重ねて横レスになりますが,
> 私は上記の件が罪ではないと明言してはいません。
> 何故なら、それは当人同士と神との関係、また個人の良心が関係して
> いるからであり、罪とみなす良心を持たれる方々もおられるからです
> お間違えになりませんように・・・
☆私も同様です。それを罪とみなすのもみなさないのもその人の自由です(もちろんこの場合の自由とは,その結果に対して自ら責任を持つべき物事であって,他人の解釈で裁かれるべき物事ではないという意味での自由です)。聖書はそれを重大な罪とは区別しており,JWの特徴的「淫行」論議は聖書の拡大解釈の産物であるという事実を認めた上で,各人の良心を尊重する必要があります。
> >私は、お二人の説明からも、自分の感覚からも、婚約した男女が
> 性関係を持つかどうかは当人同士の責任だと思います。
> yさんの持たれる良心が、この問題を罪ではないと判断されたに過ぎ
> ませんね・・
☆付け加えますと私の意見としては,それがある程度の罪であると判断しても人にはそれを実践する権利がある,ということです。交通違反はある程度以上の罪ですが,みんな実践していますね。
> それをすべての方々の判断基準とは出来ないと私は思います・・
> 神とキリストがそれをどうご覧になるか、それを熟慮すべきですね・・
☆神とキリストの見解は,聖書に立脚する限り,婚約していなくても性関係は自由(本人が責任を持つべき物事)なのです。血縁関係に無い異性との性行為のうち明確に罪とされている,あるいは禁止されている,といえるのは夫を持つ女性,そして他人の婚約者である女性との性交だけです。
もちろん,「許されている事がらのすべてが益となるわけではない」のは当然です。私は乱交を奨励するつもりは毛頭ありません。私はJWの拡大解釈に縛られることなく,自らの聖書の理解に基づいて自身を律していると言っているのです。
私が喫煙せず,他人が自分の車の中で喫煙することさえ許さないのは,聖書が喫煙を禁じていると思い込んでいるからではなく,純粋に健康の問題からのことなのです。
> ヨセフとマリアの件ですが、マリアが妊娠したのは聖霊によるもので
> したし(マタイ1:18)、マリアが子(イエス)を産むまでは、ヨ
> セフは彼女と性的な交わりを持たなかったとする聖書の記述は見逃せ
> ないものです(マタイ1:25)
☆私は「イエスはヨセフとマリアの婚前交渉の産物である」という主張をしたつもりは全くないのですが,舌足らず(キー足らず?)だったでしょうか?
ヨセフとマリアの件を引用したのは,それが客観的には「できちゃった結婚」であったからです。マリアのお腹の子は「人の意見では,ヨセフの子であった」のであり,ヨセフはガブリエルの勧めによってその現実を受け入れ「できちゃった」新婚夫婦を数カ月にわたって演じたのです。
それは,
@皇帝の登録令が発せられていなければ当時の夫婦の大多数が法律婚をすることなく一生を終えた
という事実の証明なのですが,もう一つ,
A一世紀においても「できちゃった結婚(=婚前交渉)」によってユダヤ教社会からもローマ帝国の社会からも特に不利益を被ることなどありえなかった
という事実の証明でもあるのです。
> 私たちは、現役、元を問わず、様々な良心を持たれる方々とネットを通じて接しているわけですが、有益な意見交換、情報交換するのが
> 目的で、他人を卑下することが目的ではないと私は思います
> それで有意義な仕方で、これからもネットを活用してゆきたいと
> 私自身、心から願います
☆横レスながら,同感です。
> 私は上記の件が罪ではないと明言してはいません。
> 何故なら、それは当人同士と神との関係、また個人の良心が関係して
> いるからであり、罪とみなす良心を持たれる方々もおられるからです
> お間違えになりませんように・・・
☆私も同様です。それを罪とみなすのもみなさないのもその人の自由です(もちろんこの場合の自由とは,その結果に対して自ら責任を持つべき物事であって,他人の解釈で裁かれるべき物事ではないという意味での自由です)。聖書はそれを重大な罪とは区別しており,JWの特徴的「淫行」論議は聖書の拡大解釈の産物であるという事実を認めた上で,各人の良心を尊重する必要があります。
> >私は、お二人の説明からも、自分の感覚からも、婚約した男女が
> 性関係を持つかどうかは当人同士の責任だと思います。
> yさんの持たれる良心が、この問題を罪ではないと判断されたに過ぎ
> ませんね・・
☆付け加えますと私の意見としては,それがある程度の罪であると判断しても人にはそれを実践する権利がある,ということです。交通違反はある程度以上の罪ですが,みんな実践していますね。
> それをすべての方々の判断基準とは出来ないと私は思います・・
> 神とキリストがそれをどうご覧になるか、それを熟慮すべきですね・・
☆神とキリストの見解は,聖書に立脚する限り,婚約していなくても性関係は自由(本人が責任を持つべき物事)なのです。血縁関係に無い異性との性行為のうち明確に罪とされている,あるいは禁止されている,といえるのは夫を持つ女性,そして他人の婚約者である女性との性交だけです。
もちろん,「許されている事がらのすべてが益となるわけではない」のは当然です。私は乱交を奨励するつもりは毛頭ありません。私はJWの拡大解釈に縛られることなく,自らの聖書の理解に基づいて自身を律していると言っているのです。
私が喫煙せず,他人が自分の車の中で喫煙することさえ許さないのは,聖書が喫煙を禁じていると思い込んでいるからではなく,純粋に健康の問題からのことなのです。
> ヨセフとマリアの件ですが、マリアが妊娠したのは聖霊によるもので
> したし(マタイ1:18)、マリアが子(イエス)を産むまでは、ヨ
> セフは彼女と性的な交わりを持たなかったとする聖書の記述は見逃せ
> ないものです(マタイ1:25)
☆私は「イエスはヨセフとマリアの婚前交渉の産物である」という主張をしたつもりは全くないのですが,舌足らず(キー足らず?)だったでしょうか?
ヨセフとマリアの件を引用したのは,それが客観的には「できちゃった結婚」であったからです。マリアのお腹の子は「人の意見では,ヨセフの子であった」のであり,ヨセフはガブリエルの勧めによってその現実を受け入れ「できちゃった」新婚夫婦を数カ月にわたって演じたのです。
それは,
@皇帝の登録令が発せられていなければ当時の夫婦の大多数が法律婚をすることなく一生を終えた
という事実の証明なのですが,もう一つ,
A一世紀においても「できちゃった結婚(=婚前交渉)」によってユダヤ教社会からもローマ帝国の社会からも特に不利益を被ることなどありえなかった
という事実の証明でもあるのです。
> 私たちは、現役、元を問わず、様々な良心を持たれる方々とネットを通じて接しているわけですが、有益な意見交換、情報交換するのが
> 目的で、他人を卑下することが目的ではないと私は思います
> それで有意義な仕方で、これからもネットを活用してゆきたいと
> 私自身、心から願います
☆横レスながら,同感です。