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この論文は、北海道大学大学院文学研究科の猪瀬優理(いのせ-ゆり)さん
という若い女性が書いた論文で、2002年6月発行の学術雑誌『宗教と社会』
第8号(「宗教と社会」学会発行)に掲載された論文です。


猪瀬優理さんが元JW信者達の実体調査を始めた時期が、たまたま私が大野教
会に遊びに通っていた時期と重なっていたため、大野教会の教会員の方に猪瀬
さんの取材に応じてくれないかと頼まれて、「ほいほい、いいですよーん」と
気楽に応じて、都内で4時間ほど猪瀬さんに自分の経験を喋りまくりました。


そんなご縁で猪瀬さんと知り合いになり、私の知っている元2世達を紹介して
ました。また私以外にも様々なルートから紹介された元JW信者達に会うため
に猪瀬さんは遠方まで出張して、たくさんの元JW達に直接会って取材を重ね、
時間をかけて完成した論文です。


論文の完成を楽しみにしていたんですが、論文が完成したら今度は学術雑誌に
掲載されるということでしたので、論文が完成してから公開するまで縛りがあ
ったのですが、『宗教と社会』第8号に無事論文が掲載されましたので、猪瀬
さんの許可を取り、こちらでも論文を公開します。




注:論文の文章は改行が少ないので、読みやすくするために改行を増やしてあります。

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【脱会プロセスとその後−ものみの塔聖書冊子協会の脱会者を事例に】について


                 北海道大学大学院文学研究科 猪瀬優理
                      inose@let.hokudai.ac.jp


はじめに

本サイトにおいて私の論文を掲載してくださることに心より感謝をします。こ
のように本論文が広く公開されることによって、より多くの方が本論文に目を
通し、忌憚ないご意見・ご批判をいただける可能性が開かれたことは誠に喜ば
しいことです。本論文を公開していただくにあたり、紹介文を書かせていただ
けるチャンスをいただいたことにもまた感謝したいと思います。本論文を読む
際の助けとしていただければ幸いです。


1 この論文の成り立ち

本論文の前身となっている発表として、2000年11月に広島国際大学で開かれた
第73回日本社会学会学術大会での自由報告「脱会過程における外部情報の影響
−インターネット情報の利用」および2001年6月に慶應義塾大学で開かれた第
9回「宗教と社会」学会学術大会での自由報告「脱会の条件−脱会カウンセリン
グと自発的脱会」があります。前者の発表では、「宗教集団から脱会した人々」
あるいは「脱会しようとしている人々」の間でもインターネットが重要な機能
を果たしつつあることに焦点を当てています。


宗教集団からの脱会と一言いっても自発的な脱会者ばかりではありません。皆
さんもご存知のとおり、本論文が対象としているものみの塔聖書冊子協会は脱
会カウンセリングの対象とされている教団のうちのひとつです。脱会に関する
既存研究では、自発的脱会者よりも先に脱会カウンセリング経験者の問題が研
究として取り上げられてきたという経緯があります。そのため脱会の仕方によ
ってどのような違いがあるのかということが研究課題として設定されてきまし
た。


後者の発表は、自発的脱会者と脱会カウンセリング経験者の違いを脱会の際に
利用した情報源・人的ネットワークという点に着目して分析したものです。本
論文はこの発表を基にして書きあげたものですが、脱会カウンセリング経験者
についての記述は省き、自発的脱会者の中の一世信者と二世信者との脱会後の
状況の違いについて議論しています。


この論文は投稿論文として査読を受け、修正を加えた後、2002年6月発行の学
術雑誌『宗教と社会』第8号(「宗教と社会」学会発行)に論文として掲載さ
れました。


論文の冒頭にも書きましたように宗教集団からの脱会に関する研究はあまり多
くはなく、この論文のようにつたないものであっても、脱会に関する研究にた
いして発表の機会が与えられたことは特筆すべきことであると思います。


私のこの小さな論文が、今後もっと多くの目がこの問題に向けられるきっかけ
となればと思います。


2 どのような目的・立場で調査・執筆しているか

私が研究としてものみの塔聖書冊子協会からの脱会の問題に取り組むきっかけ
となったのは、エホバの証人の子どもとして育ち、この協会から離れた経験を
持つ二世信者の方々との出会いです。私は大学院における中心的な研究課題と
して、親子の間で信仰が継承されていくメカニズムについて関心を持っており
ます。しかし、エホバの証人の二世信者の方々に出会うまでは、親からの信仰
を受け継いだ場合のほうにのみ関心が向いており、親の信仰を受け入れられな
い事態が生じてくるということについては十分に認識できておりませんでした。


そんな中、実際に親の信仰を受け入れられず離れたものの、その信念体系の影
響をいまだに強く受けている、あるいは信仰を続けている親との関係に悩んで
いるといった問題を抱え、それを語ってくださる方々に出会ったことによって、
自分の視野の狭さに気がつかされました。とても幸運な感謝すべき出会いであ
ったと思います。


その出会いがあるまでは、私自身も私の親も、それ以外の私に近いところにい
る人々の中にも、ものみの塔聖書冊子協会の信者はおらず、信者であった人も
ありません。その意味では、ものみの塔聖書冊子協会からの脱会という問題、
あるいはエホバの証人の二世信者という問題に関して、私は第三者の立場にあ
ります。しかし、私が研究する上での立場は、ものみの塔聖書冊子協会から脱
会した人と協会の側という二つに分ければ当然インタビューを直接させていた
だいた脱会した人の側にスタンスをとっています。


ただし、ものみの塔聖書冊子協会の持つ組織上の問題点に対しては批判的な見
方を持っていますが、一人一人のエホバの証人の方々を批判しようとは思って
いません(現役のエホバの証人の方とも多少交流しており、彼らは大変真面目に
信仰に向かっている人々だと感じています)。この点については、当事者として
の問題は抱えていないがゆえに脱会や二世信者問題に対する認識に甘さが生じ
る可能性があると同時に、ある程度距離を置いた見方を持てる可能性もあるの
ではないかと考えています。


