とJR中央線沿線沿いのディスコに通ってま
した。当時行ってたのは立川ゲットレディ、米軍横田基地近くの牛浜BP、新
宿ホワイトホース、新宿アップルハウス、新宿ゲット、新宿ソウルトレイン、
吉祥寺インデペンデントハウス、新宿カンタベリーハウス・ギリシャ館、とか
です。(行った順)

んで1977年、新宿の踊り場でポイントという踊りが流行り始めた頃、19
歳の時に海上自衛隊に入隊したので今度は横須賀のディスコに通いだし、19
80年に22歳で海上自衛隊を満期で辞めて横浜駅近くの会社に就職したので
横浜のディスコにも通います。(横浜西口パレス、横浜ソウルトレイン、関内
カウベルとかですね) でもって1984年、26歳の時に映画フラッシュダ
ンスが公開されて、それ以降は横ノリのソウルダンスが廃れて立てノリのヒッ
プホップがディスコの主流になり、ディスコのフロアで飛んだり跳ねたりくる
くる回る奴が出てきたのでディスコを完全に卒業しました。だから約10年間
踊ってました。

それ以降は曲風も完全に変わり、70年代のメロディ主体のソウルミュージッ
クが古い音楽とされて、リズムとビートとMC主体のラップミュージックや、
ただ客の体を動かすためだけに安易に作られたとしか思えないユーロビートが
主体となり、60〜70年代のメッセージ性の強い黒人音楽が好きな人は時代
が完全に変わってディスコから追い出されることになります。

世の中ってそういうもんですからそれも時代の流れとあきらめて踊り場とは完
全に縁を切ってたんですが、1995年頃から70年代の黒人音楽をかけるBar
がぼちぼちと増えはじめ、昔のソウルダンスを踊れるソウルバーってのもぼち
ぼちと増えてきました。

ソウルバーの存在は早い時期から知ってましたので踊りたいなとは思っていた
んですが、その頃は船員やってましたから就寝時間は夜9時で起床時間は朝の
4時とかっていう異常に早い時間ばっかりで、夜更かしすると自分の体内時計
が狂っちゃうから躊躇しちゃう。船員って聞こえはいいけど機関長の仕事は絶
対に船を止めないのが仕事で、エンジントラブルを起こしたら徹夜してでも治
して船の運航スケジュールに絶対に穴を開けないってのが基本ですから、もし
仕事でドジを踏めば一発で首というシビアな世界でもあります。

だから、「ソウルバーに行って夜更かしして体内時計が狂ってしまい、次の日
仕事でもうろうとして注意力散漫になって何かドジ踏んだらマジでやばい」っ
て思っちゃうから行きたくてもソウルバーに行けない。そんな時期が長く続い
てやっと行けるような環境になったのはここ3、4年ぐらいですね。(なので
ソウルバーに関しては新参者です)

ソウルバーってのは、ディスコとしての営業だと風営法の関係でキャバレーと
同じ扱いになり、「未成年が深夜徘徊するから」ということで警察は深夜0時
までの営業しか認めてくれませんが、ソウルバーの場合は「店側が勝手に音楽
をかけていて、客は空いているスペースで勝手に踊っている。」という建前な
のでBar営業になり朝まで営業可になります。そのかわり昔のディスコみたい
にDJのマイクによる曲紹介等一切ありません。マイクを使うとディスコ営業
になりますから深夜にそれやると一発で営業停止になりますからDJは淡々と
レコードやCDをかけ、客は好き勝手に踊ってます。

都内の場合は昔の60年代〜70年代ソウルダンスを踊るのでも、全員で決ま
った振り付けや同じ足裁きで踊るステップダンスというのが主流で、これをダ
ンス・クラシックと言います。ダンス・クラシックは60年代後半〜70年代
後半までの都内のディスコで踊られていたダンスの事を指しますので、当時踊
ってた人を「リアルタイマー」、当時は全然踊ってなくてソウルバーの時代に
入ってから踊り出した人を「後付け」と言うんですが、私は骨董品ものの少数
派、リアルタイマーってことになります。

ダンスクラシックを踊ってたリアルタイマーな人は私よりちょっと上の50歳
〜55歳あたりが主流なんですが、みんな年食って夜遊びに疲れたのかなぁ、
ソウルバーではあまり見かけませんね。当時若手だった昭和32年生まれの49
歳が一番上になっちゃってます。DJも昭和32年生まれの人が多く、「俺達
の世代って中途半端な世代だったのに今じゃ主流なの?」って感じで、なんか
とまどいます。


■上手い踊り、女にもてる踊り、注目される踊り

読んでる人からすればソウルダンスの能書きをこいてる私ははたして踊りが上
手い奴なのか下手な奴なのかっていう当然の疑問が出てくるわけですが、さて
どうなんだろう? 若い頃は上手い踊り、人に注目される踊り、女にもてる踊
りをしようと思っていろいろ研究して、当時の米軍横田基地の黒人兵達の踊り
をそのまま真似して腰痛やぎっくり腰になって、どうやら黒人と日本人は背骨
の曲がり具合と骨盤の構造が根本的に違うらしいと体で学習してみたり、踊り
の上手い先輩たちの踊りをサンプルにして鏡の前で試行錯誤してみたりしてた
けど、この年になるとみんな自分のことで手一杯で、誰も俺の事を見てないっ
てことを経験則として知ってますからそんな無駄でややこしいことは気になら
なくなっちゃいます。

若い頃にディスコに行く目的は「体の内側から湧いてくる有り余るエネルギー
を発散させるため・・・」と言えばかっこいいけど、早い話が「ナンパと踊り」
が目的でしたからディスコに行けばナンパは当然ですし、出撃当初の目的とし
ては帰りは必ずどこかのホテルに2人で入るべく目の色変えて頑張ってました。
(出撃目的に徹底しきれず、いい音楽がかかるとつい踊りに頑張っちゃうから
勝率はあまりよくなかったけどね)

そしてこの年になるとお金が無くて暇だけはある若い頃に徹底的に遊ぶだけ遊
んできたおかげで、素人女性をナンパしてホテル行くのも金を出してプロ女性
を買うのも、飽きるほど徹底してやって来ましたから完全に卒業してます。当
時はそういう人を遊び人って言ったんですが、私は完全に枯れた元遊び人です
ね。

よくありがちなパターンなんですが、若い頃に真面目一筋で遊んだ経験が全然
なくて、中年になってから何かのきっかけで女遊びに目覚めてしまい、金の無
い若い頃に比べると無限とも思える金額をぶち込んで引くに引けなくなって、
ブレーキの効かなくなった蒸気機関車のようになって最終的にどこかで地雷炸
裂→家庭崩壊というパターンにはなりようがないわけです。

だから今は純粋に踊りを楽しむために遊びに行ってるわけですが、そういうの
って気楽でいいですね。昔は踊りに慣れてない女の子が「この踊りのステップ
教えて〜」って言われると、狼の牙を隠していい人を演じながらチャンスを逃
がさないように優しく教えてあげましたが、今は純粋に親切心のみです。(な
はは、なんかこうやって本音を正直に書いてると本当に実も蓋も無い話で情け
なくなって来るなぁ・・・)

だから今の私の踊りかたは玄人が見て上手いと思える踊りではなく、女にもて
る踊りでもなく、他人にほんのちょっと注目されるような踊り方かな? 元々
目立ちたがりだからね。だからって酔っぱらったオヤジが頭にネクタイ巻いて
ダンスフロアでタコ踊りするっていうあの最悪の踊りじゃないですよ。

ステップダンスの場合、スタートのタイミングが微妙に大事なわけです。踊り
場に来る一般のお客さんはソウルミュージックで踊るのが大好きだけど曲名や
アーティストにそれほど詳しいわけじゃない。踊りも誰かが先に踊り出せば余
裕で付いていけるけど自分一人で踊るってなると、「あれ?・・・この音楽は
何のステップだったっけ?・・・しばらくぶりだから忘れちゃった」とか、
「この音楽のステップは知ってるけど立ち上がりのステップのタイミングがよ
くわかんないなぁ・・・どうするんだっけ?」とか、「あれれ?踊ってたら踊
りと音楽のタイミングがだんだんずれて来ちゃった。一人じゃやっぱ無理だな
ぁ・・・」なんてパターンになるわけです。

そういう時にみんなが自然に見るのがその踊りのタイミングを取るリーダーみ
たいな役の人です。リーダーは誰が決めたわけでもなく、その場の雰囲気で自
然に決まります。それは踊りが上手い人ではなく、初心者が見てわかりやすい
ステップをする人がリーダーになります。私が目指してるのはそういう踊り方
ですね。

だからもし私の踊っている姿をソウルダンスの玄人が見ると、「なんだ、こい
つは初心者みたいなわかりやすいステップをしてるだけじゃねーか。 あのな
ぁ・・・ソウルダンスって踊り方ってのはなぁ・・・・以下略」って思われる
ように踊ります。

で、こういう踊り方は私が長い間試行錯誤して最終的にたどり着いた踊り方な
わけで他人にどう思われようが大きなお世話ですし、ソウルバーに来るお客さ
んは酔っぱらってべろべろになってない限り紳士淑女の集まりだからどうでも
いいんですが、そういう踊り方をする奴がこれから1970年代のディスコの
歴史(自分史)を語ろうとしてる以上、事前に説明しておいたほうがいいと思
うわけです。

さんざん書くだけ書いた頃に読んでる人が「そこまで書くんだから、ゆーじ 
ってのはよっぽど踊りが上手い奴に違いない、どれ一つ見てみるか・・・(見た)
・・・なんだこいつ、ただの初心者に毛が生えた程度のレベルの低い踊りをす
る奴じゃねーか、そんな程度の踊りでよくもまぁこれだけ延々と能書き言える
もんだ」って思われるのは間違いないからです。

私の踊り方の特徴は、そのステップを知らない人が私の後で真似すると、実に
わかりやすくステップ踏むので、(初心者の視線を感じるとわざと意識してそ
うします。そうじゃないときは年相応に肩の力を抜いた、自分だけが楽しむた
めの踊り方) 一曲終わる頃にはそのステップをマスター出来ちゃうような踊
り方です。(実はこれ、踊り場初心者のごく普通の女の子を踊りで釣るための
ナンパ必勝テクニックでした・・・・今? そんな元気はもうどこにもないよ(^^)

ソウルバーには初心者を見つけると踊りを教えたがる「教え魔」みたいな人が
いますが、私は基本的にそういうのはしません。聞かれれば気楽に教えますが
ステップダンスってのは恥をかきながら他人の踊りを必死で真似して覚えるも
んだって思ってますから聞かれない限り教えない主義ですね。


■前説


私は昭和32年生まれですからその時代の音楽事情はというと、当時は中2ぐ
らいで音楽に目覚めるのが普通でしたからそこから解説。

小学校高学年の頃に大ブームだったグループサウンズは完全にピークを越えて
ましたからテレビで見るのはザ・タイガースぐらいであとは全滅。アイドルと
言えば天地真理の時代で、尾崎喜代彦のまた会う日までが中学2年の時に大ヒ
ット。

ビートルズは世代的にちょっと遅かった。当時はビートルズの後期ですからメ
ンバー全員が麻薬でラリバッパ状態でスタジオ録音してましたから中2の小僧
がレコード聞いても全然理解できない。当時の大学生が(現在55歳位)「い
いぞ〜これは最高の音楽だ」って言うんだけど、中2世代からすればこんな変
な音楽で金取ろうなんて日本人を舐めたふざけた奴らだぐらいにしか思ってま
せんでしたのでビートルズに興味なしでした。

当時はフォークソングが一般大衆化して大ブームになる一歩手前ですから音楽
に目覚めた男はフォークシンガーになるべくギター買ってコード練習してるの
が多かったな。ヤマハのポプコンに応募して優勝してプロシンガーになろうと
いう夢を持つも自分の才能のなさにあっさり挫折する。これが当時ギター練習
してた奴に共通するお約束。

岡林信康がフォークソングの神様と言われてましたが何故神様なのか中2には
理解できない。泉谷しげるが春夏秋冬を歌いコンサートで客席の客と必ず喧嘩
するのに目を丸くし、広島から吉田拓郎が出てきてぼちぼち頭角を現してきた
頃、吉田拓郎の独特の声と詩のメッセージに狂った奴が多かった。井上揚水は
まだ全然売れて無くて、でも少しずつ注目されてきましたから「やっぱ吉田拓
郎が一番で井上揚水は二番だよなー」なんて知ったような会話をしてみたり、

大阪で万国博覧会が開かれて一泊二日で大阪まで行って、アメリカ館で5時間
半並び、ソビエト館で3時間半、オーストラリア館で2時間並び、あげくに迷
子になっちゃって迷子センターで中学2年生が幼稚園児や小学校低学年の児童
と一緒にカーペットの部屋でぼーっと数時間待ってて、やっと拾いに来た父親
とテレビ電話で会話したり、TV番組の傷だらけの天使が放映されて萩原健一と
水谷豊の演技に感動し、あんな刹那的な生活をしてみたいとマジであこがれて
みたり、浅間山荘事件の銃撃戦をテレビ中継で見て、「すげー、おまわりが撃
たれて血だらけだぁ」って単純に面白がって見てたりしてた時代ですね。

ファッションはというと、東京ではアイビーが常識の時代だったんだろうけど、
北海道の上磯町(現,北斗市)じゃそんな小粋な格好する中学生なんかどこに
もいない。男の心意気は長靴という不思議な価値観がまかり通り、不良は夏で
も長靴をはき、民生用の広進ゴムはださくて業務用の三馬ゴムが一番偉いとい
うわけわかんない男気があり、スリムジーンズなんかどこにも売って無くて、
ラッパズボンとひさしのようなリーゼントの時代で、いかに先生にばれないよ
うにズボンの裾を広げて短い髪の毛を、高温低送風の髪の毛が焼けるヘアドラ
イヤーとVO5のヘアスプレー5番、スーパーハードを使っていかにリーゼント風
に見せるか、そういうのに狂ってるのが多かった。

ソウルミュージックはというと、当時そんなもんあったのかなぁ?北海道は音
楽の流行に異常に敏感な地域ですから東京でブレイクする前に北海道で先にブ
レイクする時代でしたがソウルミュージックなんて言葉を聞いた記憶がない。
黒人の歌う洋楽はあったしそれがいい曲なら注目してたけど、それが今で言う
何の曲だったのか全然記憶にないし興味のかけらもなかったですね。

中2になってもおちんちんの毛が全然生えなくて真剣に心配してたんだけど、
中2の夏頃には少しずつ毛も生えてきてほっとした頃からだんだん色気に目覚
めはじめ、少しずつ夜更かしするようになって、毎日夜11時半からモコ・ビ
ーバー・オリーブの「ザ・パンチパンチパンチ」を聞き、0時から「あおい君
と佐藤君」を聞き、0時10分、かぜ耕士の「たむたむたいむ」、0時30分、
大石五郎の「ヤマハ・コッキーポップ」、1時から「オールナイトニッポン」、
という当時の中学生が一度は経験する王道のようなパターンにはまります。そ
こで初めて出会ったのが月曜担当の局アナ、糸井五郎さん。

Hi!
夜更けの音楽ファンこんばんは。朝方近くの音楽ファンご機嫌いかがですか。
君が踊り、僕が歌うとき、新しい時代の夜が生まれる。
太陽の代わりに音楽を、青空の代わりに夢を。
新しい時代の夜をリードする、オールナイトニッポン Go Go Go & Goes On!


その番組で世の中にはソウルミュージックなるものがあることを初めて知った
んですが、「おー、すげー、これは絶対毎週聞かなきゃ!」って思ったらほん
の数ヶ月聞いただけでいきなり番組が打ち切り。後番組として局アナの亀渕昭
信『ビバカメショー』なんてのが始まります。(トランジスタラジオの電池代
が高い時代ですから電池のいらないゲルマニウムラジオを自作して親にばれな
いように布団の中で隠れるようにして東京の放送を聞いてました)

※後に17歳ぐらいになって六本木アフロレイキ提供の「ソウル・フリーク」
という番組で糸井五郎さんの声にまた会えましたが、その独特の口調と選曲は
大好きでした。だけどその頃は働いてましたからちゃんと聞けなかったな。
「あ。糸井五郎だ。懐かしいなぁ。さー寝よ」ってなもんでした。


この頃生まれて初めてアルバイトしました。北海道新聞の配達でしたが、中2
って朝起きれない年齢だから早起きは大変だった。北海道は雪の日には自転車
使えませんから脇に新聞はさんで吹雪の中を必死に配達してましたが、毎日
150件配達して月に2800円だったかな。初めて自分で稼いだ金だからうれし
かったなぁ。この金であれを買おうこれも買おうっていろいろ夢が膨らんだん
だけど母親に全額取られて1000円だけ渡されて残りは親の信じるカルト宗
教に全額寄付。

北海道新聞は半年近く働きましたがいつまでも手取り1000円じゃ仕方がな
いから今度は毎日新聞に鞍替えして、180件の配達で5000円に給料アップ
しました。そしたらまた母親に全額取られて2000円だけ渡されて残りは親
の信じるカルト宗教に全額寄付。

とにかく金欲しかったから中3の夏休みに知り合いの紹介で建築で使う鉄筋屋
さんの下働きのバイトしました。「こっちの鉄筋の山をあっちに持って行け、
その鉄筋の山はあっちに、終わったらつるはしで穴掘ってスコップでここを平
らにならせ」って、要は子供の無知につけ込まれて土方相場より格安の給料で
いいようにこき使われただけなんですが、筋肉の無い頃ですからマジでしんど
かった、一日5千円のバイト代に釣られて必死に働いて1週間で3万円の給料
でしたが、これまた母親に全額取られて3000円だけ渡されて残りは親の信
じるカルト宗教に全額寄付。

中学を卒業して親戚の経営する漁船のエンジンを整備する会社に勤めたんです
が、初めてもらった給料が3万2千円。例によって母親に全額取りあげられて
5千円だけ渡されて残りは親の信じるカルト宗教に全額寄付。

当時の私の家庭環境は母親の信じるカルト宗教のせいでぐちゃぐちゃな状態で
高校進学なんかとんでもない。それより自分がカルト宗教に潰されないために
は一日も早く親元から脱出するのが先という状況でしたから、中学を卒業して
すぐに就職して、働いて一人で食っていけるめどがなんとか付いたと同時に北
海道の上磯から東京に上京します。

私が幼稚園児の頃に離婚した父親を頼って上京したんですが、父親は既に再婚
して小学生の男の子が2人いましたので前妻の子供がいきなり転がり込んでく
ると非常に迷惑なわけです。「就職が決まるまでだけでいいからここ住まして
くれ」って言っても「今すぐ北海道に帰れ!」って言われてしまう。やっとカ
ルト宗教に狂った母親の所から脱出してきたのにまた狂った家に帰るの嫌だか
ら意地でも頑張って帰らないでいると今度は毎日ぶん殴られてました。(中2
の時に大阪万博に連れてってくれた時の父親は本当に優しかったんで、お馬鹿
な私は大きな勘違いをしていました)

