さふらんさんへ。
感銘を受けました。素敵な御主人さんをお持ちになって幸せですね。
>組織に従うことに気を奪われるあまり、本当の愛が脇へ押しやられる
・・・というのはエホバの証人を端的に言い表していると思います。いえ、エホバの証人を要約していると思います。
私の場合は真の愛を示してくれたのは親でした。私も親の猛烈な反対を押し切ってバプテスマを受けました。一時は勘当さえされました。でもやがて私になんだかんだ言いながら、協力はしてくれました。車からお不動さんのステッカーを剥がしてくれたり、集会の日には車を貸してくれたりと。
エホバの証人になって2〜3年すると、兄弟の場合は開拓奉仕を捉えて奉仕のしもべの立場を捉えるよう、強い要請のようなものを感じるようになってきました。私は不安だったのですが、それまでしてきた仕事を辞めて清掃の仕事に就きました。週3日の仕事です。もちろん親はたいへん怒りました。年金を免除してまで宗教にのめり込むことに母はしばらく泣いて暮らしていました。実際に開拓奉仕を始めてみると、大会などで強調されてきたのとは全然違うものでした。ひたすら時間稼ぐために距離を測って遠回りして廻ったり、休憩を上手に挟んで時間を入れたりというものでした。大会で開拓奉仕の悦びを話していた姉妹は1年に1200時間いれることで有名な人でしたが、実際には目立たない場所に車を止めてシートを倒して寝ていました。どうやらその時間も報告に含めているようでした。やがて研究も取り決まるようになりました。私個人の感想ですが、エホバの証人との研究に応じる男性はどこか傷ついた人とか、社会に適応しにくく思っている人とかが多いように感じました。うまく言えませんが自分を認めてくれる人を求めているように思えました。振り返ってみると自分もそうでした。それでその研究は辛いものでした。自分の弱点を目の当たりに見ているようで、それゆえに厳しくなりました。またその頃には経済的に厳しくなっていてそれもイライラの原因となっていました。光熱費の支払いも滞るようになっていたのです。お腹が減って、惨めな気持ちでした。やがてその研究生は私への苦情を長老にふと話したようです。私は呼び出されて注意を受けました。そのときに私は今の経済事情を話して、開拓奉仕を降りようと思うと言いました。すると、祈りが足りないのではないか、祝福があるようもっとエホバに依り頼むようになどと言われました。まるで私になにか悪い面があるかのような話し方で私はひどくショックを受けました。
それから会衆全体で何か私に対してよくない話が広まったらしく、みんななんとなく遠ざけるような雰囲気になったのです。それもショックでした。どうやら原因は長老に話した光熱費が滞っているということが原因のようでした。十分に費用を計算しないで開拓に入ったからだという良くない手本として見られたようです。
その頃から私は体に変調をきたしました。朝になっても体が重く、何かにのしかかられているようで起き上がれないのです。頭痛がし、食べる気も起こらず便秘が続きました。あまり長く続くので病院にゆくと、特に悪いところはないという検査結果でした。貯金も底をつき、病院にさえ行けず、1週間銭湯へも行けず、ついに恥を忍んで親に無心しました。めちゃくちゃ怒られましたがとにかく食事とお風呂に入りに帰り、市大病院で検査をしてもらいました。原因は心的なものだということで、脳神経科を紹介されうつだと診断されたのです。家のローンのために働いていた母は仕事を辞め、私につききりでいてくれました。会衆では私は、私ともう一人が開拓を降りることになったのですが、もう一人の姉妹は何月1日をもって開拓を降りられました、という発表でしたが私は、開拓者ではなくなりましたというものでした。同時に発表されたのです。私は問題のために削除という扱いでした。それは長老が私の経済状況を会衆に漏らしたんです、と巡回監督に訴えてしまったかららしいです。長老に不満を持つ分子ということでしょうか。
辛いとき、苦しいときには自信を失ってしまわないよう精神的にサポートするのが指導者の成員に対する愛ではないでしょうか。でもうまくいっている人がエホバに祝福されている人で、うまくいかない人はあまり祝福されていない人という見方で裁かれるのです。それはその長老の器量がふさわしくないということではないでしょうか。それにエホバの証人は奉仕の報告でしか成員を判断しないこともよくないと思います。
なんかまとまりのない愚痴になってしまいました。ゆーじさん、掲示板をうっとうしくしてしまってすいません。真の愛とは親のように私を信じ、理解しようと私の側にたってものを考えることだと思います。組織の基準に合ってるか否かで決めることではないと思います。
長ったらしく重苦しい話すいません。これまでふざけたような書き込みばかりしてきましたので、自分がだれか分かってしまう危険を冒して書きました。長いのはこれで最後にします。