いずれにしても研究の出発点は、すでに脱会してしまった方、あるいはこれか
ら教団を離れようとしている方、特に二世信者の方々が抱えている困難、問題
に対して、遠回りでも何かの助けとなればとの思いから始まっていることを明
記したいと思います。本論文もそのような意図、立場から書かれたものです。


4 今後の課題と方向性

今後もものみの塔聖書冊子協会を事例として、脱会の問題、特に二世信者の問
題に関して研究を続けていきたいと考えています。先にも述べたように、研究
の根底には、あまり社会的・学術的な関心が集まりにくかった脱会の問題(特
にその中でも二世信者の問題は認識され始めたばかりといえると思います)に
取り組むことによって、当の脱会者の方々が抱えている困難や問題を解決する
一助となりたいという目的、思いがあります。


しかしながら、本論文を読んでいただければわかるように、まだまだ研究は端
緒についたばかりです。今後は、本論文で中心的に議論し切れなかった二世信
者の問題についてより多角的・多面的な分析・考察を進め、皆様のお役に立て
るような調査研究を行ないたいと考えています。どのようなことができるかわ
かりませんが、皆様からたくさんのご意見・ご批判がいただけることが今後の
研究を進める原動力となります。よろしくお願いいたします。





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「教団離脱過程の諸類型−ものみの塔聖書冊子協会の脱会者を事例に」

1 問題の所在


1-1入信・脱会研究のアプローチ

「1-2組織的離脱」1-3と「1-4認知的離脱」1-5

1970年代から1980年代にかけて、宗教集団へ入信するプロセスや条件等に焦点
を当てた研究が多数蓄積された。しかし、相対的に脱会に関する研究は少なか
った。日本においても、脱会についての研究はこれまでなかった。そこで、本
稿では、特に脱会のプロセスに着目して考察する。事例対象はものみの塔聖書
冊子協会(以下、協会)からの脱会者39名である。


脱会の操作概念化について、(1)感情的離脱(disaffection)、(2)認知的離脱
(disillusionment)、(3)社会組織的離脱(disaffiliation)の三要素に分ける必
要性が指摘されている[Wright and Ebaugh 1993:119-120]。


感情的離脱とは、教団の人間関係に愛情不足を感じて感情的に距離を置く状態。
認知的離脱とは、教団の解釈枠組みへの不信であり他の代替的な解釈枠組みを
必要とする状態。組織的離脱とは、教団の組織活動への参加から離れることで
ある。


前掲論文では、前二者は脱会を導かない場合もあるが、組織的離脱は少なくと
も脱会した状態として、ここに至るまでの離脱促進要因の分析の必要性を主張
する。


組織的離脱は確かに客観的に脱会したことがわかりやすいが、Rothbaum[1988]
の指摘のように、たとえ組織的離脱をしていても脱会者が教団と外部との間で
揺れ動いていることに注意する必要がある。教団活動から離れていても、感情
的・認知的に離脱しているとは限らない。


本稿では、これら三つの離脱状態のうち特に後二者に特に着目する。そこで、
脱会プロセスの完成を「組織活動参加の全面停止、教団の提示する解釈枠組み
の採用を放棄した上で、脱会したことを正当化できる自己認識をある程度獲得
した状態」と定義する。


本稿では、自発的脱会者と脱会カウンセリング経験者がたどる脱会過程の比較
を通して組織的離脱と認知的離脱が生じる順序の影響について検討する。


脱会過程の違いの比較を行っている先行研究では、脱会カウンセリング経験者
と自発的脱会者が用いる脱会の説明枠組みに違いがあるという指摘[Solomon
1981; Wright 1984]、自発的脱会者の教団に対する感情が、肯定的な評価とも
に否定的な評価も持っており、アンビバレントであるという指摘[Wright 1984;
Rothbaum 1988]などの知見がある。


これらの比較は、前に所属していた宗教集団への態度・評価が脱会方法によっ
て異なることを主に議論していた。本稿では、教団への評価よりも脱会過程の
違い自体に着目して分析を行う。本稿では、これら二つのカテゴリーの違いに
ついて、評価の仕方ではなく、脱会過程が脱会者の自己認識の形成に与える影
響について議論を加えたい。


「1-6 教団外部からの情報」「1-7教団外部との人間関係」1-8への着目

脱会を扱った先行研究で使用された分析枠組みとして、(1)役割理論、(2)因果
プロセスモデル、(3)社会運動モデル[Wright and Ebaugh 1993:123-133]の
3つがあげられている。ここでは、因果的プロセスモデルを用いたいくつかの
研究を参考に、分析で着目すべき変数を検討する。


入信プロセス理論の発展に寄与したロフランド−スターク(L-S)モデル
[Lofrand and Stark,1965: 864-874]は、脱会プロセスモデルにも影響を与
えている。


(1)持続的な緊張、(2)宗教的パースペクティブによる解釈傾向、(3)宗教的な
探求行為、(4)人生の転機での宗教との出会い、(5)信者との絆の強化、(6)一
般社会との絆の弱化、(7)宗教との集中的な相互接触、という7つの条件の有
無によって入信するか否かが決まるとするモデルである。この中でも、(5)、
(7)の教団内の信者との結びつきや相互作用という条件が、その後の研究で支
持されている。


脱会プロセスに着目した研究では、Wright[1984:176]が、自発的脱会者の脱
会の要因として、教団内の人間関係の強弱と、教団の教理との親和性に着目し、
脱会を促す4つの条件を提示している。第一に、宗教集団外の社会との結びつ
きの回復、第二に、共同体内で親密な人間関係(対関係)が規制されない、
第三に、世界を変革できないことを認識する、第四に、指導者の行動と理念の
間の矛盾に気づくことである。


また、Jacobs[1989:126-132]もカリスマ的リーダーとの人間関係の強弱に着
目にして、ステージ1、宗教集団との結びつきの切断、ステージ2、カリスマ
的リーダーとの結びつきの切断、ステージ3、運動からの総合的な分離と社会
的リアリティの再定義、という3つのステージを設定している。これらは、両
方とも教団内外の人間関係の強弱に着目した議論であり、特に教団内の人間関
係、特に指導者との関係の重要性が確認されている。