晩酌でビールを飲み始めて大瓶3本目に取りかかって半分ぐらい飲んだ頃にな
ると、必ず酒乱が始まって毎日夜になると50発以上拳でぶん殴られてたなぁ。
旧帝国陸軍式のビンタという制裁でしたので力任せに拳で下顎をぶん殴るから
1発殴られると横に吹っ飛んでいって壁にたたきつけられます。それでぶっ倒
れると追加30発とか殴られてたし、毎日毎日顔の形が変わるほどぶん殴られて
ましたが、数ヶ月後になんとか就職も決まって会社の寮に住めるようになり、
やっと酒乱の父親から解放されます。

新聞広告の折り込み広告を見て勤めることになったのはJR中央線豊田駅近くに
ある東芝日野工場。配属されたのはダイヤル式の電話機を生産するベルトコン
ベアのラインの最終検査の仕事で、電話機の筐体の傷を目視検査して、回路の
導通試験をする仕事です。

これでやっと父親から離れれたと思ったら父親としての責任を感じるんでしょ
うね、毎週末には必ず家に帰ってこいって事になって言われたとおりに家に行
くと、夜になって私に能書きを言いながら酒を飲みはじめる。そしてビール3
本飲むと酒乱が始まってまた長時間ぶん殴られる。週明けに会社に行くと「お
前、アゴがぱんぱんに腫れてるぞ、大丈夫か?」って上司に聞かれるから、酒
乱の父親に毎週末ぶん殴られてるとも言えないので、「え〜、大丈夫ですよ〜」
ってごまかしてました。

こういう状況ではお先真っ暗なのでなんとかするしかない。でも未成年が都内
で一人で生活するのにネックになるのは保証人の存在です。アパート借りるに
も就職するにも保証人が必要なわけです。保証人のいらない世界って言ったら
当時は水商売の世界しかありません。いろいろ状況を聞きまくって、こりゃ水
商売の世界に入るしかないなってことで、JR中央線八王子の駅前のフランクっ
て喫茶店でアルバイトを始めます。

でもここは2ヶ月しか持たなかった。店内でボーイとして働いてたら会社の人
にあっさり見つかっちゃいました。次の日出勤したら班長に呼び出されて工場
長に延々とお説教されてもう2度とアルバイトしませんって約束させられまし
た。東芝では就業規則でアルバイト絶対禁止になってるんですが私の状況では
背に腹は代えられない。

会社から一駅しかない八王子駅前だからアルバイトばれたんで、逆方向の立川
ならなんとかなるだろう。今度は立川で働こうって決めたんですが、当時は韓
国向けの緑色の筐体のダイヤル式電話機の生産で急に忙しくなって来て毎日残
業しろって班長にしつこく言われてましたから残業命令から逃げて確実にバイ
トに行くために定時制高校に入学することにしました。

北海道の中学から必要書類を取り寄せて都立立川高校の定時制に入学申請して
ほぼ無試験状態で入学して一段落した時点でJR立川駅南口にあったボンドって
喫茶店に勤めます。面接の時にアパートを格安で紹介してあげるよってことな
のでここに決め、ボーイとしての仕事が軌道に乗った時点で東芝を辞めて、立
川南口の四畳半台所付トイレ共同風呂なし家賃1万円のアパートに住むことに
なります。

定時制高校は行く意味がなくなっちゃったから行方不明状態で自主退学。結局
3ヶ月ぐらい通ったことになるのかな? 入学してすぐに辞めたから実質1ヶ月
も通わなかったわけだけど、履歴書に高校中退って書けるんぶんだけ行った意
味がありました。


当時のJR立川駅南口です。右に見える建物の2階がボンドという喫茶店でした。


当時の時給は1時間250円でしたから月の手取りが5万円、まず家賃1万円
と光熱費(銭湯代含む5千円)を確保。次に袋入りのインスタントラーメンを
60個買う(約4千円)。喫茶店の仕事は早番でしたから朝食にインスタントラ
ーメン1個だけ、昼食は喫茶店支給の厚切りトースト1枚とコーヒー1杯、晩
飯はインスタントラーメン1個だけ。残り3万1千円が小遣いだけど、日割り
にすれば1日たったの1000円。給料日前に食欲に負けてインスタントラー
メンを食い過ぎるとメシを食う金も無いし部屋に食べるものも無いから数日絶
食。そんな状況でした。

これでやっと父親から行方不明になれ、母親からも行方不明になれて、長い間
の自分の望みだった自由を手に入れることができました。このとき16歳。人
生の先行きの希望は完全にゼロ。でも誰にも干渉されないからとっても幸せで
した。

ディスコの話はもう少し先ね。





■立川南口駅前、純喫茶ボンド

その店の経営者は在日北朝鮮の60過ぎのママさんで、日本語の発音がちょっと
変なんだけどとてもいい人で、私の事情を説明したら快諾してくれて、知り合
いのアパートの一室を貸してあげる、敷金礼金手数料無しで毎月1万円の家賃
でいいとのこと。これはありがたいと思ってその店に勤めることにしました。

東芝を正式に辞めてボンドの紹介してくれたアパートに移ったんですが、ここ
の家主さんも在日北朝鮮系の人、そして立川駅南口のすぐ近くなのにそこらへ
ん一帯が日本にいながら日本語が全然通じない変な世界なんですよ。

でもって家主のばぁさんが昔日本人にいろいろいじめられたからという理由で、
私の顔を見ると必ず朝鮮語でいろいろ文句を言って自分のストレスを解消する
わけです。このばぁさんは日本語が少しわかるくせに私には一切使わず、私の
顔を見るとチョッパリだのなんのってありとあらゆる朝鮮語でぼろくそにのの
しるわけです。

それを受けてる私は情けないことに、ものごころついてからのカルト宗教教育
のせいで喧嘩が全然出来ない性格にされてましたから、ばぁさんが悪口言って
るのはわかるから頭には来るんだけ、「うるせー!この糞婆ぁ!少し黙れ!」
ってケツをまくる度胸も無い。そういう実に情けない日々が続きました。

2ヶ月後ぐらいに日本人に対する一生分の文句を言ってストレス解消したせい
なのか、ある日を境に満面の笑顔で私と接するようになり、私は「???」だ
ったんだけど、当時の日教組の自虐教育の成果もあって、「日本は戦争で悪い
ことをしたからこういうのも贖罪の一種なのかなぁ、まぁ、これでばぁさんの
気が晴れて何よりだな。」なんて脳天気な気持ちになってました。(当時の売
国日本人集団である北海道の日教組の教師達の自虐教育はそれほど凄かったっ
てことです)

そう思ってたらある日、ノックも無くいきなり私の部屋の戸を開けたばぁさん
が白い箱を持ってきて私に無理矢理押しつけて、「ん!」「え?何?これくれ
るの?」「ん!」って押しつけて出て行きました。白い箱に入ってるから何か
なと思ったら、北朝鮮製の変な形の紅白の和菓子で砂糖を練り固めた日本の落
雁みたいな和菓子に似たお菓子。

「へー、あのばあさんってしおらしいこあるねぇ。今まで文句言ってたからお
詫びの印かぁ」なんて思いながら一口食べたら「んっ!これ薬臭い!この落雁
腐ってる!」箱に書いてある賞味期限を見たらとうに切れて既に1ヶ月過ぎ。
これにはさすがに私も頭がぶち切れました。「あの糞婆ぁ!しおらしいとこ見
せてこういう手の込んだ嫌がらせをするのか!もう絶対にゆるさねぇ!あの婆
ぁとはもう絶対口きかねぇ!」腐った北朝鮮製の落雁はゴミ箱に叩き込みまし
た。

次の日、婆ぁが満面の笑みで「食ったか、美味かったか」って日本語で聞くの
で、『ちゃんと日本語喋れるんじゃないか、この糞婆ぁ』と思いながら、「あ
れは腐ってたから捨てた」と言うと血相を変えて私の部屋に飛び込んでゴミ箱
をあさって落雁を回収して行きました。

当時の私のは何がなにやらわけわからん状態だったんですが、後でわかったこ
とは、あれは在日朝鮮人が本国にいっぱい送金して、そのおかげで船で北朝鮮
に里帰りした時に、当時の首領様である金日成主席と直接会える式典があって、
大量に金を送金した人だけがもらえる、とってもとってもありがたい落雁なん
だそうです。

ばぁさんとしては一生分の日本人への悪口を私に言ったからストレスが解消出
来て、その感謝の気持ちとして自分たちが一番素晴らしいと思っている価値の
あるものを私にくれたんですが、そんな他国の事情を全然知らない私にとって
は、ただの賞味期限切れの腐った落雁ですからありがたくもなんともない。逆
に怒ってしまう結末になってしまいました。

私は朝鮮半島の人とのつき合いは北朝鮮系の人しか無くて、韓国系の人とは全
然つき合いが全然無かったんですが、北朝鮮系の人はとにかく個性豊かで面白
い人が多かった。個人個人は実に面白いし人情味豊かな人が多いけど、朝鮮高
校生徒のように集団になるとろくでもないってのがわかったのも貴重な経験で
した。


職場の人間関係ですが、当時の私は世間知らずで生意気で中2病な16歳のガキ
ですから、20歳前後の先輩ウェイトレスのお姉様方にとって鈍くさい奴でむか
つく対象になっちゃうわけです。

何かと言うと、仕事の集中力みたいな社会人として知って当然の暗黙のノウハ
ウをまだ全然つかんで無いからなんですね。例えば自動ドアが「ガーッ」って
開いて新規のお客さんが店内に入ってくる。お店の従業員はウェイトレス2人
にボーイの私1人ですから、3人のうちの誰かがオーダー(注文)を取りに行か
なきゃならない。こういう時は誰も何も言わないけど順番なのが当たり前です。
従業員はみんな同じ給料を貰ってるんだから3人で順番にオーダーを取りにい
かないと、誰かが楽をしてて誰かが馬鹿を見ることになります。

でも16歳のガキの私にはそれがわからない。新規のお客が入ってくるとなんと
なく恥ずかしいのとめんどくさいので一瞬動作が遅れる。それは先輩ウェイト
レス達にすれば致命的なタイムラグだから、順番的にオーダーを取りに行くの
が私であっても私を無視してさっさとオーダーを取りに行くわけです。女性は
最初は優しいから私が「あ、すみません」って謝ると「いいよいいよ」って言
ってくれてるんですがそれは全然いいよじゃない。【次からは気をつけろ】の
「いいよいいよ」なわけです。

そんな鈍くさい奴ですから職場の人間関係最悪で完全にシカトされてたんです
が、こっちは小学校5年生から中学卒業するまでカルト宗教のせいでいじめら
れてましたからシカトなんか慣れっこで屁とも思いません。それがまた憎たら
しいってことで口も聞いてくれなくなったりして、でも私としては相手の怒り
の原因は言ってくれれば理解出来ますから改めるんですが、改めても許してく
れないという、じゃぁどうすりゃいいんだ。みたいな感じ職場の人間関係最悪
でした。

今から思えば世間知らずのヒッキーが陥る典型的な展開で、なるべくしてなっ
た自業自得の典型的なパターンなのでした。




■当時のJR立川駅前の雰囲気 1


でもって立川という街の当時の雰囲気が最悪。その頃は米軍立川基地は日本に
返還が決まってまして、現在は昭和記念公園になってますが、立川基地には陸
上自衛隊が配備されていて、今までいた米軍はみんなすぐ横の福生にある米軍
横田基地に移動して立川の街にはアメリカ人なんかほとんどいない。いるのは
北朝鮮系の朝鮮学校の朝高生(ちょうこうせい:高校生)と朝校生徒(ちょうこう
せいと:中学生)。

これがまた危ないわけです。とにかく彼らは登下校時に集団で行動して長時間
駅前でたむろしてますので下手にからまれると(こっちに用がなくても向こう
からからんで来る)あっという間に集団に取り囲まれて袋だたきに遭います。

日本人の高校生ぐらいの年の突っ張った男を見つけると、まず朝校生徒(中学
生)が喧嘩を売ってきます。にこにこしながら近づいてきて「せんぱぁ〜い」
って肩に手を回して来るから、『なんだこいつ、妙な甘え方する朝校生徒だな』
と不審に思ってると、いきなり胸ぐら力任せに引き寄せながら、大きく後方に
振りかぶった頭を鼻の下の「人中」という急所を狙って頭突きを食らわしてき
ます。

片手でつかんでいる襟首の引きの力と、反動を付けた頭突きの相乗効果で相手
の頭蓋骨に効果的なダメージを与える。これが当時の常識だった朝鮮パンチ、
略して「チョーパン」です。(関東ではチョーパンですが関西ではパッチギと
言うらしい。←関西の事は全然知らん)

これをやられると一瞬気が遠くなって鼻血がだらだら出て涙で視界が狭まりま
すので、そのまま一気に押し倒されて、今度はテコンドー式の連続キックを腹
と背中に打ち込まれて最終的に病院送りになります。

こうやって書くとチョーパンって凄いでしょ。でもね、朝鮮学校の定番攻撃で
あるチョーパンの存在を事前に知ってるとそれほど怖くも無いんです。チョー
パンってのは同じぐらいの背丈でいきなり奇襲攻撃を食らわすと効果絶大です
が、立川近辺の高校生ぐらいの年頃の男達は中学の頃から先輩後輩が朝鮮学校
の学生にチョーパンにやられたという話を嫌というほど聞いて知ってますから
みんなぼーっとしてません。

チョーパンを防ぐには、相手に襟首を捕まれた時にその手首を片手で軽く押さ
えておいて相手の動きを警戒する。相手が頭を後方に振りかぶりながら襟首を
引いて来たら、すかざすその手を自分の顔のあたりに置いて相手の頭の動きを
手のひらで押しつけるようにして防ぐ。たったそれだけでチョーパンは簡単に
防げちゃうんです。

だから「朝鮮人にチョーパンでやられた〜」って奴がいると。「お前馬鹿じゃ
ね? 朝鮮学校の奴らと絡んだらチョーパンはお約束だろ。何ぼーっとしてた
んだ? チョーパンなんか前もって警戒してたら誰でも簡単に防げるだろ?」
って物笑いの種にされるわけです。

で、喧嘩を売ってくるのは朝校生徒(中学生)と決まってまして、朝高生(高校
生)は日本人の硬派なツッパリ学生達と微妙な力関係のバランスでもってお互
いに通学路の平和を保ってますからあまり喧嘩はしません。でも朝校生徒(中
学生)はそんなややこしい裏事情を全然知りませんから朝校生徒の俺たちは朝
高生(高校生)達の庇護があるから何かあっても安心だとばかりに徹底的に日
本人学生に喧嘩を売ってきます。(昔の少年マンガみたいな世界だよね。でも
これが当時の現実です)

ところが中学生は背が低い。中学生が高校生にチョーパンをかましてきても、
身長差から有効な打撃にならず、逆に簡単にチョーパンを止められて「お前ど
ういうつもりなんだ?」という攻守所を変えた展開になっちゃうわけです。

(私も3回くらい朝校生徒にチョーパン食らいましたが。身長150cm位の中学生
が身長180cmの私にチョーパンしても30cmの差はでかいから打撃になりません。
襟首の引きさえ警戒してると簡単にチョーパンを防げます)

普通はここで「ふざけろ、この馬鹿!」って数発顔にパンチを食らわすなりケ
リを食らわしてからこの中学生を解放してやるんですが、この時に怒りにまか
せて気楽に殴ると後がマジでヤバイ。自業自得で殴られた朝校生徒は高校生で
ある朝高生の番長格に、「ボクは何もしてないのに日本人学生にいきなりぶん
殴られました!」ってあることないこと尾ひれを付けた大嘘な話をでっち上げ
て学校で先輩達に報告するわけです。

そうなると(その大嘘の話をそのまま信じて)自分たちの面子を潰された朝鮮
高校側の番長達の出番です。彼らは1人ではなく集団で喧嘩しますから通学路
に張り込みして殴った相手を探します。そして見つけると30人ぐらいで取り囲
んで1人の日本人高校生を袋だたきにします。

こういう展開になることがわかってるから日本人学生側は朝鮮学校の学生には
なるべく手を出したくない。出したくない事情を知ってるから朝校生徒達は調
子に乗ってつけあがる。そうなると当然朝校生徒の中学生は喧嘩が弱い癖に日
本人高校生に喧嘩を売って廻るようになる。

日本人学生側からすれば例え相手がガキであれ、みんなの見てる前で正面切っ
て喧嘩を売られた以上、逃げると自分の不良としての面子にかかわるから喧嘩
を受ける。そうなれば後はお約束のパターン。

当時の立川駅北口はそんな殺伐とした時代でした。

んで、私は学生じゃなくて働いてる社会人ですので年齢だけは喧嘩の対象でし
たが例外みたいな身分ではありましたが、喧嘩に自信があろうがなかろうが、
トラブルに巻き込まれたくなければ朝校生の下校時には北口駅前に近寄るなっ
てのが立川の少年達の常識でした。(でも喧嘩は見てると楽しいからあえて見
に行く、火事と喧嘩は江戸の華w)

当時の日本人学生側も馬鹿ばっかでろくな奴はいなかったんで、結局どっちが
悪いじゃなくて、どっちもどっちだったんでしょうが、両者の喧嘩のスタイル
は全然違いました。

日本人側は元寇の時の鎌倉武士団みたいな感じで「やぁやぁ我こそは」とばか
りに、喧嘩をする時に獲物(棒とかナイフ)を使うような卑怯な喧嘩は男のす
る喧嘩じゃない。男は男同士、正々堂々と一対一でタイマン(決闘)して拳で
決着を付けるべき。という、本宮ひろしの「男一匹ガキ大将」の描く古い不良
の伝統を忠実に守っています。

しかし朝鮮高校側は日本人とは常識やメンタリティが全然違いますから、喧嘩
はどんな汚い手を使っても最終的に勝てばいい。だから集団で敵に向かうのは
当たり前、もし負けそうになったら自分のプライドなんか関係なく命乞いして
油断させる、そこで相手が油断したらそこら辺にある鉄パイプを拾ってきて後
ろから力任せにぶんなぐって形勢逆転を計る。という大陸的な実用的な喧嘩を
します。こういうのはまさに鎌倉武士団と元寇の争いそのものです

