> あのう、大空の浪人さんはじめまして。
☆Chiebowさん,こちらこそ初めまして。
> 大変濃厚な文で、怒りに満ちていて、おどろおどろしいカキコでした。
☆それは,えらいすんまへん。
> アホな者でイマイチ筋が読めない部分もありました。できればご自分のホムペで順番に説明してほしいと思います。
☆いずれそうするつもり,と言いながら幾年月…です。
> いくらか質問させてください。
☆はいはい。
> >復帰』のために来ていて,襲撃しさえしなければ静かに話を聞いて帰ることが分かりきっている者を,なぜわざわざ徒党を組んで襲撃して警察を呼び,逮捕させようとするのか
>
> 襲撃とか武闘派とかありますが、警察を呼ぶということからすると、これは文字どおりの暴力なのですか? 殴ったり蹴ったりの。
☆その通り。第三ラウンドの岡山県真備会衆の王国会館では,一階の狭い通路で三名のJWに押さえつけられて身動きできない状態の私の顔面を,長老のH之内が右手で殴りつけ,左瞼を三針縫う怪我をさせられました。彼らの側もそれなりの怪我をして,うち二件は訴えて事件になっていますが,いずれもかすり傷で,しかも必ず彼らが数名で暴行している最中の出来事です。
> 何にもしていないのに警察を呼ぶというのがも一つ理解できないのですが。。。あたしがいた会衆もろくでなし会衆でしたが、そこまではしないでしょう。。。と思うのですが。。。
☆JWにとっても関係者にとっても信じられない事なのですが,
前哨戦
@1988年1月下旬,「排斥」の発表がなされるはずの木曜日の集会へいつも通り行ったら,追い返された。
に始まり,
A直に,倉敷市内の別の会衆(不正排斥を決定した審理委員港[仮名・一文字なので]が主宰監督の会衆)へ行ったらやはり港に追い返された。
Bその後,鴨方会衆の集会へは,日曜日の公開講演だけ,それもものみの塔研究との間の歌の間に出て帰るという条件で出席を認められた(神権学校・奉仕会は追い返されるのでその後は行かず)。
C同年7月下旬(または8月上旬),広島市サンプラザでのA大会では,午後のプログラムの途中で会場に着いたが,結びの歌の間に会場から出ることを要求された。
D上記大会の最終日,やはり午後のプログラムの途中で到着したら取り囲まれ,直に会場を去るよう要求された。
Eその次の日曜日,鴨方会衆の王国会館に着いたら直に追い返された。
F以後はこちらから逆襲するまでE状態が継続。ついでに明かせば,広島A大会に先立つ米子大会へ全日通ってほとんど録音し,発表文書も入手してありました。つまり広島A大会へは馬の糞T号らの迫害を受けるために行ったのですよ。
第一ラウンド
@1989年7月下旬,米子地域大会では何の干渉も無かった。
A同年8月上旬,米子大会明けの木曜日,鴨方会衆の王国会館へ行ったら,待ち構えていたE口+一名(必要で移動して来た奉仕の僕)がT号の命令と称して追い払おうとしたが無視したら掴みかかってきて引きずり回ししているところへT号が到着し,E口+一名と共に引きずり回しながら警察を呼ぶ。その晩の集会はぜ〜んぶ,なし。出席者は会場内に閉じ込められ,何が起きているのか質問することさえ許されなかったそうな。
