目覚め太さんのレスの中にちょっとコメント付けたいところがあったのでこの際書いておきます。
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> さて淫行についてですが、この言葉の背後にある意味、つまりは
> 言語の意味について、研究されると良いと思います。
> (勿論、JW以外の書物で・・・)
☆同感です。ただ,私は特にJW以外の書物で研究したのではなく,JWの主張から当然の結論を導き出しただけです。つまり,当然の結論からそれさせる仕掛けにはまって論じるか,それを見抜くか…の違いだけなのです。私はJWになって聖書に接したのではなく,全体を三回目の通読が詩編まで行ったあたりでJWと研究に入ったことで,JWの色眼鏡によらず聖書の一語一区を読む基盤をもっていたために,「淫行」に関する突飛な解釈が聖書に根拠を持たないものである事実は最初から知っていました。いずれ撤回されるであろうから背教者呼ばわりされる危険を冒さないために現役時代はずっと保留して通したのです。
> 淫行は大空の浪人さんが述べておられるように「ポルネイア」です。
> その本来の意味は「売春」ですが、あらゆる種類の不法な性関係を
> 指して用いられています。つまり結婚関係外の性器を用いた行為は
> 相手が存在しているなら、獣姦も同性愛も、また直接の行為ではない
> ものも、すべて淫行ということになります。
☆これこれ,これなんですよ,その仕掛けというのは。
「ポルネイア」が「(卑劣な目的のために)売り渡す」という意味で,聖書時代には売春を意味したという事実はものみの塔が明らかにしていることです。
そこで,「あらゆる種類の不法な性関係を指して用いられています」という小さな嘘が詭弁のポイントなのです。聖書(当然,ギリシャ語聖書…ポルネイアはギリシャ語)の中で「ポルネイア」が「あらゆる種類の不法な性関係を指して用いられて」いる箇所を私は知りません。どの場合でも特定の分野を意味しています。
たとえばコリント会衆の淫行者は,自分の父親の後妻と駆け落ち同棲していたのであって同性愛者ではありません。
娼婦を買う者は彼女と一体になるので自分が属するキリストの体に対して罪を犯すことになる,という論議では,「淫行」の意味するところは娼婦との性交です。
ソドムとゴモラに関するくだりは主として同性愛を意味していると一般に解釈されています。ロトの家が売春宿だったとも,み使いとの交接を要求した者たちが対価を用意していたとも述べられていませんが,文脈からすれば主な問題は行為の内容ではなくそれが地域全体にもたらした道徳的腐敗の方です。
啓示の書の大いなるバビロンと地の王たちの淫行とは,宗教と政治との交わりを意味していることが明らかです。
そのように,「ポルネイア」が「あらゆる種類の不法な性関係を指して用いられて」いる聖書の文脈は存在しません。聖書は風俗情報誌ではないので「ポルネイア」をそのように用いる余地がないのです。「あらゆる種類の不法な性関係を指して用いられて」というのも嘘です。
「ポルネイア」が結果として広い意味を持つようになったのは,ローマの風俗産業が現代と同じく,客の幅広い嗜好に応えるために,考え得る「あらゆる種類」の性的快楽を提供するようになっていったことによります。
だから本来の「ポルネイア」の意味するところは恋愛感情の発露たる性行為に対する,風俗産業が提供する性行為ということなのであり,それゆえに「性器を用いた行為」に限定されるものでもないのです。
たとえば現代の「前立腺マッサージ」などは性器に全く触れませんけど立派に射精するそうです(伝聞です…利用したことがないもので)。では「前立腺マッサージは『性器を用いた行為』あるいは『直接性器を刺激する行為』でないから『ポルネイア』ではない」といえますか?
女性の側も性感マッサージとかいうものがあるそうで(やはり利用したことがないもので…),その道のプロはたとえば乳房に対するマッサージだけで本当に失神させるそうなのですが,「乳房は性器ではないから,それは『ポルネイア』ではない」といえますか?