当時立川駅北口で日本人学生と朝鮮人学生が喧嘩してるところをよく見ました
が、一対一の喧嘩ならまず間違いなく日本人の勝ち。気合いと根性で闘う日本
人と、ノリで闘う在日北朝鮮人のメンタイリティの違いで、体勢が不利になっ
ても勝つチャンスを待ち、殴り合いで負けそうになると相撲に持ち込んででも
体勢を有利にして勝負をかける日本人学生に対して、朝鮮人学生は有利な体勢
の時にはやたら強いんだけど、ちょっと形勢不利になるとすぐに泣きを入れる、
あっけないほど簡単に泣きを入れる。涙流して土下座までする。

日本人の感覚からすると「なんだこいつ、それでも男か」みたいな感じで泣き
を入れるんだけど、油断すると負けを認めた後でも平気で後ろから逆襲する。
しかも手当たり次第にそこらへんにある道具を使って後ろから徹底的に殴りに
来る。そんな喧嘩が多かったですね。(私は16歳でも一応社会人ですから野次
馬専門で、学校同士の面子なんか全然関係ないから被害の及ばない距離まで離
れて見学してました。当時は、昭和第一高校 vs 朝鮮学校って喧嘩のパターン
が一番多かった。これを「いつもの芋校とチョー校の喧嘩」と言いましたw)
こういう喧嘩のしかたの違いは両国の文化の違いです。

でもタイマンで日本人学生が勝ったからって安心出来ません。当時の日本人学
生は喧嘩は勝っても負けても勝負は水物なんだから、後に遺恨を残さず一切を
水に流すという、ラグビーで言うノーサイドの精神で喧嘩しますが、彼らは一
対一で負けた後は「恨」の精神でとことん追い込みをかけてきます。通学路は
決まってますから一人の時にそこで待ち伏せされて集団にぼこぼこにされたな
んて話もよく聞きました。

30人ぐらいで輪になった朝鮮学校生徒の中に硬派の日本人学生がたった1人、
ぶん殴られてあっちに飛ぶとまた殴られ、殴り飛ばされてこっちに来るとまた
ぶん殴られ、ダウンすると数人で無理矢理立たしてまた集団で殴る蹴るってい
うタコ殴り状態で、あっという間にボロぞうきんのようにされてしまいます。

駅前の交番から通報を受けた警察官が飛んでくればタコ殴りは中止で日本人学
生も朝鮮人学生も蜘蛛の子を散らすように逃げますが、警官の登場が遅れれば
日本人学生は確実に病院送り、そういうのを1ヶ月に1回くらいは見てました。
(あいつら路地裏でもないし大通りでもないという交番の死角になる微妙に目
立たない場所で喧嘩するんだよね)



当時の立川駅北口駅前




■当時のJR立川駅前の雰囲気 2


さらに立川北口には競輪場があります。公営ギャンブルのあるところ必ずヤク
ザあり。当時のヤクザは今と違ってファッションでわかります。頭はお地蔵さ
んのようなパンチパーマ。開襟シャツにストライプの入ったグレー系のダブル
のスーツ、上着にはサイドベンツのスリットが入っていて雪駄かエナメルの靴。
レイバンのサングラスかけて両手をズボンのポケットに入れて、右手と右足を
同時に出すような感じで、肩と腰で周囲を威圧するようにがに股で歩きます。

んで当時は本職の組員と、東映の高倉健とかのヤクザ映画の見過ぎでヤクザに
憧れているヤクザ予備軍(チンピラと言います)がいて、本職の組員は上がし
っかりしてるから野良犬みたいに無駄に吠えないんですが、ヤクザ大好きのヤ
クザ予備軍であるチンピラが無駄にあちこちに喧嘩を売ってトラブルになると
簡単にヤクザの名前を出しちゃうから本職の面子が絡んじゃって、その解決の
ために金が動くから本職達の出番になる。警察は民事不介入だから暴行が無い
限りあんまあてにならないしヤクザは頭がいいから恫喝するけど暴行はしない。

そして大金出して弁護士立てて裁判するなんて発想は当時の庶民には全然無い。

そんな時代ですから素人が調子こいて繁華街に行くと何かとトラブルに巻き込
まれるわけです。今の若い人たちは団塊の世代以下のオヤジ連中が集団行動が
大好きなのを見て不思議に思うでしょうが、当時は個人で行動するとマジで危
ない時代でありました。

集団で行動すると地元のチンピラが絡んできて何かトラブルが起きても集団の
中には誰か知恵者や顔見知りがいてその場を切り返してくれてなんとかなるけ
ど、個人でチンピラのトラブルに巻き込まれると家族を含めて自分に致命的ダ
メージを受けかねない。だから自分の安全のために集団行動にこだわる→集団
行動に慣れると意外と楽しい→集団行動大好き。というパターンになっている
人が多かったですね。

警察はクリーン作戦とか言って競輪場のある立川駅北口側でヤクザが目立つよ
うな事を徹底的に嫌うわけです。なので北口の夜の繁華街はともかく、競輪が
開催されている昼間は北口側は治安がいいんですが、その反動が立川駅南口側
に来ます。

私の勤めていた純喫茶ボンドは立川駅南口を出てすぐ左側の建物の2階。初め
て来た人には非常にわかりやすい場所です。しかも経営者は在日北朝鮮人の60
歳過ぎのママだから立川の暗黒街に妙に、というか異常に顔が広い。なのでヤ
クザ達の待ち合わせに非常に便利ということで地元のヤクザが大挙して押し寄
せてきます。

朝8時にボンドに出勤して床とテーブルと椅子を掃除して開店準備をします。
開店は8時45分頃。開店と同時にパンチパーマで背広を着た目つきの悪い中年
と老人が10人ぐらい入ってきてフロアの一角を占領してまず新聞を読んで、
それからフロアに響くような大声で喋り出します。最初はヤクザかなと思って
たんですが、この人達は地元の不動産屋の社長達。当時の立川近郊は新興住宅
用のベッドタウンとして根こそぎ開発してましたから社長同士で情報交換です。
それまで田んぼや畑だったのをまとめて買い上げて、大手ディベロッパーに売
って利ざやをかせぐ。そんな仕事をしてる人が多かったですね。


そしてそれまで真面目一方で働いてきた立川近郊のお百姓さんはいきなり大金
をつかんだことで人生が変わってしまって、60歳近くの父ちゃんはキャバレー
で毎晩豪遊。息子はファイアバード・トランザムとかカマロとかの大排気量V8
エンジンを積んだアメリカ製乗用車をポンと買ってもらう。50歳過ぎたかあち
ゃんは父ちゃんの浮気にぶち切れて対抗上ホストクラブに通い出す。土地を売
った金はなんぼでもあるし、足らなきゃまた田んぼを切り売ればいいとばかり
に家族揃って夜の繁華街でみんな遊ぶ。当時の夜の立川はそんな土地成金ブー
ムの時代でもありました。

そしてその人達が帰ると次に本職さんが集団で来ます。だいたい15人ぐらいで
来るんですが、この人達は主に競輪競馬のノミ行為で稼いでいるヤクザ屋さん
たち。灰皿と水とおしぼり持っていって「ご注文は?」と聞くと、たいていそ
の中の1人や2人は「水!」ってのがいます。

奥に戻って、ちゃんと4年制の中央大学を出てる学士様なのに何故か正業に就
かず30過ぎてまで喫茶店のカウンターをやっているチーフ(厨房長)に、「あ
の・・・チーフ。水だけってお客さんがいるんですが・・・」「駄目だよお前、
ちゃんとオーダー取ってこないと。ここは市役所の休憩所じゃないんだぜ。お
前はボーイなんだから責任持ってちゃんとオーダー取ってこい!」って発破か
けられます。(ボーイを直接管理する上司はカウンターの中のチーフです。そ
の上にマネージャーがいて経営者の順になります。)

それで仕方なくヤクザもんに、「あのぉ・・・ご、ご注文いただかないとぉ、
こ、困るんですがぁ・・・(涙目)」「だから水って言ったろ。俺は水を注文
したんだよ!」「いえ、あのぉ、ここは喫茶店ですからぁ、コーヒーなり紅茶
なりご注文いただかないと困るんですがぁ・・・」「俺は何も困らんぞ」「い
え・・・そういうことじゃななくてぇ、ここは市役所の待合室じゃないですか
ら喫茶店で無料というわけには・・・「なんだとコラ!てめぇ、俺に何か文句
でもあるのか!」「いえ、ありません!」「じゃぁ問題ないだろ。オーダーは
水!」「いえ、でも・・・」「でも何だ!」「な、何でもないです・・・はぁ
ぁぁぁ・・(ため息)」

要するに私は朝の暇つぶしにヤクザ達におちょくられて遊ばれてるわけです。

後にボンドを辞めて別の店に勤め、再度ボンドで働くことになりますが、その
頃になるとそういうのは完全に慣れちゃって「はい、お水ですね」ってオーダ
ー受けて後は完全に放置。1時間ぐらい立つとしびれを切らしたヤクザもんが、
「おいっ!てめぇ!ふざけてんのか!殺されてぇのか!なんで俺にオーダー取
りに来ないんだ!俺に文句でもあるのか!」って絡んでくるので涼しい顔して
「でもさっきお水って言いましたよね。ご注文はちゃんと受けてますよ。お水
おかわりしますか?」というと真っ赤な顔して「いいからてめえはコーヒーも
ってこい!」「はいコーヒーですね。ホットでよろしいですか」「おう!」
「わかりました」ってあっさり流すんですが、当時はまだ16歳。世渡りのコツ
をなーんも知りませんから「水!」って言われると頭の中で余計な想像力が働
いちゃって怖くなって何も言えず、見るだけでヤクザが怖くてぶるぶる震えて
ました。

で、その人達が帰ると今度は暴走族の人たちのお出ましです。当時はまだ暴走
族という言葉はマスコミに出来て無くて、カークラブとかツーリング族とか言
ってて、集団で近所迷惑な暴走行為を目的とする集団ではなく、自分の宝物で
ある改造車を見せびらかし、集団で爆音立てながら気分良くドライブするのが
目的の、車好きとバイク好きの不良の集まりみたいな集団でした。

なのでチーム同士がすれ違っても少数派同士ですからお互いの同士感が優先し
て喧嘩にならず、でもみんな若いですから喧嘩はよくあったんですが、それは
個人の喧嘩であってチーム同士の喧嘩ではなく、頭(あたま、チームリーダー
の事)の挨拶でお互いのチームが友好的に別れて終わり。そんなトラブルの少
ない暴走族の黎明期のような時代でした。

この1年後あたりから暴走族が暴走族として暴れだし、対抗チームは見つけ次
第潰せということになって湘南で大喧嘩があってマスコミにも取り上げられて
暴走族という名前が付けられ、警察でもそういう名前にするということになり、
そのネーミングのセンスの良さに暴走族側も感激して自分たちが暴走族である
ことにプライドを持つようになります。(マスコミや警察が暴走族なんてかっ
こいい名前を付けずに、最初から「珍走団」っていう情けない名前にしておけ
ば良かったのにね)

さらに暴走族をやってると女にもてるということになり(当時はボロ車でも車
を持ってるだけでステータスですからマジで女にもてる時代でした)ツッパリ
小僧達はなだれを打つように地元の暴走族に入会しはじめます。そうなると当
然喧嘩を原因とするトラブルも増えて、それを解決するのにヤクザが出ないと
収まらないこともあり、自然発生的にヤクザが暴走族チームのバックに付いて、
ステッカー代や毎月の会費やトラブルの手打ちのための臨時徴収がヤクザの資
金源になっていきます。

んでお店に暴走族が来るとまた詳しい奴がいるわけです。「あいつはスペクタ
ーの幹部だ」とか「あの人はブラックエンペラーの特攻隊長」「あの人は毘沙
門天の頭」「あの人は武州連合の人」「あの人は一寸法師の幹部」「あの人は
ピエロだな」「あれはアーリーキャッツの若い衆」そんな感じで、話したこと
も無いのに妙にそういう世界に詳しくなったのでした。

そんな生活を続けていると16歳には毎日の刺激が強すぎて生活がしんどくなっ
てきます。毎日お店でヤクザにからまれ、学校の下校時に外を歩けば朝鮮学校
の学生にからまれ、ふらふら夜の街をあるいていると暴走族や不良にからまれ
るわけです。

要するにこれは私が「妙に生意気そうで目立つけど喧嘩が弱そう。特に気が弱
そう」ってのがそもそもの原因で、今と違って道を外れたアウトローの世界は
弱肉強食の時代ですから、お肉になりそうな私のいるべき世界じゃなかったわ
けです。

困ったなぁ・・・でもボンドを辞めるとアパートが寮扱いだから自動的に出て
行かなきゃならないしなぁ・・・って思っていたら朗報が入ります。友人が八
王子の新しいアパートに引っ越したんですが、事情があってたった2ヶ月住ん
だだけで田舎に帰らなきゃならなくなったからアパートを出るという話が飛び
込んできます。

当時、都内でアパートを借りるには敷金,礼金,権利金,前家賃,不動産屋の仲介
料の5ヶ月分が必要なんですが、もらった給料を全部使い切ってる私には引っ
越しのために家賃を5ヶ月分も貯金をするのは絶対無理。でもこの場合、大家
さんが承諾してくれれば、出て行く奴の代わりに私は留守番ということで毎月
の前家賃だけでとりあえず住めます。しかも2年おきに来る次回の契約改定で
権利金と礼金の2ヶ月ぶんだけで格安で自分の契約した部屋にもなります。

早速友人と連れだって大家さんに会って話し合ったところ。いきなり田舎に帰
ることになった事情が事情だし、まだ入居してたったの2ヶ月目だから留守番
でもいいよということで快諾してくれます。これでやっと環境の悪い立川を離
れることができます。早速八王子に引っ越して純喫茶ボンドも辞めて、今度は
JR八王子駅前の朋松(ともまつ)本店という喫茶店にボーイとして勤めること
になります。

立川のボンドでは16歳の年齢から来る人生経験の未熟さから職場の人間関係の
構築に失敗して雰囲気最悪になっちゃいましたから、その失敗の教訓を生かし
て次でがんばるべ。と思ってたんですが、思っていても思っているだけで全然
結果につながらないのが16歳の未熟さ。朋松のマネージャーには仕事上のこと
でしょっちゅう注意を受けていました。

なにせ当時の私は常にぼーっとしてて仕事以外の事を考えてるからカンが悪い。
そして常に余計なこと考えてるから仕事の先読みが出来ないから何をやっても
行動がワンテンポ遅れる、その上やる気もあんまりない。頑張ってもどうせ疲
れるだけだから余計なことはしないししたくない。でも金だけはしっかり欲し
いわけですから、きっと可愛いげの無い変なガキだったんだろうね。




■初めてのパーティ


生まれて初めてディスコに行ったのはこの頃でした。当時の喫茶店の仕事は日
曜日が休みで、夕方3時頃、八王子駅北口から京王帝都八王子駅の方に歩いて
いたら前から変な奴が来る。

ベージュのチノパンに白のセーターを着た若い男で頭が金髪。外人かなと思っ
たら完璧な日本人顔。そいつが酔っぱらったような千鳥足でこっちに歩いてく
る。こっちから行く普通の人たちは気味悪がって右に避けるとそいつも右に寄
ってくる、左に避けると申し合わせたように左に寄ってくる、結局こっちから
行く人はそいつの脇を無理にすり抜けるようにして通り過ぎるんだけど、それ
を全員に同じ事をやっている。

「うわー変な奴が前から来たな、こいつ頭おかしいんじゃねーの、こんな奴と
関わり合いになりたくねーな」、と思ったら私の知り合い。子供の頃、日野市
のこばと保育園で一緒だった加瀬って奴。こいつは当時園長先生ににらまれて
て、ちょっといたずらをすると徹底的に不良扱いされてたけど、大きくなって
もそのまま不良やってる奴。

「なんだこいつ、真っ昼間から酔っぱらってるのかよ」と思ってたら私の前に
来る。それまで通過する人たちが右に左によけてたのに私がよけないもんだか
ら、うつろな目で「なんらぁ! おめー! ろれの通行を妨害しやがって、ろ
れにらんか用れもあるのかぁ!」って言いながらよだれを地面まで垂らしてる。

「おい加瀬、俺だよ俺。 お前、真っ昼間から酒飲んで酔っぱらってんの?」
「あー?、俺にはおめーみてーな知り合いはいねーよ。なんらんだおめーは、
ろれの通行の邪魔しやがって、てめー俺に喧嘩売ってんのか、寝ぼけたこと抜
かしてると袋にして埋めるろ!」って言いながら顔を近づけてくる。

「うわっ!臭せーっ!なんだおめー!、真っ昼間からシンナーやってラリって
んのかよ!」「おー、やって悪いか?」「おめー何考えてんだ、そのままだと
お巡りに捕まるぞ!いったい何時からアンパンやってたんだよ!」「あ?・・
あー、なんだおめーか、誰かと思ったぞ」「誰でもいいからよ。おめーは何時
からシンナーやってたんだよ?」「んーと、1時頃かな?」「夜中の1時か?」
「うん」「夜中の1時から今の3時までか?」「うん」「14時間もシンナー
って・・・おめー馬鹿じゃねーの!」「ほっとけ、俺の自由だ」

「メニューは?」「んーと、最初は自転車のパンク修理用のゴム糊で始めて、
その後はソニーボンド(チューブ入りのボンド)それからブルーダインだな
(缶入りの業務用ボンド)、その後でCビン入りの純トロ(オロナインCの瓶
に入った純度100%のトルエン)を先輩に安く分けてもらった」「ふーん」

「くそっ、おめーのせいでせっかくの酔いが醒めてきた」って言いながらポケ
ットからビニール袋を出して、その中のテイッシュにオロナインCの瓶の中の
トルエンを含ませ、いきなり路肩にしゃがみ込んでシンナーを吸い始める。そ
したら「あ、もう純トロ売り切れだ」って言いながらそこら辺にオロナインC
の瓶を捨てる。「おめーなぁ、今お巡りが来たら間違いなく補導されちゃうん
だけど、なーんも考えてないなぁ・・・・」

しばらくすると「あーあ、もうアンパン売り切れだ」って立ち上がるから、
「そのC瓶いくらで買った?」「600円」「安いじゃねーか、普通1000
円だろ」「分けてくれたのが先輩だったからな」「ところでその頭は何だよ、
おととい会った時は真っ黒だったろうが、なんで金髪なんだよ。髪の毛染めた
のか?」「違う」「嘘つくなよ、髪の毛金髪に染めたんだろ」「違う、脱色し
た」「何で?」「オキシドール」

「オキシドールだぁぁぁぁ!、オキシドールって救急箱の中に入ってる傷口を
消毒するための過酸化水素水だろ!」「うん、そうとも言う」「そうともって
おめー!あんなもんで髪の毛脱色したら年食ってから間違いなく禿げになるぞ
!」「知らねぇよそんなことは、でもいい金髪だろ、脱色してる時は痛かった
けど気に入ってるんだこの色」、「はぁぁぁ・・・・・、なんつー馬鹿なんだ
こいつは」「ほっとけ!」