B次の日曜の集会からはT号は手下を組織して,挑発係,暴行係,撮影係,そして中で集会を扱う係,と組織して暴力闘争に励んだ。ほどなくして西隣の笠岡会衆の主宰監督であるはずのK藤が一味に加わって,鴨方の王国会館での集団暴行を手助けするようになった(工藤は後に若い姉妹に姦淫を誘ったことが発覚して長老クビに。その後愛媛県松山市へ移動して行って,今年初め(?)に断絶したそうな)。鴨方事件は数カ月の揉み合いを経て立入禁止訴訟に移行し,周辺諸会衆の反応を確認すべく他の王国会館を回ることにしたために闘争の現場は倉敷市に移る。
第二ラウンド以降は別の機会に回します。第一ラウンドだけで十分信じられないでしょう? 実行した奴らの実名を挙げたいのはやまやまなのですが,ここでは支部委員級でないと実名は伏せる,というのが習慣なもので仮名でご容赦くだされ。
> なんでそこまで大空さんは嫌われたんですか? 失礼ながら日頃から礼儀がおおざっぱだったとか、長老に対して意見をいうとかあったのでは? そういう人っていたから。
☆MANAさんへのレスでその点書いている最中なので乞ご期待。
それと,ナザレのイエスはナザレさんではないように,私は大空さんではありません。お侍さんか,ご浪人さんか…という見地で結構です。
> >平穏な家庭生活を営むためには(既に一部は淫行を習慣にしている)長老た>ちの認可を必要とするシステムに若い人々を組み込み
> >鴨方の主宰監督になっていながら,未だ結婚させてもらえません。
> >長老なる馬の糞U号(○藤,×藤,馬の糞…T号は後で登場)は,私の不正排>斥に先立つ十年あまりの鴨方会衆内部のゴタゴタの責任があるヘボ一世の>N野と結婚させた自分の娘が
>
> 鴨方会衆では結婚は自分の意思でしないの? みんな長老が仕切っているの? それは越権行為でしょう。。。巡回監督は見て見ぬ振りだったの?
> それってちょっと変よ! あたしはいくら長老から命令されてもオトコ押し付けられてはい結婚しますなんて同意しないよ! オウム真理教じゃあるまいし。
☆確かに変ですが現実です。その点の詳細も書いている最中なのですが,一般論として,世俗の会場で式を挙げるにしても結婚そのものに長老団の承認を得なければなりません。承認を得られない結婚すれば「淫行」扱いされる訳で,普通はあり得ないのでしょうけど,「フィガロの結婚」のような騒ぎも起きて不思議はないのです。
> >罪人一味の弱みを握って金と淫行三昧の生活を実現しようと試み
>
> これってどんな試みだったのですか?
> 淫行三昧というのがちょっと分からないです。
☆その基盤となる経緯をつまり書いている最中なのですが,その時までに不正の存続に手を貸した旅行する監督たちを含め,近隣一帯の腐敗長老どもは馬の糞T号が私と協力して告発したら吹き飛ぶ状況だった,のが弱み。
当時既に,「淫行」がらみなら一方の当事者を仕立てるだけで証拠がなくても排斥できるよう密かに変更されていたので,腐敗した長老たちが提携すれば長老の「淫行」を告発したJWを好き放題に排斥できたのです。
T号が若い姉妹たちをどのような手段で釣ろうとしていたかはMANAさんへのレスに書きます。
> >失敗すると私の婚約者を寝返らせて自分の女にし,それまでの罪人一味とつるんで架空の「淫行」をでっちあげて私を不正に排斥し,
>
> ふつう、婚約が決まってるのに寝返ったりするかなー。
> 大空さんの方が強引だったんじゃないですか? 失礼なこと言いますが。。。
☆知らないなら無理もない,というより,信じられない事態なのですが,これもMANAさんへのレスに続けて書きます。
