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     ものみの塔日本支部の基本財産




日本のJWの最高責任者である「日本支部委員会の調整者」、織田正太郎氏が
2004年4月4日の記念式の翌日に、海老名ベテルの敷地内で行われた花見中に、
桜の写真を撮ろうとして梯子から転落して頭部を強打し、4月7日に亡くなった
ため、次のトップは誰だという当然の疑問が出るわけですが、これを書いてい
る時点で次のトップ人事の公式発表の声は外部に聞こえてきません。組織の頂
点が変われば組織の流れも変わります、これは家族に現役信者がいる元信者や
未信者としても他人事には出来ない問題です。

記念式の翌日に行われた海老名ベテル敷地内での花見中の事故というのは、
元海老名ベテラーその他、元JW2世達の複数の証言によります。



日本のJWの最高責任者の歴史ですが、1908年に渡米した明石順三氏(『兵役
を拒否した日本人』として有名な人)が1926年にものみの塔本部により日本支
部の監督として任命されて帰国。神戸で「ものみの塔」誌の前身である「燈臺
(とうだい)」誌を創刊します。1927年の初めに日本初の支部事務所が神戸市新
開地に開設され、1927年5月3日ものみの塔本部は明石順三氏に対して「全権委
任状」を発行します。同年9月10日頃に支部事務所は東京に移転し、東京の銀座
(東京市京橋区畳町13番地根本ビルディング3階の一室)に現在の「宗教法人、
ものみの塔聖書冊子協会」の前身である「燈台社」(とうだいしゃ)を設立しま
す。1935年5月になると明石順三氏の住んでいた東京都杉並区荻窪(おぎくぼ)
の木造二階建の家屋に中古の印刷機2台を備えつけた「荻窪ベテル」を作り、
そこが戦前,戦中時代の日本支部になります。(荻窪ベテルの成員20人位)


当時のエホバの証人は「万国聖書研究生」または「エホバの証者」と名乗り、
集会は当時の法令に従い警察官立ち会いの元で行われる街頭集会で、弁士に不
適当な発言があると警察官が「弁士中止!」と言って集会を中止する制限付き
の集会でした。伝道活動は現在と同じようなやりかたで日本語に翻訳された出
版物の有償配布をきっかけに再訪問して信者に導くシステム。伝道者は出版物
の売り上げの半分を収入にして生活する以前の特別開拓者と似たシステムで、
現在と同じように売り上げと時間を報告する奉仕報告制度もあり、伝道者の名
称を「コルポーター」(聖書文書頒布者)後に「パイオニア」(開拓者)と言
い、1938年には112万5,817冊の雑誌が販売されました。


1938年には雑誌や書籍を頒布するコルポーターの数は110人になり、1939年に
なると信者270名、機関紙の読者3,000人まで伸びましたが、その頃、陸軍に徴
兵された信者3人が当時の出版物の指示に忠実に従い、軍隊の重要な儀式であ
る「皇居遥拝」での最敬礼を拒否し、天皇陛下からお預かりした小銃の返納を
申し出たために営倉にぶち込まれ、陸軍刑法の不敬・抗命罪で起訴され軍法会
議で懲役2〜3年の判決を受け、さらにそれまでの燈台社の活動が治安維持法に
触れて、1939年6月21日に特別高等警察(公安警察の前身)と武装警官隊により
全国規模で信者が一斉検挙され、燈台社のメンバー130人が逮捕,投獄されたこ
とによって、戦前から戦時中にかけてのエホバの証人の組織的な活動は事実上
停止しました。投獄中の信者は拷問や厳しい環境により死亡した人もいて、棄
教した信者と棄教しなかった信者が別々に裁判を受けることになります。


日本人最初のエホバの証人2世である明石順三氏の長男,明石真人氏は、1939
年1月10日に20歳で徴兵されて陸軍に入隊して1週間後に「自分はキリスト者
として聖書の"なんじ殺すなかれ"の教えを守りたいので銃器をお返しします」
と申し出て営倉に入れられ、同年6月14日軍法会議の裁判で懲役3年の刑を受
けて東京代々木の陸軍刑務所に収監されました。明石真人氏は1941年11月3日
に陸軍刑務所を出所するにあたり、次のようなエホバの証人2世らしい 手記
を書きます。