また、組織から離脱した後に重要になる問題として、Jacobs[1989]がステー
ジ3に設定する「社会的リアリティの再定義」が挙げられる。教団から完全に
離脱するには、離脱後の自己認識を肯定的に解釈する必要がある。その際、教
団の提示する解釈枠組みを相対化し、新たな社会的リアリティを定義するため
の情報が外部から導入される必要がある。このとき、外部の人的サポートがあ
ればその情報や解釈枠組みの採用を促進する効果を持つだろう。


入信を念頭においたL-Sモデルにおいて教団内の人間関係が重要とされたのと
対照的に、脱会プロセスにおいては教団外の人間関係により着目する必要があ
る。外部との人間関係は「組織的離脱」と「認知的離脱」の両方を促進するき
っかけとなる可能性を持っている。そこで、本稿では、新たな自己認識の形成
のために利用できる解釈枠組みの受容・拒絶を選択するための決定要因として、
教団内外の人間関係の強弱と教団内外の情報に着目する。


特に本稿では、これまであまり注目されてこなかった「教団外からの情報」お
よびその採用に与える「教団外部の人間関係」の影響について焦点を当てて分
析する。


2 事例について

2-1対象者と得られた事例について

本研究の協力者は、全員が以前に何らかの形で協会の宗教的活動に参加した経
験があり、その後宗教活動を行うことをやめ、その教理に重要な価値を持たな
くなっている人である。脱会カウンセリング経験者が15名、自発的脱会者が24
名である。脱会カウンセリング経験者は、これらの関係者の紹介から得た(15名)。


自発的脱会者でも脱会前後に脱会カウンセリングをしている牧師等から援助を
受けた方々は関係者の紹介から得た(6名)。それ以外の自発的脱会者は、イン
ターネットで形成された元協会関係者のネットワークを通じて得た(18名)。自
発的脱会者のうち、一世信者は7名、二世信者は17名であった。


自由面接による一人1時間〜5時間ほどのインタビュー等から得た事例である。
対象者の教団参加年数は、数ヶ月から数十年と幅広く、メンバーシップのあり
方も一律ではない。年齢も20〜60歳代まで幅広い。脱会カウンセリング経験者
は、主に既婚女性。自発的脱会者でインターネットを通じて得られた対象者は
20、30歳代の二世信者の男性が多い。



表:対象者の属性
1世(22名)、2世(17名)
  1世女性1世男性2世女性2世男性小計
20歳代113611
30歳代41049
40歳代902213
50歳代41005
60歳代10001
合計19351239
ネット利用 有−無 6−131−25−012−024−15
脱会カウンセリング 有−無 14−51−20−50−1215−24
キリスト教信仰 有−無 17−23−00−51−1121−18
組織的脱会の順番 先−後 1−182−13−210−316−23
家族信者の存在 有−無 1−180−34−18−413−26
精神的疾患の兆候 有−無 1−181−25−08−415−24
バプテスマ 有−無 17−23−00−51−1121−18




2-2ものみの塔聖書冊子協会の教理と組織活動

1879年、アメリカ合衆国において組織の成立。活動信者数は全世界で590万人
強、日本では、約22万人である(2001年現在)。教理は、聖書に基づくが、雑
誌『ものみの塔』など協会独自の出版物の学習が重要視される。


この点に関し、一部のキリスト教会関係者から異議を唱える運動が起こされて
おり、その一部が脱会カウンセリング活動などを行っている。教理内容には、
一部社会問題を引き起こす側面もありたびたび話題となる(輸血拒否等)。


教理を遵守しようとする傾向が強く、この点に関しては信者の子ども(二世信
者)に対しても適用される。活動内容は、週に3回の「王国会館」の集会への
出席、年に3回の大会参加、伝道奉仕(冊子の配布)、聖書研究(協会出版物
の勉強)などである。基本的な活動単位は会衆と呼ばれる地域組織であり、会
衆には数名の長老と呼ばれる指導的立場の男性がいる。役職はすべて男性のみ
が就任する(女性はなれない)。組織構造は、統治体と呼ばれる本部(ニュー
ヨーク)の指導者を頂点とするヒエラルキーに基づく。


2-3回顧的語りの問題

入信・脱会研究の際事例として得られる入信・脱会者の回顧的語りには、本人
の現時点の立場などからのバイアスが加わっており、事実として認められない
という問題がある。対象者の語りを事例とする場合は、どの時点で取られたと
しても、「事実」そのものではなく常にバイアスを含んでいることを前提とし
なければならない。


本稿では、脱会者本人が自分の脱会を受容できているか、新たな「社会的リア
リティ」を再定義出来ているかに脱会の完了をみている。従って、問題となる
のは客観的事実としての脱会過程ではなく、脱会者本人が認識している脱会過
程によって、採用する解釈枠組みや自己認識が異なるということである。本稿
ではこのような認識に基づき、事例分析を行う。


3 事例分析−自発的脱会者と脱会カウンセリング経験者との比較を中心に

3-1 脱会のプロセスの概略図

事例分析ではまず39名の脱会プロセスを簡略化した形で図として表す。脱会を
構成する要素は、1-1で取り上げた「感情的離脱」、「認知的離脱」、「組織
的離脱」の三つに絞る。このうち「感情的離脱」はすべての事例には適用して
いない。


感情面での教団との距離は脱会の重要な要素だがその表明には個人差が大きい
ため、本稿では、本人の説明の上で感情的離脱がなければ「教団外情報」入手
などの現象が生じなかったとされている時のみ、「感情的離脱」の段階を含め
た。「認知的離脱」も、感情的離脱と同様に明確に抽出することや基準を設け
ることは困難である。


本稿では、ある程度安定した形で「教理の影響を感じなくなった」、行為ルー
ルとしての協会基準の影響がなくなったと本人が認識した時点を「認知的離脱」
が生じた段階として分析した。「組織的離脱」も実はそれほど明確ではない。
宗教的活動から全面的に離脱する場合と一部のみ離脱する場合があり、また一
度離脱しても戻る事例がある。


しかし、図では簡略化した脱会プロセスを示すことが目的なため、事例には組
織的離脱を繰り返しては戻るという経過をたどっている事例もあったが、ここ
ではインタビューに応じる直前の組織的離脱の状況に絞った。本稿では宗教的
活動の全面的停止が完了したとの本人の認識をもって「組織的離脱」とした。