> >つまり,「淫行」が[婚前交渉を含む]などというピューリタニズムを「聖書の真理」にすり替える虚偽が実行されていなければこのすべての悲劇は>存在しなかったのです。百歩譲ってそうであっても,「『淫行』がらみな>ら一方の当事者の告白だけで自動的に排斥できる」という審理基準
>
> ピューリタンの教理は知らないけれど、エホ証はみな結婚届出すまでにHすると淫行とみなすということでバプ受けるんだから、それやったんなら問題なるのは仕方がないんじゃないかなー。そのK原姉妹も何にもなかったんならどうしてインコーしましたっていうのかなー。自分だって恥かくのになー。悔い改めて排斥にならなくても、注解ができなくなるとかの制限はあるはず。そんな目にあってまで嘘つくかなー。
☆これも書きつつありますが,鴨方会衆には,架空の性非行でっち上げに協力したことで,逆に特権階級になって腐敗長老の寵愛を受けてきた偽姉妹が実際にいたのです。K原が私と手と別れるまでT号は,K原の子供たちが手を上げても無視し,みんなが答えて終わってから突然に当てる,という嫌がらせを続けていました(それはもちろんK原自身と私に対してもです)。逆に私と別れたと認められるとT号はにこにこしながらK原母子を迎え,普通に注解を当て,すべての面で寵愛したのです。
上記,鴨方の第一ラウンドが始まるまでの間,鴨方会衆の成員の大半は「世の女性と淫行したとしか考えられない」と本気でヒソヒソ話をしていたそうです。誰もK原が淫行の相手とされているなど夢にも思わず,生活の事情で正規開拓を降りたということで手厚く交わっていたそうです。信じられないでしょうけど真実なのですよ。
>
> >さらにその女の歓心を買うために集会・大会の会場から私だけでなく不正>に気づいて追求しようとした未信者の夫まで暴力で排除して組織的襲撃を>習慣化させ,闘争が泥沼化すると支部にまでつながる背後の派閥が次々に>より一層悪辣な淫行家を送り込んで闘争を拡大する,
>
> 大会会場で暴力事件があればきっと大事件で、西日本一体に噂が広まるけど、週刊誌姉妹の母でもそんな噂しなかったけれどなー。それに暴力が習慣になってるっての、それ異常ですよ。会衆のみんな黙ってたの?
☆異常ですとも。異常だからこそ,みんな黙ってますよ。黙っている以外に道は無いのですから。何なら鴨方会衆の王国会館に実際に行って確認してみてください。誰も,何も答えず,ひたすら沈黙を守るはずです。もちろん,次の瞬間あなたはつまみ出されるでしょうけど。
> 疑ったりしてごめんなさい。あんまり異常なカキコなので、ちょっとにわかに信じがたくて。
☆信じられないのが正常です(私自身も,こうして記憶を呼び起こして書きながら,恐ろしいほどの信仰の闘いだったな〜と感慨深いです。
> とにかくほんとに、北海道広島会衆事件簿のように、もうちょっと筋道立てて説明してほしいです。
☆そもそも,今週になってこのような形で公表するとは夢にも思っていなかったものですから。何とか筋道立てて要約しようと努力しているのですが,広島会衆とは別の意味で複雑怪奇な筋道なのです。とりあえず一言でくくれば,元々JWかどうか疑わしいようなハチャメチャ会衆に,自分の手下を入れて乗っ取ろうとした長老たちが,手下の尻拭いに明け暮れるうちに泥沼が深まって,常軌を逸した闘争の深みに嵌まって行った,ということでしょうか。
> 一体そもそも何が原因だったんですか?