『思想月報』八十九号、一九四一年十一月,「元灯台社社員、明石真人の手記」

 自分はこれまでエホバの証者と自称して、国家に対する義務も責任も人間的
な名誉も権利も、現世に生活するということも拒否してきた。しかしながら、
己を現実の世界から隔離させて、自分のみ精神的満足を得ようとするのは、自
己中心の独善主義である。自分はその点にきづかず、聖書信仰という夢の中に
眠っていたのだ。とりわけこの迷夢から自分を目覚めさせたのは、「父順三が
ルサフォード(ものみの塔2代目会長ラザフォード)の説に反対して独自の教
理を案出して居るとの知らせ」であり、それを知った瞬間から灯台社の教義に
対して、もはやなんの魅力も興味も希望も感じなくなってしまったのである。

 元来自分の信仰は「死に対する恐怖とか現社会に対する不満とか人性的煩悩
とか他宗教に対する不満より発したるものではなくて、無智な子供の時代より
父がその信仰的立場から教育した結果有するに至ったもの」である。父を前提
にしての信仰で、決してみずから欲したものではない。その父は聖霊によって
感じたと称して「現日本の国体が崩壊した後神の国は日本に建設される」とい
い「ハルマゲドンは来ないことになった」といっているとのことであるが、聖
書に感じて教義を唱えるなどは、聖書を絶対的なものと認めている灯台社の教
理の基本に背くことではないか。

 それでなくても灯台社の教義には矛盾点がいくつかあるように思う。第一に、
完全なる神が人間が罪を犯すべく想像したというのもおかしくはないか。創世
記の伝説の記録を現世の世に適用するなどぜったいに不可能であろう。第二に、
灯台社は全人類の希望だと称する神の国(ハルマゲドン後の楽園)の具体的構
造を示していない。かりにその教説を信じて、神エホバのまえに歩むものはハ
ルマゲドンの時に神に保証され「神の国」で永遠の生命を与えられるとしても、
現実にこの教義を知るものは数すくない。

注:ハルマゲドン後の楽園で不老不死になる「永遠の生命」の教理は、新人研究生には「夢」として
  詳しく教えず、バプテスマを受けた兄弟姉妹になってから時間が経ち、完全に信用できると判断
  してから詳細に教えていた。(〜1960年代まで)



とくにシベリヤや蒙古、西蔵(チベット)など灯台社が伝道に行ったこともない
方面の住人は、なにも知らずに神に撃滅されてしまうというのか。だとすれば
不公平な神ではないか。また、灯台社はよく"光が変わった”と称してその教
義に変更をくわえていたが、全能の神ならば一度口から出したことに変更をく
わえるはずはない。要するに灯台社の信仰はルサフォードという人間が聖書を
ひねくりまわして都合のいい教義をつくりあげたものによっていたのだ。

このようなものを真面目に信じるなど愚かしいことである。聞くところによる
と父は「光が元のように変わってきた」といって、その信仰に変化を来たして
いるそうであるが、それも以上のような矛盾点を妥当化しようとしたものかも
しれない。しかし、いずれにせよ自分はもはや聖書をもって絶対的なものと認
めることはできなくなった。



明石真人氏が棄教した結果、明石親子は絶縁状態になり、1965年に順三氏が死
ぬまでこの親子が会うことはありませんでした。





その後敗戦になり、1945年10月9日に進駐軍命令により釈放された明石順三氏
は栃木県鹿沼市で燈台社の活動を再開し、1946年8月22日にものみの塔本部は
日本の正式代表として明石順三氏を日本支部の監督として再度認証します。


