前回は、部外者として参加しました。それは私がJW2や、JW1ではないからでしたが、実は心情的には、全くの部外者でもないのです。こんなことを書くと、また怒られるかもしれませんが、それは、JW2やJW1、あるいは「統治体」の成員でさえも、ある意味JWの「誤った教え」の被害者と言えますが、実は、私たち、キリスト教関係者からしてみれば、JWの組織に対して、私たち「キリスト教」の名をかたって、よくも「多くの被害者を出してくれたな」という思いがあるのです(と思います。他の関係者に聞いたわけではないので・・・少なくとも私は)。
「キリスト教」とは「キリストが神である」と信じる宗教です。その点JWは、キリストは「神の子ではあるが」、「神ではない」と明言しているわけですから、「キリスト教ではない」はずなのに、自分達を「クリスチャン」と呼んだり、一般の人たちも、JWはキリスト教の一つと考えている人も多く、多大な迷惑をこうむっているという点で、私たちも、決して「部外者」ではないと思います。
解りやすく例えるならば、「ある者から名前をかたられて、寿司屋に大量の出前を注文されて、支払いに困っている人のよう」です。この場合、騙された寿司屋が「JW2またJW1」で、名前をかたられた人が「キリスト教」という図式です。立場は違いますが、どちらも被害者であると思いますが、いかがでしょうか?
もちろん、名前をかたられた人は、電話した(騙した)のは「私ではありません(私は部外者です)」と言って、出前の代金を払わないことができるので、この点で、損失を負担せざるを得ない「寿司屋」(JW2やJW1)の方が、より深刻な被害者にちがいありません。
寿司屋の多額の損失を代わって負担する(JW2と同じ苦しみを味わう)ことはできませんが、寿司屋(JW2)だけに被害を負担させるのは心苦しいな、何かできることはないのかな、と感じているのも本当の気持ちです。
この場合、犯人は分かっているのですが(神の敵であるサタンが背後にいる)、なにせ、サタンは肉体がなく霊的存在であるので(サタンがかつて、天使長・ルシファーであったことはかなり知られていること)、簡単に捕まえることができないので、私たちはせめて、他の寿司屋(一般人)が騙されないように、また先の寿司屋(JW2やJW1)も2度と騙されないように、私たち(キリスト教)と犯人(サタンやその組織)の違いと特徴を知らせることが必要なのでは、と思っているのです。
でも、「あなたたちが本物である証拠はあるのか?」と疑問に思われるかもしれませんが、その「基準」を神は与えてくださっていると思います。それが「聖書」です。聖書は「天地創造の神」が与えてくださった「啓示の書」です(テモテへの第2の手紙3章16節「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって・・・・」)。そして、およそ1600年かかって、40人程の人によって、書かれたにもかかわらず、まるで一人の人が書いたみたいに、統一と調和があるのです。また聖書の預言は何一つ、はずれたことはありません。その聖書の記述は歴史的、考古学的、科学的事実に満ちています。
http://park8.wakwak.com/~dendo/manabou/index.htm
http://psalms.ddo.jp/~abeno/mac/biblemess_1.html
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/e/aedaa6486269c3cf4fb6794e7a355031
http://www.geocities.jp/oshi_ete_kun/ronsyouseisyo.html
その聖書に「この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、私は警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。」(ヨハネの黙示録22章18-19節)とあり、このヨハネ黙示録の後には、もはや神の言葉(啓示)は人類に与えられず、「どんな預言も書き加えてはならない(つけ加えてはならない)」し、「取り除いてはならない」のです。