☆JW組織の地方組織の中で権力を握って金と淫行と名誉を我が物にしようとする腐敗した長老どもと,その派閥に入門し誠実で有能なJWを不正に駆逐して成り上がろうとするヘボい若者たちの浅ましい権勢欲と,そのような偽りと暴虐による闘争を可能にするJWの神権組織の制度,1980年代に入って本部から伝染した良識派を組織から駆逐しようとする制度変更(「組織に疑問=背教者」「排斥された者=背教者」「背教者=神の敵」「耳を貸したら背教者」等)。
それと,どうも私は面食いの女性の目にはひどく魅力的な人物に映るようです。親分の七光で威張っているだけのヘボい連中にはその点,激しい嫉妬の的になるのでしょう。
> かなり怒って書いてらして込み入っています。も一つよく飲みこめないです。
☆\(_ _ ) ハンセイ
☆Chiebowさん,こちらこそ初めまして。
> 大変濃厚な文で、怒りに満ちていて、おどろおどろしいカキコでした。
☆それは,えらいすんまへん。
> アホな者でイマイチ筋が読めない部分もありました。できればご自分のホムペで順番に説明してほしいと思います。
☆いずれそうするつもり,と言いながら幾年月…です。
> いくらか質問させてください。
☆はいはい。
> >復帰』のために来ていて,襲撃しさえしなければ静かに話を聞いて帰ることが分かりきっている者を,なぜわざわざ徒党を組んで襲撃して警察を呼び,逮捕させようとするのか
>
> 襲撃とか武闘派とかありますが、警察を呼ぶということからすると、これは文字どおりの暴力なのですか? 殴ったり蹴ったりの。
☆その通り。第三ラウンドの岡山県真備会衆の王国会館では,一階の狭い通路で三名のJWに押さえつけられて身動きできない状態の私の顔面を,長老のH之内が右手で殴りつけ,左瞼を三針縫う怪我をさせられました。彼らの側もそれなりの怪我をして,うち二件は訴えて事件になっていますが,いずれもかすり傷で,しかも必ず彼らが数名で暴行している最中の出来事です。
> 何にもしていないのに警察を呼ぶというのがも一つ理解できないのですが。。。あたしがいた会衆もろくでなし会衆でしたが、そこまではしないでしょう。。。と思うのですが。。。
☆JWにとっても関係者にとっても信じられない事なのですが,
前哨戦
@1988年1月下旬,「排斥」の発表がなされるはずの木曜日の集会へいつも通り行ったら,追い返された。
に始まり,
A直に,倉敷市内の別の会衆(不正排斥を決定した審理委員港[仮名・一文字なので]が主宰監督の会衆)へ行ったらやはり港に追い返された。
Bその後,鴨方会衆の集会へは,日曜日の公開講演だけ,それもものみの塔研究との間の歌の間に出て帰るという条件で出席を認められた(神権学校・奉仕会は追い返されるのでその後は行かず)。
C同年7月下旬(または8月上旬),広島市サンプラザでのA大会では,午後のプログラムの途中で会場に着いたが,結びの歌の間に会場から出ることを要求された。
D上記大会の最終日,やはり午後のプログラムの途中で到着したら取り囲まれ,直に会場を去るよう要求された。
Eその次の日曜日,鴨方会衆の王国会館に着いたら直に追い返された。
F以後はこちらから逆襲するまでE状態が継続。ついでに明かせば,広島A大会に先立つ米子大会へ全日通ってほとんど録音し,発表文書も入手してありました。つまり広島A大会へは馬の糞T号らの迫害を受けるために行ったのですよ。
第一ラウンド
@1989年7月下旬,米子地域大会では何の干渉も無かった。
A同年8月上旬,米子大会明けの木曜日,鴨方会衆の王国会館へ行ったら,待ち構えていたE口+一名(必要で移動して来た奉仕の僕)がT号の命令と称して追い払おうとしたが無視したら掴みかかってきて引きずり回ししているところへT号が到着し,E口+一名と共に引きずり回しながら警察を呼ぶ。その晩の集会はぜ〜んぶ,なし。出席者は会場内に閉じ込められ,何が起きているのか質問することさえ許されなかったそうな。