1946年の秋にものみの塔本部の文書伝道者が鹿沼を訪ね、戦中,戦後の文書類
と援助物資を明石順三氏に引き渡します。情報が来なかった時期のものみの塔
の事情を知った明石順三氏は、戦時中のアメリカ政府に迎合して教理変更した
ものみの塔本部の信仰姿勢に納得せず、1947年7月15日、機関紙「光」にものみ
の塔本部の批判文を掲載し、掲載した批判と直言を書いた質問状をものみの塔
3代目会長 ネイサン・ノア宛に送付します。


明石順三氏がワッチタワー総本部を批判した七ヶ条

燈台社が戦後発行した、機関誌「光」1947年7月15日付「号外3号」

一、少なくとも過去十年間、聖書真理の解明に進歩の跡を認めず。
  (1939年6月21日に逮捕されてから1946年秋に出版物を入手するまで教理を指す)

二、現在に於ける所謂 神権政府樹立と、その国民獲得運動(信者獲得運動)の躍起主張は
  聖書的に一致せず。(過去十年間に変更された教理)

三、所謂「神の国(ハルマゲドン後の楽園で不老不死になる教理)」証言運動の特例方針は
  要するにワッチタワー協会の会員獲得たるに過ぎず。(過去十年間に変更された教理)

四、総本部の指導方針は、忠良なるクリスチャンをして、聖書の明示する唯一標準を外れて
  安価なる自慰的位置に安住せしめたり。

五、その自ら意識すると否とにかかわらず、種々の対人的規約や規則の作成は、せっかく
  主イエスによって真のクリスチャンに与えらえれたる自由を奪い、ワッチタワー総本部
  に対する盲従を彼らの上に強制するの結果を到来せしめつつあり。

六、総本部はワッチタワー信徒に対して、この世との非妥協を教示しつつあるにもかかわらず、
  総本部自身の行動はこの世に対する妥協の実証歴然たるものあり。
  (英語版ものみの塔に掲載された、1946年8月アメリカ,オハイオ州クリーブランドの
  大会で舞台いっぱいに展開された大星条旗の前で、賛美歌や祈りを捧げた写真のこと
  を指し、当時のものみの塔本部が行った国旗崇拝,偶像崇拝行為の事を指す)

七、所謂「ギリアデ神学校(1942年設立)」の建設は、聖書の示す所と絶対に背反逆行せり。
 (今まで学校教育を否定していたくせに突然自分たちの学校を作るのは何事かということ)


1947年8月25日付の明石順三氏の質問状を受け取ったものみの塔本部は、それ
に対して一切の回答をせず、ノア会長の名で明石順三氏を「即刻除名する」と
いう一片の通知状を送付します。これにより1926年から1947年まで21年間続い
たものみの塔協会と燈台社の関係は完全に無縁のものとなり、以後は「ものみ
の塔聖書冊子協会」が新設され、それまでの日本支部を引き継ぎます。

『兵役を拒否した日本人』稲垣真美著 岩波新書
灯台社の周辺とその前後




明石順三氏を除名したノア会長は崩壊した日本支部の再建が急務と考え「ギレ
アデ学校を卒業後、進んで日本へ行く意志のある、ハワイ在住者はいないか」
と日本での宣教のための志願者を募り、1949年にドン・ハズレットとメーブル
・ハズレット夫妻、ジェリー当間とヨシ当間夫妻、桃原真一と桃原正子夫妻と
3人の子供、エルシー谷川氏らが来日し、同年オーストラリアから、エードリ
アン・トムソン氏、パーシー・イズラブとイルマ・イズラブ夫妻、ロイド・バ
リーとメルバ・バリー夫妻など16人の外人宣教師達が神戸に着任します。


戦後のベテルは、東京都港区三田5丁目5番8号の「三田ベテル」(1949年から1962年
までは木造2階建て64坪の日本家屋、1963年に同地を建て換え地下1階,地上6階建て
のビルになる。現在は功績のある宣教者のための老人ホーム)→ 1972年から静岡県
の「沼津ベテル」(静岡県沼津市三本松にあった約1千200坪の土地に3階建ての印刷
工場と5階建ての宿舎、現在は売却されて存在しない)→ 1982年に神奈川県海老名
市の「海老名ベテル」(約2万1千700坪、現在使用中)の順で移動します。