このほか図には、「教団外情報」、「教団外人間関係」要因(1-2参照)に加え
て、脱会促進要因として「教団内葛藤」要因を含めた。「教団外情報」は、教
団に関する教団外からの情報の入手・提供を本人が受容した時、「教団外人間
関係」は、教団外の人間関係の形成が組織的離脱や認知的離脱に影響を与えた
時、「教団内葛藤」は、教団内の人間関係での表面的なコンフリクトの発生が
脱会の促進要因となったと本人が認識する場合に図に含めた。







3-2「組織的離脱」と「認知的離脱」の順番とその影響
脱会カウンセリング経験者15名は全員「教団外情報」を「教団外人間関係」か
ら与えられ、それによって「認知的離脱」後に「組織的離脱」するという順序
が共通している。脱会カウンセリングは信者に脱会を求めて行われるものなの
で共通の経路をたどるのは当然である。成功すれば、スムーズに脱会という事
実を受け止めて新たな「社会的リアリティの再定義」を行う方向へ向かいやす
い。


「2,3日は組織が正しいと思っていたが、次第に疑いの気持ちが出てきた。
牧師の話を聞くには抵抗があったが、聞けたら本当かなと確信して楽な気持ち
に。周りの人がサタンに見えたのもなくなった。保護説得後すぐにキリスト教
信仰を持とうと思った(事例F)」


「はじめはわめきちらしたが次第に資料を見る気になった。見せられると、人
間の命を軽く見ている組織だなと思い始めた。信じて死んだり、子どもを生ま
なかったり、結婚しなかった人がたくさんいる。腹が立って、こんな組織には
ついていけない、他の人にも話したいと思った。聖書の言葉は知りたかったの
で、出た後によい教会を探した(事例k)」


脱会カウンセラーの多くが牧師であることも影響があるが、協会の教理は聖書
を基盤としたものなので、脱会後、新たな信仰として他のキリスト教の信仰を
持つ事例が多い(15名)。新たな信仰を持つことは、新しい解釈枠組みを採用し
たということであり、自分自身の「社会的リアリティの再定義」もそれに沿っ
て行われる可能性が高い。


自発的脱会者は、一世信者と二世信者を分けて事例分析を行う(図を参照)。
まず、一世信者の自発的脱会者で「認知的離脱」が先に起こった事例は4例
((T),(V),(Z),(\))、「組織的離脱」が先に起こった事例は3例((X),
(Y)2例)であった。


(T)の事例は、研究生をしていた息子から組織のおかしさを指摘され、脱会を
決めた(事例j)。組織的離脱後、特に精神的に不安定になったりすることはな
いと述べている。


(V)の事例1例は、外部情報を得たことで脱会へのためらいが吹っ切れている。
「信者との間にトラブルがあって、その人や調停役の長老の対応がロボットの
ように感じた。けれど、自分でもここまでやったのだからもう戻れない。今や
めたらばからしいと何度も思った。やっとのことでエホバの証人の問題に取り
組んでいる牧師に電話して、そのおかげで早く出られた。本やカセットやビデ
オをもって来てくれて、最初は夢中で読んだ。信じられない気持ちだったが、
それで解決できた(事例L)」


(\)の事例は、仲間獲得のためインターネットを活用した。特定の信仰は持っ
ていない。


「子どもへのしつけがあまりにきついので、かわいそうになった。やめるため
仲間を捜そうとネットで検索してみたらメーリングリストを発見した。やめた
理由などが読めて、仲間もできた。教団についての情報をサイトから得て、組
織は信用できなくなった(事例d)」


(Z)の事例は、認知的離脱を自分自身の組織内の観察によって達成している。
組織的離脱には教団外の援助を得たが、本格的に情報収集や人間関係形成は、
組織的離脱後である。


「バプテスマを受けた後、自分を立派に見せたいという傾向が強く本音を言っ
てはいけない組織だと見えてきた。信仰ってこういうのじゃないと。ある時、
注解(集会内で手を挙げて質問に答えること)はしないと決め、観察するように
なった。集会で長老が会衆を監視している、神の組織じゃないことがわかり、
出なければならないと決めた。他のやめた人がどうしているか知りたくて、相
談する当てを探し、宗教に関心のある弁護士に断絶届を書いてもらった。組織
から離れた後に、改めて組織についての情報を集め、自分で想像していた以上
の組織だとわった。やめた人のグループも紹介してもらった(事例m)」


認知的離脱が先に生じてからの組織的離脱は、脱会を肯定的に受け止める自己
認識が形成されやすく、その後の精神的問題などは比較的生じにくいか、軽く
なるようである。


次に「組織的離脱」が先に起こった事例についてみていく。(X)の事例が1例
あった。


「バプテスマを受けた後やる気を無くした。組織で禁止されている大学受験な
どが原因で集会に出なくなり信仰を離れた。むなしさを感じるため、聖書を学
びたいが教会に行っても満たされない状態だった。ある時ネットで「エホバ」
を検索したら、近くの教会が問題に取り組んでいることがわかり、うれしくな
ってすぐに電話して会いに行った。聖書の勉強を始めたが、協会の教えが染み
ついてはじめは理解できなかったのが、理解できるようになり、受洗したいと
思った。過去の組織での活動を償いたいと思う(事例I)」


また、(Z)の事例が2例確認できた。どちらの事例もしばらくの間協会の教理
が「正しい」という認識を変更することができず、苦しんだ期間を持っている。


「ある時急に組織活動の準備ができなくなり組織生活から飛び出した。一生エ
ホバの証人だと思っていた決意のもろさに自己不信になる。罪の意識があった。
でもやっぱりなにかおかしいと思い、素に返った。この組織には憐れみがない。
反協会の本を読み、有名な牧師のもとを訪れて協会の矛盾点を教えられた。
自分の失われた時間が痛かったが、社会でどう生きていくかが一番大事だと感
じた(今はキリスト教の信者)(事例B)」


 一世信者の自発的脱会者で「組織的離脱」が先に生じた事例では、離脱後に
何らかの「自己否定感」や「罪悪感」等、脱会を肯定的に受容できない精神的
状態を経験している。それを克服するには、それぞれ何らかの形で教団外から
の情報や人間関係の形成を必要としていることが事例からみてとれた。