ですから、JWがキリストの再臨を「預言」した時から、また聖書に「地獄(ゲヘナ)」のことが教えてあるのに、「地獄は無い」と主張した(聖書から取り除いた)時から、JWの「偽預言者」、「偽物」であることは明白であったのです。また、JWは聖書にキリストが神(主、エホバ)と明記されている箇所を勝手に書き換えて(取り除き、そして書き加えた)、新世界約聖書として用いています。
サタンは、キリスト教初期において、教会の外部からどんなに迫害してもダメだと分かると、今度は「行いによる救い(特にバプテスマによる救い)」という誤った教理を教会に入れ、多くの教会を堕落させることに成功して、「全体主義的」な教会、すなわち「聖書に不従順な教会(汚れた花嫁なる教会=淫婦)」を造り、「真の教会(聖い花嫁なる教会=聖書に忠実な教会)」を迫害しました。名前ばかりのクリスチャンが真のクリスチャンを迫害した時代です。この点でJWの教えの一部は当たっています(100%偽りなら、誰も騙されない。またサタンはサタン同士の内情を良く知っている)。この時、迫害された教会が(アナ)バプテスト教会です。バプテスト教会は、初代教会から続く唯一のキリスト教の教会です。決してカトリック教会から分かれたプロテスタント教会の一つではありません(教理的には近いのですが・・・)。ゆーじさんのしばらく通われた教会のグル−プは、この流れのバプテスト教会と一般のプロテスタント教会が融合(混在)したもので、そのオリジナル性は薄められているようです(おそらく、自分達はプロテスタント教会の一つであると、今は考えておられると思います)。ちなみに、私はこの流れの最も保守的な教会です。
オランダ王のチャップレンであったデルモント博士の「オランダ改革派の歴史」の中での証言(1819年)
「今まで見て来たように、バプテストなる名称は、以前はアナバプテストと呼ばれ、後にメノナイトと呼ばれていたが、彼らこそワルドー派の人たちであり、長く教会歴史に、ワルドー派の起源であるとの栄誉を持ち続けて来たのであった。このために、バプテストたちは、『使徒時代にまでずっと続いて来た唯一のキリスト教の協同体』だと考えることができる。彼らは、キリスト教社会として、あらゆる時代において、福音の教理の純正を得て来たのであった。」
ルターの宗教改革以降、「救いは信仰による」ことが再発見されるようになり(バプテスト教会は宗教改革以前から、一貫してこのことを主張して来ました。また信仰は強制されるべきでなく、「個人の意思」によるとして、生まれて8日目にキリスト教徒にしてしまういわゆる「幼児洗礼」・・・本人の意思に関係なく、赤ちゃんの時に、親の意思によって受けるバプテスマ・・・に反対して来たために、言語に絶する迫害を受けました。古代、中世、近世を通して、実に5千万人以上が殺されたと言われています)、以前のように効果的な「救いの妨害」ができなくなると、サタンは、今度は、キリストの「神性」を攻撃することによって、人々が「真の救い」を受けられないように暗躍し出したのであり、その一つがJWなのです。
ですから、聖書を偏見無く(片寄った解釈でなく)、また一方的押し付けの解釈でなく、読むことがとても大事になってきます。聖書は真実(真理、本物)を見出す唯一の基準(ものさし、定規、カノン)だからです。JWの「組織の出版物」や「書き換えられた聖書」である「新世界約聖書」を通して解釈すると、イエス様(神)は「本当は、何を私たちに教えておられるのか」ということが、見えて来ません。
「新世界訳聖書」については、しかしそれでも、さすがに全部は変えられないので、全体を読むと「イエスがエホバである」ことが解り、中には救われる人も出てくるようです・・・・元長老で、奥さんが病気になって入院した時に、それまで、宣教奉仕やJWの出版物を読むのに忙しく、聖書をじっくり読むひまが無かったのですが、看病の時、やっと聖書(新世界訳)を全体を通して読む機会が与えられた時に、「イエスがエホバ御自身である」ことが解り、「救われて」、霊的に「新しく生まれ変わり」、本当の意味で「クリスチャン(神の子)」になった人を、私は知っています・・・・ですから、そんなことにならないようにと、JWでは、「新世界約聖書」もあまり長く読まないようにと、指導しているようです。