1949年2月に燈台社のメンバー達と外人宣教師達との話し合いが行われ、戦争
のために日米が音信不通になっていた時期に変更になった教理に付いて行けな
い者は日本支部から去ることになります。


燈台社設立時からの主要メンバーで、1930年夏から日本支部で働いた石井マツ
エ姉妹(投獄5年6ヶ月)によると、燈台社のメンバーは、その後少数の人達が明
石順三氏に従い、他は散り散りになり、10人位がエホバの証人として活動を継
続または再開して燈台社は消滅します。
ものみの塔88年5月1日号 21‐25ページ 石井マツエの語った経験

ちなみに私の母親の研究司会者は燈台社あがりの姉妹です。私はその姉妹の名前を忘れて
いたんだけど、オフ会で何人かに聞かれて、その姉妹がいた会衆の名前や当時の仕事、戦
前の荻窪ベテルで和裁の仕事をしていたこと、戦後は刑務所に面会に行って囚人と聖書研
究をしたエピソードとかを説明すると、全員が「あの石井マツエ姉妹ですね」と言うから
たぶんその人かもです。上記の石井マツエ姉妹の燈台社時代の証言は子供の頃に本人から
何回も聞かされた話しなので、やっぱあの人は石井マツエ姉妹本人なんだろうなぁ。
(そう言われてみれば確かに「石井」って名前の姉妹だったなって記憶しかないです)

当時母親が研究生で石井姉妹が研究司会者として聖書研究をしている時、私はその横で正
座しながらずーっと話を聞いているんだけど、2人が何を喋っているのか子供の私には理
解不能だから退屈で退屈でしかたがないわけです。あまりにも退屈だから余計な事を考え
ているうちにいろいろと疑問が出てきて、休憩時間になると石井姉妹が「今の話しわかっ
た?」って聞いてくるので私が余計な事をいろいろ聞くわけです。

(人間は死んだ後どうなるかとか、楽園で人間は何歳で生きるのかとか、楽園で復活する
順番とか、楽園での復興作業とか、復活した後で棄教したらどうなるかとか、楽園に行っ
てから1000年続く試練の詳細など、当時の新人信者には絶対教えない秘密の教理)

そうすると石井姉妹が「うーん・・・教えてあげるけど、この事は他の人に言ったら絶対
駄目だからね、お婆ちゃんと約束する?」「うん約束する、絶対誰にも言わない」「それ
はね・・・」って教えてくるんですが、当時の私は子供だから説明されても理解できない
ので、その話題を元小学校教師の母親がすかさず全部横取りし、石井姉妹から根ほり葉ほ
り徹底的に聞き出し、それを繰り返す事で戦前の燈台社時代から続くJWの隠された教理
を全部マスターした私の母親が、その後でしつこく、それはもううんざりするほどしつこ
く私に説明してくれたので、自分が大人になってから「あぁ、あれはそういう意味だった
のか」って理解出来たJWの隠された教理がかなりありました。

てことで私が石井姉妹と母親から教わったのは戦前からの「荻窪ベテル」直系の教えって
ことになります。私が普通の信者が知らないはずの教理をごくあたり前のように知ってい
るのはそのせいなのかもしれないですね。




そして1951年5月1日、"WATCH TOWER"の日本語版「ものみの塔」が復刊します。
長く日本支部の監督を勤めたニュージーランド人ロイド・バリー氏は1949年に
来日し、1952年に日本支部の監督に就任してから1975年のハルマゲドン預言ま
での間に日本のJW信者を増やした功績で、1975年2月に統治体メンバーとな
り、1999年7月2日にハワイの国際大会で演壇に移動中に階段から転落し、頭部
を強打して亡くなりました。 統治体メンバー、ロイド・バリー、大会講演中に死去す