二世信者の自発的脱会者の場合、「認知的離脱」が先の事例は8例((T),(U)
2例, (V),(W),([)2例,(\))、「組織的離脱」が先に起こった事例は9例あ
った((X)3例,(Y)6例)。


(T)と(U)の事例は、認知的離脱が先に生じているが、組織的離脱後も教団の
影響がしばらく残ったことを報告している。二世信者の認知的離脱には時間が
かかる傾向がある。


「自分は大丈夫だと思って見た反エホバの証人のサイトの内容に衝撃を受け、
続けることが出来ないと感じた。ネットや教会で人を紹介してもらい話を聞
き、情報を手に入れた。組織を否定することは比較的早くできたが、教理に
ついては時間がかかった(事例Z)」


(V)と(W)の事例も、認知的離脱が先に生じている。この2例は組織的離脱後
に自分の脱会を否定的にとらえる傾向は見られない。前者は、脱会カウンセラ
ーなどの書物から情報を得、後者は教団外の聖書から情報を得ている。両者と
もキリスト教信仰は持っていない。


「伝道のやり方がまじめすぎると反発され、おかしいと感じた。エホバの証人
に関する本などを調べ、牧師に話を聞くなかではっきりとおかしいことがわか
った(事例l)」


「長老と喧嘩になった。組織にたてつくものがいるということで非難され、集
会に行かなくなった。そのころから新世界訳ではない聖書を読み始めて、証人
の聖書とふつうの聖書がかなり違うことに気がついた。とりあえず自分が考え
た上で最後に残ったものが自分の価値観じゃないかと思った。証人の友達が多
かったが、そのときは一緒に辞めた(事例h)」


([)と(\)の事例も先に認知的離脱をしているが、([)の事例は書物を中心に
認知的離脱をした後、組織的離脱し、その後で人間関係の形成をしている。認
知的離脱の状態があまり十分ではないと、脱会を肯定的に見られなくて不安感
を感じることも生じる。次にあげた事例ではインタビュー直前に「自分の考え
が結局エホバの証人の教理に基づいていると気がついて、やっぱり戻るしかな
いのだろうかと自信を失っている」と話してくれた。


「教えには忠実な方だったが、ある時旅行先で、ある男性と初めて宗教の話を
し、転機となった。その後旅行の中で、自分で考え行動することを学ぶ。ある
旅行の後集会に行かなくなった。元二世の本で自分のような人間が他にもいる
ことを知り、安心できた(事例R)」


次に「組織的離脱」が先に起こった事例について検討する。(X)の事例は3例
あった。


「審理委員会(教理に違反した人に対する裁判のようなもの)をきっかけに、は
じめて組織を離れるという選択肢に思い至り、活動を辞めた。その後、ネット
を通じて元エホバの証人の二世や一世と対話するきっかけを得て、自分の経験
が特殊なものではなく、自分が置かれた環境を思えばあのように考えるように
なっても仕方なかったと受け止められるようになった。協会のおかしいところ
も認められるようになった(事例c)」


 残りの2例も、組織的離脱を果たした後、時間をおいてから(何十年〜何ヶ月)、
ネットを通じて元二世信者との交流を得たことが、認知的に離脱するきっかけ
となっている。


(Y)の事例は6例あり、組織的離脱の後、強い罪悪感や自己否定感を持つ傾向が
ある。


「組織にいる自分が嫌で、フェードアウトという感じでやめた。辞めると自分
の価値がなくなるように感じた。音楽に打ち込んで価値を求めたが、いつかは
戻ることになるかと思っていた。パソコンを買ったことをきっかけに二世のホ
ームページを見た。そのとき、多くの人と議論をすることができ、問題を共有
できる仲間が得られた。衝撃だった。昔は自分の価値を実感したかったが、今
は些細な日常が大事だと思うようになった(事例g)」


自己否定感の程度には個人差があるが、他の5例も、辞めた後一定期間経った
後、インターネットを通じて元二世信者、元エホバの証人との交流を得たこと
で、自分の経験を消化し、協会の教理の影響から離れることが出来たと語って
いる。二世信者の場合は、単なる「教団外情報」だけではなく、同じような境
遇を持った仲間の存在を知ること、彼らとの語り合いが組織の影響から「認知
的離脱」をするのに重要な要素となっている。



3-3 「教団外情報」と脱会を支持してくれる「教団外人間関係の形成」

脱会カウンセリング経験者は家族との絆を再確認したと述べる例が多い(10例)。
辞めた後も家族が受け皿となってくれるという安心感があるのかもしれない。
また、すでに同様の教団を脱会した経験を持つ人びとが協力体制を作っている
ことが多く、同じ経験をした人からの説得や経験談を聞くことは、脱会後の
「社会的リアリティの再定義」期間にも重要な役割を果たす。多くの脱会カウ
ンセリングが成功した場合、脱会後の精神的安定もスムーズにいくようである。


「3ヶ月の保護の間、家族の喧嘩がすごかった。普段なら言わないこともこの
際だから言ってしまえって。でも、親ってありがたいと感じた。牧師先生も毎
日のように通ってくれて恵みを与えてくれたので、寂しさはあまりなく、次の
年の3月には受洗できた(事例e)」


「保護説得に入ってまもなく娘から自分は離れると言われ、子どもが絶対大切
だったので牧師の話を聞いたら、5分で信じていたことが崩れた。保護説得で
よいと思う点は、家族や親戚が組織について学んでいるので、辞めてから非難
される心配がないこと(事例C)」


キリスト教信仰をもって教会に通っていること(全員)も新たな人間関係として
安定を生み出している。また、活動程度は様々だが15名全員が何らかの形で、
これから脱会しようとするエホバの証人の人たちになにかしたいという意志を
持っている。現時点で支援グループに参加している人だけでも12名いた。これ
らの活動へ参加することも脱会後の人間関係として脱会後の「社会的リアリテ
ィの再定義」に役立つものと考えられる。


