聖書にアレルギー反応はありませんよ。今も読むことは無いですが聖書は1冊書棚に置いてありますし。無宗教者である自分にはその本を読んでも信仰心は起きません。
>町でよくJWの奉仕者を見かけるたびに、「あー良くやっているなー」、「あんな熱心な信者がほしいなー」、「私も、もっと伝道しなくちゃなー」、「こんなに熱心に奉仕している人たちが、まだ本当の救いは知らないなんて、おしいなー、もったいないなー、救われてほしいなー」といつも思って見ています。
↑それ、その発言なんですよ。JWと全く一緒だというのは。自分たちの教団に居なければ救いはなく、他の宗教をやっている人間は救われていない、という考え方です。言うなれば「選民意識」なわけですよね? それこそがキリスト教の特徴なのかもしれませんが、少なくとも僕はそういうのは大嫌いです。見下しているようにしか見えないんですよ。
>仮に「聖書が真実の書」であるとして、JWという「組織」とその「教理」が全体として誤っているとしても、その全てのことが、誤りであるということはなく、中には幾分かの真実が含まれているということですね。全て偽りなら誰もだまされないはずですし、JW2として生きたみなさんの人生の全部を否定する必要はないのと同じように、JWの主張の全部を否定することはないと思います。「真理」はJW2が主張しようと、誰が主張しようと、「真理は真理」のはずです。もちろん、主張する人によって、「真理も真理で無いように」見られてしまうのですが・・・。
↑では、青いイルカさんの教団にこそ「真理がある・救いがある」という根拠はどこですか? 自分たちなりに聖書を読んで解釈した結果なわけですよね? JWも同じように自分たちなりに聖書を読んで解釈した結果なんですよ。信じる、という行程が入った上での判断なわけですからそのことに違いがないのは当然です。
そもそも、真理とは?なんてこと自体に興味がありません。宗教観の違い・価値観の違いじゃないでしょうか。
>でも問題は、その「偽ブランドのバッグ」で騙された人が、「本物のバッグ」を見た時に、騙された時の記憶がよみがえって来て、拒否反応で、動悸がしてきたり、気分が悪くなったりしてしまうということなのですよね。
↑いやいや、気にしすぎですよ(笑) 十字架が気持ち悪いとか、キリスト教を含め宗教はこりごりと思っている人も居ますけど、既存のキリスト教のことでそこまで反応してしまう人は殆ど居ないと思います。むしろ、JWの王国会館を見かけた時に昔を思い出して嫌な気持ちになることはありますが、それは青いイルカさんの言うところの「偽ブランドバッグ」に対する正常な反応なので普通の反応だと思ってます。
>次に、「双子を産んだタマル」のことですが、私は医者ではないし、女性でもないので、お産のことは、良くわかりませんが、出産時に先に出したのは「手」でありますから、問題なかったのではないでしょうか?
↑僕も産婦人科医ではありませんからアレですけど、客観的に見て産道に頭・肩が出てきている状態でなければ「手」が出てくる状態にはなりません。出産時には胎児は狭い産道をねじりながらうまく肩をずらしつつ出てこようとするのですけども、その状態で手を外に出し、そして引っ込めてまた産道を逆方向にねじりつつ胎内に戻る。素人でも判断できるほどの不可能な話です。胎児の手が1m近くあれば可能かもしれませんが・・・(笑)
出産は長引けば長引くほど危険なのに、上記のような産道での複雑な動きをすれば余計に時間がかかって大変なことになりますよ。ちなみに現代医学において、一旦手を出した胎児がまた胎内に戻って再度出産した事例はないかと思います。ぜひ学会で発表してください。
>まいけるさんもご指摘のように、ここでウソをつく何のメリットも、必要性もないことですし、ここは素直に、当時のこの事件(出来事)の目撃者の証言を信じようではありませんか。
↑ちょっと待ってくださいよ。
イルカさん:「聖書は科学的な本だ」
まいける:「どう考えても非科学的な記述がある、その部分を指摘。」
イルカさん:「でも、目撃者がそう言うのだから信じるべき」
これじゃ話になりませんよ。だったら最初から「聖書に書かれていることは全て真実であると『信じている』」と書けばいいんです。それだったら僕は何も言いませんから。僕は目撃者はウソを言っているとしか思わないだけです。よって非科学的だなあと。
創世記のユダとタマルの話はどう思われます? 子孫を残すためにタマルさんが売春婦に変装したということは筋が通るなあと思うのですが、ユダさんは道端に立っている女性を買春したわけです。イエスのご先祖様ともあろうお方がなんと言う不道徳!としか思えないんですけど?