「で、おめー今日は何しに駅前に来たの?」「パーティあるからな」「パーテ
ィってデスコのか?」「うん、お前も話は聞いて知ってるだろ。あれは今日だ」
「ああ、確かに話は聞いた。でも明らかに嘘だろ。八王子駅前にディスコなん
か無いぞ。ディスコが無いのにパー券3000円で買えって言われてはいそう
ですかって素直に買えると思うか。ありゃ間違いなく詐欺だぞ。お化けのパー
ティだぞ」「それがあるんだよ!」「無いって、ディスコが無いのに何でパー
ティがアリなんだよ!お前マジでパー券買ったの?」「うん、ほらこれ」って、
雄志によって開催されるディスコパーティの入場券を見せてくれる。

「お前も行く?」「本当にパーティあるのか?」「あるぞー、女もいっぱい来
る。ナンパし放題でやり放題だぞ」「おめーは話をふかすからなぁ・・・・、
そんな簡単にナンパ出来るわけねーだろ」「そりゃおめぇ、行かないからそん
なふうに思うんだよ。行けばわかるって。簡単に女が引っかかるからよ。みん
なズベ公だからな、夜までにベッドでやり放題間違いないって。お前も行く?」
「うーん、どうしようかなぁ・・・・」「じゃぁ決まりだ行こうぜ」「俺パー
券持ってないぞ」「なんとかなる。行けばなんとかなるから大丈夫。俺はそう
やって何回も行ってる」

「場所はどこだよ」「あれだ」って目の前のビルを指す。「おめー、嘘ばっか
りだな、あれはキャバレーのクインビービルじゃねーか。あのビルは上から下
までキャバレーであの中にディスコなんかねーよ」「行けばわかる。確か7階
だったかな?」って言いながらビルの前に行く。

「どこにディスコなんて書いてあるんだよ?」「ほらこれだ、間違いない」っ
て見ると、天井からつり下げてあるアクリル製の看板の「キャバレー」って書
いてある所を白い紙で隠して、下側に太マジックで「DiscoTheque」って書い
てある。「何だこれ、すんげーやっつけ仕事だな」「先月だったかな?なんか
今までのキャバレー潰してディスコとして新装開店したらしいぜ」「ふーん」
「で、この店の名前は?」「知らねー、つーかこの店の名前が読めねぇ。だか
らみんなクインビービルのデスコって言ってる」

「字が読めねぇって・・・・」「おめーこの看板の英語読めるか?」「・・・
んー、なんて発音するんだこのローマ字・・・ 読めねぇ・・・」「だろ。だ
からみんな駅前のクインビービルのデスコって言ってる。俺の言ってること嘘
じゃ無かったろ」「うん、確かに嘘ではなかった」「おめー、変に疑り深いか
らな。疑り深いと友達なくすぞ」「うるせー、ほっとけ!」

2人でエレベーターに乗って7階に行く。ドアが開いたら入り口に若い男が数
人いて入場券をチェックしてる。「あのー、パー券持ってないんすけど、いい
すか?」って言ったら、「ああ、いいですよ。全然OKです。入場料3000円
になります」って言うから素直に払って中へ。頭はばっちりリーゼントで決め
て玉虫色のコンポラのスーツ着て、見た目は怖ろしげなのに口の聞き方や態度
が普通に紳士的で意外だなぁ、こういうのって暴力団が仕切ってるって聞いた
けど、なんか見てるとごく普通の人達みたい。意外だなぁ・・・


店はかなり広く100坪ぐらいあり、4人がけのテーブルと椅子のセットが大
量に置かれていて、正面にバンド用のステージがあり、左右にゴーゴーガール
が踊るための1人用の円筒形のお立ち台が置かれていて典型的な大衆用キャバ
レーの作りになっています。バンドステージの脇には明らかに作ったばかりと
わかる真新しいDJブースが置かれていて、その横には年期の入った使い古さ
れたジュークボックスが置いてある。時刻は午後3時半、パーティの開催時間
は4時からということなのでまだ人影は少なく、DJもいないのでジュークボ
ックスの前に何人かいて気に入った曲をかけていて踊ってるのもいます。

とりあえず席に着いたら加瀬は「あ、先輩。この間はどうもー」ってどこかに
行っちゃう。見たら暴走族の武州連合の幹部じゃん。なんだここは、客は全員
暴走族か?って思って見回すと、スペクターはいる、毘沙門天はいる、ルート
20はいる、ピエロもいる、マッドスペシャル、ブラックエンペラー、etc
いるわいるわ、三多摩の暴走族が全員集合状態。

さらに来てる女の子達は全員暴走族の彼氏の連れで、こんな危険な保護者付の
女の子に声かけたら間違いなく袋叩きにされる。「あいたー、今日はこんなに
危いパーティだったのか、下手に動くとこっちが危ない。今日はとにかくおと
なしくしてよう」って決めて、目立たないように目立たないように、邪魔にな
らないように端っこの安全な場所で見学の位置に。

4時になったら中年のマネージャーらしき人がステージの前に来て、「本日は
ご来場ありがとうございます。今から○○様の貸し切りパーティを始めますが、
本日のお客様は未成年が多いということなので警察の目もありますのでアルコ
ール類は一切お出し出来ません。その代わりに飲み放題としてパンチボウルを
3種類用意しましたのでお好きにお飲み下さい。足りなくなれば追加させてい
ただきます。

本日のパーティは4時から8時までの4時間の予定ですが、8時以降は通常営
業に移行しますので、おられる方はそのままお店にいてけっこうです。なお8
時以降のお飲物は現金決済になりますのでご承知おき下さい。バンド演奏は8
時に出ますので、それが貸し切りパーティの終了と通常営業の開始の合図だと
思ってください。では主催者の方、後はよろしくお願いします」と挨拶。主催
者であるさっき会計にいた人が出てきて、「今日はどうも・・・・ えー、も
ごもごもごもご・・・(声が小さくて何言ってるのかさっぱり聞こえない)
・・・・ではパーティを始めます」で引っ込んじゃった。

DJブースの中で数人のDJ係がレコードをかける。私はソウルミュージック
なんてジャンルはそれまで全然知らないから、「へー、店の有線放送でよく聞
く曲だな。いい曲がいっぱいあるんだなぁ・・・」って感心しながら飲み放題
のパンチボウルのところに。

3種類のパンチボウルとは、透明なアクリル製の半球製の容器にオレンジジュ
ース、グレープジュース、ストロベリージュースの濃縮コンクを水で溶いただ
けのジュースに缶詰のみつ豆が少量入れてあって、氷と一緒に寒天が水面に浮
いている。

とりあえずグレープジュースをお玉ですくってグラスに入れていると主催者が
とことこ来てシーバス・リーガルのウイスキー瓶を懐から取り出し、オレンジ
ジュースの容器の中にどぼどぼどぼどぼって1本入れちゃう。次にもう1本取
り出し、今度はグレープジュースの中にもウィスキーを1本全部入れちゃう。

そして、「アルコール入れたのナイショだからねー、みんないっぱい飲んで楽
しんでねー」って言いながらあっち行っちゃう。「うぇー、俺ウィスキー全然
飲めないんだよなぁ・・・・ この時点で俺はストロベリージュース以外何も
飲めないじゃん。しかも俺ストロベリージュースって嫌いだし・・・・」


椅子に座って田舎者丸出しで見学していると、なんか曲に合わせて体が勝手に
動いてくる。「いい曲だなぁ、俺も踊りたくなってきたなぁ、でもどうやって
踊るんだ?こういうのって8拍子だろ、4拍子のフォークダンスならともかく、
8拍子の踊り方なんて全然わからないぞ」、こうなるとひたすら見学するしか
ない。ただひたすら真剣に踊っている人達を見る。

じーっと見てると大きく分けて2種類の踊りがあることがわかる。フリーに踊
るフリーダンスと、何かお互いに暗黙の決めごとがあって全員で同じ踊りを踊
るステップダンスがある。

フリーダンスはタコ踊りしてるのからものすごくセンスのいいのまで千差万別。
対してステップダンスは簡単なのと複雑なのがあって、センスの問われるフリ
ーダンスは今の自分には絶対無理そう、でもステップダンスはけっこう単純な
のがあるから何か一つ覚えればそれで全部踊れそうだなぁ、そういう都合のい
い踊り無いかなぁ・・・ってひたすら踊っている人達の足元を見る。



■初めてのパーティ 2


見てるとスケートを滑る時みたいな単純な踊りが覚えやすそう。あれをマスタ
ーすればとりあえず全部の曲をあれで踊れそうだから真似するのはあれにしよ
うって決めてフロアに出て踊ってる人の斜め後ろで必死で真似する。(後でわ
かるが、この時気に入った曲はBTエキスプレスの「エキスプレス」、踊った
ステップは「ウォーターゲート」)

んで、ウォーターゲートと似たステップのスケーターもマスターして、それプ
ラス、右、左、右、左って順番に四股を踏むような不思議なステップもマスタ
ーする。(これは当時の女の子達がみんな踊った必須のステップだったんだけ
ど、今はこのステップで踊ってる人を見たことが無い、当時だけの不思議なス
テップ)

この3種類の踊りをマスターしてやっと自分に余裕が出来て周りを見回せるよ
うになる。見てると全員が前を向いて集団で同じ踊りを踊っていて、先頭には
踊りを知ってる人がいてその人達が全員の踊りをリードしてて、初心者みたい
のははじっこのの方で遠慮しながら踊ってる。あと鏡の前で必死になって自分
を見ながら踊ってるナルシストみたいな人とかいるし・・・・

いろいろな人がいるなぁって思ってると、踊りの上手い男の後で踊ってた女の
子が「ねぇ!この踊りの踊り方教えて!」って声をかけてる。それも一人や二
人じゃなくてあっちこっちで逆ナンパ状態。それがきっかけになってテーブル
に戻ってから仲良く2人でお話してる即席カップルまでいたりして、

「おぉぉぉぉぉーっ! すっげーっ! こういう所では男の踊りが上手いと女
の方から声かけて逆にナンパされるんだ! いいなー! 俺も女の子に声かけ
られるように踊り覚えて上手くなりてーっ!」 ソウルミュージックに合わせ
て踊ってると腹の底から楽しい。そして踊りが上手いと女にもてるってのを目
の前で実際に見てしまって感動してしまい。これがきっかけになり、これから
先10年間は踊り続けるソウルダンスの魅力に取り付かれてしまう。

※なんつっても当時はキスもしたことがない16歳の童貞小僧だからね。自分
が受け身で女性からナンパされるのをひたすら待つより、「失敗して当たり前、
下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」式で可能性がありそうな女性を見つけ次第片っ
端に声をかける攻撃的なナンパの方が成功率がはるかに高いという現実を知る
のはまだまだ先の話です。



そうなると踊りを見る目が変わってきます。ただ漠然と他人の踊りを見てれば
いいってもんじゃない。どうすれば女にもてるのか? どうすれば女の子に注
目されるのか? そういう基本テーマを持って踊りを見ると自分の視点が変わ
ってきますから踊りの見方が変わります。

フロアを見てると同じ曲の踊りなのに3種類の踊りの流れがある。一番大きな
集団と一番小さな集団は明確に踊り方が違う、そして中間の集団は大きい方の
グループの踊りを踊ったり、小さい方のグループの踊りを踊ったり、自分たち
の踊りを踊ったりしていて一定していない。大きい集団の踊りは誰が見ても明
確にかっこいい。小さい集団の踊りはカッコ悪くてダサイ。だけど団結力は小
さい集団の方があるみたい。どうなってるんだ?

その時フロアには100人ぐらいの男女が踊ってたんだけど、よくよく見てる
と踊りをリードしてるのはその中の10人ぐらいだけ。新しい曲がかかるとみ
んな「これは何の踊りで踊るのかな?」って最初は混乱してるんだけど、その
時に一番早く確信を持って踊り出す人の真似をする形で全員が踊り出す。最初
は変な踊りでも時間が経つにつれ順に修正されて全員が同じタイミングで同じ
踊りをしてる。

その新しい曲の最初の踊り出しのリードをする少数のグループが3つあって、
他の人達は単純にそれを真似してるだけ。「なんだ、そういうことなのか。要
するにちゃんと踊りをわかってるのはほんの少数で他の人たちは全然踊りをわ
かって無いのかよ」

そして、この曲にはこの踊りって頑なに決めてるわけではなく、横にかっこい
い踊りがあると今までの踊りをやめてすぐにかっこいい踊りの方に乗り換えて
る。この踊りにはこの踊りって頑固一徹に決めてるグループもいるけど、そう
いうのは少数派で、大きな流れは付和雷同でかっこいい方の踊りの方に流れて
る。

最初は3グループだった踊りはやがて淘汰されて2つのグループになり、垢抜
けて洗練されたかっこいい踊りを踊る大きなグループと、なんか芋臭くてセン
スの無い踊りを踊る少数の頑固一徹グループになる。

周りの会話を聞いてると同じ事を考えてるのがいるらしく、「ねぇねぇ、あっ
ちの大きな集団の踊りは何?」「あー、あれは立川とか新宿の踊りだな」「じ
ゃぁこっちのダサイ踊りは?」「んー、たぶんここらへんの地元のディスコ独
自の踊りだと思うなぁ、前に○○って店で見たことがある」「ふーん、じゃあ
その立川とか新宿の踊りってどこのお店に行けば覚えれるの?」「新宿ならゲ
ット、立川なら南口のゲットレディだな。それと米軍横田基地の近くの牛浜っ
てところにあるBPって店もはずせないぜ、今度行く?」「うん、行く行く、連
れてってー」「よーし、約束だぜ」

私は耳をダンボにして聞いててしっかりと情報をゲット!「そうか、こういう
踊りを覚えるには新宿のゲットと立川のゲットレディと牛浜のBPって店に行け
ばいいのか、今度金が入ったら行ってみよう」、貴重な情報を手に入れて次回
の構想など考えていると入り口でトラブル発生。


「てめーら誰に断ってパーティ開いてるんだ!このパーティの責任者出せ!」
って3人が騒いでいる。

あーあ、やっぱり来ちゃったよ。こういうのやるとチンピラが来るのはお約束
だからなぁ・・・ このパーティの主催者は地元のヤクザもんに筋を通してる
んだろうか?と思って見てると主催者がチンピラといろいろ話をしてる。音楽
のせいで話が聞こえないけど、どうやら入場料をタダにすることで話がついた
様子。

店内は一瞬凍り付いたんだけど、主催者と乱入者で平和的に話し合いが付いた
のでほっとした感じになり踊りはそのまま続行。そしたら30分もしないうち
に、「てめーら誰に断ってパーティ開いてるんだ!責任者出せ!」って5人連
れのグループが乱入。

また主催者が乱入者と話し合い。今度は入場料をタダにするって条件じゃ話が
治まらないらしく、俺達5人が出張ったんだからこの場を丸く収めて引くため
の慰謝料出せとか言ってもめてる。

主催者は大変だなぁ。当時は人が集まれば必ずヤクザが絡んでくる時代です。
単純に踊り好きな人が踊り好きな人達のために楽しい時間を過ごせる目的でパ
ーティを開催できるような時代じゃない。当時は人が集まれば必ずパーティ潰
しのチンピラが殴り込みをかけてくるからそれを捌ける肝の太さが必要だし、
もめにもめて相手がヤクザを出してきた時はこちらもそれと同等以上のヤクザ
を出せるような人脈も必要な時代です。

主催者は話し合いがまとまらないから「ちょっと待っててくれ」って言って奥
に行く。5人は「ふざけんなこの野郎、てめえら全員死にてぇのか!」って言
いたい放題大騒ぎしてる。客は全員迷惑顔でこっちに被害が飛び火しないよう
に目を合わせないようにしてる。

そしたら5分もしないうちにパンチパーマにダブルのスーツを着た中年のヤク
ザが登場。5人の中の一人の襟首つかんで「てめえらどこの組のもんだ!この
ビルは○○組のシマだって知ってて来たのか!」ってお約束のパターン。5人
は特にひるむ様子も無いので、すげーな、俺はヤクザの抗争現場に来ちゃった
のかって思ってたら話し合いが付いたらしく5人は席に着く。ありゃ。結局5
人分の入場料タダにしちゃったのね。


そう思って10分もしないうちに、「てめーら誰に断ってパーティ開いてるん
だ!責任者出せ!」ってまた4人。・・・・なんなんだこの街は、次から次に
変なのばっかり来る。今度はヤクザもんがいるので主催者がとヤクザと4人グ
ループで平和的に会話。4人はあっさり帰っちゃった。

店内の緊張も解けて最初に殴り込んできた3人を見たらにこにこしながら酒飲
んでる。次に殴り込んできた5人もにこにこしながら酒飲んでる。もしかして
こいつら、殴り込みは名目で、タダ酒飲み目的のクズ野郎達じゃねーの?