一世信者の自発的脱会者の場合、脱会カウンセラーから直接の情報提供を受け
て脱会した事例は組織的離脱では1例、認知的離脱では4例ある。その後、脱
会カウンセラーの活動に関わりを持ち続けている事例は4例である。脱会後に
活動に参加した事例も1例あった。脱会カウンセラーと直接の関わりを持った
経験がない事例は1例だけであり、この事例はインターネットを通じて脱会者
の仲間を得、一部の交流を脱会後も続けている。インターネットから情報を入
手した事例はこのほかもう1例だが、この事例はネットで情報を得てすぐ牧師
との直接接触を図っており、ネット上での交流は重要度が低いようである。


人間関係については、自発的脱会者は脱会者仲間などを作るには自分から積極
的に活動する必要があるため、困難を伴う。事例では脱会カウンセリングの活
動に関わりを持ち続ける事例が4例ほどあり、またネット上での交流を続ける
事例も1例ある。7例のうち、5例はキリスト教信仰を持っているが、所属し
た教会になじめない場合もあるようである。


「脱会後、行った教会にはなじめないところがあった。でも教会につながって
いないと不安。ネットが出来たら情報や共感できる人と出会えるかもしれない
のだが… (事例L)」。


二世信者の自発的脱会者の場合、一世信者よりも脱会することに多くの困難が
伴っている。多くの場合、家族が現役信者であり、脱会することは家族との断
絶を意味する場合もある(協会は家族であっても脱会者と話さないよう指導し
ている)。脱会カウンセリング活動は「サタン」の最たるものという教えの影
響が強く、脱会カウンセラーからの直接の情報提供を初期段階で積極的に受け
た二世信者は今回はいなかった。


それどころか、牧師などが出している書物を手に取ることさえも罪悪感でなか
なかできなかったという事例は7例あり、教理の影響の強さが伺える。ネット
から情報を得ている7例のうち4例はインターネットでの情報収集の方が書物
よりも抵抗が少なかったと語っている。


「背教者の本には抵抗があった。URLを打ち込む手も緊張で震えたが、二世の
ホームページのスタンスは入りやすく、違う見方を知り、背教者の本も読む
必要を感じた(事例b)」


脱会後、教団内の経験をほかの人と共有したいという意志や教団への反対活動
を行いたいという意志を持ち、ある一定期間の後、反カルト運動や脱会カウン
セラーとの関わりを持つ事例も数例みられた。


その反面、自分の親やきょうだいがいまだ教団内にとどまっている二世信者や、
とどまっていなくとも自分が生まれ育った環境を否定する意志を強く持たない
二世信者は、脱会カウンセリング活動に対しては否定的な見方を持っている事
例もある。


このような人びとの多くは、メーリングリストやネット上の掲示板などを通し
て、脱会者の仲間との交流を得、参加できる範囲でオフ会(直接対面)に参加し
ている。


「掲示板での元二世との議論は尽きなかった。掲示板などでやりとりしている
間は、実在するという実感は薄かったが、実際に直接オフ会で会って、生で話
すことによって、本当に同じような経験をした二世が他に存在しているという
実感や親しみがわいた(事例V)」


オフ会に参加した経験を、「生身の二世に会えた」「自分だけじゃなかったと
いう実感がわいた」と語る二世信者はこのほかにも10例ほどみられた。オフ会
経験者のほとんどがこのような感想を持っている。体験の共有が出来る人間関
係の形成が、より深い認知的離脱の達成や新たな「社会的リアリティの再定義」
に役立つ傾向がみられる。


「自分だけがおかしいのだと思って、誰にも話せずにいたが、掲示板やオフ会
を通して、そうじゃないんだ、同じ経験をした人がたくさんいんだとわかって、
ほっとした(事例P)」


脱会した二世信者は、特に「認知的離脱」を経ず「組織的離脱」をして多くの
時間が経過している二世信者の場合は、「組織についていけなかった自分が悪
い」「組織の基準を破っている自分は滅びる人間だ」など自己否定の感覚が強
くなる傾向がある。


「自分だけがおかしい」と考える感覚は、彼らの口を重く閉ざすこととなり、
新たな人間関係の形成にも支障を来す場合がある。同じ体験を共有し、それを
語り合える人間関係が形成できることは、真の意味で組織の影響から離脱し、
新たな「社会的リアリティ」を作り上げる重要な要素となっているのである。



4 考察

4-1 脱会プロセスの違いによる影響

脱会カウンセリング経験者は15名全員が「認知的離脱」後、「組織的離脱」に
至っている。自発的脱会者でも、一世信者で4例、二世信者で8例が「認知的
離脱」後、「組織的離脱」に至っていた。脱会カウンセリング経験者と自発的
脱会者では「教団外情報」の入手・提供のされ方や、「教団外人間関係形成」
のしやすさの程度などの違いはあるが、これらの事例が「組織的離脱」が先に
生じた残りの12名と大きく異なる点は、「組織的離脱」をした後の「自己否定」
の傾向が弱いことである。


二世信者についての事例分析で触れたが、「認知的離脱」なく「組織的離脱」
に至った事例では、組織を離れた後に自己嫌悪や自己否定の感覚にとらわれる
ことが多い。エホバの証人としての生活をはずれることは、サタンの世の一員
になり、エホバ神の意に逆らうことである。逆にいえば、教理に従って生きて
いればエホバ神の意志にかなった人として楽園で永遠に生きられる資格(価値)
がある。


このような教理が背景となり、脱会することに罪悪感を与え、脱会した自分を
価値のないもののように感じさせることになる。この影響は自発的脱会者の中
でも二世信者の方により大きい。ハルマゲドンの恐怖もさることながら、幼少
時から親の手によって協会の教理の正しさを教えられ、それを守ることを要求
されてきた二世信者の経験は影響が大きく、理屈ではなく疑う余地を脱会する
まで感じないでいたと語る二世も少なくない。自発的脱会か脱会カウンセリン
グか以上に一世信者と二世信者の違いは大きい。


しかし、「認知的離脱」後、「組織的離脱」に至った場合は、教理が与える罪
悪感を軽減できる。組織を離れることに対する正当化の解釈枠組みがあること
は、組織的に離れた後の精神状態や社会的立場の回復へ向けてプラスに働く。
「認知的離脱」が「組織的離脱」より先に生じることにより、脱会を肯定でき
る「社会的リアリティの再定義」に自己の意識を向けやすくなる。それに対し、
「組織的離脱」が先にくると、「自己否定」や組織活動から離れている状態に
疑問を感じる傾向が強まる。