感銘を受けました。素敵な御主人さんをお持ちになって幸せですね。
>組織に従うことに気を奪われるあまり、本当の愛が脇へ押しやられる
・・・というのはエホバの証人を端的に言い表していると思います。いえ、エホバの証人を要約していると思います。
私の場合は真の愛を示してくれたのは親でした。私も親の猛烈な反対を押し切ってバプテスマを受けました。一時は勘当さえされました。でもやがて私になんだかんだ言いながら、協力はしてくれました。車からお不動さんのステッカーを剥がしてくれたり、集会の日には車を貸してくれたりと。
エホバの証人になって2〜3年すると、兄弟の場合は開拓奉仕を捉えて奉仕のしもべの立場を捉えるよう、強い要請のようなものを感じるようになってきました。私は不安だったのですが、それまでしてきた仕事を辞めて清掃の仕事に就きました。週3日の仕事です。もちろん親はたいへん怒りました。年金を免除してまで宗教にのめり込むことに母はしばらく泣いて暮らしていました。実際に開拓奉仕を始めてみると、大会などで強調されてきたのとは全然違うものでした。ひたすら時間稼ぐために距離を測って遠回りして廻ったり、休憩を上手に挟んで時間を入れたりというものでした。大会で開拓奉仕の悦びを話していた姉妹は1年に1200時間いれることで有名な人でしたが、実際には目立たない場所に車を止めてシートを倒して寝ていました。どうやらその時間も報告に含めているようでした。やがて研究も取り決まるようになりました。私個人の感想ですが、エホバの証人との研究に応じる男性はどこか傷ついた人とか、社会に適応しにくく思っている人とかが多いように感じました。うまく言えませんが自分を認めてくれる人を求めているように思えました。振り返ってみると自分もそうでした。それでその研究は辛いものでした。自分の弱点を目の当たりに見ているようで、それゆえに厳しくなりました。またその頃には経済的に厳しくなっていてそれもイライラの原因となっていました。光熱費の支払いも滞るようになっていたのです。お腹が減って、惨めな気持ちでした。やがてその研究生は私への苦情を長老にふと話したようです。私は呼び出されて注意を受けました。そのときに私は今の経済事情を話して、開拓奉仕を降りようと思うと言いました。すると、祈りが足りないのではないか、祝福があるようもっとエホバに依り頼むようになどと言われました。まるで私になにか悪い面があるかのような話し方で私はひどくショックを受けました。
それから会衆全体で何か私に対してよくない話が広まったらしく、みんななんとなく遠ざけるような雰囲気になったのです。それもショックでした。どうやら原因は長老に話した光熱費が滞っているということが原因のようでした。十分に費用を計算しないで開拓に入ったからだという良くない手本として見られたようです。
その頃から私は体に変調をきたしました。朝になっても体が重く、何かにのしかかられているようで起き上がれないのです。頭痛がし、食べる気も起こらず便秘が続きました。あまり長く続くので病院にゆくと、特に悪いところはないという検査結果でした。貯金も底をつき、病院にさえ行けず、1週間銭湯へも行けず、ついに恥を忍んで親に無心しました。めちゃくちゃ怒られましたがとにかく食事とお風呂に入りに帰り、市大病院で検査をしてもらいました。原因は心的なものだということで、脳神経科を紹介されうつだと診断されたのです。家のローンのために働いていた母は仕事を辞め、私につききりでいてくれました。会衆では私は、私ともう一人が開拓を降りることになったのですが、もう一人の姉妹は何月1日をもって開拓を降りられました、という発表でしたが私は、開拓者ではなくなりましたというものでした。同時に発表されたのです。私は問題のために削除という扱いでした。それは長老が私の経済状況を会衆に漏らしたんです、と巡回監督に訴えてしまったかららしいです。長老に不満を持つ分子ということでしょうか。
辛いとき、苦しいときには自信を失ってしまわないよう精神的にサポートするのが指導者の成員に対する愛ではないでしょうか。でもうまくいっている人がエホバに祝福されている人で、うまくいかない人はあまり祝福されていない人という見方で裁かれるのです。それはその長老の器量がふさわしくないということではないでしょうか。それにエホバの証人は奉仕の報告でしか成員を判断しないこともよくないと思います。
なんかまとまりのない愚痴になってしまいました。ゆーじさん、掲示板をうっとうしくしてしまってすいません。真の愛とは親のように私を信じ、理解しようと私の側にたってものを考えることだと思います。組織の基準に合ってるか否かで決めることではないと思います。
長ったらしく重苦しい話すいません。これまでふざけたような書き込みばかりしてきましたので、自分がだれか分かってしまう危険を冒して書きました。長いのはこれで最後にします。