それ以降はトラブルもなく・・・ つーかそれ以降も殴り込みは何組も来たん
だけど、中年のヤクザがそういうトラブルを全部裁くから店内は何事もなく平
和的に時間が過ぎる。


その後8時になりフィリピンバンドが演奏開始、ゴーゴーガールが2人出てき
てバンドステージ脇のお立ち台でゴーゴーダンスを踊る。そしたらこのフィリ
ピンバンドが信じられないぐらい演奏が下手で、演奏ミスするは、ステップダ
ンス踊ってるとそのタイミングをずらして全員の踊りを止めちゃうわ、なんな
んだこいつら。「引っ込めこのへたくそ!演奏するなら完璧に演奏しろ!出来
ないならレコードに換えろ!」って声がかかる。でもフィリピンバンドはプロ
ですから「ワタシ達フィリピン人だから日本語全然わかりませ〜ん」っていい
ながら演奏を続ける。(ちゃんと意味わかってんじゃん)

結局誰も踊らなくなりフロアはがらがら、フィリピンバンドが演奏をやめて休
憩を取りレコード演奏になる、そうすると全員出てきて熱狂的に踊る。フィリ
ピンバンドが休憩終わって張り切って演奏開始。全員あきれかえって踊りを辞
める。この繰り返しを見ていた店のマネジャーが出てきて、「お前ら今日はも
ういいから奥でずーっと休んでろ」って事になり、やっとレコード演奏だけの
時間になる。

※演奏がアドリブOKのフリーダンス時代ならともかく、時代はステップダンス
の時代に移ってきてますから、シングルレコードどおりに忠実にコピー演奏出
来ないフィリピンバンドが客に嫌われて駆逐されるのは時間の問題でした。


当時は曲もよく知らないし踊りの種類もよく知らなかったからこの日どういう
踊りが踊られてたかは具体的に記憶に無いけど、この頃一番複雑だった踊りは
ソウルCCくらいだったと思うなぁ

そんなこんなでこの日店を出たのは閉店間際の11時頃だったかな?この日は
それまで知らなかったソウルダンスという新しい熱病に感染した記念すべき日
で、1973年、16歳の時でした。




■立川南口、ゲットレディ


じゃぁ次の週末に他のディスコに行ってみようと思っても当時は何しろ金が無
い。16歳頃はタバコを覚えたてで毎日ハイライトを吸ってたんだけど、ハイラ
イト1箱80円、セブンスター100円の時代。(現在の3分の1の値段)、そうい
う貨幣感覚の時代にディスコの入場料が3000円ですから今の感覚だと1万円以
上になります。

当時働いていた喫茶店の時給は前の店より10円上がって時給260円。260円×8
時間×25日=52000円、家賃を払って食費と光熱費を確保すると月の小遣いは
3万円程度。これじゃなんにもできません。

ディスコに行きたくても金が無いから行けない、そんな時にありがたいのが有
線放送。喫茶店ではBGMとして有線を流してますから仕事中に聞いてるだけで
ある程度ソウルミュージックに親しめるわけです。それまでボーイとして働い
てる時に有線放送の内容なんか全然意識してなくて、たまにいい曲がかかった
時に気にしてた程度なんですが、有線を集中して聞いてるとこの店のBGMは軽
音楽中心なんだよね。

当時の有線放送は7チャンネルあって(現在は440チャンネル)。軍歌,民謡/軽
音楽,行進曲,クラシック/演歌,歌謡曲/邦楽/洋楽/JAZZ/NHKラジオ放送/みたい
な感じでかなりおおざっぱなジャンル分け。

店の方針で常時かけてるのは「軽音楽,行進曲,クラシック」で、行進曲になっ
た時だけチャンネルを変えていい。つーか店の雰囲気が壊れるから直ちに変え
ろ。ただし行進曲の時間は30分ぐらいだから終わったら必ず元のチャンネルに
戻せって方針だったので、行進曲になるとすぐに洋楽チャンネルに切り替えて、
その後時間が過ぎても元に戻すの忘れたふりして最新の洋楽を聴くって感じで
した。(従業員全員が軽音楽とクラシックを延々と聴かされるのにいい加減う
んざりしてたからね。特にポール・モーリアは一生分は聞かされました)そし
てチャンネルを戻さずに長時間すっとぼけてるとマネージャーが来てチャンネ
ルを切り替える。「あ〜あ・・・いいところだったのに・・・」

この店には何故かジュークボックスが置いてあってお客さんや従業員の音楽好
きが100円で2曲かけるわけです。リース業者が定期的にレコードを入れ替えに
来るんですが、内容はド演歌からアイドル系歌謡曲やらロックやらフォークソ
ングやらソウルまで、なんでもありのごちゃ混ぜ状態。

ソウル系は、ジャクソン5の「ダンシングマシーン/帰って欲しいの」、グラデ
ィスナイト・アンド・ザ・ピップスの「イマジネイション/夜汽車よジョージ
アへ」の2枚だけ、しょっちゅう自腹切ってかけてたので思い出ぶかい2枚なん
ですが、後にディスコに行きだしてから実際に店で聞けたのは「夜汽車よジョ
ージアへ」だけ、現在ソウルバーの定番になってる「イマジネイション」なん
か聞いたことがありませんし、「ダンシングマシーン/帰って欲しいの」も聞
いたことがありませんでした。

当時のディスコはスロー系ダンス全盛だったからちょっとテンポが速い曲だと
踊りにくいから客に嫌われたんだよね。当時一番テンポの速かったミラクルズ
のラブマシーンなんかかかるとフロアが一斉に閑古鳥状態でした。


そんなわけで次の給料日までじっと我慢して、やっと給料日に銭もらって、最
初は新宿行こうかなと思ったけどディスコ代と交通費入れると確実に5千円行
く。立川ならかかっても3千円ですむ。初めてだから近場でいいやってことで
行って来ました立川南口ゲットレディ。

立川南口を出てすぐ右に曲がって200mぐらい行くと左側に店があり、そこ
の2階に上がって行きます。入ると最初に入場料取られて2000円でワンド
リンクだったかな(はっきり覚えてない)追加オーダーはキャッシュってこと
を説明されながらテーブルに案内される。店は25M×20Mぐらいの広さで、
50人ぐらい座れる椅子とテーブルがあって、正面左よりにバンドステージ、
その右側にDJブース。その前がダンスフロアという構成になっています。

客層を見たら「あいたー、ここもかよ。いるのは不良とズベ公ばっかりじゃね
ーか」、男は17歳〜22歳あたりな感じで頭はほとんどリーゼント、その中
の何人もが柳家のポマードや黒ばら本舗のポマード使って髪の形を整えてるか
ら臭いったらありゃしない(後日その臭いに完全に慣らされてしまい「いい香
りだなぁ・・・」って思うようになっちゃいましたが・・・)

女は子の髪型は全員ウルフカット、男物の白のボタンダウンのシャツを着て、
トロイとかマンシングのカーディガンかスウィングトップ着て、赤や黒のロン
グタイトのスカート履いて、パンストは濃い茶か黒系、靴は黒のビニールエナ
メルでヒールの無いぺったんこの靴。(当時は普通の女の子が髪の毛を染める
のは無理な時代でしたから、髪の毛を赤く染めてるの美容師や理容師の卵と決
まってた時代)普通の学生や社会人の男女なんかどこにもいやしない。みんな
地元の不良ばっかり。そういうのが集まってて全員めいっぱい着飾って踊って
る。

「なんかすげーな。ディスコってのはこういう客が集まる場所なんだぁ」って
思って、例によって見学の位置に。見てると踊りのレベルが高い。当時踊りを
何もわかっていなかったど素人だった私にもわかるぐらいかっこいい踊りを踊
る人たちが多い。立川って都心のド田舎なのに不思議だなぁって思っていると、
客の4分の1ぐらいは黒人。その黒人達の踊りがかっこよくて、それに引きず
られるように日本人達の踊りもかっこよくなってる。

なんなんだこの店は。すげー踊りのレベルが高いぞ。テレビでやってる「ソウ
ルトレイン」って番組と同じレベル以上の踊りが目の前で実際に踊られてる。

※1973年に米軍立川基地は日本に返還されるわけですが今年はその最後の年で、
それまで立川南口のディスコ「ゲットレディ」は米軍立川基地に勤務している
黒人兵達のたまり場だったわけです。なのでアメリカの最新の曲と踊りが直輸
入で入ってくる。

(アメリカ本土から毎日、巨大輸送機ギャラクシーで肉や野菜などと一緒にレ
コードも運ばれてくる。それに早期から気がついていた六本木のDJ達は横田基
地の米兵達に独自のコネクションを持っていたが、新宿のDJ達はそれにまだ気
がついていない時期)

なので、新宿より全然早い時期に立川に最新のレコードと最新の踊りが入って
くる。だからわざわざ都内から最新の踊りを見に来る人までいる。そういう特
殊な事情の店だったんですが、次の年になると立川基地は日本に返還されてし
まい、黒人兵達は隣の米軍横田基地に移動してゲットレディには黒人客が来な
くなって日本人客だけになり、必然的に踊りに進歩が無くなって時代の最先端
ディスコの座から引きずり落ちていき、誰も注目しない(する価値も無い)普
通の地元のディスコになっていきます。

見学も一段落したんでフロアの端っこで邪魔にならないように踊り出したんで
すが、なにせ初心者な私はウォーターゲートとスケータぐらいしか踊れません
から曲に合わせて踊ってるとなんか変。超単純なツーステップのウォーターゲ
ートなのに周りで同じウォーターゲートを踊る人たちと比べると自分の踊りが
なんか変!なんでだろう?こんな単純な踊りなのにどこが違うんだろう?

仕方がないからフロアの壁側の全面鏡張りの前で踊ってみる。ここで初心者が
はまる王道のパターン、鏡の自分と向き合って長時間踊るという、あの恥ずか
しいパターンにはまって行きます。(俺はナルシストじゃないっーつーの!)

結局鏡の前で2時間ぐらい踊ってたのかな?どうやら自分の腰の動かし方に致
命的な欠陥があるみたい。腰を動かしすぎれば完全なタコ踊りでダサイし、動
かさないとなんかみっともなくて変。その中間に正しい答えがあってそれをマ
スター出来ればかっこよく踊れるんだなぁってわかって黒人の後に移動して踊
ってみる。でも黒人は腰の動きが根本的に日本人と違うみたいであまり参考に
ならない。そういうのが悔しいから謎が謎を呼び課題満載状態になっちゃう。

その頃はステップダンスの黎明期みたいな感じだったから、フリーダンス半分、
ステップダンス半分って感じで、フリーダンスになると日本人は黒人の真似を
して踊り、ステップダンスになると日本人は全員ステップ、黒人はそれを面白
そうに見ながらフリーダンスを踊るって感じでした。

※ちなみにステップダンスの意味ですが、人によって解釈はいろいろあるんだ
けど、私の場合は単純に全員で同じ踊りをするのがステップダンスと言ってい
ます(例えそれが超単純なツーステップでも)。そしてその曲の踊りの決まり
がなくてみんな好き勝手に踊るのがフリーダンスと決めています。「この踊り
はファンキー系だからとどうたらこうたら」という専門的なくくりは一切なし。
いかなる事情があれ、みんなで同じ踊りを踊ればそれが何であれ問答無用でス
テップダンスです。


あの時踊ったステップは何だったんだろう?当時は踊り初心者で踊りの基礎が
何も無い時期だから今思い出しても当時の踊りが何だったのか全然記憶にない。
チャチャはあった、ソウルCCもあった、可愛いひとよもあった、ゲットレディ
もあった(今のゲットレディとは少し違い、サビで女の子は十字架を切ってか
ら両手を合わせてしゃがみこみ、男は両手でシンナーを吸う格好をするやつ)
 あと何だったんだろう。

当時のステップダンスはファンキーダンスと呼ばれるツーステップ主体で今み
たいなややこしいステップは無かった気がするなぁ。だからソウルCCが一番難
しい踊りだった記憶がある。


そんなことを思ってると例によってトラブル発生。「あんだこの野郎!てめぇ
俺に喧嘩売ってるのか!」「ふざけろ!てめぇ俺に向かって舐めたこと抜かし
てると袋にして埋めるぞ!」「なにーっ!」若いがのいっぱい集まると必ずこ
ういうパターンになる。

そしたら店のママさんが出てきて、「ちょっと、あんたたち! この店は喧嘩
を売った人も買った人も出入り禁止だからね。 出入り禁止になりたくなかっ
たら今すぐ喧嘩をやめな!」

「そうは言うけどさ、この馬鹿が俺に喧嘩売ってきたんだぜ!」「あんだとコ
ラ!」「あんたが買わなきゃ喧嘩にならない!」「えーっ?」「あんたも売ら
なきゃ喧嘩にならないでしょ!」「はぁーっ?」「この店は喧嘩禁止で喧嘩は
両成敗! どんな理由があろうと喧嘩を売ったのも買ったのもこの店を出入り
禁止!」「・・・・・・」

「じゃぁ、店の中じゃなくて外で喧嘩すればいいんだろ、てめぇ表に出ろっ!」
「おう上等だ!外で白黒きっぱり付けてやる!」「あんたたち近所迷惑ってこ
とを考えなさい!この店で始まった喧嘩なんだから外でやっても出入り禁止!
そんなに喧嘩したいんなら日を改めてうちの店と全然関係ないところで勝手に
やりなさい。うちの店が関係するなら喧嘩を売った人も買った人も出入り禁止
だよ!」二人とも毒気を抜かれてあっけに取られてる。

「ほら、喧嘩終わったんだから2人とも握手して!」「えーっ!」「あんたた
ち男でしょ!喧嘩が終わったんだからいつまでもうじうじしてないでさっさと
仲直りしなさい!それともこの店を出入り禁止になりたい?」 ここを出入り
禁止にされると他に行く店が無いから2人ともしぶしぶ握手。それを見てママ
さんは満足顔で奥に引っ込む。

へー、面白いやりかただなぁ。だからこの店はこれだけ不良が集まってるのに
トラブルが少ないんだ、見てると暴走族の対立グループがいっぱい集まってる
のに何故喧嘩にならないのが不思議だったんだけど、これで謎が解けたぜ。

周りで事のなりゆきに注目してた客も安心して踊り出す。お客は時間と共にど
んどん増えてきて、やがてショータイムの時間になり、ダンス天国の曲に合わ
せて輪になって順番に踊る。照明は全部消されてストロボライトだけになり、
踊り自慢が出てきて20秒ぐらいずつ順番に踊るんだけど、ストロボライトのせ
いで動きがコマ送り状態になって幻想的な不思議なシーンになる。

それが終わると照明が明るくなり、踊り疲れた客は満足顔で席に、そしたら今
度はスロータイム、照明がまた暗くなり、曲が「つのだ☆ひろ、メリージェー
ン」になり、男女で抱き合ってチークダンスを踊る。

彼女のいない童貞の16歳にはスロータイムは刺激的すぎ。「うらやましなぁ
・・・」って思って見てるんだけど、スローを見てると自分に彼女がいないだ
けに辛い。

そんなこんなで、「俺もいつか必ず彼女とスローを踊るぞ」と固く心に誓って、
一人寂しくアパートに帰ったのでした。




■また転職

当時勤めていた八王子駅北口駅前の純喫茶「朋松(ともまつ)本店」ですが、
もうね、「ふざけんなバカヤロー」ってぐらい店が忙しかった。

出勤は8時ちょうど、それからボーイとウェイトレスは掃除、チーフはカウン
ターの準備に取りかかって8時30分に開店するわけです。

八王子駅前にはほかに、コーヒー専門店「朋松東店」、洋食レストラン「美松
(後に喫茶店になり朋松西店になる)」があったんですが、両店とも店の広さ
は平均的で客が20〜30人も入ればいっぱいだからいくら忙しいといってもたか
がしれてる。

しかし朋松本店は収容人数300人超え。通常は80席で運営していて客が多くな
ると別室を開放してさらに客を大量に入れるようになってます。その上奥には
駐車場があって駐車券の発行やら精算に行く仕事まである。駅前には他にもま
ともな喫茶店がちゃんとあるんだけど何故かここには客が入る。うんざりする
ほど次から次に入ってくる。

朝8時に出勤してレジでタイムカード押して更衣室で黒のスラックスに白のワ
イシャツに着替えて黒のボウタイ締めて準備完了、ボーイの私とウェイトレス
2人で手分けして客席のテーブルと椅子を雑巾で拭いて、ほうきで板張りの床
を掃いて、カーペットの床に掃除機かけてると店が広いからあっという間に20
分ぐらい経ってしまいます。開店前だからまだ店の入り口の自動ドアの電源は
入れてません。

「どんどんどん」って自動ドアのガラスを叩く人がいるから入り口に行って
「すいません、まだ開店前なんですよ。あと10分位で開店しますからもう少し
待ってもらえますか、今開店準備中で店内を掃除してます」って言うと、「い
ーからいーから、俺全然気にしないから中に入れて」「お客さんが気にしなく
てもこっちが気にしますよ。だいいち水の用意も出来てないからお冷やも出せ
ませんよ」って言うと、「いーのいーの、俺は店の中で君たちがオーダー取り
に来るまでおとなしく待ってるから中に入れて。勝手に座るから灰皿だけ貸し
て」って言うから自動ドアの電源入れると、そこらへんのガードレールに寄り
かかって待ってた客達がどどどっと20人ぐらい入ってきてみんな灰皿を勝手に
持って行く。それが毎日の日課。

「準備中」って看板ぶら下げてるのに勝手に入ってくるから客を放置して掃除
終了。8時30分になってお冷やを用意してオーダー取りに行くとほとんどの客
がコーヒーとモーニング。少数派のレモンティ。だけどカウンターの準備が完
全に出来てないから注文を受けてもオーダーが出ない。

いきなり20人のオーダーだからチーフは大きめの雪見鍋で前日に入れたコーヒ
ーを温めるんだけど、少人数ならともかく20人分ともなれば適温の85度まで暖
めるのに10分はかかります。客はいつまでたってもオーダーが出ないからいら
いらし始めてる。

これが毎日の事だからチーフが開店前に時間を先読みして20人分のコーヒーを
先に暖めるとか、ちょっと早めに出勤して早めに仕込めばいいだろうと思うん
だけど、この20歳のチーフは意地でもそういうことをしない人。それにそうい
うことを指摘するといきなり逆ギレする人だからこっちもウェイターとして自
分の仕事の分をわきまえて黙っているしかない。

8時40分頃からやっと最初のオーダーが出始める。その頃には客がさらに増え
て50人ぐらい入ってる。カウンターに50人分の暖めたコーヒーカップがだーっ
と並び、それに適温になった前日のコーヒーを入れて、「よし、オーダー出た
ぞ」

ボーイの私とウェイトレス2人はトレンチ(ステンレス製のお盆)に可能な限
りカップとソーサーを乗せて急ぎ足で運ぶんだけどあまり急ぐとコーヒーがこ
ぼれてソーサーにコーヒーの跡がつくから急ぐにも限度がある。

最初のお客達は開店前に無理矢理入ってきてるから「お、来たな。ありがとー」
って気分良く受けてくれるんだけど、8時30分以降の正規の時間に入って来
た人たちはそんなことを全然知らないから、「遅いっ!いったいいつまで待た
せるんだ!」「すみません」「なんでこんなに遅いんだ!」「お客さんがいっ
ぱい入っててボーイとウェイトレスじゃ追いつかないんですよ。もうすぐ持っ
て来ますからもう少しお待ち下さい。すみませんね」「ふざけやがって、人が
足りないなら従業員増やせ!」「はい、社長に言っときます」これも毎日のお
約束。

最初にコーヒー飲んだ客が早々に店を出ると、入れ替わり立ち替わりで客が入
り、9時40分ぐらいまで戦争が続く。んで10時頃になってやっと客足が止
まって一段落。その頃になると本日最初の入れ立てコーヒーが出来上がり、従
業員の給与の一環である一日一杯のみ許された無料のコーヒーが飲める(二杯
目からは正規の金額で自腹、従業員割引は無し、当時のコーヒー一杯180円也)

それまではとにかく一秒でも早く運ぶ戦争だから店内にかかってる有線放送な
んか聞く暇は一切無いんだけど、この時だけは一服タイムだからってことで有
線放送を軽音楽から最新の洋楽放送に切り替えちゃうのが従業員同士の暗黙の
お約束。だけどそういう時に限って各店を順番に回ってるマネージャーが出勤
してきてレジに行き、有無を言わさず有線のチャンネルを軽音楽に変えちゃう
場合もある。そういう日は運が悪かったとあきらめるしかない。