聖書を信じたいから信じている、それでいいんじゃないですかねぇ? 無理に科学的だの道徳的に優れた本だとか言うと、そうじゃない部分があるので、ややこしい話になるだけですから。
>町でよくJWの奉仕者を見かけるたびに、「あー良くやっているなー」、「あんな熱心な信者がほしいなー」、「私も、もっと伝道しなくちゃなー」、「こんなに熱心に奉仕している人たちが、まだ本当の救いは知らないなんて、おしいなー、もったいないなー、救われてほしいなー」といつも思って見ています。
↑それ、その発言なんですよ。JWと全く一緒だというのは。自分たちの教団に居なければ救いはなく、他の宗教をやっている人間は救われていない、という考え方です。言うなれば「選民意識」なわけですよね? それこそがキリスト教の特徴なのかもしれませんが、少なくとも僕はそういうのは大嫌いです。見下しているようにしか見えないんですよ。
>仮に「聖書が真実の書」であるとして、JWという「組織」とその「教理」が全体として誤っているとしても、その全てのことが、誤りであるということはなく、中には幾分かの真実が含まれているということですね。全て偽りなら誰もだまされないはずですし、JW2として生きたみなさんの人生の全部を否定する必要はないのと同じように、JWの主張の全部を否定することはないと思います。「真理」はJW2が主張しようと、誰が主張しようと、「真理は真理」のはずです。もちろん、主張する人によって、「真理も真理で無いように」見られてしまうのですが・・・。
↑では、青いイルカさんの教団にこそ「真理がある・救いがある」という根拠はどこですか? 自分たちなりに聖書を読んで解釈した結果なわけですよね? JWも同じように自分たちなりに聖書を読んで解釈した結果なんですよ。信じる、という行程が入った上での判断なわけですからそのことに違いがないのは当然です。
そもそも、真理とは?なんてこと自体に興味がありません。宗教観の違い・価値観の違いじゃないでしょうか。
>でも問題は、その「偽ブランドのバッグ」で騙された人が、「本物のバッグ」を見た時に、騙された時の記憶がよみがえって来て、拒否反応で、動悸がしてきたり、気分が悪くなったりしてしまうということなのですよね。
↑いやいや、気にしすぎですよ(笑) 十字架が気持ち悪いとか、キリスト教を含め宗教はこりごりと思っている人も居ますけど、既存のキリスト教のことでそこまで反応してしまう人は殆ど居ないと思います。むしろ、JWの王国会館を見かけた時に昔を思い出して嫌な気持ちになることはありますが、それは青いイルカさんの言うところの「偽ブランドバッグ」に対する正常な反応なので普通の反応だと思ってます。
>次に、「双子を産んだタマル」のことですが、私は医者ではないし、女性でもないので、お産のことは、良くわかりませんが、出産時に先に出したのは「手」でありますから、問題なかったのではないでしょうか?
↑僕も産婦人科医ではありませんからアレですけど、客観的に見て産道に頭・肩が出てきている状態でなければ「手」が出てくる状態にはなりません。出産時には胎児は狭い産道をねじりながらうまく肩をずらしつつ出てこようとするのですけども、その状態で手を外に出し、そして引っ込めてまた産道を逆方向にねじりつつ胎内に戻る。素人でも判断できるほどの不可能な話です。胎児の手が1m近くあれば可能かもしれませんが・・・(笑)
出産は長引けば長引くほど危険なのに、上記のような産道での複雑な動きをすれば余計に時間がかかって大変なことになりますよ。ちなみに現代医学において、一旦手を出した胎児がまた胎内に戻って再度出産した事例はないかと思います。ぜひ学会で発表してください。
>まいけるさんもご指摘のように、ここでウソをつく何のメリットも、必要性もないことですし、ここは素直に、当時のこの事件(出来事)の目撃者の証言を信じようではありませんか。
↑ちょっと待ってくださいよ。
イルカさん:「聖書は科学的な本だ」
まいける:「どう考えても非科学的な記述がある、その部分を指摘。」
イルカさん:「でも、目撃者がそう言うのだから信じるべき」
これじゃ話になりませんよ。だったら最初から「聖書に書かれていることは全て真実であると『信じている』」と書けばいいんです。それだったら僕は何も言いませんから。僕は目撃者はウソを言っているとしか思わないだけです。よって非科学的だなあと。
創世記のユダとタマルの話はどう思われます? 子孫を残すためにタマルさんが売春婦に変装したということは筋が通るなあと思うのですが、ユダさんは道端に立っている女性を買春したわけです。イエスのご先祖様ともあろうお方がなんと言う不道徳!としか思えないんですけど?
聖書を信じたいから信じている、それでいいんじゃないですかねぇ? 無理に科学的だの道徳的に優れた本だとか言うと、そうじゃない部分があるので、ややこしい話になるだけですから。