昼寝するぶた 掲示板過去ログ:#1719

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No.1719 コスモスさんへ 投稿者:S.榊原 投稿日:2002/12/07 21:49     
はじめまして、コスモスさん。
私は基本的に挑戦的な擁護系の人とは論争しないのを旨としているのですが、コスモスさんは「荒し」ではないようですので、気になったところだけお尋ねしたいと思います。不愉快に思われたら無視してください。

>でも全体(集合体)として見たときキリストの指導に服し続ける限りその中で足並みをそろえて行くのは賢明だと感じています。

コスモスさんの会衆ではどの基準に「足並みを揃えて」おられるのでしょうか。つまり80年代のように、おおざっぱに「上の」人たちの感じ方に揃えられているのでしょうか、それとも個人の事情、個人の感受性が尊重されているのでしょうか。

私は開拓奉仕に入らなかったので、認識が薄い=信仰が薄い=霊的に低いという評価で見られていました。当然それなりの処遇を受けてきました。私にとっては「凄まじい」という形容で言い表したい処遇でしたが、長老たちにとってはそういう感じ方は「消極的な見方」であり、「不平不満をいう精神」であり、「独自の方針に固執する精神」であるということでした。現に私は会衆から自分を孤立させているではないかと言われました。でも事実はみんなが私を遠ざけていたのです。監督たちからあからさまな冷遇を受けているのを見れば、会衆は大方弱い方にはつきません。このへんの実際についてはコスモスさんも理解していただけるんじゃないかと思います。なぜってこういうサイトを訪れる方なんですから。

若くて独身であれば、開拓奉仕をしていて当然だ、そのうえで研究を取り決めているなら「許される」、しかしふつうに働いて、いわば「安全な場所」で「目立つ事を追い求める」のは結婚しようとしているからだろう、下衆なヤツだというような反応が立ったのはなぜでしょうか。
当時は明日にでもハルマゲドンが来るから、その信仰があれば「世を十分に利用」したりしないはずだというものみの塔の文章を監督たちやお局姉妹たちの感じ方で解釈されており、その「解釈」が従うべき基準と見なされ、その基準に足並みを揃えなければならない「空気」が醸成されていたからです。私は結局圧力に屈し、開拓奉仕に踏み切りました。これは本当の事です、私が開拓奉仕の申込書を申請に行ったとき、長老は「参りましたか」と言いました。あのときの屈辱は忘れられない。しかしあの時は開拓奉仕に踏み切らなければ、もう会衆に交わり続けることはできませんでした。ものみの塔研究で、誰とは名指ししないものの、明らかに私を対象にした、非難じみた注解がお局開拓者、お局非開拓者の中年姉妹たちから頻繁に出されればまいりますよ、そりゃ。

コスモスさんは、「いや私は『キリストの指導に服する限り』と言った。君の場合はそれを逸脱しているから、エホバが介入してくるのを待つべきではないか」と言うでしょうね。しかしこういう会衆では「監督たちの不完全さによる、動揺させられる事態につまずくのはエホバを待つ態度が弱い、自分を頼りにするから倒れるのだ」という考え方で物事が進められてゆくのです。いわばエホバは不完全で抑圧的な雰囲気の組織を用いておられるのだから、それに服するべきだと言う事です。

コスモスさんは大人の文章をお書きになる。日本人が好きなやり方です。波風を立てるな、立てるほうも大人げないという意見ですよね。でももうそういうやり方は「世」でも破綻しているんですよ。三十年前ではセクハラ裁判が起こされて女性側が勝利するなんてことは考えられなかったでしょう。「真のキリスト教の会衆」では人権への配慮がそれ以上緻密に払われていたでしょうか。個人個人の事情が「世」とは比べものにならないくらいに考慮されてきたでしょうか。

全体の方へ足並みを揃えるのが大人だというやり方の陰で、大勢の人格が切り捨てられてきており、あなたたちはそれに対して何の謝罪も賠償も行なっていないと言えば、コスモスさんは私が幾つになっても大人になりきれていないと一蹴されるのでしょうね。

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