んで、11時頃まではまぁ普通の忙しさで、12時頃にまた殺人的に忙しくな
り、1時から食事タイムで従業員は順番に1時間休憩。車で来た客が「駐車券
よろしく」って言うから奥の駐車場に行って車のナンバー控えてタイムカード
刻印して店内に戻ってきて客に駐車券を渡す。(柵なんかない解放された駐車
場だから簡単に乗り逃げ出来るのに何故かみんな真面目に駐車場代を払いたが
るんだよね)

客足は2時頃に少し暇になり、3時過ぎからまた忙しくなって4時頃に自分の
疲れのピークが来て5時でやっと勤務終了。店はまだまだ忙しい。つーかこれ
からが遅番の最初の戦争の開始。足がぱんぱんになった状態で遅番と交代。一
日何キロ歩くんだろう、店が広いから毎日10キロ近く歩いてる気がする。

そんで時給がたったの260円。「割に合わねー!全然割に合わねーっ!」 
近所の5坪ぐらいの小さい喫茶店の時給が250円、体育館みたいに広い喫茶
店の朋松本店が時給260円、「こんな安い給料でこき使われて全然割に合わ
ねー」って文句ぶーぶー垂れてたんですが。毎日ぶーぶー文句垂れながらも半
年ぐらい働いたかな。

ここに勤めだしてからく立川に行く用事が無かったんだけど、先日ディスコ
「ゲットレディ」に行った時に、前に働いてた南口駅前の純喫茶ボンドに従
業員募集、時給280円の張り紙が・・・

ゲットレディに行く前にボンドに入ってみたら、調理場のチーフは相変わらず
だったけどウェイトレスが総入れ替えしてる。前回勤めた時は世の中の常識を
知らない不手際からウェイトレスとの人間関係の構築に完全に失敗して自分の
居場所がなくなってしまってしかたなく辞めたけど、これならまた勤めれるじ
ゃん。前回失敗したやり直しが出来るなって思って(1度失敗すると同じ失敗
は2度としたくないから意地でも頑張るタイプ)

在日朝鮮人のママと話したら。「また来る?時給上がったよ、280円だよ」
「いいの?俺一回辞めてるんだよ」「今人が足りないからそんなことはどうで
もいいの」「交通費は?」「ちゃんと出すよー」「うーん・・・どうしようか
なぁ」「こっちも急いでるから考えて」「・・・・うーん、じゃぁまたお願い
します」ってことでまた純喫茶ボンドに就職することになります。当時の日本
人経営者は一度辞めた人間を再雇用するのを嫌がるけど在日の経営者はそうい
うの全然気にしないからありがたい。


この目先の10円20円の違いですぐに転職するってのはこのあとも続き、私の生
き方の基本になっちゃいます。

目先の10円20円の違いで転職するわらしべ長者みたいな生き方が延々と繰り返
されることで、気がつけば30代には船員になっていて、国際総トン数3000トン、
機関出力2000馬力の貨物船の2等機関士として、静岡→気仙沼→台湾の高雄→
インド洋からスエズ運河を渡り、地中海から大西洋に抜けてカナリア諸島の
ラスパルマス→南アフリカ共和国のケープタウンに寄って喜望峰を廻って帰国
途中のインドネシアで海賊に襲われて日本に帰って下船したり(結局何しに行
ったんだか・・・)

40歳になると1600馬力の機関を2台積んだプッシャーボート(大型船を引っ
張るタグボートの親戚みたいなもの)の機関長として現地人の部下を3人持っ
てシンガポールに長期常駐したりするんですが、

この時期は、複雑な家庭環境のせいで人生のスタートに失敗した中卒の学歴
しかないただの16歳の小僧ですから、人生は全て投げやり、先の希望なんか
一切なし、今さえ良ければそれでいいっていう刹那的な生き方をしてました。



ボンドに転職が決まったので朋松には早速辞めますと言い、向こう側としても
たいして期待してない人材が辞めるわけだからあっけなく円満退職となり、最
後の給料もちゃんともらってさっさと転職。

最初に仕事のオリエンテーション受けるんだけど、2度目だから特に教わるこ
ともなく終了。前回の失敗を踏まえての勤務だから、たまに従業員同士でトラ
ブルもあったけど致命的な失敗をすることもなく、まぁまぁ順調に勤務するこ
とになります。

※当時は仕事に対してやる気が全然無いから、給料分働けば上等と思ってたか
ら、やるのは上から言われたことだけ、やっても人並み程度の仕事しかしませ
んし余計なことは一切しません。 「会社にとって必要な人材と思われるため
には給料の3倍分は働くべき。それが廻り廻って自分の雇用を安定させる。誰
も見てないところでこつこつ真面目に仕事をしてれば、見てる人は必ず見てる」
と思うようになったのはもっともっとずーっと後のことです。


客としてくるヤクザ関係者も最初は腹の底からびびったけど、2度目はパター
ン慣れちゃってますから集団に凄まれてもニヤニヤして流すだけ。「今日はな
んなんすか?なんか大事な用事があるみたいすね」「あーこれから八王子の裁
判所行きだ」「裁判って傷害かなんかですか?」「ばーか、本職のヤクザが素
人相手に傷害で裁判するようならおしまいだよ。恐喝、恐喝。 恐喝で訴えら
れちゃったのさ」「へー、そうなんだ。でも何で?」「ん? あぁ、追い込み
でちょっとドジ踏んじゃってな、やりすぎた」「へー大変なんですね」「平気
だよ。慣れっこだし、これが俺らの仕事だからな。懲役に行くのは俺らの仕事
の一環みたいなもんだ」 どんな怖そうな人でも内懐に入ればみんないい人な
んだよね。そういう人間関係の基本をこの頃に学びました。


時給280円になったので、収入は280円×8時間×25日=56000円になり、ちょっ
と余裕も出てきます。(と言ってもたかが知れてますが)

最初は仕事に慣れるの夢中でディスコどころじゃなかったんですが、1ヶ月もす
ると仕事に慣れて心に余裕が出来てきます。そうなると立川のゲットレディに
も行ったし、収入も少し増えたから今度は新宿のディスコにも行ってみようっ
て気になってきます。

んなわけで行ってきました新宿のデスコ。だけど初回は大失敗w



■初めての新宿デスコ体験

当時は財布に金が入った状態で外出すると帰るまでに全額使い切っちゃうよう
なアホな性格でしたから、お出かけ前に今日はいく使うのか決めて余計な銭は
持たずに外出するわけです。

まず一番大事なのは新宿までの往復の電車賃(これは何があっても最後まで確
保。じゃないと新宿から八王子まで歩いて帰ってくることになる)。次にその
日に遊ぶ小遣い。という資金繰りになります。あの日はいくら軍資金用意した
のかな? 4000円だったような気がする。

そのころの私の外出遊びというのはとにかく歩く。ひたすら歩く。なにしろ金
を使いたくても金がない。でも繁華街は見るもの見るもの新鮮で街が魅力にあ
ふれていましたから見たいものが山ほどある。だからひたすら歩く。歩くのは
仕事で慣れてますから何時間でも歩く。2〜3時間歩いたぐらいじゃ歩いた気が
しない、5時間ぐらい歩くとやっと疲れてきて歩いた気になる。

あちこち見ながら片っ端から店に入ってデパートとかも全部入って上から下ま
でフロアを全部歩いてひたすら見る。喉が渇いたらそこらへんの公園の水道で
水を飲む。疲れたら公園のベンチで一休みしてタバコ一服して体力が回復した
らまた歩く(未成年の時期の体力の回復力は驚異的で30分も安めば完全回復)
ひたすら歩いて最後に家に帰ってきて、「あー疲れた、今日は満足したな」っ
て寝る。そんな調子でした。

そんな調子で新宿も隅から隅まで歩いてましたから、土地勘はあるので特に迷
子になることもなく、行けばなんとかなるだろうってつもりでしたが、さすが
にディスコともなるとどこに店があるのか全然わからない。そんな時にちょう
ど男性週刊誌で新宿のディスコ特集の記事があって(平凡パンチか週間プレイ
ボーイかGORO)、そこに新宿のディスコのある場所の地図が詳細に書かれてい
ました。こりゃありがたいとその本買って地図のページを切り抜いて確保。

その記事によると当時の新宿のディスコは10軒だけでした(当時実際はどうだ
ったのかは全然知りません。でもその地図に書かれている店がその後の私の行
動パターンの基本になります)


土曜に仕事が終わってから八王子駅前の立ち食い蕎麦屋で天ぷら蕎麦食って腹
ごしらえして国鉄の中央線に乗って新宿へ。東口に出て、とりあえず歌舞伎町
に行って店の前に看板があるだろうからそれを見てから考えようと思って東口
からワシントン靴店の前を左に曲がって歩いていると右側に地下に降りていく
ディスコがある。

「あれ?地図に載ってないディスコだな。地図もいい加減なんだなぁ」って思
って看板見ると。『歌って踊れるディスコ。コンパ○○』って書いてある。
「ディスコなのに歌って踊れるコンパ?なんだそりゃ。そんなのあり得るのか
?」と思って立て看板見るとワンドリンクいくらでどうのこうのってメニュー
が詳細に表示されてる。「へーけっこう安いな。初回だからこういう店でもい
いかなぁ・・・ どうしようかなぁ・・・ 」って思ってると地下に降りてい
く階段からいいソウルミュージックが聞こえてくる。

その曲は私が「この踊りを絶対覚えたい!」って強烈に思ってた曲だったから
(たぶんフォートップスの曲で踊りはソウルCC)その曲に吸い込まれるように
店内に。

店内に入ると楕円形のカウンターが3つあって(カウンターを島と言います)
それを取り囲むように椅子があって、各カウンターの中にはバーテンが2人いて
カクテルを作っている。こういうのは当時あった格安で客に酒を飲ませる「コ
ンパ」という店の典型的な作り。

「いらっしゃいませ!こちらへどうぞ!」ってその中の一つの島のバーテンに
大声で言われたからその島に行ってスツールに座ると、すかさず「何します?」
って聞かれたから、「えーと、えーとぉ・・・、コークハイください」、「は
いわかりました」

当時のコンパのバーテンは基本給+歩合給で食っていて、客を自分の島に引き
込んで酒を飲ませてその売り上げ歩合で食ってるから、各島のバーテンは店内
に新しい客が入ってくると客引きに必死。そして常連を作って自分の売り上げ
に貢献させます。この店はたまたま他の島のバーテンが作業中で手が空いて無
くてこの島のバーテンの手が空いていたから私がキャッチされちゃった。(当
時はそんなこと全然わかってない)

バーテンがなんかいろいろ話しかけてくるけど、こっちは未成年だから年がば
れちゃまずいので返事は上の空でフロアを見る。フロアは3m×8mぐらいの狭
い長方形でジュークボックスが1台置いてある。その前で若者が5人ぐらい踊っ
てる。その踊りを見てると今まで見たことのないステップダンスで、立川の踊
りとは全然違う系統の踊りみたい。

全然見たことの無い系統の踊りでも、こっちはステップダンスの学習意欲に燃
えてるから踊りであれば何でも参考になるわけです。入店の時にかかっていた
曲が終わり次の曲に。「あれ?ここはDJブース無いの?ジュークボックスだけ?」

店内にDJブースなんかどこにもない、あるのはジュークボックス1台だけ、ジ
ュークボックスの曲が終わって次の曲がかかる間は無音ですから店内の有線放
送がかすかに聞こえてくるんだけど、それがド演歌。嫌〜な予感がしてくる。

その若者達がいろいろかけるんだけど、それが立川で全然聞いたことの無い曲
で全然知らないステップ。踊りは上手いんだけど私が見てきたのと動き方が全
然違うからへーって感心しながら見てると15分後ぐらいに彼らは踊り疲れたみ
たいで島に戻って飲み始める。

んでジュークボックスの音楽終了。しばらく店内無音だったけど店員の誰かが
有線放送のアンプを操作してBGMを流す。それがどどどどどどのド演歌。

あいたー。俺は演歌大っ嫌い。聞いてると虫ずが走るぐらいの演歌嫌い。なー
にが古賀政男メロディだ、なーにが演歌は日本の心だ。あんな変態音楽は雑音
を通り越して精神的拷問音楽じゃねーか!

たまらずジュークボックスに行く。見ると1回2曲で200円。「げ、高っけーっ!
1回200円も取るのかよ!」、まぁしかたないかと思って曲名見ると全部英語!
「なんだこれ!俺は曲名全然知らないんだし、しかも英文じゃ何が何だかわかん
ないから曲を選べないじゃねーか!」、でも演歌聞きたくないから200円入れて
祈るような気持ちで曲を選択。「たのむ、踊れるような曲であってくれよー!」
ってかけたら・・・はずれー!

なんかメロウなソウルがかかっちゃって踊れるような曲じゃない。2曲目も変な
聞いたことがないスローなソウルで踊れるような曲じゃない。「あいたー、週
刊誌の記事の地図は伊達じゃなかった。ここは踊れるような店じゃない。俺は
店の選択に失敗したー!」、さっき踊ってた若者達は完全に酔っぱらいモード
に入っちゃって踊る気はもう無いみたい。しばらく我慢して演歌聞かされてた
けどいつまで待っても仕方がないから精算してとっとと店を出る。

テーブルチャージとワンドリンクで1500円ぐらいだったかなぁ。コンパと言う
だけあってとってもリーズナブルで良心的なお値段・・・・ ってのは今だから
言えるんであって当時は虎の子の1500円+200円を短時間でドブに捨てちゃった
から大ショック。

出るときは軍資金4000円持って出てきたけど途中で蕎麦食ったりしてたから残
りの軍資金は2000円切ってる。これじゃぁ他の店行けないじゃん。はぁー、俺
は新宿くんだりまでわざわざ何しに来たんだか・・・・

力抜けちゃってしゃがみ込んで落ち込んでタバコ一服してたんですが、「まぁ、
なっちまったもんは仕方がない。次回来る時のために今回は店の下見にしよう。」
って気を取り直して、週刊誌の切り抜きの地図に書いてある店を全部廻って見る
ことにする。

それまで歌舞伎町は表通りしか歩いたことがなかったので、地図を見ながら裏
通りをずんずん歩いていると、へー歌舞伎町ってこういう作りになってるのか
っていろいろ発見がある。

んで店の前に行くと当時はどの店も料金が書いてありましたからそれをチェッ
ク。入り口に店員がいるときは「すみません、入場料とワンドリンクの合計で
いくらで踊れるんですか?」って聞いてみる。そうすると2000円ワンドリンク
と、3000円ワンドリンクの店に分けられる。(ゲットは例外だけどこの日は歌
舞伎町優先でゲットの店の前には行かなかった)

「2000円ワンドリンクと、3000円ワンドリンク。どういう意味があるんだろう?
この違いに何か意味があるんだろうか?1000円違うとナンパの成功率が高いと
かって意味なのかな?それとも金持ちのための店なんだろうか?」田舎者には
1000円違う意味が全然わからないから真剣に悩みました。

いずれにしても現在の手持ちの軍資金ではどこの店にも行けない(ゲットなら
行けたんだけどね)。「えーくそ、今日は駄目だ。あきらめた!メシ食って帰
ろう!」歌舞伎町の入り口のラーメン屋でヤケクソでラーメン食ってとっとと
帰って寝た。

ちゃんちゃんw


本日の教訓。
1.新宿にはディスコという名の演歌を聴かせる店がある。
2.ジュークボックスだけの店は余計な金がかかるから2度と行かない。
3.曲を知らないんだからDJがいる店じゃないと踊れない。
4.新宿に来るなら少なくても2店は回れる軍資金を持ってくるべき。
5.次回は交通費別で軍資金5000円にしようっと。




■2回目の新宿デスコ


てことで一回目の新宿行きは失敗したわけですが、親に食わせてもらって学生
やってる16歳なら、「かーちゃーん、新しい参考書買うからお金ちょうだい」
って小遣いもらって次の週にでも早速リベンジに行けるんでしょうが、こっち
は悲しい社会人。自分の小遣いは自分の働きじゃないと確保出来ませんから次
の週に簡単にリベンジには行けません。

次の給料日まで我慢ってことで、近場のディスコ立川「ゲットレディ」に週1
回通い出します。入場料とワンドリンクで2000円だけですから、毎週の生活を
切りつめれば通えない額じゃない。

この頃の食生活は給料をもらうとインスタントラーメンを60個買う。そして朝
はインスタントラーメン1個、昼は喫茶店支給の昼食の厚切りトースト1枚とコ
ーヒー、夜はインスタントラーメン1個だけでしたので、給料日近くになると
若さゆえの食欲に負けてインスタントラーメンをつい1個余計に食ってしまい、
それが数日重なると給料日前は金が無くなって2〜3日絶食なんてのもしょっち
ゅうでした。

そういう食生活でも若ければ生きれる。背中まであばら骨が全部出て誰が見て
も栄養失調状態でしたが、それより毎日遊ぶのが楽しいから小遣いの確保優先。
そんな食生活でした。(たまに立ってると目眩がしてきて、「あ、こりゃちょ
っとやばいな」と思った時だけ近所の定食屋で450円のカツ丼を食う。たった
それで体が元気になっちゃうんだから不思議)

んで、そこまで食生活を切りつめて確保する小遣いってのは、実はディスコ代
じゃなくて本代と喫茶店代。当時の私は現実逃避を目的とした活字中毒者で、
中学1年生頃からなんだけど家庭環境の複雑さから現実逃避を覚えちゃって毎
日学校の図書館で本を読んだり借りたりして最終的に中学校の図書館の本を2
年生で全部読破。それだけでは飽きたらず中学校の敷地の隣にあった町民図書
館にも通って1年がかりで読破して卒業しちゃいましたから、とにかく活字が
身の回りに無いと落ち着かないわけです。

んで、近くの図書館は何故か大衆本が全然無い。あっても本棚1列だけ。ある
のは工業系の資料とか仕事に関係する学習本ばっかりで、文学系の本を何も置
いてないから読むものがない。しかたがないから近所の大型書店で立ち読み。

当時もマンガのコミックス本を立ち読みする小中高校生はいっぱいいましたか
ら、書店の店員はこまめにまわって、「立ち読み駄目だからねー」って追い回
してましたが、文庫本や書籍をその場で1冊読み切っちゃう立ち読み客なんて
皆無ですから見張りが来ない。それをいいことに面白そうな本があるとその場
で1冊全部読み切っちゃう。

速読というテクニックがありますが、特に意識することもなくいつの間にか完
全にマスターしちゃって、普通の厚さの本なら1時間で全部読んじゃうし、内
容がつまらない本でストーリーだけを把握したい時ならどんな分厚い本でも1
冊20分で完全に読み切っちゃう。ひどいときは5分で1冊読み切る。

