JWの人が救われるか、救われないか・・・・についてですが、これは「将来」可能性があるかということなら、誰でも、いつか「イエスを主(エホバ)と信じる」かもしれませんので、「救われる可能性がある」ということですが、「現在の時点」で救われているか、ということであれば、救われている人と、救われていない人があるということです。
もちろん、その大部分のJWの信者さんはJWの教義に従って、「イエス・キリストは神ではないと信じている」わけでしょうから、救われていないことになるでしょう。
しかしJWの中には、何かのことで(例えば、組織の教科書(?)に従ってでなく、聖書を文脈どおりに、偏見なく読んだり、ネットで色々と調べたりして)、「イエスが主(神、エホバ)である」と信じた人がいるかもしれません。ただ家族やその他のしがらみで、まだJWの組織の中に残っているという状態ならば、その人は救われている、ということなのです。
タマルの出産のことは・・・・産婦人科勤務経験のある方が医者なのか看護士さんなのかよくわかりませんが、この事例が、医学的にありえないことなのかどうか、まだ検証尽くされてはいないことだと、私は思います。そのように、まだはっきりしないことを「非科学的だ」と断定されるのは、如何なものでしょう。それよりも歴史上の出来事が実際起きたかどうかの検証は、再現不可能なことですので(例、豊臣秀吉が本当に天下を取ったのか?)色んな文献を調べて、どうも本当らしいと、私たちは判断するわけです。逆に「タマルの出産」と同じような事が「今も実際に起こることが証明されても」それだけでは、当時、本当に「タマルの出産」が起きた証拠となりません。それを実際に経験した「目撃証言」が必要なのです。可能性があるというだけでは、実際に起きたかどうかは確定されません。ですから、私は今生きていて、いろいろ推測してものを言う人たちよりも、当時生きていてそのことを目撃した人の証言の方を信用します。
聖書はもっと大胆なことを証言しています。創世記1章6-7節に「神はまた言われた、『水の間に大空があって、水と水とを分けよ』。そのようになった。神は大空を造って、大空の下の水と大空の上の水とを分けられた。」とありますが、「大空の上の水」とは何でしょう。最初の地球の上空には、「水の層」が取り巻いていたというのです。今日、そのようなものはありません。聖書はウソを言っているのでしょうか?だから「非科学的」なんでしょうか?
そうではなく、実際に地球の上空を水が取り巻いていたから、そう記述されているのです。
では、その「水の層」は、今どうしてないのでしょう。その「水の層」は「ノアの大洪水」の時に、この地上に降り注いで、この地球上を水で覆い尽くしてしまったのです。その時に、旧世界のたくさんの生物たちが濁流にのまれて、色々な化石や石炭、石油が造られ、地層が形成されたのです。これらは長い年月をかけて造られたのではありません。洪水で一気に造られたのです。化石や石炭、石油は長い年月をかけては造られません。今でもこれらは実験室できわめて短時間で造られます。長い時間をかけては化石になる前にほかの動物に食べられたりして、原形をとどめることはできません。一気に水と土砂に埋められて高い圧力と熱を加えられた時に、化石も石炭も、石油も造られます。これは実験室で簡単に造ることができます。非常に科学的です。
何層もの地層を貫く木の化石も多数、発見されています。地層も何億年もかけて造られたのではなく、同じ時に一気に造られたのです。単に土砂の比重が違って沈んだので、それが地層になっただけの話です。これもコップ一つと水と土があれば実験できます。科学的です。
そして、なによりも、もし聖書が事実の記録でなく、人々に信じさせるために、意図して書かれたものであるならば、何も、現在、無いところの「大空の上の水」のことなど、どうして書くでしょうか?人々にその真実性を疑わせるだけです。まいけるさんだったらどうでしょうか?私でもそんなこと、書かないでしょうし、第一「大空の上の水」のことなど考えつきもしないことです。
でも、聖書記者はこのことが、事実のことですから、人々が信じにくくても、そう書かざるを得なかったのです。