どちらも,対価と引き換えに性的な絶頂感を提供する風俗産業なのです。
そのように「性器を用いた行為」という要素は「ポルネイア」の必要条件ではなく,「性器を用いた行為」というのもまた嘘です。
> ですから結婚という取り決めの中で、夫婦が行なう性行為は、これに当たりません。
☆それは事実ですが「結婚関係外」という要素も「ポルネイア」の必要条件ではありません。聖書はある程度の恋愛関係にある男女の性行為を罪としてはいませんし,結果別れることになったら「淫行」だとしている訳でもありません。ルツ記を正直に読めばその点の裏付けを得られます。
@全体として,ボアズに対するルツのアプローチは,生粋のイスラエル人なるナオミの指導で行ったことである。
A畑で寝ているボアズの元に赴いた時点で,二人は婚約関係にはなかった。
Bその時のルツの支度(沐浴し,香油を塗り,下着を着替えた)に注目すべし。
C現場に着いたルツは眠っているボアズの寝床に入った。
Dルツがいることに気づいたボアズに対し,ルツは買い戻しの実行を要求した。
Eボアズはルツをとがめることをせず,全体として称賛している。
特にBは,ボアズとの性交もあり得るという意識を反映している…現代風にいえばシャワーを浴び,香水をふり,とっておきのランジェリーを着けたということ。話だけの予定で成熟した女性がそのような支度をして一人で男性の寝床に赴くことは絶対にない。
Cは,誰かに目撃されれば言い訳の余地が無い。婚約はおろか交際の関係にさえない二人が寝床を共にしているのを目撃されたら社会的に不利になるのであれば,ボアズは激怒してルツを追い払ったはず。
Dは間接的に義兄弟結婚の実行を求めること,つまり結ばれましょうという意思表示である。
Eは,当時のイスラエルでそのような女性の側からの積極的な行動とその成果としての婚前交渉が認められていた事実を裏付けている。もしそれが異教徒特有の恥ずべき習慣であったなら,ボアズはその点を指摘してルツをとがめたはずだが,そのような記述は一言もなく,ひたすらルツを褒めている。
ものみの塔ではその場で関係を持たずにルツを帰らせたと思われることから,婚前交渉が悪いことであるように見せかけるのですが,上記のように根拠はありません。その場で結ばれずに帰らせたとするなら,それが現実的な判断だったからであって,私でもそうするはずです。
ボアズは前々からルツに好意を抱いていて,系図を調べるなどして自分より優先権のある者がいることを知っていて,まずそっちを片づける必要があることを熟知していたのです。ルツの押しかけを受けてボアズは思案してあった計画を実行に移し,おそらくはルツのことをよく知らなかったその優先権者に,異教徒の女との義兄弟結婚である点を強調して棄権させ,合法的に相続地込みの義兄弟結婚を実現したのです。先に抜き差しならぬ仲になって優先権者に弱みを握られたりしていたら,相続地だけ取り上げられていたでしょう(それでも喰うには困らないでしょうけど,亡くなった親族に代わって土地の相続者を起こすという義兄弟結婚の見地からは失敗ですから)。
全体としてルツの行動とボアズの反応からは,婚約はおろか明確に付き合う関係に入っていなくても女性の側から寝床に押しかけて行くことを聖書はむしろ褒めている事実が裏付けられます。だから「結婚関係外の性交は不法なもの」という概念は旧約・新約を通じて聖書66巻のどこにもなく,それもまた組織お得意の嘘です。実際にはそれはひたすらピューリタンの特徴にすぎないのです。
そのように,各々は「解釈だ!」と開き直れる程度の小さな嘘なのですが,それを多段階に積み重ねた結果,そうしなければ導き出されるはずの当然の結論とは正反対の結論に行き着かされていることにお気づきになると思います。
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> さて淫行についてですが、この言葉の背後にある意味、つまりは
> 言語の意味について、研究されると良いと思います。
> (勿論、JW以外の書物で・・・)
☆同感です。ただ,私は特にJW以外の書物で研究したのではなく,JWの主張から当然の結論を導き出しただけです。つまり,当然の結論からそれさせる仕掛けにはまって論じるか,それを見抜くか…の違いだけなのです。私はJWになって聖書に接したのではなく,全体を三回目の通読が詩編まで行ったあたりでJWと研究に入ったことで,JWの色眼鏡によらず聖書の一語一区を読む基盤をもっていたために,「淫行」に関する突飛な解釈が聖書に根拠を持たないものである事実は最初から知っていました。いずれ撤回されるであろうから背教者呼ばわりされる危険を冒さないために現役時代はずっと保留して通したのです。
> 淫行は大空の浪人さんが述べておられるように「ポルネイア」です。
> その本来の意味は「売春」ですが、あらゆる種類の不法な性関係を
> 指して用いられています。つまり結婚関係外の性器を用いた行為は
> 相手が存在しているなら、獣姦も同性愛も、また直接の行為ではない
> ものも、すべて淫行ということになります。
☆これこれ,これなんですよ,その仕掛けというのは。
「ポルネイア」が「(卑劣な目的のために)売り渡す」という意味で,聖書時代には売春を意味したという事実はものみの塔が明らかにしていることです。
そこで,「あらゆる種類の不法な性関係を指して用いられています」という小さな嘘が詭弁のポイントなのです。聖書(当然,ギリシャ語聖書…ポルネイアはギリシャ語)の中で「ポルネイア」が「あらゆる種類の不法な性関係を指して用いられて」いる箇所を私は知りません。どの場合でも特定の分野を意味しています。
たとえばコリント会衆の淫行者は,自分の父親の後妻と駆け落ち同棲していたのであって同性愛者ではありません。
娼婦を買う者は彼女と一体になるので自分が属するキリストの体に対して罪を犯すことになる,という論議では,「淫行」の意味するところは娼婦との性交です。
ソドムとゴモラに関するくだりは主として同性愛を意味していると一般に解釈されています。ロトの家が売春宿だったとも,み使いとの交接を要求した者たちが対価を用意していたとも述べられていませんが,文脈からすれば主な問題は行為の内容ではなくそれが地域全体にもたらした道徳的腐敗の方です。
啓示の書の大いなるバビロンと地の王たちの淫行とは,宗教と政治との交わりを意味していることが明らかです。
そのように,「ポルネイア」が「あらゆる種類の不法な性関係を指して用いられて」いる聖書の文脈は存在しません。聖書は風俗情報誌ではないので「ポルネイア」をそのように用いる余地がないのです。「あらゆる種類の不法な性関係を指して用いられて」というのも嘘です。
「ポルネイア」が結果として広い意味を持つようになったのは,ローマの風俗産業が現代と同じく,客の幅広い嗜好に応えるために,考え得る「あらゆる種類」の性的快楽を提供するようになっていったことによります。
だから本来の「ポルネイア」の意味するところは恋愛感情の発露たる性行為に対する,風俗産業が提供する性行為ということなのであり,それゆえに「性器を用いた行為」に限定されるものでもないのです。
たとえば現代の「前立腺マッサージ」などは性器に全く触れませんけど立派に射精するそうです(伝聞です…利用したことがないもので)。では「前立腺マッサージは『性器を用いた行為』あるいは『直接性器を刺激する行為』でないから『ポルネイア』ではない」といえますか?