以前は、あの「全体主義的教会」も聖書を「信者が読むと、自分勝手に解釈して間違ってはいけないから」と聖職者たちにしか読ませないように、ラテン語(ローマ帝国時代の言葉で、一般庶民はもはや誰も理解できなかった)から自国語に翻訳さえさせませんでした。原語(へブル語&ギリシャ語)から英語に翻訳して、出版しようとしたウィリアム・ティンダルは火あぶりにされたし、ジョン・ウィクリフは死後であっても、遺体が掘り起こされ著書と共に焼かれたのち川に投じられたくらいです。「神の言葉」である「聖書」を読ませないようにするのは、サタンの特徴です。「神の言葉(聖書)」を読めば、「人が救われてしまう」ことを知っているからです。
サタンはせっかく、アダムとイヴを誘惑して堕落させて(サタンと同じように「自分を神とする道」を歩む者となった)、自分と同じように「人が神のさばきを受けて地獄に行くように」したのに、人間だけが神の救済(イエスが主:神、エホバ、救い主であると信じる時に救われる=罪が赦される)を受けて、救われてしまうことが、がまんならないのです(サタンは誰の誘惑も受けないで堕落してしまったので、救いのチャンスが与えられていない)。
サタンにつきあって、神の裁きを受けなければならない義理がどこにあるでしょうか? JW2のみなさんは、もう十分、苦しまれたのではないでしょうか! JW1のみなさんも「新世界訳聖書」でも良いですから(「口語訳聖書」や「新改訳聖書」ならもっと良い)、最初から最後まで通して読んで見て下さい。必ず、神の真意が見えて来るはずです。他の出版物で聖書を解釈するのは危険です。聖書は聖書で解釈するのが正しいです。聖書のある箇所を他の箇所が説明してくれています。聖書全体のバランスを見て解釈しましょう。「木を見て森を見ず」の解釈は、サタンにつけ入るすきを与えます。ですから、聖書を断片的にではなく、全体を通して読むのです。
「また、私たちの主の寛容は救のためであると思いなさい。このことは、私たちの愛する兄弟パウロが、彼に与えられた知恵によって、あなたがたに書きおくったとおりである。彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、『無理な解釈』をほどこして、自分の滅亡を招いている。」ペテロ第2の手紙3章15-16節
そして自分で考えることが大事だと思います。人の解釈でなく、聖書全体を読んで、自分で考える時に、本当の意味で、神のことばが心に入って来るようになると思います。
マインドコントロールから解放される為には、聖書以外の読み物でも、とにかく、自分で読んで、自分で考えることで、抜け出せると思いますが、「根本的解決」は「神の御言葉」である「聖書」にしかないと思います。これは、JW2やJW1のみなさんばかりでなく、一般の人にとっても同じだと思いますが・・・。「人間を造られた神」のみが、「人生の根本的解決」を示すことができるはずです。
また長くなりました。それでは、また。
「キリスト教」とは「キリストが神である」と信じる宗教です。その点JWは、キリストは「神の子ではあるが」、「神ではない」と明言しているわけですから、「キリスト教ではない」はずなのに、自分達を「クリスチャン」と呼んだり、一般の人たちも、JWはキリスト教の一つと考えている人も多く、多大な迷惑をこうむっているという点で、私たちも、決して「部外者」ではないと思います。
解りやすく例えるならば、「ある者から名前をかたられて、寿司屋に大量の出前を注文されて、支払いに困っている人のよう」です。この場合、騙された寿司屋が「JW2またJW1」で、名前をかたられた人が「キリスト教」という図式です。立場は違いますが、どちらも被害者であると思いますが、いかがでしょうか?