そのため支部の監督の仕事を本間年雄氏が引継ぎ、1976年2月に支部の監督の
役割は合議制に変更されたために、本間年男氏は支部委員会の調整者となり、
1983年に家族の事情で支部委員の調整者を降りてただの支部委員となりました
が、2002年に排斥されてしまいます。(元2世達の話によると既に復帰したとのこと)
本間年雄氏の排斥について



同時に1976年2月に織田正太郎、池畑重雄、田中祺一郎、ジェームズ・マンツ
氏らが初代支部委員に任命されます。それ以降,期間はそれぞれ異なるものの
支部委員に任命されたのは,藤本亮介,パーシー・イズラブ,杉浦勇,長崎義
弘,中島 誠,三村健次,リチャード・ベイリー氏らがいます。


そして1983年1月に日本のJWの最高責任者である支部委員会の調整者として
織田正太郎氏が任命され、2004年4月7日、記念式の翌日に海老名ベテルの敷地
内で花見が行われ、花見中に桜の写真を撮ろうとして梯子をかけて登ったとこ
ろ、梯子から転落し、頭部を強打して亡くなりました。
日本支部コーディネーターの織田正太郎氏の事故死


ロイド・バリー氏と織田正太郎氏が死亡した事故原因がまったく同じなため、
エホバ神のご意志でも働いたのかと疑いたくなります。


ということで新しい支部委員会の調整者は誰なのか、それを調べるために法務
局で履歴事項全部証明書という書類を入れた人がいて、日本のJWの最高責任者
の名前を確認しました。履歴事項全部証明書というのは法人の登記簿謄本に準
じる物で、法人組織の資本金を証明するために法務局が発行する証明書です。



注:下線部分は抹消したという意味




注:下線部分は抹消したという意味









見ればおわかりのように、支部委員会の調整者、織田正太郎氏が平成16年4
月7日に亡くなり、4月16日に新しい支部委員会の調整者として池畑重雄氏
が就任しました。池畑重雄氏の詳しいプロフィールは出版物に載っていません。





ところでこの履歴事項全部証明書を見ると興味深い事がわかります。それは日
本支部の基本財産の金額がわかるからです。基本財産とは会社の資本金に相当
するもので、これに寄付によって流れ込む流動資金がプラスされるわけですが、
日本のJW信者が長年に渡って真面目に寄付し続けた結果、日本支部がとっても
お金持ちなことがよくわかります。海老名ベテルで働く職員の給料(寄付の割
り戻し金)が月に2万円って言うぐらいですから、億単位のお金がこれだけの
短期間で貯まるのも当たり前かもしれません。


平成7年(1995)以前  224億3441万6795円

平成7年(1995)    121億9515万6695円

平成11年(1999)   151億7389万1406円

平成12年(2000)   186億7340万8416円

平成13年(2001)   192億7992万634円


ところが1995年に102億3726万0100円という大金が消えていま
す。これをどう読むべきなのか? バブルで地代が下がって消えたとか、当時
支部委員だった本間年男氏の株取引で消えたとか、世界本部の指示で海外送金
で消えたとか、いろいろな噂があるわけですが、その詳細は末端信者には一切
知らされていません。


本間氏は、大変事業に熱心であり、日本支部の資金を投資に回して運用して
いたそうです。その説によると本間氏は野村證券と密接な関係にあり、一時
は寄付で集まった協会の大量の資金を株式投資に回して利益をあげていたそ
うですが、株価の暴落と共に協会の日本支部に対して多額の損失をもたらし
たと言うことです。情報ソース:JWIC  本間年雄氏の排斥について



ものみの塔組織は会衆単位の会計報告は厳格にやっていますので、会衆の金の
動きを末端信者はよく理解しています。しかし日本支部単位、世界本部単位で
金をどうやっているのか、そういった会計報告はありませんので、金の動きの
詳細はまったくわかりません。


宗教法人法,第23条 (財産処分等の公告)
宗教法人(宗教団体を包括する宗教法人を除く。)は、[下]に掲げる行為をしよう
とするときは、規則で定めるところ(規則に別段の定がないときは、第19条の規定)
による外、その行為の少くとも1月前に、信者その他の利害関係人に対し、その
行為の要旨を示してその旨を公告しなければならない。