次に、罪と赦しの関係ですが、最大の罪、根本的な罪である「まことの神を信じない」ことの悔い改めとは、神であるイエス様が人となって、この世界に来て下さり、私のすべての罪を負って死んで下さった救い主であると信じる時に、私たちの魂が聖められ、罪赦されて、天国に行くことが約束され、もうその根本的な罪の裁きである「地獄」に行く事は決してありませんが、個別の罪の当然の報い(法律上の裁きと神の懲らしめ)は受けなければなりません。
ダビデは家来の妻を横取りした罪のために、悔い改めたので、その罪を赦され死を免れたけれど、その姦淫の結果で生まれた子が死ぬようになり、将来に渡って、家に災いが起こされ、一時的ではあるが、実の子に王位を追われ、自分の妻たちを取られるという苦難を受けることになりました(サムエル記下12章7-14節)。
決して罪は割に合うものではありません。必ずその報いを受けます。イエスを主(神、罪からの救い主)と信じる時に、根本的な罪は赦されて天国に行くことはできるのですが、だからといって罪を犯してただで済むということではありません。
たとえば、根本的罪を赦されたクリスチャンだからといって、スピード違反をして罰金を払わなくてよいということはありません。必ずこの世での罪の報いは受けなければなりません。でもキリストの救いを受けている以上、必ず天国にいけるし、最終的(究極的)裁きの場所である地獄(ゲヘナ)へ行く事はない、ということです。悪いことをすればクリスチャンだって刑務所(この世の裁きの場所)へ行かなければなりません。「罪を犯した人間でも反省すればOK」ってそんな甘いことにはなりません。
まいけるさんの結論については
1)→「救いの道」を提供されるのは神ですが・・・・その道を「選ぶ」のは人間の側だということ。ただしその結果については自己責任ということ。
2)→「非科学的なことは信じる必要はない」が、ただそれが本当に非科学的なことであろうか?ということ。
何が「科学的」(真実)なことか?ということ。
3)→うーん、興味がない人にはお手上げです。
それでは、また。
もちろん、その大部分のJWの信者さんはJWの教義に従って、「イエス・キリストは神ではないと信じている」わけでしょうから、救われていないことになるでしょう。
しかしJWの中には、何かのことで(例えば、組織の教科書(?)に従ってでなく、聖書を文脈どおりに、偏見なく読んだり、ネットで色々と調べたりして)、「イエスが主(神、エホバ)である」と信じた人がいるかもしれません。ただ家族やその他のしがらみで、まだJWの組織の中に残っているという状態ならば、その人は救われている、ということなのです。
タマルの出産のことは・・・・産婦人科勤務経験のある方が医者なのか看護士さんなのかよくわかりませんが、この事例が、医学的にありえないことなのかどうか、まだ検証尽くされてはいないことだと、私は思います。そのように、まだはっきりしないことを「非科学的だ」と断定されるのは、如何なものでしょう。それよりも歴史上の出来事が実際起きたかどうかの検証は、再現不可能なことですので(例、豊臣秀吉が本当に天下を取ったのか?)色んな文献を調べて、どうも本当らしいと、私たちは判断するわけです。逆に「タマルの出産」と同じような事が「今も実際に起こることが証明されても」それだけでは、当時、本当に「タマルの出産」が起きた証拠となりません。それを実際に経験した「目撃証言」が必要なのです。可能性があるというだけでは、実際に起きたかどうかは確定されません。ですから、私は今生きていて、いろいろ推測してものを言う人たちよりも、当時生きていてそのことを目撃した人の証言の方を信用します。
聖書はもっと大胆なことを証言しています。創世記1章6-7節に「神はまた言われた、『水の間に大空があって、水と水とを分けよ』。そのようになった。神は大空を造って、大空の下の水と大空の上の水とを分けられた。」とありますが、「大空の上の水」とは何でしょう。最初の地球の上空には、「水の層」が取り巻いていたというのです。今日、そのようなものはありません。聖書はウソを言っているのでしょうか?だから「非科学的」なんでしょうか?