1ページを左上から右下に5回ぐらい斜めに読んで、次のページも同じように読
んで、それで2ページ読んじゃう。感が働くから大事なところはちゃんと見る
けど、どうでもいいところは数ページ飛ばして読んでもストーリーは完全に把
握してる。そうやって1冊読了。そんな読み方で本屋の本も片っ端から読んで
ました。

そうやって読んでいる時に、たまーにいい本に出会えるわけです。当時はSFが
大好きで推理小説大っ嫌いでしたから読むのはSF本がほとんどでしたが、たま
に「この本だけは一字一字ゆっくり読んでみたい」って本に出会えます。そう
いう本は最初の4ページを読めば必ずわかります。逆に言うと最初の4ページが
つまらない本は経験則から言って最後まで読んでも間違いなくつまらない本な
わけ。

そういういい本が見つかると早速その本を買って近所の喫茶店に行ってコーヒ
ー飲みながらタバコを吸って本を読んで、至福の時間(現実逃避)を楽しむわ
けです。その時間がだいたい3時間ぐらい。ゆっくり読んでも3時間で読み切っ
ちゃう速読派ですから、時間があればまた別の本屋に行って立ち読み。いい本
があればまた本買ってまた喫茶店に行く。そんなんで1日の小遣い1000円があっ
という間に消えちゃう。そんな毎日でした。

でもディスコにも行きたいから、毎日1冊本を買うのを極力抑えて、立ち読み
時間を可能な限り延長して3時間ぐらい本屋で立ち読みで済まして、どうして
も欲しい本を買う時は、本を買ってから喫茶店に行くのをあきらめてアパート
で読む。そうやって確保した小遣いでディスコに行く。そんな形で銭の確保を
してました。(食生活がめちゃめちゃなのはこういう理由もあった)



毎週土曜日に立川ゲットレディに通っていろいろ踊りを覚えていくんですが、
毎週通って必死に踊りを真似してればある程度は自分の踊りのレベルが上がっ
て行きます。

その店で踊られてる踊りが50種類ぐらいあって、それを一通体験すれば自分か
ら踊りをリード出来なくても誰かがその踊りを踊り出せば余裕で付いていける
ようになります。人まねで踊りを覚えたわけですから正式な曲名は全然知らな
いし踊りの名前も全然知らないんですが、耳から聞こえてくる音楽に対して、
「この曲はこの踊り」って形ですぐに答えがつながります。

それが自分の自信にもつながっていきますから、「また新宿行きたいなぁ・・・
今度は前と違って少しは自分の踊りのレベルが上がってるから見えるものも違
うだろうなぁ・・・」ってことで給料も出たことだし、また新宿に行くことに
します。

前回は完全なお上りさん状態で右も左も分かりませんでしたので店選びに失敗
しましたが、今回は前回の調査もありますので、今回はミスを避けて安全パイ
で行こう、行くのは一番失敗の少なさそうなメジャーなところにしょうってこ
とで、行ったところは当時週刊誌等で一番有名だった「新宿ムゲン」。

エレベーターに乗ってムゲンのフロアに。正面にクッション入った分厚いドアが
あって右側に会計だったと思ったけど、金払って入ろうと思ったら会計が混雑し
てる。7〜8人ぐらいお客さんがいてわいわい話しながら会計してるのでけっこう
時間がかかりそう。店内からは音楽が聞こえてくるんだけど、こりゃフィリピン
バンドか?

そしたら入り口ドアが開いて従業員が何か搬入作業を始める。何なのかわからな
いけどけっこうごちゃごちゃ荷物みたいな感じ。作業中はドアが開けっ放し状態
なので、興味が湧いてちょっと脇の方から店内を覗くとダンスフロアが見える。

見たら、「あれ?何ここ。この曲はステップダンスの定番なのにフリーダンス?
この店はフリーダンスの店なの?」と思って客層を見ると黒人が多い。「あー、
そういうことか、ここは黒人が多いからフリーダンスの店なんだ。この定番の
曲でステップやらないならこの店に入ってもステップダンスは無いな」と思っ
たら「お客さん、ちょっと邪魔なんすけど」って従業員に注意されちゃった。

「あー、すんませんね」って会計の方に移動。ごちゃごちゃしてたお客さんの
会計も終わったみたいで私の番。会計の女の人が「○○円です」って言うから、
「あのー、この店はみんなバラバラに踊ってるみたいだけどフリーダンス専門
の店なんですか?」って聞いたら、「よくわからないけど皆さん自由に踊られ
てるからそうみたいですねぇ、他のお店みたいにみんなで同じ踊りをする人は
少ないですよ」って言うから、「んー、じゃぁ俺入るの辞めます。すいません」、
「いえいえ、いいですよ。また次の機会にお願いします」って言うから店の外
に。

「やっべー、また失敗するところだった。偶然店内を見れて良かったぜ・・・・
 待てよ、これは使えるぞ。・・・・ 金払って入る前に店内を見れればその
店がステップの店なのかフリーの店なのかわかるし、DJがいるのかいないのか
も分かるな。フィリピンバンドとジュークボックスだけでDJブースの無い店も
あるかもしれないし、先に確認出来れば失敗はないや。そうだ、そうしよう」
ってひらめいて他の店に行く。

んー、なんて言おうかな、金払う前に店内を見せてくれって言っても見せてく
れなそうだし、どうしようかなぁ・・・ って目を付けてた店に、中にとこと
こ入っていって入り口のボーイに、「あのー、すみません。この店で友達と待
ち合わせなんですけど、来てるかどうか確認したいんで店内をちょっと見せて
もらえますか。来るか来ないかはっきりしない奴なんで、来ないのに入ったら
無駄になっちゃうんですよ。この時間なら電話で連絡もとれないし、お願いし
ます」って言ったら、「ああ、いいですよ。じゃぁ私と一緒に店の中に入りま
しょう」って言われて2人で店内に。(ケータイもパソコンも無い時代です)

首は客席のテーブルをゆっくり見回しているようなそぶりで目はダンスフロア
に、DJブースはあるか、客の踊りは同じ系統の踊りか、自分の踊りの勉強にな
りそうか、楽しい時間を過ごせそうか、金を出す価値のありそうな店か。

30秒ほど見回して「すみません。まだ友達は来てないみたいです。改めてまた
来ます。どうもありがとうございました」って言ったら「いいですよー。友達
が来たら一緒に来てくださいね」って言われて店外に。

「やったー。上手くいったぞ。この手でここらへんのディスコを全部廻っちゃ
おう!」って歌舞伎町のディスコに手当たり次第にアタック。

言ったら素直に店内を見せてくれる店。マネージャーを呼んできて事情を説明
したら嫌な顔でしぶしぶ見せてくれる店。入り口のボーイに言ったらマネージ
ャーを呼び出してきてまた同じ事を説明した後でまた店長に説明してあげくに
部長にまで説明して、結局駄目だって断られたり、気分のいいことも嫌なこと
もあったけど当初の目的はほぼ達成。

結論は、歌舞伎町には飲み目的のディスコと踊り目的のディスコがあって、飲
み目的のディスコは問題外だから一番最初にカット。踊り目的のディスコには
フリーダンス系のディスコとステップ系のディスコがあるんだけど、フリーダ
ンス系はムゲンだけで他は全部ステップ系、んでステップ系の店でもフィリピ
ンバンドとジュークボックスだけでDJブースの無い店がけっこうある。

15軒近く廻ってとりあえず気に入ったディスコは2軒、アップルハウスとホ
ワイトホース。アップルハウスの客層が日本人だけでほとんど高校生。ホワイ
トホースは黒人と社会人な感じでつまんないトラブル少なそう。「よし、今日
はホワイトホースにしょう」ってことで店に行く。

「さっきはどうもー。友達は結局来ないってことになりましたー」って言って
案内してもらう。この店は2000円ワンドリンクだったと思うなぁ。店に入ると
かなり広くて100坪以上。右側が一段高くなってVIP席みたいな感じ(当時VIP
席なんて言葉はあったんだろうか?)正面にフィリピンバンドの演奏ステージ
があって、その左側にDJブースらしきもの。黒人客が5分の1ぐらいであとは
日本人の社会人男女。

踊りは立川と同じ系統で特に混乱することもなくフロアで踊る。だんだん混ん
できて100人以上がフロアで踊ってるんだけど、立川のゲットレディで見た客
も10人ぐらいはいる。

そのうち曲がソウルCCになり、いつものソウルCCを踊るとなんか変。立川から
来てる客達は今のソウルバーで踊られてるのと同じソウルCCを踊るんだけど、
ここの店の客の踊るソウルCCはチャチャで前後してから右に4歩行くシンプル
なソウルCC。なんか変だなぁ、こういうソウルCCってありなの?

そういえば一番最初にDiscoに行った八王子でもこうだったな。あの時も踊っ
てるうちに、このチャチャの後に右に4歩行く式の変なソウルCCから、立川式
のかっこいいソウルCCに全員変化していっちゃったんだよな。って思ってたら、
同じ事がこの店でも起きる。

当時はこんな感じで、次から次にいろいろな新しいステップが出てきては客に
淘汰されて、最終的に生き残るステップとあっけなく捨てられるステップがい
っぱいありました。


参考:ソウルCCのステップ
1.左足半歩前
2.左足半歩前
3.左足大きく引いて元へ
4.左足大きく一歩前
5.右足で床を叩く
6.右足から右に4歩で行って左足を軽く前へ出す
7.左足から左に4歩で戻って右足を軽く前へ出す
8.1へ戻る




■新宿ホワイトホース

新宿のディスコに行きだしてからはホワイトホースがベースキャンプみたいに
なりました。他がはずれてもホワイトホースならまぁ満足かなぁと・・・
(顧客満足度100%ではないよ)

当時のディスコの客は2種類に分かれていて。どこかの店に決めて意地でもそ
こしか行かない常連タイプと、「どこか面白いところ無いかなぁ?」ってその
日の気分であっちこっち突っつきまくるニワトリみたいなタイプに分かれてい
ました。(私は後者)

当時の新宿ゲットに代表される特定の店の常連派はその店しか行きませんから
その店の踊りしか知りません。だから頑固一筋。たまに他の店に遊びに行って
も自分の店の踊りを頑固に踊ります。一つの曲で1種類の踊りをマスターすれば
完璧ですから踊りを覚えるのが楽と言えば楽です。つーか、アンタは応用が利
かなくてそれしか知らないんじゃないの?って人がマジで多かった。

※ちなみに新宿ゲットのポップコーン・セブンと言えば何かとトラブルの元に
なる踊りとして有名でした。


当時の新宿の踊り場育ちの特徴は、新宿は体育館みたいに広い店が多いので踊
る時にスペースをたっぷり取って前後左右に大きく踊ります。それが当時の新
宿流ステップダンス。その主義で六本木とかの小箱ディスコに行って頑固に新
宿流を貫くとどうなるか、当然他の客とぶつかります。

六本木の小箱はダンスフロアがやたらと狭いのに踊る客は芋を洗うようにたく
さんいましたから、そこで発達した六本木系のステップダンスは今そこにあっ
た足が移動した瞬間に別の客の足がその場所を踏みます。それが六本木流ステ
ップダンス。小さく踊る中で自己表現をいかに出すか、それが六本木スタイル
の踊りです。

新宿で作られたソウルCCと、それを受けて六本木で発展したニューソウルCCを
比べるとよくわかります。ソウルCCは前後に動いた後で全員が右に4歩移動し
ますので、そこに移動しない奴がいると間違いなく跳ね飛ばされます。でも新
宿のディスコはやたらと広いので移動しない客がいてもこっちが移動距離をち
ょっと変えたり、ちょっとよけたりすることでお互いにトラブル無く快適に踊
れます。

でも店が狭くてダンスフロアが狭いのにいつも超満員の六本木で同じ事をした
らどうなるか? ソウルCCで右に4歩移動したくても壁側にいる客は壁が邪魔
で動けませんので満員の客によって力任せに壁に押しつけられてしまいます。
私も六本木スクエアビルで一度これを体験して、狭いスペースの大量の客の力
で壁に押しつけられて身動きが取れなくなり、あげくに力任せに壁に押しつぶ
されそうになってえらい目に遭いました。(だから当時の六本木デスコ嫌い)


六本木で発展したニューソウルCCは両手をシェイクする動きがメインで最後に
右に4歩移動するのはおまけみたいなものんですから、その日の客の混み具合
で移動距離はいかようにも調整できます。(手の動きだけで踊るパラパラが発
達したのも同じ理由だと思ってます)

六本木はそんなふうに踊り場が狭いのに、ただでさえ踊りのタイミングの取り
方が全然違う新宿派が頑固に新宿流の前後左右に動く踊りを貫くとどうなるか?
他の客の足を踏んだり肩が当たったりヒジでパンチしたりで廻りはすんげー迷
惑。場合によっては喧嘩になります。それでも意地でも新宿流を貫く頑固(迷惑)
な人がいました。(今もいます。マジで迷惑。だから昔の新宿式の大きく前後
左右に踊るステップダンスは今でも嫌われてます)


あっちこっちの店を突っつきまわるニワトリタイプは、よく言えば最新情報を
常に追い求める人たち、悪く言えばものすごく飽きっぽい人たちです。この人
たちは自分の店というのがありませんからどこでも行きます。新宿だろうが赤
坂だろうが六本木だろうが横浜だろうが、「最近○○って店が面白そう」って
情報を聞くと気楽にお出かけします。なので「郷に入っては郷に従え」主義で、
その店の踊りを短時間でマスターして踊りますので非常に柔軟性が高く、結果
的に踊りの種類をいっぱい知っています。

ディスコの踊りは仕事じゃなくて趣味ですから、何であれその時間を楽しめれ
ばいいわけですから頑固派とニワトリ派のどっちが偉いかって区分けは一切な
いんですが、私は自分がニワトリ派なだけに廻りにぶち当たっても頑固に自分
の店の踊りを踊る人たちを見ると不思議な生物を見ている気がしますね。

今のソウルバーは10時過ぎじゃないと客が入って来ませんが、当時の新宿は学
生が多かったので夕方5時か6時に開店するとすぐに客が入ってきて7時には満
員になり、8時のチークタイムで1回目のピークになって1会戦終了。移動する
客はぞろぞろ移動し出して客の入れ替えが始まりって10時のチークタイムの
2会戦目まで他の店に行きます。終電で帰る組はそのままですが、オールナイ
ト組はその店が深夜1時には閉店しちゃうので11時過ぎあたりからオールナ
イトの店に移動して1時頃に3会戦目のピークになりましたので、終電組でも
一晩に3軒ぐらいはしごするのは普通でした。

当時の私はディスコに行きだしたばかりで踊りは平均レベル以下。廻りは先生
ばっかりですから 1ヶ月に1度しか行けない新宿で一つや2つの店だけでは時
間的体験的学習的に非常にもったいないわけです。だから可能な限りあっちこ
っち行きたい。でも金には限度がある。軍資金5000円ですから正攻法だと
1日に2店まわるのが限度です。

私は一度何かを経験するとそれを必ず分析して自分の経験値を上げるタイプで
したから、3回目の新宿からは強心臓そのもので行動してました。(背に腹は
代えられないってのが理由ですけどね)。 

新宿に着くとまずどこかの店に入る、ちらっと中を見てその日の客層やDJの選
曲やフィリピンバンドの演奏を聴いてクソなら時間がもったいないのでさっさ
と見切りを付けて別の店に移動。そこが入り口で入場料を取る店ならパス。そ
うじゃなくてボーイに案内されてテーブルについてオーダーが届いた時に現金
決済する店や、後で伝票決済する店なら勝手にずんずん中に入っていく。

店に入るとボーイがテーブルまで案内するわけですが、こっちも喫茶店のボー
イやってますから業界の裏事情を知ってますので、目で「自分で勝手にやるか
らいいよ」って合図。そうすると店側から「関係者?」って勝手に勘違いされ
て案内されずに中に入れます。

んで立ったまま客席とフロアをじーっと見て、今日の客層じゃ楽しめないなっ
てわかるとさっさと帰るわけですが、帰りがけにボーイに、「今日のお客さん
はこの時間じゃ全然駄目だねぇ。これじゃ楽しめないからまた後で来るよ」っ
て言って出て行きます。当時は酔っぱらって店内で大暴れするとんでもない客
が山のようにいましたからこんな変な客は可愛い方です。ボーイはそういう変
な客でも「またお願いします」って言うのが仕事ですから、「はいはい」って
返事して出て行きます。

そうやって歌舞伎町の入り口からコマ劇場あたりにかけての大衆系のディスコ
はほとんど廻ったんじゃないかな? 見回っただけの店は腰を落ち着けて座っ
て無いから店内のレイアウトとか全然覚えてません。

んで、最終的に今日は新規開拓に失敗したなと思ったらベースキャンプである
ホワイトホースに行って終電まで踊り続け、ワンドリンクだけでひたすら粘る。
そんな感じでした。


当時はどこの店に行ってもフィリピンバンド。それが演奏上手ならありがたい
んだけど、彼らはみんなどこかで必ず演奏ミスをする。そういうのってDJがレ
コードかけていて針が飛んだのと同じぐらいしらけます。たまに演奏上手でミ
スの無いバンドがいて気持ちよく踊ってるときに、前列で踊っている女の子達
の気を引こうとしていきなりアドリブを始める。女の子は喜んでるけこっちは
不満。「なんなんだこいつら。演奏中にナンパするんじゃねーっ!おめーらち
ゃんと仕事しろっ!」って気分になる。だから私はフィリピンバンド大嫌い。
フィリピンバンドのいない店か可能な限りフィリピンバンドの演奏時間の短い
店ばかり行ってました。

新宿ホワイトホースはフィリピンバンドの演奏時間がお義理程度でレコード優
先。たぶん掛け持ちしてるフィリピンバンドの演奏で、店の専属バンドはいな
かったんじゃないのかな? 当時の新宿の大箱ディスコはフィリピンバンドが
いないとディスコじゃないって業界内に暗黙の了解があったみたいで、大箱に
は必ずフィリピンバンドがいたけど、ホワイトホースは大箱なのにフィリピン
バンドは30分程度演奏するとすぐにどこかに行っちゃってもう来ない。演奏
は1日2回だけで。大箱でDJ優先って店は少ない時代でしたから黒人客もやた
ら多くて本場物のソウルダンスも勉強できる。だから気に入って毎回必ず通っ
てました。


______________________________

60年代のモータウン系レコードのスタジオ演奏(道具の少ない超シンプルな
演奏)とフィリピンバンドの全力演奏を比べると何かがもの足りない。何が足
りないんだろうってずーっと不思議だったんですが、数年前に「永遠のモータ
ウン」というDVDを見てやっとわかった。フィリピンバンドにはキーボードは
あったけどピアノが無かった。ピアノの音にあれだけ音の深みの違いが出るん
だって改めて知ってびっくりしました。(つーても私は音楽好きの楽器音痴だ
からね)