但し、第3号から第5号までに掲げる行為が緊急の必要に基くものであり、
又は軽微のものである場合及び第5号に掲げる行為が一時の期間に係るもの
である場合は、この限りでない。

1.不動産又は財産目録に掲げる宝物を処分し、又は担保に供すること。
2.借入(当該会計年度内の収入で償還する一時の借入を除く。)又は保証をすること。
3.主要な境内建物の新築、改築、増築、移築、除却又は著しい模様替をすること。
4.境内地の著しい模様替をすること。
5.主要な境内建物の用途若しくは境内地の用途を変更し、又はこれらを当該宗教法人の
  第2条に規定する目的以外の目的のために供すること。



信者の寄付した貴重なお金、特に未信者の旦那が汗水垂らして稼いで信者の奥
さんが寄付したお金の行き先はいったいどうなってるんでしょう?




もし、ものみの塔統治体と世界本部の指示で日本支部のお金が海外送金に消え
ているとしたら、それは日本国民が汗水垂らして稼いだ貴重な財産が、国民感
情として納得の行かない形で海外に流出しているわけですので、海外不正送金
疑惑として外為法違反の疑いで公安当局(公安警察、公安調査庁)の捜査対象
にされても不思議はありません。


そのせいなのか、日本支部から日本全国の長老団にこういう指示が出ています。














「個人のプライバシーに関する情報と仲間の兄弟や会衆全体の権益に不利な影
響を及ぼすと思われる事柄」は、仲間に対する愛ゆえに漏らしません。

わたしたちは、「外部の人に対しつねに知恵をもって」接し、「蛇のように用
心深く……ありなさい」という忠告に従います。(コロサイ4:5 マタイ10:16)


これはものみの塔の教える神権的戦術理論そのものです。日本支部は日本全国
の会衆の長老団に対して、必要があれば日本の官憲を神権的戦術を使って騙せ
と命令しているわけです。


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ものみの塔 1960年8月1日号298ページ「読者からの質問」

「特定な状況によっては、クリスチャンが真実の事を語らねばならぬという義
務に例外が設けられていますか、という質問の手紙が協会に時折り送られてき
ます。その質問に対する答えをいたします」(中略)

クリスチャンが常に留意しなければならぬ一つの例外があります。キリストの
兵士であるクリスチャンは、神権的な戦争を行っています。それで、神の敵
に接する際は、いっそうの注意を払わねばなりません。聖書の示すところによ
ると、神の側の益を守るために神の敵から真実を隠すことは適当です。このこ
とについての聖書的な一例は、娼婦ラハブの例です。彼女は、イスラエル人の
神エホバを信じていたのでイスラエル人の間諜をかくしました。彼女は、その
行いと言葉によってこのことをいたしました。エホバがその行いを是認された
ことは、ヤコブが彼女の信仰を誉めている事からわかります−ヨシュア2:4,
5。ヤコブ2:25

このことは、1956年5月15日号の「ものみの塔」内に説明されているご
とく戦術」ということであり、また、狼の中にいて蛇のごとく用心深く
しなければならぬという
イエスの助言とも一致するものです。クリスチャン
が証言台に立って真実を語ると宣誓させられる場合、発言するならそれは真実
のものでなければなりません。発言して兄弟たちを裏切るか、あるいは発言し
ないで法廷侮辱罪を受けるか、そのどちらかを選ばねばならないとき、円熟し
クリスチャンは自分の福祉よりも兄弟たちの福祉の方を重んじます。イエス
の次の言葉を記憶しているからです「人がその友のために自分の命を捨てさる
こと、これよりも大きな愛はない」−マタイ10:16

