昼寝するぶた 掲示板過去ログ:#2058

昼寝するぶた

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No.2058 ありがとうございました。 投稿者:しきぶ 投稿日:2003/01/16 04:54         
> しきぶさん、私のわかる範囲で誠実にお答えしたいと思います。しかし私はあなたになぜそのような線引きをする必要があるのか逆にお聞きしたいのですが。

ヤオさんは、自由をもっているかで神の見地に達しているかを判断するとおっしゃいました。自由、普遍、地球的視野、子供から大人になる時そんな大きなことを言われても理解出来ないのです。

子供はまず家庭で、少し大きくなって友達関係の中で、学校で、会社で、少しずつ人とのかかわりを大きくしながら自分の存在している場所や自分の存在理由について理解を深めます。人間の成長過程ではある程度の線引きは身の守りでもあるのです。

はじめからすべてが自由と教わった若者。なんの拘束もされずし放題な人達を見ても私はその中に自由を感じません。羨ましいとも思いません。かえって『辛いだろうなぁ・・・・』と思うことさえあります。

私はエホバの組織に守られてきた部分を否定しません。みんなが組織のやり方を非難したとしても、私はあの組織でエホバ神を知り、神の宇宙主権について考え、すべての生き物を創造物として見ることを学び、聖書の知識の価値について知りました。それはエホバ神と組織を信頼していたから出来たことでした。エホバと組織と組織の人々を信頼していたから、その線引きの中で安心感を得て『これは正しいんだ』って思えていたから子供のように、混ぜ物のない食物を慕うようにその知識を取り入れました。

> それと全く同じように聖書自体はあなたの言う『神の宇宙的な見地』で書かれているものと見ることができるでしょう。つまり線のない宇宙から見た現実の地球のようなものなのです。しかしそれに『人間的な感覚』『組織的な見方』という線引きをして小さな地球儀ににしてしまっているのが宗教組織の現実といえるのではありませんか。

そうですね。それは真理と呼ばれる組織での知識が精神を拘束し、破壊し、人をがんじがらめにするということを自分で経験したからこそ実感として理解致しました。

けれど線引きがなければ、秩序を理解出来なかったでしょう。拘束や不自由を経験しなければ真の自由も理解出来なかったというのも自分の中では真実なのです。

> 彼らユダヤ人たちは自分たちが神の特別な臣民であって異邦人は汚れた者達であるため救われないという考え方を歴史事実によってイエスが覆した場面ですね。言葉を換えればエホバの組織の中にいなければ救われないと言う主張と同じような考え方といえるでしょう。それが完全に覆されたためユダヤ人たちはイエスを殺そうとまでしたのです。
>
> この事例でも明らかなように聖書は明らかに神の見地から書かれているのですが人間の側の見方組織の提供する教理教典によってこうしたことが見えなくされているのです。思考の自由、霊的な自由、精神的自由などがいかに重要であるか理解されたでしょうか。

ヤオさんのおっしゃっていることは本当にそのとおりだと思います。宗教的拘束によって苦しんでいる人には救いとなる言葉となるでしょう。

誠実に答えてくださり、ありがとうございました。
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