もちろん、名前をかたられた人は、電話した(騙した)のは「私ではありません(私は部外者です)」と言って、出前の代金を払わないことができるので、この点で、損失を負担せざるを得ない「寿司屋」(JW2やJW1)の方が、より深刻な被害者にちがいありません。
寿司屋の多額の損失を代わって負担する(JW2と同じ苦しみを味わう)ことはできませんが、寿司屋(JW2)だけに被害を負担させるのは心苦しいな、何かできることはないのかな、と感じているのも本当の気持ちです。
この場合、犯人は分かっているのですが(神の敵であるサタンが背後にいる)、なにせ、サタンは肉体がなく霊的存在であるので(サタンがかつて、天使長・ルシファーであったことはかなり知られていること)、簡単に捕まえることができないので、私たちはせめて、他の寿司屋(一般人)が騙されないように、また先の寿司屋(JW2やJW1)も2度と騙されないように、私たち(キリスト教)と犯人(サタンやその組織)の違いと特徴を知らせることが必要なのでは、と思っているのです。
でも、「あなたたちが本物である証拠はあるのか?」と疑問に思われるかもしれませんが、その「基準」を神は与えてくださっていると思います。それが「聖書」です。聖書は「天地創造の神」が与えてくださった「啓示の書」です(テモテへの第2の手紙3章16節「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって・・・・」)。そして、およそ1600年かかって、40人程の人によって、書かれたにもかかわらず、まるで一人の人が書いたみたいに、統一と調和があるのです。また聖書の預言は何一つ、はずれたことはありません。その聖書の記述は歴史的、考古学的、科学的事実に満ちています。
http://park8.wakwak.com/~dendo/manabou/index.htm
http://psalms.ddo.jp/~abeno/mac/biblemess_1.html
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/e/aedaa6486269c3cf4fb6794e7a355031
http://www.geocities.jp/oshi_ete_kun/ronsyouseisyo.html
その聖書に「この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、私は警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。」(ヨハネの黙示録22章18-19節)とあり、このヨハネ黙示録の後には、もはや神の言葉(啓示)は人類に与えられず、「どんな預言も書き加えてはならない(つけ加えてはならない)」し、「取り除いてはならない」のです。
ですから、JWがキリストの再臨を「預言」した時から、また聖書に「地獄(ゲヘナ)」のことが教えてあるのに、「地獄は無い」と主張した(聖書から取り除いた)時から、JWの「偽預言者」、「偽物」であることは明白であったのです。また、JWは聖書にキリストが神(主、エホバ)と明記されている箇所を勝手に書き換えて(取り除き、そして書き加えた)、新世界約聖書として用いています。
サタンは、キリスト教初期において、教会の外部からどんなに迫害してもダメだと分かると、今度は「行いによる救い(特にバプテスマによる救い)」という誤った教理を教会に入れ、多くの教会を堕落させることに成功して、「全体主義的」な教会、すなわち「聖書に不従順な教会(汚れた花嫁なる教会=淫婦)」を造り、「真の教会(聖い花嫁なる教会=聖書に忠実な教会)」を迫害しました。名前ばかりのクリスチャンが真のクリスチャンを迫害した時代です。この点でJWの教えの一部は当たっています(100%偽りなら、誰も騙されない。またサタンはサタン同士の内情を良く知っている)。この時、迫害された教会が(アナ)バプテスト教会です。バプテスト教会は、初代教会から続く唯一のキリスト教の教会です。決してカトリック教会から分かれたプロテスタント教会の一つではありません(教理的には近いのですが・・・)。ゆーじさんのしばらく通われた教会のグル−プは、この流れのバプテスト教会と一般のプロテスタント教会が融合(混在)したもので、そのオリジナル性は薄められているようです(おそらく、自分達はプロテスタント教会の一つであると、今は考えておられると思います)。ちなみに、私はこの流れの最も保守的な教会です。
オランダ王のチャップレンであったデルモント博士の「オランダ改革派の歴史」の中での証言(1819年)
「今まで見て来たように、バプテストなる名称は、以前はアナバプテストと呼ばれ、後にメノナイトと呼ばれていたが、彼らこそワルドー派の人たちであり、長く教会歴史に、ワルドー派の起源であるとの栄誉を持ち続けて来たのであった。このために、バプテストたちは、『使徒時代にまでずっと続いて来た唯一のキリスト教の協同体』だと考えることができる。彼らは、キリスト教社会として、あらゆる時代において、福音の教理の純正を得て来たのであった。」