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ものみの塔1957年6月1日号 213ページ

■ものみの塔組織が末端信者に情報を教えない根拠
「兄弟の知りたいと思うことは兄弟に関係するものではない、
ということを巧みに告げます」


【要約】
1)ものみの塔の布教活動は世の中に対する神権的な戦争である。
  だから戦争相手である世の中には不利な情報を教えない。
2)戦闘する兵士は組織の命令に忠実に従い上官に命令された事だけやれば良い。
3)もし兵士が戦闘で捕虜になったり裏切った時は、余計な情報を知らない方が
  本人のためであるし、組織のためになる。だから余計な情報を知ろうとするな。
4)キリストの兵士である末端信者は目的が達成されるその日まで、
  余計な事を考えず命令された通りに布教活動に邁進しろ。

ということ









JW信者を経験した人であれば、エホバの証人とは非暴力主義であり、ものみ
の塔の教理の構造上、オウム真理教のようにサリンを撒く集団にならない事は
明かです。なのに何故ここまで官憲を恐れるのか? 戦時中の燈台社の時代に
特別高等警察から弾圧を受けたからなのか? 


しかし、現在の日本は戦争中の治安維持法の時代と異なり民主主義の国です。
言論の自由と信教の自由は憲法で保証されています。さらに憲法第9条によっ
て国の防衛を受け持つ自衛隊は志願制ですので徴兵による兵役義務はありませ
ん。なので日本支部による公安当局対策のための神権的戦術の具体的な指示は
反社会的行為になります。


となると、官憲や末端信者に知られたくないような反社会的行為をものみの塔
組織がやっているからこそ公安当局が捜査しているのであり、ものみの塔組織
はそれに対応するべく神権的戦術を使った組織防衛をしていると思われて当然
でしょう、100億以上の金が消えてるのに信者に対して詳細な説明は無いん
ですからね。


現時点での真相は闇の中です。












【専門家による海老名ベテルの検証】


宗教法人ものみの塔聖書冊子協会、日本支部所在地、海老名ベテルの概算査定


所有者:ものみの塔聖書冊子協会
土地合計:2万1698.96坪
建築時期:昭和57年1月新築(その他、数次の増築あり)
これ以外に13練の付属建物登記あり


土地概算査定額   64億2002万円(周辺駐車場は含まず)
建物概算査定額   41億9441万円(但し、主たる建物等2練のみ)
――――――――――――――――――――――――
概算査定合計   106億1443万円








































■宗教法人法第25条
財産目録等の作成、備付け、閲覧及び提出

第25条
宗教法人は、その設立(合併に因る設立を含む。)の時に財産目録を、
毎会計年度終了後3月以内に財産目録及び収支計算書を作成しなければならない。

2 宗教法人の事務所には、常に次に掲げる書類及び帳簿を備えなければならない。
1.規則及び認証書
2.役員名簿
3.財産目録及び収支計算書並びに貸借対照表を作成している場合には貸借対照表
4.境内建物(財産目録に記載されているものを除く。)に関する書類
5.責任役員その他規則で定める機関の議事に関する書類及び事務処理簿
6.第6条の規定による事業を行う場合には、その事業に関する書類

3 宗教法人は、信者その他の利害関係人であつて前項の規定により当該宗教法人
の事務所に備えられた同項各号に掲げる書類又は帳簿を閲覧することについて正当
な利益があり、かつ、その閲覧の請求が不当な目的によるものでないと認められる
者から請求があつたときは、これを閲覧させなければならない。

宗教法人法



■平成16年2月19日付15庁文第340号文化庁次長通知

宗教法人法に係る都道府県の法定受託事務に係る処理基準について

2 情報公開条例等に基づき法第25条第4項の規定により宗教法人から提出され
た書類の開示請求があった場合の取扱いについては、当該書類が宗教法人の内
部情報であり、法第25条第3項に規定する閲覧請求権者が、閲覧することにつ
いて正当な利益があり、かつ、不当な目的をもたない信者その他の利害関係人
に限定されている趣旨及び法第25条第5項の規定を踏まえると、当該情報の開
示により当該宗教法人及びその関係者の信教の自由が害されるおそれがあるこ
とから、登記事項等の公知の事項を除き、原則として不開示の取扱いとするこ
と。

文化庁通知(抜粋)







2004/08/22公開


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