女性の側も性感マッサージとかいうものがあるそうで(やはり利用したことがないもので…),その道のプロはたとえば乳房に対するマッサージだけで本当に失神させるそうなのですが,「乳房は性器ではないから,それは『ポルネイア』ではない」といえますか?
どちらも,対価と引き換えに性的な絶頂感を提供する風俗産業なのです。
そのように「性器を用いた行為」という要素は「ポルネイア」の必要条件ではなく,「性器を用いた行為」というのもまた嘘です。
> ですから結婚という取り決めの中で、夫婦が行なう性行為は、これに当たりません。
☆それは事実ですが「結婚関係外」という要素も「ポルネイア」の必要条件ではありません。聖書はある程度の恋愛関係にある男女の性行為を罪としてはいませんし,結果別れることになったら「淫行」だとしている訳でもありません。ルツ記を正直に読めばその点の裏付けを得られます。
@全体として,ボアズに対するルツのアプローチは,生粋のイスラエル人なるナオミの指導で行ったことである。
A畑で寝ているボアズの元に赴いた時点で,二人は婚約関係にはなかった。
Bその時のルツの支度(沐浴し,香油を塗り,下着を着替えた)に注目すべし。
C現場に着いたルツは眠っているボアズの寝床に入った。
Dルツがいることに気づいたボアズに対し,ルツは買い戻しの実行を要求した。
Eボアズはルツをとがめることをせず,全体として称賛している。
特にBは,ボアズとの性交もあり得るという意識を反映している…現代風にいえばシャワーを浴び,香水をふり,とっておきのランジェリーを着けたということ。話だけの予定で成熟した女性がそのような支度をして一人で男性の寝床に赴くことは絶対にない。
Cは,誰かに目撃されれば言い訳の余地が無い。婚約はおろか交際の関係にさえない二人が寝床を共にしているのを目撃されたら社会的に不利になるのであれば,ボアズは激怒してルツを追い払ったはず。
Dは間接的に義兄弟結婚の実行を求めること,つまり結ばれましょうという意思表示である。
Eは,当時のイスラエルでそのような女性の側からの積極的な行動とその成果としての婚前交渉が認められていた事実を裏付けている。もしそれが異教徒特有の恥ずべき習慣であったなら,ボアズはその点を指摘してルツをとがめたはずだが,そのような記述は一言もなく,ひたすらルツを褒めている。
ものみの塔ではその場で関係を持たずにルツを帰らせたと思われることから,婚前交渉が悪いことであるように見せかけるのですが,上記のように根拠はありません。その場で結ばれずに帰らせたとするなら,それが現実的な判断だったからであって,私でもそうするはずです。
ボアズは前々からルツに好意を抱いていて,系図を調べるなどして自分より優先権のある者がいることを知っていて,まずそっちを片づける必要があることを熟知していたのです。ルツの押しかけを受けてボアズは思案してあった計画を実行に移し,おそらくはルツのことをよく知らなかったその優先権者に,異教徒の女との義兄弟結婚である点を強調して棄権させ,合法的に相続地込みの義兄弟結婚を実現したのです。先に抜き差しならぬ仲になって優先権者に弱みを握られたりしていたら,相続地だけ取り上げられていたでしょう(それでも喰うには困らないでしょうけど,亡くなった親族に代わって土地の相続者を起こすという義兄弟結婚の見地からは失敗ですから)。
全体としてルツの行動とボアズの反応からは,婚約はおろか明確に付き合う関係に入っていなくても女性の側から寝床に押しかけて行くことを聖書はむしろ褒めている事実が裏付けられます。だから「結婚関係外の性交は不法なもの」という概念は旧約・新約を通じて聖書66巻のどこにもなく,それもまた組織お得意の嘘です。実際にはそれはひたすらピューリタンの特徴にすぎないのです。
そのように,各々は「解釈だ!」と開き直れる程度の小さな嘘なのですが,それを多段階に積み重ねた結果,そうしなければ導き出されるはずの当然の結論とは正反対の結論に行き着かされていることにお気づきになると思います。