B次の日曜の集会からはT号は手下を組織して,挑発係,暴行係,撮影係,そして中で集会を扱う係,と組織して暴力闘争に励んだ。ほどなくして西隣の笠岡会衆の主宰監督であるはずのK藤が一味に加わって,鴨方の王国会館での集団暴行を手助けするようになった(工藤は後に若い姉妹に姦淫を誘ったことが発覚して長老クビに。その後愛媛県松山市へ移動して行って,今年初め(?)に断絶したそうな)。鴨方事件は数カ月の揉み合いを経て立入禁止訴訟に移行し,周辺諸会衆の反応を確認すべく他の王国会館を回ることにしたために闘争の現場は倉敷市に移る。
第二ラウンド以降は別の機会に回します。第一ラウンドだけで十分信じられないでしょう? 実行した奴らの実名を挙げたいのはやまやまなのですが,ここでは支部委員級でないと実名は伏せる,というのが習慣なもので仮名でご容赦くだされ。
> なんでそこまで大空さんは嫌われたんですか? 失礼ながら日頃から礼儀がおおざっぱだったとか、長老に対して意見をいうとかあったのでは? そういう人っていたから。
☆MANAさんへのレスでその点書いている最中なので乞ご期待。
それと,ナザレのイエスはナザレさんではないように,私は大空さんではありません。お侍さんか,ご浪人さんか…という見地で結構です。
> >平穏な家庭生活を営むためには(既に一部は淫行を習慣にしている)長老た>ちの認可を必要とするシステムに若い人々を組み込み
> >鴨方の主宰監督になっていながら,未だ結婚させてもらえません。
> >長老なる馬の糞U号(○藤,×藤,馬の糞…T号は後で登場)は,私の不正排>斥に先立つ十年あまりの鴨方会衆内部のゴタゴタの責任があるヘボ一世の>N野と結婚させた自分の娘が
>
> 鴨方会衆では結婚は自分の意思でしないの? みんな長老が仕切っているの? それは越権行為でしょう。。。巡回監督は見て見ぬ振りだったの?
> それってちょっと変よ! あたしはいくら長老から命令されてもオトコ押し付けられてはい結婚しますなんて同意しないよ! オウム真理教じゃあるまいし。
☆確かに変ですが現実です。その点の詳細も書いている最中なのですが,一般論として,世俗の会場で式を挙げるにしても結婚そのものに長老団の承認を得なければなりません。承認を得られない結婚すれば「淫行」扱いされる訳で,普通はあり得ないのでしょうけど,「フィガロの結婚」のような騒ぎも起きて不思議はないのです。
> >罪人一味の弱みを握って金と淫行三昧の生活を実現しようと試み
>
> これってどんな試みだったのですか?
> 淫行三昧というのがちょっと分からないです。
☆その基盤となる経緯をつまり書いている最中なのですが,その時までに不正の存続に手を貸した旅行する監督たちを含め,近隣一帯の腐敗長老どもは馬の糞T号が私と協力して告発したら吹き飛ぶ状況だった,のが弱み。
当時既に,「淫行」がらみなら一方の当事者を仕立てるだけで証拠がなくても排斥できるよう密かに変更されていたので,腐敗した長老たちが提携すれば長老の「淫行」を告発したJWを好き放題に排斥できたのです。
T号が若い姉妹たちをどのような手段で釣ろうとしていたかはMANAさんへのレスに書きます。
> >失敗すると私の婚約者を寝返らせて自分の女にし,それまでの罪人一味とつるんで架空の「淫行」をでっちあげて私を不正に排斥し,
>
> ふつう、婚約が決まってるのに寝返ったりするかなー。
> 大空さんの方が強引だったんじゃないですか? 失礼なこと言いますが。。。
☆知らないなら無理もない,というより,信じられない事態なのですが,これもMANAさんへのレスに続けて書きます。
> >つまり,「淫行」が[婚前交渉を含む]などというピューリタニズムを「聖書の真理」にすり替える虚偽が実行されていなければこのすべての悲劇は>存在しなかったのです。百歩譲ってそうであっても,「『淫行』がらみな>ら一方の当事者の告白だけで自動的に排斥できる」という審理基準