「組織的離脱」が先に起こった事例の多くは離脱後、職場や学校などで新たな
人間関係が出来、経験を重ねることによって教団組織に所属していない自分自
身をも肯定的に見ることが出来るようになっているが、それには何十年もの時
間がかかっている事例もあった。「組織的離脱」が先に起こった場合、「認知
的離脱」をもたらす十分な情報やきっかけが得られない状態では、脱会した後
の自己のアイデンティティを再定義するには本人の大変な努力と苦労を必要と
する。


自発的脱会者で「認知的離脱」が先に生じている場合でも、その程度によって
は、「組織的離脱」が先に生じた事例と同様の揺れ戻し(組織の影響を振り切
れない自己の認識)を経験する。「組織的離脱」が先に起こった場合や「認知
的離脱」が先に起こっても十分でなく揺り戻しが生じる事例では、いかに「認
知的離脱」が促されるかが問題である。「認知的離脱」を促す重要な要素が、
「教団外情報」と「教団外人間関係形成」の二つである。


「4-2社会的リアリティの再定義」4-3をサポートするもの−
「4-4情報」4-5と「4-6人間関係」4-7

「認知的離脱」を本人が認識できたか否かが、脱会後の新たな「社会的リアリ
ティの再定義」を十分に行えるか否かに深い関係を持っていることは先に述べ
た。「認知的離脱」が促されるには、適切なタイミングでの適切な「教団外情
報」「教団外人間関係」の入手が必要である。脱会した事実を肯定的に見られ
る解釈枠組みを与える情報がないと、「協会の教理が唯一正しい」という信念
は容易に崩れない。脱会カウンセリング経験者は、本人の意思とは関係なく脱
会カウンセリング実行者からこのような情報を提供されるが、それでも受け入
れ側に聞く姿勢が必要である。


聞き入れる姿勢ができるまでにかかる時間・きっかけは多様だが、子どもが先
に辞める決意をしたことや夫が仕事を休んで取り組んでくれたこと、母親から
泣いて頼まれたことなど、家族の影響を語る人が少なくない。


脱会経験のある人が協力する場合があるが、聞き入れる体制にならないかぎり、
有効に働きにくいようである。聞き入れる体制になる前は、脱会経験者と話を
しても「自分は立派なエホバの証人になる」と主張した人も、聞き入れる体制
が出来るにつれて、「次第に自分から(元証人の)他のクリスチャンの話を聞き
たいと思うようになった(事例S)」という。


組織から離脱する方向に向かうと、離脱後の自分が意識されるが、その時に脱
会した経験を持ち、新たな信仰を得ている人の存在がモデルとなって利用され
るのではないか。脱会カウンセリング経験者の場合は、脱会前も脱会後も家族
や脱会カウンセラー、脱会者仲間のサポートが存在しており、カウンセリング
がうまく離脱の方向に向いた場合には脱会後の精神的、社会的回復も順調に進
めることの出来る環境があるといえるだろう。


一世信者の自発的脱会者の場合は、適切な情報を得るために自らの意志で脱会
カウンセラーやその書物、インターネット情報との接触を持つ必要がある。同
時に、このような行動は教団外の人間関係形成を促す効果も持つ。今回の事例
では、1名はインターネットを通じて他の脱会者との交流を得、残りの3名は
脱会カウンセラーなどを通じて脱会者仲間と知り合うきっかけを得た。


脱会者仲間と話し合うことは、同じ経験を共有できるという安心感や脱会した
自分を再定義するための解釈枠組みをもたらす可能性が高い。家族と教団組織
について話し合うことはあまり多くはないようである。


「組織的離脱」が先に生じた事例では3例全部が「認知的離脱」に達するため
に脱会カウンセリング関係者から情報を得た。これらの事例では「組織的離脱」
の後、一定期間すぎてから自分から望んで情報や人間関係を得た。先に挙げた
ような「自己否定」の感覚や居場所のなさを感じ、それを解消するきっかけを
つかめなかった状態から、これらの情報を得ることによって、脱会後の自分を
新たに作るきっかけを得ていた。


新たな信仰をもとに牧師を目指す人や、証人になる前に取り組んでいた音楽活
動に励む人、反カルトの活動に関わりを持つ人など、新たな方向に動いている。
また、脱会カウンセリング経験者15名全員、一世の自発的脱会者7名のうち5
名がキリスト教信仰(傾向)を持っていることも注目される。一世信者にとって
は、新たな信仰が新たな「社会的リアリティの再定義」に重要な意味を持って
いる。


二世信者は、一世信者よりも反カルト的な教団外情報を取り入れることには抵
抗がある場合が多い。牧師の立場で書かれた書物は「正しいキリスト教」対
「間違っているものみの塔」という図式で書かれているものが多い。


「信仰」の問題として協会の活動に参加していた一世信者にとっては、このよ
うな議論に納得し、「正しい信仰」を求めることも可能である。しかし、二世
信者にとっての協会の問題は、「信仰」の問題というよりも、親からのしつけ、
教団内での教理や人間関係からの締め付けといった問題が全面に出ている場合
が多い。


また、脱会カウンセリングでは「マインド・コントロール」の説明図式を用い
ているが、「元の自分」が前提となっていることが二世信者にとっては問題と
なる。一世信者であれば、「だまされた」とか「コントロールされた」という
説明図式を解釈枠組みとして用いることにはとりあえず比較的抵抗が薄いかも
しれない。


しかし、二世信者にとっては親から教えられている世界観、物事の解釈枠組み、
行為の基準が協会の教理に基づいたものであり、その中で育っている。「だま
された」という説明は当てはまらないし、「コントロール」を抜けて「元の自
分に戻る」などと言われても、「元の自分」が協会で育った自分なのである。