当時のフィリピンバンドって、リードギター2本、ベースギター1本、コンガ、
サックス、ドラムセット、ボーカルがタンバリンかマラカス担当。キーボード
はほとんど無し、リズムボックスは登場前。そんな時代でした。

フィリピンバンドって見てくれは完全に南洋の土人なのに何故か日本人の女の
子の固定ファンが大量にいて不思議でした。最終的に日本人と結婚したフィリ
ピン人も多かったんだろうね。でもあの時代じゃフィリピンに行ってからたま
げたろうなぁ。



参考:ニュー・ソウルCC

1.左足を前に蹴る
2.右足を前に蹴る
3.右足、左足を連続で蹴る
4.左足1歩前、右足も1歩前へ
5.1回手を叩き、右手のひらをゆっくり右に(タイミングは4カウントぶん)
6.1回手を叩き、左手のひらをゆっくり左に(同じく4カウントぶん)

7.1回手を叩き、右手を肘で曲げて垂直に立てる(左手は右肘にタッチ)
8.左手を垂直に立てる(右手は左肘にタッチ)
9.右手を垂直に立てる、(左手は右肘にタッチ)
10.左手を垂直に立てる、(右手は左肘にタッチ)
11.右手を垂直に立てる、(左手は右肘にタッチ)  
注、7〜11まで連続。両手をシェイクしながら4歩で 4.で進んだ1歩分下がる

12.右足から右に「小さく」4歩移動して左足を斜め右前に蹴る
13.左足から左に4歩で元に戻って右足を斜め右前に蹴る、
14.1に戻る (カウントはソウルCCと同じ)



■牛浜 BP


私はディスコを、「ガキディスコ」、「大学生ディスコ」、「社会人ディスコ」
の3種類に分類して判断するんですが、「ガキディスコ」とは地元の中高生の
不良とその彼女たちが集まる店で平均年齢は18歳ぐらい。「大学生ディスコ」
とは田舎から出てきて親の仕送りを受けている大学生の男女が集まる店で平均
年齢は20歳ぐらい(1973年当時はまだ存在していない、フリードリンク、フリ
ーフードの時代になってから)。「社会人ディスコ」とは年齢に関係なく社会
人として働いている客がメインの店で平均年齢は22歳以上(当時は高卒で就職
する時代)。という大さっぱな区分けをします。

もちろんそれ以外の種類の店も世の中にはいっぱいあるんですが、例えば新宿
2丁目のオカマディスコとか、噂でしか聞いたことがない銀座の高額ディスコ
など、自分が絶対に行かない店は世の中に存在しないのと同じですから分類の
対象外です。

新宿のディスコに行きだしてから数ヶ月(数ヶ月ってことは月に1回しか行け
ないからほんの数回しか行ってないってこと)、ニワトリがあちこちつつくよ
うに歌舞伎町周辺の店を精力的に回ったせいで歌舞伎町の大箱の雰囲気がだい
たいわかってきました。

当時少数派の大学生と主流派の高卒社会人の客で構成される「飲み目的ディス
コ」。 当時はフリードリンク、フリーフードはまだ無い時代ですからディス
コで本気で飲み食いすれば相当高額になると思うんですが、ワンドリンクでひ
たすら粘る低額所得者の私には全然縁の無い世界です。

全然縁の無い世界だけど1973年当時はこっちが主流だったんじゃないのかな?
なんかやたらと酒を飲んでる男が多かった気がする。ディスコに来たのにまず
飲む、とにかく飲む、どんどん飲む、飲むだけ飲んで羞恥心が無くなった頃に
フロアに出て踊り出す。当然オーバーアクションでセンスのかけらも無いタコ
踊り。

そういうの見てるとなーんも参考にならん。飲み過ぎで足の動きは千鳥足、腰
はこけないようにただ動いているだけ、お前はディスコダンスを自分の田舎の
盆踊りと完全に勘違いしてるんじゃないのか?ってのもいて見ていて頭痛くな
ってくる。そういうのと比較すると女にモテるために真剣に踊ってる不良中高
生で構成される地元のガキディスコの方がよっぽどましだと思う。

んで、新宿の小箱は踊りに命かけてる客けっこういていろいろ参考になるんで
すが(例えばゲット)、残念ながら踊りがその店だけの踊りで新宿の主流の踊
りじゃない。だから一生懸命覚えても時間と金の無駄になる。どうせ踊りを覚
えるなら新宿のどこの店に行っても胸張って踊れる主流の踊りを覚えたいし、
最新の主流になる踊りを確実に覚えれる店を見つけたい。そんな気持ちであち
こち回ってました。


当時はソウルダンスを覚えるのが難しいとは言っても今と違ってシンプルな時
代でしたから、ハイテンポな曲は客が嫌って踊らないし無理にかけると休憩タ
イムになる時代なので、今、ソウル・チャチャと言われてる「チャチャ」と、
チャチャが変化したダンスが主流で、とりあえず初心者はこれだけは覚えてお
けば大丈夫だろうってのが、何にでも合わせて踊れるウォーターゲートとスケ
ーター、基本のチャチャ、お約束のゲットレディ、定番のソウルCCという時代
でした。

ウォーターゲートとスケーターは左右に4カウントで動くシンプルなダンスで
すし、チャチャは8カウント、ゲットレディは手の動きがメインの振り付けダ
ンス、覚えるのが一番難しいとされていたソウルCCでも14カウント程度ですの
で、現在のソウルバーで踊られている、36カウントで一巡するウルトラ・バ
スストップとか、24カウントで一巡するスーパー・バスストップとか、エク
ストラ・エクストラの10、12、14カウントで3回可変するダンスやら、ブ
ギーウォークの27カウントダンスとか、アイ・スパイの・・・あ、俺はこれを
まだ1人だけで踊れないんだっけ・・・(汗)、 覚ようとするだけで頭が痛く
なって気力が萎えそうになる変態ステップダンスなんか全然無いシンプルな時
代ですから覚えるだけなら比較的楽なんだけど、そのぶん踊りの巧さにセンス
の問われる時代です。


注:覚えるのが楽と言っても中学校で習う4拍子のフォークダンスはみんな知
ってても 8カウントで踊るソウルダンスなんて誰も知らない時代だから最初
はみんな大変。一番簡単なチャチャも教習ビデオが無い時代だからみんな見よ
う見まねでものすごく苦労して覚えてました。




参考:チャチャの基本ステップ
(社交ダンスのチャチャチャの昔のステップから来ています)

1.左足1歩前、右足追いかけて1歩前
2.左足1歩前、右足追いかけて1歩前
3.右足1歩前、
4.左足の踵をちょっと上げて下ろす
5.右足1歩後、左足追いかけて1歩後ろ
6.右足1歩後、左足追いかけて1歩後ろ
7.左足1歩後
8.右足を5センチぐらい上げて下ろす

チャチャはその他にもいろいろなパージョンがあり。パルスピード・チャチャ
と言われる東京青山のディスコで踊られていたチャチャや、横浜で踊られてい
たハマチャチャや、横須賀で踊られていたスカチャチャと言われるチャチャも
ありました。

70年代ソウルダンスの基本はこの8カウントのベーシックなチャチャで、当時
は「左足からスタートするからチャチャなんだ」と言われてました。だから現
在右足からスタートするハマチャチャも、今とちょっと違って、78・123
456、という左足からスタートするダンスでした。



他人の踊りをまねしているうちにどうしても無理な部分が出てくるわけです。
それが腰の動き。ソウルCCみたいなステップダンスだと全然目立たないんです
が、シンプルなダンスになればなるほど腰の動きの差が目立ってくる。(例え
ばスキーのストックを地面に突く動き似たダンスのストックとか)

うまい人は本当にうまい。動きすぎればタコ踊りだし動かなければダサイのが
ソウルダンス。無駄に動かずよけいに動かず、うまい人は見ていて感心するぐ
らいうまく腰が動きます。特に黒人の腰の動きはひと味違います。同じ人間な
のにどこが違うんだろう。そう思うから黒人客がいるとみんな踊りに注目する。
黒人側も日本人に注目されてるのを知ってるからますます意識して踊る。

んー、いくら見てもわからんものはわからん。謎だ。これはやっぱり黒人客が
メインの店に行かないとわからん。牛浜行こうっと。


行く前に周りの同年代に「牛浜のBPってどこにあるんだ?」って聞いても噂先
行で本当に牛浜BPに行った奴なんかいやしない。みんな先週行ってきて最新の
ソウルダンスを全部マスターしてきたようなうなホラ話を言うんだけど、詳し
く聞いてみるとみんな先輩達のふかしたホラ話の受け売り。だからだーれも知
らない。

せめて店の場所の情報ぐらいと思っても牛浜駅に行った事のある奴すらいない。
いても子供の頃に牛浜に行ったことがあるなんてのばっかり。あちこち聞きま
くってやっとわかったのは「BPは牛浜の駅前商店街のはずれにあるから探せば
たぶん見つかる」という極めていいかげんな情報だけ。(インターネットの無
いアナログ時代の情報はいつもこんな感じ)

てことで週末になったので行ってきました牛浜BP。国鉄立川駅から青梅線に乗
り換えて数駅の国鉄牛浜駅で下車。ここは米空軍横田基地の端っこの通用門に
面した駅のせいで寂れてはいるんだけど米兵相手の店がそれなりにあります。

国鉄牛浜駅なんて降りるのは生まれて初めてだから土地勘が全然無い。道路脇
に表示されてる地図を見るとノースアップ(北が上)を完全に無視した商店街
地図だから全然参考にならん。おまけに商店街地図は日本人客相手だから米兵
相手の店なんか何も書いてない。でも近所には地図が置いてある本屋もなさそ
うだし、これしか情報が無いから必死で見てるとどうやら牛浜商店街は3本の
メインストリートで構成されているらしい。これを順番に回ればなんとかなる
かもと思ってひたすら歩く。歩くの慣れてるからとにかく歩く。

歩き回ってやっと見つけました。牛浜商店街の3本のメインストリートの一番左
側の通路のはしっこにある建物で。当時の典型的な米軍ハウス作りで、今で言
う平屋づくりのファミレスみたいな外観。エントランスに広い駐車場があって、
入り口にでかいアクリル製の看板があって黄色のベースに黒でBPの極太文字。

店の中に入ると左側に調理を出す小さなカウンターがあって右側に広いフロア
があり、半分がテーブル席で半分がダンスフロアの200坪ぐらいの広い店。客は
全員黒人で白人なんか誰もいやしない。当時は黒人ブラザーにぶらさがる日本
人女もいない時代だから200人以上いる客の中で日本人客は私一人だけ。

さらに曲によっては照明を暗くするのでその時は黒人の姿が完全に消えてしま
い、目だけがあちこちでぴかぴか光ってとっても不気味(笑)

普通に考えるとかなり危なそうなシュールな展開になったんですが、私は幼稚
園年長組から小学校1年生かけての約1年間、母親が米軍立川基地の中でハウス
メイドをやってたせいで基地の中で生活してましたので、それを思い出させて
くれるこのアメリカの中の雰囲気がすんげー懐かしくなっちやって大感動。
「こりゃいい店だー!日本人が誰もいない。雰囲気最高だー!」って一人で感
動してました。

(後日、踊り好きの不良の友人を牛浜BPに誘って連れてくると薄気味悪がって
2度と行きません。黒人200人以上の中に日本人客2人だけって展開はそんなに
不気味で怖いものなのかなぁ? 暴走族集団の中に俺一人の方がよっぽど怖い
と思うんだけどなぁ・・・)

この店はキャッシュ・オン・デリバリーですから商品とお金を交換です。店が
気に入ったんで何か飲もうと思ってカウンターに行くと、「げ、この店はドル
建てかよ。円は使えるのかな?」と思って「ジャパニース・円・OK?」って聞
くと黒人店員が「シュアー」って返事。「レートは?」って聞いたらメニュー
をほれって出すので見たら一番安いアルコールドリンク1杯3ドル。

「うひゃーまいったな、交換レートは思いっきり1ドル360円かよ。 えーと
・・・ワンドリンク3ドルってことは・・・・ ビール1缶1080円! うわー
まいったな、新宿より全然高いぞ・・・」でも仕方ないから買う。一番安いバ
ドワイザーの250ml缶を(苦笑)

開いている席に座って黒人客の踊りを見ているとTV番組のソウルトレインと同
じようなダンスをしています。それがすんげー勉強になる。これ以降TVのソウ
ルトレインをまともに見たことがない。つーか見る必要が無い。ソウルトレイ
ンのダンスシーンは正味10分あるかないかだけど、ここにいれば好きなだけ
レベルの高いソウルダンスを見れるし、好きなだけ真似することができる。

とにかくそこにいるだけでいろいろなソウルダンスを見れるんで感動してたん
ですが、意外だったのは日本ではソウルダンスの基本はチャチャと言われてる
んだけど、ここでチャチャを踊ってる黒人客なんかほとんどいない。チャチャ
を踊ってるのは少数の男女のカップルが向かい合って前後しながらチャチャを
踊ってるだけ、あとは明らかにディスコに縁の無さそうな中年男性が一人でチ
ャチャを踊ってるだけ。ほかはみんなフリーダンス。場所によってダンスの種
類が違うのは知っていましたが、日本人の踊るソウルダンスと黒人の踊るソウ
ルダンスがここまで違うとは思わなかった。

そんなこんなで1時間ぐらい観察してたのかな? 店の雰囲気もわかったから
そろそろ踊ろうと思ってフロアに。日本人客が一人でこういうところに来るの
は珍しいみたいで、「何こいつ?」って見て後は興味無しになるのと、酔っぱ
らっていて、「てめぇは何しに来た!黄色い日本人はとっとと帰れ!」って攻
撃的な目つきで見るのがいるんだけど、子供の頃に米軍立川基地の中で生活し
てたからそういうのは全然気にならない。歯をむき出してくるような奴が子供
の頃に俺は基地の中の芝生の上で一緒に遊んでいたという自信は大きい。

その上この人達はみんな軍人関係者だから何もしてない日本人とトラブル起こ
すと困るのはそっち側ってのも知ってるから威嚇してきても一切無視。酔っぱ
らいにとって俺は目障りな存在なんだろうからちょっと場所を変えればいいだ
け。彼らは日本人と違って気に入らないからっていつまでもしつこく追いかけ
てきません。

そんな調子で英語を一切しゃべれないのに200人以上の黒人客が踊ってるフロア
の中に入って一人で勝手に踊ってました。


今思ってもいい根性してるよね。怖いもの知らずの16歳は。




■牛浜 BP その2

BPという店の名前ですが、米本土から来た黒人兵も気になるらしく、「BPって
どういう意味だ?」って黒人店員に聞くわけです。そうすると店員は当時の黒
人のお決まりのポーズ、左手を右の二の腕の筋肉の前に置いて右手を垂直に立
てて握り拳にして「ブラックパワー!」 そうすると、「おー、なんたらかん
たら」って言ってから、拳を順番にぶつけ合う黒人独特の挨拶をする。

当時はベトナム戦争の後半で黒人に対する人種差別撤廃と黒人の地位向上とい
うのが政治的に大事な時代になってきましたから、その象徴的な台詞である
「ブラックパワー!」という政治的な言葉は日本人が聞いてもインパクトのあ
る名前でした。


この店は最高に楽しかった。もちろん私は英語しゃべれませんから黒人の友達
なんか一人もできない。でもその雰囲気が好きで、ノリのいい黒人達と一緒に
いるだけで楽しい。だけどこの後で大量に発生してくる、『日本人のくせに黒
人になりたい』って思う、変な黒人好き日本人とは完全に一線を画してました。

なぜなら私は幼稚園から小学校1年生の時に米軍立川基地の中で生活していて、
白人家庭と黒人家庭の子供達と一緒に生活して、黒人と白人の育て方の違い、
教育の仕方の違い、しつけのしかたの違い、考え方の違いについて知っていた
から。

当時の日本人の親達は戦中派がメインですので、「日本人とはかくあるべき」
という論理観に従って子供達を厳しく教育します。米軍基地内の白人の親達も
同じ、「おまえはアメリカ国民としてこうするべきなんだからこうしろ」、
という論理観で子供達を厳しく教育します。白人と黄色人種の違いはあれど、
日本語で根性呼ばれる、「状況がしんどくても、意地でも頑張るやせ我慢」の
気概を養う心は日米共通です。

でも黒人の親達は全然違う。「○○ちゃんはかわいいかわいい」って徹底的に
甘やかせ、「そんなことをさせたらかわいそう」って甘やかせて育てます。そ
れがいいか悪いかじゃなくて60年代の黒人と白人の親はものごとの考え方が根
本的に違う。

そういうのを子供の時に見て育って来たから、黒人音楽は大好きだし、黒人ダ
ンスも大好きなんだけど、べろべろに甘やかされて育つ黒人になろうなんて考
えたことは一度もないし、今の自分の先の見えない生活を生き抜く基礎になっ
てる根性を養わされない黒人に生まれなくて本当によかったって思ってる人で
した。

(こういう考え方って当時のSOUL好きの中では変わり者になるみたい。黒人音
楽が好きでSOULダンスが好きだから本気で「黒人になりたかった」「黒人に生
まれたかった」って真剣に思ってるSOUL好きが当時はいっぱいいました)


んなわけで一度牛浜BPに行ったらやみつきになってしまい、それ以降はBP一本
槍。新宿に行くのもやめて週末になると牛浜に通うようになりました。たいて
いは終電で帰るんで12時頃に店を出るんですが、12時だとちょうどこれか
ら盛り上がりタイムなわけです。客がどんどん入ってくるのに逆抗して店を出
るのは悲しいので「今日は始発で帰ろう」と決めてオールナイトにすると地元
客メインの店だから必ず裏をかかれる。

だいたい夕方7時頃に店に入ると、客足は少ないんだけど8時頃に1回目のピー
ク。少しずつ客が増えて10時頃に2回目のピーク。11時頃から他の店で飲ん
でた黒人客がどんどん移動してきてフロアは芋洗いディスコ状態になって3回
目のピークが深夜1時頃。1時半を過ぎるといきなりピークが終わり、基地に帰
る客がどんどん増えて2時には店内ががらがらになり、3時を過ぎると曲層も変
わって日本で売ってない南部の暗〜いR&Bになり、聞いてると鬱になりそうな
踊れない暗〜い曲に切り替わる。

1ドル360円時代ですから店内は何でもかんでも高いのでドリンク2杯程度で後
は何も飲まず何も食わず、踊れない曲でいつまでも粘るわけ