目覚め太です
さふらんさん・・
><組織そのものが背教者>ということであるならば、仮にそのことに 目覚めた方たちが、その組織の中にいながらにして、一体どの様 に、改革をしていくことが出来ると考えられるでしょうか?
確かに、このようにネット上で明らかにする事によって、目覚めた 人たちが、ある人は離れるでしょうし、ある人は組織に対して、
盲信する事をやめていくとするならば、今後、一体どんな変化が、 期待されるでしょう?
改革派JWの考えは人それぞれだと思います。
今回、意見を交わす方々の意見が大方一致していることは、嬉しい誤算でした。少なくとも私はそう捉えています。
私は聖書的な根拠に基づいて、改革に信念を持っております。
これが私が現役JWでいる志にも繋がってゆくことになるのですが、
私的な感情についてはこれ位にしておきたいと思います。
ですが、興味深いことに聖書はこう述べています。
「兄弟たち、苦しみを忍び、辛抱する点で、エホバの名によって語った預言者を模範としなさい」ヤコブ5:10
預言者たちは何故苦しみ、辛抱したのでしょうか?
彼らが伝えた音信は主に誰に宛てて語られたものだったでしょうか?
私はイザヤ、エレミヤ、ダニエル・・その他多くの預言者たちの行なった業やその苦悩を洞察できるようになった時、目覚めることができました・・
> 組織そのものは、もはや、真の神の是認を受けてはいないのです。
その組織の中で、改革というものにどんな意味があるのでしょう?
<(マタイ9:17)新しい葡萄酒を古い革袋に入れない・・。>
エホバ神は組織そのものを守られるのでしょうか?
歴史を通じて明らかな通り、またヤオさんが述べて下さったように、
組織はいつの時代も腐敗してきました。
神の組織を自称するJW組織もやはり腐敗してきたと言わねばならず、背教したユダ王国やイスラエル王国と同様の末路を歩んでいる
と言わざるを得ません。
では何故、滅びゆく組織の中で、預言者たちは遣わされ、警告や裁き、または回復の音信がふれ告げられたのでしょうか?
このことを深く洞察するなら、改革という名の背後にある精神を汲み取ることができるのではないでしょうか・・・
さふらんさん・・
><組織そのものが背教者>ということであるならば、仮にそのことに 目覚めた方たちが、その組織の中にいながらにして、一体どの様 に、改革をしていくことが出来ると考えられるでしょうか?
確かに、このようにネット上で明らかにする事によって、目覚めた 人たちが、ある人は離れるでしょうし、ある人は組織に対して、
盲信する事をやめていくとするならば、今後、一体どんな変化が、 期待されるでしょう?
改革派JWの考えは人それぞれだと思います。
今回、意見を交わす方々の意見が大方一致していることは、嬉しい誤算でした。少なくとも私はそう捉えています。
私は聖書的な根拠に基づいて、改革に信念を持っております。
これが私が現役JWでいる志にも繋がってゆくことになるのですが、
私的な感情についてはこれ位にしておきたいと思います。
ですが、興味深いことに聖書はこう述べています。
「兄弟たち、苦しみを忍び、辛抱する点で、エホバの名によって語った預言者を模範としなさい」ヤコブ5:10
預言者たちは何故苦しみ、辛抱したのでしょうか?
彼らが伝えた音信は主に誰に宛てて語られたものだったでしょうか?
私はイザヤ、エレミヤ、ダニエル・・その他多くの預言者たちの行なった業やその苦悩を洞察できるようになった時、目覚めることができました・・
> 組織そのものは、もはや、真の神の是認を受けてはいないのです。
その組織の中で、改革というものにどんな意味があるのでしょう?
<(マタイ9:17)新しい葡萄酒を古い革袋に入れない・・。>
エホバ神は組織そのものを守られるのでしょうか?
歴史を通じて明らかな通り、またヤオさんが述べて下さったように、
組織はいつの時代も腐敗してきました。
神の組織を自称するJW組織もやはり腐敗してきたと言わねばならず、背教したユダ王国やイスラエル王国と同様の末路を歩んでいる
と言わざるを得ません。
では何故、滅びゆく組織の中で、預言者たちは遣わされ、警告や裁き、または回復の音信がふれ告げられたのでしょうか?
このことを深く洞察するなら、改革という名の背後にある精神を汲み取ることができるのではないでしょうか・・・