>
> ピューリタンの教理は知らないけれど、エホ証はみな結婚届出すまでにHすると淫行とみなすということでバプ受けるんだから、それやったんなら問題なるのは仕方がないんじゃないかなー。そのK原姉妹も何にもなかったんならどうしてインコーしましたっていうのかなー。自分だって恥かくのになー。悔い改めて排斥にならなくても、注解ができなくなるとかの制限はあるはず。そんな目にあってまで嘘つくかなー。
☆これも書きつつありますが,鴨方会衆には,架空の性非行でっち上げに協力したことで,逆に特権階級になって腐敗長老の寵愛を受けてきた偽姉妹が実際にいたのです。K原が私と手と別れるまでT号は,K原の子供たちが手を上げても無視し,みんなが答えて終わってから突然に当てる,という嫌がらせを続けていました(それはもちろんK原自身と私に対してもです)。逆に私と別れたと認められるとT号はにこにこしながらK原母子を迎え,普通に注解を当て,すべての面で寵愛したのです。
上記,鴨方の第一ラウンドが始まるまでの間,鴨方会衆の成員の大半は「世の女性と淫行したとしか考えられない」と本気でヒソヒソ話をしていたそうです。誰もK原が淫行の相手とされているなど夢にも思わず,生活の事情で正規開拓を降りたということで手厚く交わっていたそうです。信じられないでしょうけど真実なのですよ。
>
> >さらにその女の歓心を買うために集会・大会の会場から私だけでなく不正>に気づいて追求しようとした未信者の夫まで暴力で排除して組織的襲撃を>習慣化させ,闘争が泥沼化すると支部にまでつながる背後の派閥が次々に>より一層悪辣な淫行家を送り込んで闘争を拡大する,
>
> 大会会場で暴力事件があればきっと大事件で、西日本一体に噂が広まるけど、週刊誌姉妹の母でもそんな噂しなかったけれどなー。それに暴力が習慣になってるっての、それ異常ですよ。会衆のみんな黙ってたの?
☆異常ですとも。異常だからこそ,みんな黙ってますよ。黙っている以外に道は無いのですから。何なら鴨方会衆の王国会館に実際に行って確認してみてください。誰も,何も答えず,ひたすら沈黙を守るはずです。もちろん,次の瞬間あなたはつまみ出されるでしょうけど。
> 疑ったりしてごめんなさい。あんまり異常なカキコなので、ちょっとにわかに信じがたくて。
☆信じられないのが正常です(私自身も,こうして記憶を呼び起こして書きながら,恐ろしいほどの信仰の闘いだったな〜と感慨深いです。
> とにかくほんとに、北海道広島会衆事件簿のように、もうちょっと筋道立てて説明してほしいです。
☆そもそも,今週になってこのような形で公表するとは夢にも思っていなかったものですから。何とか筋道立てて要約しようと努力しているのですが,広島会衆とは別の意味で複雑怪奇な筋道なのです。とりあえず一言でくくれば,元々JWかどうか疑わしいようなハチャメチャ会衆に,自分の手下を入れて乗っ取ろうとした長老たちが,手下の尻拭いに明け暮れるうちに泥沼が深まって,常軌を逸した闘争の深みに嵌まって行った,ということでしょうか。
> 一体そもそも何が原因だったんですか?
☆JW組織の地方組織の中で権力を握って金と淫行と名誉を我が物にしようとする腐敗した長老どもと,その派閥に入門し誠実で有能なJWを不正に駆逐して成り上がろうとするヘボい若者たちの浅ましい権勢欲と,そのような偽りと暴虐による闘争を可能にするJWの神権組織の制度,1980年代に入って本部から伝染した良識派を組織から駆逐しようとする制度変更(「組織に疑問=背教者」「排斥された者=背教者」「背教者=神の敵」「耳を貸したら背教者」等)。
それと,どうも私は面食いの女性の目にはひどく魅力的な人物に映るようです。親分の七光で威張っているだけのヘボい連中にはその点,激しい嫉妬の的になるのでしょう。
> かなり怒って書いてらして込み入っています。も一つよく飲みこめないです。
☆\(_ _ ) ハンセイ