どうも,謝っているようでその実喧嘩を売り直しておられるようなので買ってさしあげます(飽くまでも「差し上げ」るのであって,あなたと同列だと勘違いしないでくださいね)。
> しかしながら、私はy様のご質問に、自分の持つ知識の範囲内でお
> 答えしただけで、それを「詭弁」だとか何とか言われる筋合いはあり
> ません。正直言って不快でした。
☆だからあなたの「持つ知識の範囲」が常軌を逸したものであるのにあなたがそれを絶対の基準として人を裁く姿勢を表明しておられるので黙過できなくなったのです。
> せめて「それはあなたの持っている聖書の観点である。私はこう思
> う」ぐらいの感じで言って頂ければまだ頭にも来ませんが。
☆「私はこう思う」というのは常識的な意見に対して,自分はこう思う,というべきもので,極論に対してそうするのは間違った使い方です。極論に対しては「あなたの論拠は何か」だけで十分です。
イエスが伝統を振りかざすパリサイ人に対して「それはあなたの持っている聖書の観点である。私はこう思う」などという話し方をしましたか? イエスが厚い配慮をもって扱われたのは弱い立場の人々,つまり聖書を拡大解釈した自分たちの伝統を不謬の基準とする者たちによって不当に罪に定められていた人々に対してです。
> (以下は失礼な物言いですが)
☆後述するように失礼以前の問題なのですが,失礼な輩は現役JWだけでなく,監禁主義者にも多いので,特に物珍しくもありません。
> あなたの意図は何ですか?自説の主張ですか?
☆思い上がるのもいい加減にしてください。あなたによって不当に罪に定められる人々に対し,「淫行」を本来の意味を越えて拡大解釈するJWの教義の非聖書性・異常性を論証しただけのことです。
> それにしてはご自身の40年のご経験は
> 「ものの言い方」という点であまり役には立っていないようですね。
> あなたの論調はまるで「経験の浅い若造を自分の豊富な理屈でやり込
> めて溜飲を下げたい」とお望みであるかのようです。いや、「たたみ
> かけてガツンといわせてやろうか」でしょうか?
☆あなたが「経験の浅い若造」であるか否かは特に関心はありませんが,「経験の浅い若造」は私の議論の対象でさえありません。
神学校の教授級に特定の専門分野について確認することがあるくらいで,地方教会の牧師たちは私の議論の対象ではありません。だからあなたが尻尾を巻いて悲鳴を上げたとしても,私にとっては溜飲を下げる効果さえありません。もっとも,あなたが知らずになしている(と思いますけど)パリサイ人的な裁きによって心を傷つけられた人々は,あなたが論破されたのを見て心の中で喝采しているかもしれません。
> もし前者のようにご自分の見解を知ってもらいたいということがお
> 望みなのであれば、「お気の毒に」とか「とどめに」とか「容赦して
> さしあげる」とかいう言葉は不要です。
☆間違った前提で強弁する習慣の愚かさに気づいてさえいない人に対しては,やはり「容赦して差し上げ」なくてはなりませんね。
> 私はあなたから見れば気の毒でとどめを刺すには余りに哀れで容赦し
> てやってもいいと見えるのかもしれませんが、実物はそこまでヘボく
> もないですよ。
☆そんなことを書いて一矢報いた気分に浸っているヒマがあったら,
> 結婚を『約束した』人の性行為を具体的に名指しして明確に禁じてい
> ないのだから、禁止されているとは言えない、というのであれば、そ
> のような拡大解釈はあらゆる聖句についてできます。タバコについて
> も禁止されてはいない、ということになります。
というあなた(というよりものみの塔協会)の伝統的強弁・詭弁に対して私がなした反証,つまり,
「聖書は,自動車を運転することを禁じていますか? 飛行機で空を飛ぶことを禁じていますか? 自身と他の人々の命を危険に晒すそうした行為は『聖書が明確に禁止していないけれど,やはり禁止されている』というのですか?」
という点に対して有効な反論を返せばよいのですよ。そうしてこそ「それはあなたの持っている聖書の観点である。私はこう思う」という中身のある議論を実践することになります。
もし自分の主張が根拠の無いものであったことに気づいたら,正直にその点を認めて(認めなくてもいいから)議論を次の段階に進めればよいのです。論破された(と思い込んだ)ら人格攻撃に出る,というのはヘボい人の特徴ですが,パリサイ人の特徴でもありますよ。
