> と言うわけで、結論は、当時の最も厳しい極刑とは十字架で、イエスは極悪人として、当然十字架で処刑されているはずなのです。これは歴史的な事実なのです。目撃証人が生きていないのが残念ですが。
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☆ものみの塔の論説の一に「サタンは創造者ではなく模倣者にすぎない」というものがありますね(たとえば「だから,新しく発足した人類家族の,エホバに代わる神となろうとして最初の人間夫婦を誘惑した」って続く)。
一方,「偽りの崇拝の特徴は,十字をシンボルとすること,三位一体や三組の神を崇めること,霊魂不滅の教え…」といいます。
「だったら,模倣者にすぎないサタンの配下にある偽りの崇拝の特徴が共通しているのはなぜ? サタンはどうやってそれを思いついたの?」と,いうことになるわけで,ものみの塔の論理によれば,模倣者サタンは「十字架」「三位一体」「霊魂不滅」という真理をエホバから借用して偽りの崇拝に定着させた,ということになってしまうのです。
個人的には,ニケア公会議以来の「聖三位一体」の概念は聖書に基づいておらず,「当たらずといえども遠からず」の域を出ないものだと思っています。あの概念はローマ国教化の直後の時期の教義論争の過程で採用されてしまったものです。
幸か不幸かルターは私と似た結論で,聖三位一体に関してはあまり議論の価値を認めていないそうです(○×ルーテル神学校の校長センセから聞いた話)。つまり,父と子の同一性,さらには聖霊の神性に関する論議は,救いの問題などとは違って直接聖書に立脚した議論になり得ないのです。それは「ワタシの解釈はアンタの解釈より聖書的だぞ。なぜなら,ワタシの師匠の○×センセはアンタの師匠の△□センセより権威ある御方だからだ!」という水掛け論にしかならない性質のもので,それゆえに,ものみの塔が好んで攻撃の対象とするのであって,神に関する真理は別にあるのです。
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☆ものみの塔の論説の一に「サタンは創造者ではなく模倣者にすぎない」というものがありますね(たとえば「だから,新しく発足した人類家族の,エホバに代わる神となろうとして最初の人間夫婦を誘惑した」って続く)。
一方,「偽りの崇拝の特徴は,十字をシンボルとすること,三位一体や三組の神を崇めること,霊魂不滅の教え…」といいます。
「だったら,模倣者にすぎないサタンの配下にある偽りの崇拝の特徴が共通しているのはなぜ? サタンはどうやってそれを思いついたの?」と,いうことになるわけで,ものみの塔の論理によれば,模倣者サタンは「十字架」「三位一体」「霊魂不滅」という真理をエホバから借用して偽りの崇拝に定着させた,ということになってしまうのです。
個人的には,ニケア公会議以来の「聖三位一体」の概念は聖書に基づいておらず,「当たらずといえども遠からず」の域を出ないものだと思っています。あの概念はローマ国教化の直後の時期の教義論争の過程で採用されてしまったものです。
幸か不幸かルターは私と似た結論で,聖三位一体に関してはあまり議論の価値を認めていないそうです(○×ルーテル神学校の校長センセから聞いた話)。つまり,父と子の同一性,さらには聖霊の神性に関する論議は,救いの問題などとは違って直接聖書に立脚した議論になり得ないのです。それは「ワタシの解釈はアンタの解釈より聖書的だぞ。なぜなら,ワタシの師匠の○×センセはアンタの師匠の△□センセより権威ある御方だからだ!」という水掛け論にしかならない性質のもので,それゆえに,ものみの塔が好んで攻撃の対象とするのであって,神に関する真理は別にあるのです。