昼寝するぶた 掲示板過去ログ:#1263

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No.1263 世人との結婚、真の愛 投稿者:MANA 投稿日:2002/10/25 08:18     
おはようございます。

◆世の人との結婚、淫行(嫌な響きだ)に対する処分というものは、会衆によってこんなに
違うものか、と呆れるほどです。いくつか私の知っているケースをご紹介しますと、

・世の人と結婚(婚前の関係なし):おとがめなし
・世の人とのできちゃった結婚:排斥
・世の人とのできちゃった結婚:おとがめなし
・世の人との交際:特権剥奪、村八分

 同じ行為でも、排斥とおとがめなし、という、全く異なる処置がなされているのです。
甘い処置の理由としては、自分の会衆から排斥者を出す不名誉よりは聖書の原則を曲げた
ほうが良い、という考えがあります。これは全くの『聖書≪組織』ですよね。ですが
多くの会衆がこれで不祥事をナイナイしてきました。なのに、長老に対して正しい論理で
意見を述べると「分裂を招いている」と処分。なんか、おかしいですよね。

 厳しく見える処置としては、裁く立場にある人が(クリスチャンは人を裁いては
ならない?そんな原則はとっくの昔に死文化しています)義に過ぎてしまった場合と、
聖書に忠実に従ったまで、というケースがあります。


◆真の愛
 私の母は、開拓奉仕を経済的理由から降りた時、長老から「長年にわたって貢献して
下さり、ありがとうございました」と言われて喜んでいました。その当時の長老は極めて
忠実な、良い長老だったのですが、その後の長老は『数重視』の、とにかく人数だけ
増えれば、という人でした。開拓者で無い人は肩身が狭くなったのも、降りることが
大罪であるかのような言い方をされるようになったのもこれからです。おかげで数だけは
多いのに、要求を満たせない開拓者がごろごろしている会衆になってしまいました。
なにが「隣人に対する愛」ですかね。ちゃんちゃらおかしい。

 長老が代わるだけで、これだけ変わるのです。

 つまり今は、その会衆は人に仕える会衆ということですね。母も開拓奉仕をしようと
思えばできる立場になりましたが、『時間だけ入れればいいと思っているような連中と
一緒にされたくない』と、開拓への復帰を躊躇しています。


◆最近、開拓者学校に行って、学校が終わると離れる開拓者が増えているようです。
どうなってんでしょうか?なに考えてんでしょうか?
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