> しかしながら、私はy様のご質問に、自分の持つ知識の範囲内でお
> 答えしただけで、それを「詭弁」だとか何とか言われる筋合いはあり
> ません。正直言って不快でした。
☆だからあなたの「持つ知識の範囲」が常軌を逸したものであるのにあなたがそれを絶対の基準として人を裁く姿勢を表明しておられるので黙過できなくなったのです。
> せめて「それはあなたの持っている聖書の観点である。私はこう思
> う」ぐらいの感じで言って頂ければまだ頭にも来ませんが。
☆「私はこう思う」というのは常識的な意見に対して,自分はこう思う,というべきもので,極論に対してそうするのは間違った使い方です。極論に対しては「あなたの論拠は何か」だけで十分です。
イエスが伝統を振りかざすパリサイ人に対して「それはあなたの持っている聖書の観点である。私はこう思う」などという話し方をしましたか? イエスが厚い配慮をもって扱われたのは弱い立場の人々,つまり聖書を拡大解釈した自分たちの伝統を不謬の基準とする者たちによって不当に罪に定められていた人々に対してです。
> (以下は失礼な物言いですが)
☆後述するように失礼以前の問題なのですが,失礼な輩は現役JWだけでなく,監禁主義者にも多いので,特に物珍しくもありません。
> あなたの意図は何ですか?自説の主張ですか?
☆思い上がるのもいい加減にしてください。あなたによって不当に罪に定められる人々に対し,「淫行」を本来の意味を越えて拡大解釈するJWの教義の非聖書性・異常性を論証しただけのことです。
> それにしてはご自身の40年のご経験は
> 「ものの言い方」という点であまり役には立っていないようですね。
> あなたの論調はまるで「経験の浅い若造を自分の豊富な理屈でやり込
> めて溜飲を下げたい」とお望みであるかのようです。いや、「たたみ
> かけてガツンといわせてやろうか」でしょうか?
☆あなたが「経験の浅い若造」であるか否かは特に関心はありませんが,「経験の浅い若造」は私の議論の対象でさえありません。
神学校の教授級に特定の専門分野について確認することがあるくらいで,地方教会の牧師たちは私の議論の対象ではありません。だからあなたが尻尾を巻いて悲鳴を上げたとしても,私にとっては溜飲を下げる効果さえありません。もっとも,あなたが知らずになしている(と思いますけど)パリサイ人的な裁きによって心を傷つけられた人々は,あなたが論破されたのを見て心の中で喝采しているかもしれません。
> もし前者のようにご自分の見解を知ってもらいたいということがお
> 望みなのであれば、「お気の毒に」とか「とどめに」とか「容赦して
> さしあげる」とかいう言葉は不要です。
☆間違った前提で強弁する習慣の愚かさに気づいてさえいない人に対しては,やはり「容赦して差し上げ」なくてはなりませんね。
> 私はあなたから見れば気の毒でとどめを刺すには余りに哀れで容赦し
> てやってもいいと見えるのかもしれませんが、実物はそこまでヘボく
> もないですよ。
☆そんなことを書いて一矢報いた気分に浸っているヒマがあったら,
> 結婚を『約束した』人の性行為を具体的に名指しして明確に禁じてい
> ないのだから、禁止されているとは言えない、というのであれば、そ
> のような拡大解釈はあらゆる聖句についてできます。タバコについて
> も禁止されてはいない、ということになります。
というあなた(というよりものみの塔協会)の伝統的強弁・詭弁に対して私がなした反証,つまり,
「聖書は,自動車を運転することを禁じていますか? 飛行機で空を飛ぶことを禁じていますか? 自身と他の人々の命を危険に晒すそうした行為は『聖書が明確に禁止していないけれど,やはり禁止されている』というのですか?」
という点に対して有効な反論を返せばよいのですよ。そうしてこそ「それはあなたの持っている聖書の観点である。私はこう思う」という中身のある議論を実践することになります。
もし自分の主張が根拠の無いものであったことに気づいたら,正直にその点を認めて(認めなくてもいいから)議論を次の段階に進めればよいのです。論破された(と思い込んだ)ら人格攻撃に出る,というのはヘボい人の特徴ですが,パリサイ人の特徴でもありますよ。