「マインド・コントロール」の説明図式は、二世信者には受容しにくい。しか
し、二世信者の視点からから書かれた出版物は秋本[1998]が見られるのみで
あり、二世信者が受容しやすい教団外情報に乏しい環境である。それを補う形
で二世信者の情報源また同時に人間関係の形成の場として利用されているのが
インターネット情報である。二世信者17名のうち14名が脱会後の自分の認識を
形成するために、インターネット情報を積極的に利用していた。


二世信者のうちキリスト教信仰を持っているのは1名のみであり、他の16名は
信仰を持っておらず、その中の多くが宗教的関心は持ちながらも、特定の宗教
に関わることには警戒心を抱いている。一世信者にとって新たな「社会的リア
リティの再定義」に新たな信仰が有効な機能を果たしているのに対して、二世
信者にとってはこのような明確な解釈枠組みや社会的立場の置き所が見つけに
くい。


彼らの多くがネット上では自分の経験を話せても、職場や学校などで話すこと
はしないという。家族については12名がいまだ組織でエホバの証人として活動
しており、戻るように説得されたり、あるいは親との関係が断絶したり、断絶
まではいかなくとも自由に会話しにくい環境にある。


このような環境から、二世信者の脱会者は、脱会後の自分という新たな認識や
その自分を解釈する枠組みを支えてくれる教団外の人間関係を形成しにくい状
態にあるといえる。



二世信者にとっては、認知的離脱を十分に達成するため、インターネット情報、
そこから得られる他の二世信者や脱会者との交流が必要とされている。ある二
世信者は、若い二世信者が比較的容易にネット情報に触れ、比較的スムーズに
脱会し、自己の精神的安定を回復していく様子を見て、「うらやましく感じる。
私たちが何十年もかけてやってきたことを、ネットを通じて彼らは何ヶ月かで
成し遂げられる」と述べている。インターネットの提供する情報や人間関係は、
「認知的離脱」の促進に非常に有効である。


 
5 結論と課題

今回の事例は、事例の獲得方法に偏りがあり、ものみの塔聖書冊子協会からの
脱会者の全体の傾向性を示してはいない。しかし、「組織的離脱」と「認知的
離脱」が生じる順序がもたらす影響について示すには、十分な事例であると考
える。結論を述べれば、「認知的離脱」が「組織的離脱」より先に生じること
により、脱会を肯定的に見られる「社会的リアリティの再定義」に自己の意識
を向けやすくなる傾向がある。


それに対して、「組織的離脱」が先にきた場合や、先に生じた「認知的離脱」
が不十分なものだった場合は、自己否定の状態や脱会したこと自体を否定的に
みる傾向が強まる。このような事例では「認知的離脱」を促す重要な要素であ
る「教団外情報」と「教団外人間関係」がどのように提供されるかが特に問題
となる。脱会カウンセリング経験者の場合は、家族や脱会カウンセラーや脱会
者仲間の協力体制があり、これらの問題は比較的解決されている。


また、これらの一世信者には新たな信仰を得ることが、新しい社会的リアリテ
ィの再定義に役立っていることも指摘できる。自発的脱会者は、一世信者と二
世信者では状況が異なっている。一世信者は家族などの協力は得られにくいが、
自分の積極的行動により脱会カウンセラーや脱会者仲間との交流を持つことが
出来ていた。これらの人びとからの情報の提供、そして人間関係の形成を通し
て、「認知的離脱」を進めることが可能になっている。


そして、一世信者の自発的脱会者の多くも新たな信仰が新たな社会的リアリテ
ィの再定義に役立っている。 


一方で、二世信者にとっては、脱会カウンセリングで用いられている解釈枠組
みはすべて受容できるものではないため、個人差はあるが、利用の仕方にも限
界があるようであった。


また、「組織的離脱」が先に生じた場合の自己否定の感覚も一世信者よりも強
く、また長く継続する傾向があるようである。彼らにとっては単なる「情報」
よりも、同じ経験を持った二世信者仲間との経験の共有と語り合いといった
「人間関係」の形成が、「認知的離脱」を果たすためにより重要な要素となっ
て現れている。


これは、二世信者にとって利用しやすい既存の解釈枠組みが存在しないことも
影響があるだろう。二世信者の中にも「二世のための独自の説明理論が必要だ」
と主張する人がいる。インターネットを利用した二世信者同士の交流は、この
ような解釈枠組みづくりの萌芽となる可能性を秘めているが、次から次へと様
々な人が掲示板に出入りするというような状況では、なかなかまとまった枠組
みづくりには至りにくいかもしれない。


これまでの脱会者研究は、主に一世信者を前提としていたが、脱会が問題とな
るような教団のなかにも歴史を重ね、二世信者を多く抱える教団が出てくるに
つれて、二世信者の脱会の問題が新たに研究課題として取り上げられる必要が
ある。


本稿では十分に取り扱えなかった「感情的離脱」の側面についても、教団内の
人間関係に失望したのではなく、自分自身が教団の教理や活動についていけな
いという形、教団ではなく自分を責める形での「感情的離脱」を起こしている
事例が特に二世信者にみられた。本稿で感情面を十分に扱えなかった点も含め
て、この点も今後の課題となる。





本稿では、脱会プロセスの認識の違いによって出てくる影響の検討から、以上
にあげたような二世信者と一世信者の違いの一端を示すことができた。二世信
者の問題はこれからまだ検討すべき点も多く、この点は今後の課題である。


また、二世信者の発生という論点からみれば、社会運動モデルの分析枠組みを
利用した研究も必要であろう。ものみの塔聖書冊子協会の組織や教理独自性と
その歴史的変遷、それに対応する脱会者の数や傾向性などを掘り下げて研究す
る方向性である。


しかし、ものみの塔聖書冊子協会の事例からのみ得られる知見の妥当性・信頼
性には限界がある。汎用性のある脱会プロセスモデルを作るには、他の異なっ
た特徴を持つ教団からの脱会者の脱会プロセスとの比較研究を行う必要もある
だろう。これらが今後の課題として考えられる。


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〈引用文献〉

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皆様からたくさんのご意見・ご批判がいただけることが今後の研究を
進める原動力となります。お読みになった感想をぜひお聞かせください。
よろしくお願いいたします。

                  北海道大学大学院文学研究科 
                         猪瀬優理

                 inose@let.hokudai.ac.jp











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2002/07/28