そうではなく、実際に地球の上空を水が取り巻いていたから、そう記述されているのです。
では、その「水の層」は、今どうしてないのでしょう。その「水の層」は「ノアの大洪水」の時に、この地上に降り注いで、この地球上を水で覆い尽くしてしまったのです。その時に、旧世界のたくさんの生物たちが濁流にのまれて、色々な化石や石炭、石油が造られ、地層が形成されたのです。これらは長い年月をかけて造られたのではありません。洪水で一気に造られたのです。化石や石炭、石油は長い年月をかけては造られません。今でもこれらは実験室できわめて短時間で造られます。長い時間をかけては化石になる前にほかの動物に食べられたりして、原形をとどめることはできません。一気に水と土砂に埋められて高い圧力と熱を加えられた時に、化石も石炭も、石油も造られます。これは実験室で簡単に造ることができます。非常に科学的です。
何層もの地層を貫く木の化石も多数、発見されています。地層も何億年もかけて造られたのではなく、同じ時に一気に造られたのです。単に土砂の比重が違って沈んだので、それが地層になっただけの話です。これもコップ一つと水と土があれば実験できます。科学的です。
そして、なによりも、もし聖書が事実の記録でなく、人々に信じさせるために、意図して書かれたものであるならば、何も、現在、無いところの「大空の上の水」のことなど、どうして書くでしょうか?人々にその真実性を疑わせるだけです。まいけるさんだったらどうでしょうか?私でもそんなこと、書かないでしょうし、第一「大空の上の水」のことなど考えつきもしないことです。
でも、聖書記者はこのことが、事実のことですから、人々が信じにくくても、そう書かざるを得なかったのです。
次に、罪と赦しの関係ですが、最大の罪、根本的な罪である「まことの神を信じない」ことの悔い改めとは、神であるイエス様が人となって、この世界に来て下さり、私のすべての罪を負って死んで下さった救い主であると信じる時に、私たちの魂が聖められ、罪赦されて、天国に行くことが約束され、もうその根本的な罪の裁きである「地獄」に行く事は決してありませんが、個別の罪の当然の報い(法律上の裁きと神の懲らしめ)は受けなければなりません。
ダビデは家来の妻を横取りした罪のために、悔い改めたので、その罪を赦され死を免れたけれど、その姦淫の結果で生まれた子が死ぬようになり、将来に渡って、家に災いが起こされ、一時的ではあるが、実の子に王位を追われ、自分の妻たちを取られるという苦難を受けることになりました(サムエル記下12章7-14節)。
決して罪は割に合うものではありません。必ずその報いを受けます。イエスを主(神、罪からの救い主)と信じる時に、根本的な罪は赦されて天国に行くことはできるのですが、だからといって罪を犯してただで済むということではありません。
たとえば、根本的罪を赦されたクリスチャンだからといって、スピード違反をして罰金を払わなくてよいということはありません。必ずこの世での罪の報いは受けなければなりません。でもキリストの救いを受けている以上、必ず天国にいけるし、最終的(究極的)裁きの場所である地獄(ゲヘナ)へ行く事はない、ということです。悪いことをすればクリスチャンだって刑務所(この世の裁きの場所)へ行かなければなりません。「罪を犯した人間でも反省すればOK」ってそんな甘いことにはなりません。
まいけるさんの結論については
1)→「救いの道」を提供されるのは神ですが・・・・その道を「選ぶ」のは人間の側だということ。ただしその結果については自己責任ということ。
2)→「非科学的なことは信じる必要はない」が、ただそれが本当に非科学的なことであろうか?ということ。
何が「科学的」(真実)なことか?ということ。
3)→うーん、興味がない人にはお手上げです。
それでは、また。