私は元1.5世なのかな〜?と ふと思った。
私が小学生の頃 母が研究を始めた。もしかすると 私は当時 母より熱心だったかもしれない。学校での証言なんて 強制されなくても喜んでするようなガキだった。
父は未信者と呼ぶより 反対者だろう。一時期は母の訪問先つぶしまでやってたらしい。
夫婦喧嘩なんて日常だった。いや、あれを喧嘩と呼べるだろうか。やめろ、やめないの喧嘩を通り越して 別れてくれ、別れないの押し問答。母は鸚鵡のように繰り返した。「信教の違いで離婚はできないのよ」(これは法律かな?)「姦淫の罪以外は離婚は認められないの」(こっちは教え??)
私が集会に行かなくなると 父は喜ぶどころか よけいに荒れた。最悪なのは 母が集会に行って家に居ない時に 父が帰宅して そこに私が居た場合。よほどストレスが溜まっていたのか 些細なことで暴力を振るうようになった。母もうすうす勘付いてはいたようだが「あなたがお父さんの言うことを聞かなかったからでしょう」で済まされた。(もともと母は自分にとって都合の悪い「現実」は見えない人なんだよね)
母は 頭の権とかって言って 私に「父に従え」と繰り返すのに 自分は父が反対してるのに 集会に行って奉仕に出て そして私に教えを押し付ける。意味不明。ただ「集会に行けば父に殴られなくてすむな〜」とも思ったけど(母の目の前では暴力はふるわなかったから) やめる時に母との間で滅茶苦茶大変だったので もう一度同じ事繰り返したくも無かったし。
そんな私の10代半ばの頃の「将来の夢」は「家を出る」ただそれだけだった。普通の子供なら ああなりたいとか こーゆー仕事につきたいとか いろいろあるんだろうけどね。
ん〜〜〜と、何が言いたかったかと言うと 吐き出しついでに(オイオイ)子供の居るご夫婦に「子供の事を考えるなら まず何よりも夫婦仲良くして下さい」って事。喧嘩したって良いけど 信頼関係があるかどうかって たとえ小さい子供でも感じるものなんですよね。
組織は「家庭」に口出ししても「責任」まではとってくれないでしょうから。
私が小学生の頃 母が研究を始めた。もしかすると 私は当時 母より熱心だったかもしれない。学校での証言なんて 強制されなくても喜んでするようなガキだった。
父は未信者と呼ぶより 反対者だろう。一時期は母の訪問先つぶしまでやってたらしい。
夫婦喧嘩なんて日常だった。いや、あれを喧嘩と呼べるだろうか。やめろ、やめないの喧嘩を通り越して 別れてくれ、別れないの押し問答。母は鸚鵡のように繰り返した。「信教の違いで離婚はできないのよ」(これは法律かな?)「姦淫の罪以外は離婚は認められないの」(こっちは教え??)
私が集会に行かなくなると 父は喜ぶどころか よけいに荒れた。最悪なのは 母が集会に行って家に居ない時に 父が帰宅して そこに私が居た場合。よほどストレスが溜まっていたのか 些細なことで暴力を振るうようになった。母もうすうす勘付いてはいたようだが「あなたがお父さんの言うことを聞かなかったからでしょう」で済まされた。(もともと母は自分にとって都合の悪い「現実」は見えない人なんだよね)
母は 頭の権とかって言って 私に「父に従え」と繰り返すのに 自分は父が反対してるのに 集会に行って奉仕に出て そして私に教えを押し付ける。意味不明。ただ「集会に行けば父に殴られなくてすむな〜」とも思ったけど(母の目の前では暴力はふるわなかったから) やめる時に母との間で滅茶苦茶大変だったので もう一度同じ事繰り返したくも無かったし。
そんな私の10代半ばの頃の「将来の夢」は「家を出る」ただそれだけだった。普通の子供なら ああなりたいとか こーゆー仕事につきたいとか いろいろあるんだろうけどね。
ん〜〜〜と、何が言いたかったかと言うと 吐き出しついでに(オイオイ)子供の居るご夫婦に「子供の事を考えるなら まず何よりも夫婦仲良くして下さい」って事。喧嘩したって良いけど 信頼関係があるかどうかって たとえ小さい子供でも感じるものなんですよね。
組織は「家庭」に口出ししても「責任」まではとってくれないでしょうから。