ルターの宗教改革以降、「救いは信仰による」ことが再発見されるようになり(バプテスト教会は宗教改革以前から、一貫してこのことを主張して来ました。また信仰は強制されるべきでなく、「個人の意思」によるとして、生まれて8日目にキリスト教徒にしてしまういわゆる「幼児洗礼」・・・本人の意思に関係なく、赤ちゃんの時に、親の意思によって受けるバプテスマ・・・に反対して来たために、言語に絶する迫害を受けました。古代、中世、近世を通して、実に5千万人以上が殺されたと言われています)、以前のように効果的な「救いの妨害」ができなくなると、サタンは、今度は、キリストの「神性」を攻撃することによって、人々が「真の救い」を受けられないように暗躍し出したのであり、その一つがJWなのです。
ですから、聖書を偏見無く(片寄った解釈でなく)、また一方的押し付けの解釈でなく、読むことがとても大事になってきます。聖書は真実(真理、本物)を見出す唯一の基準(ものさし、定規、カノン)だからです。JWの「組織の出版物」や「書き換えられた聖書」である「新世界約聖書」を通して解釈すると、イエス様(神)は「本当は、何を私たちに教えておられるのか」ということが、見えて来ません。
「新世界訳聖書」については、しかしそれでも、さすがに全部は変えられないので、全体を読むと「イエスがエホバである」ことが解り、中には救われる人も出てくるようです・・・・元長老で、奥さんが病気になって入院した時に、それまで、宣教奉仕やJWの出版物を読むのに忙しく、聖書をじっくり読むひまが無かったのですが、看病の時、やっと聖書(新世界訳)を全体を通して読む機会が与えられた時に、「イエスがエホバ御自身である」ことが解り、「救われて」、霊的に「新しく生まれ変わり」、本当の意味で「クリスチャン(神の子)」になった人を、私は知っています・・・・ですから、そんなことにならないようにと、JWでは、「新世界約聖書」もあまり長く読まないようにと、指導しているようです。
以前は、あの「全体主義的教会」も聖書を「信者が読むと、自分勝手に解釈して間違ってはいけないから」と聖職者たちにしか読ませないように、ラテン語(ローマ帝国時代の言葉で、一般庶民はもはや誰も理解できなかった)から自国語に翻訳さえさせませんでした。原語(へブル語&ギリシャ語)から英語に翻訳して、出版しようとしたウィリアム・ティンダルは火あぶりにされたし、ジョン・ウィクリフは死後であっても、遺体が掘り起こされ著書と共に焼かれたのち川に投じられたくらいです。「神の言葉」である「聖書」を読ませないようにするのは、サタンの特徴です。「神の言葉(聖書)」を読めば、「人が救われてしまう」ことを知っているからです。
サタンはせっかく、アダムとイヴを誘惑して堕落させて(サタンと同じように「自分を神とする道」を歩む者となった)、自分と同じように「人が神のさばきを受けて地獄に行くように」したのに、人間だけが神の救済(イエスが主:神、エホバ、救い主であると信じる時に救われる=罪が赦される)を受けて、救われてしまうことが、がまんならないのです(サタンは誰の誘惑も受けないで堕落してしまったので、救いのチャンスが与えられていない)。
サタンにつきあって、神の裁きを受けなければならない義理がどこにあるでしょうか? JW2のみなさんは、もう十分、苦しまれたのではないでしょうか! JW1のみなさんも「新世界訳聖書」でも良いですから(「口語訳聖書」や「新改訳聖書」ならもっと良い)、最初から最後まで通して読んで見て下さい。必ず、神の真意が見えて来るはずです。他の出版物で聖書を解釈するのは危険です。聖書は聖書で解釈するのが正しいです。聖書のある箇所を他の箇所が説明してくれています。聖書全体のバランスを見て解釈しましょう。「木を見て森を見ず」の解釈は、サタンにつけ入るすきを与えます。ですから、聖書を断片的にではなく、全体を通して読むのです。
「また、私たちの主の寛容は救のためであると思いなさい。このことは、私たちの愛する兄弟パウロが、彼に与えられた知恵によって、あなたがたに書きおくったとおりである。彼は、どの手紙にもこれらのことを述べている。その手紙の中には、ところどころ、わかりにくい箇所もあって、無学で心の定まらない者たちは、ほかの聖書についてもしているように、『無理な解釈』をほどこして、自分の滅亡を招いている。」ペテロ第2の手紙3章15-16節
そして自分で考えることが大事だと思います。人の解釈でなく、聖書全体を読んで、自分で考える時に、本当の意味で、神のことばが心に入って来るようになると思います。
マインドコントロールから解放される為には、聖書以外の読み物でも、とにかく、自分で読んで、自分で考えることで、抜け出せると思いますが、「根本的解決」は「神の御言葉」である「聖書」にしかないと思います。これは、JW2やJW1のみなさんばかりでなく、一般の人にとっても同じだと思いますが・・・。「人間を造られた神」のみが、「人生の根本的解決」を示すことができるはずです。
また長くなりました。それでは、また。