目覚め太です
ムチについて・・・
皆さん、色々な意見を出されていますが、私もアウシュビッツ王国会館で
幼少時期を過ごした、生き残りJWであります・・
集会中に横を向いただけで引っ叩かれた経験もありますし、集会後に自宅に
帰ってから延々とムチ打たれたこともあります。
ですから、JWのムチについては言いたいことがたくさんありますが、
今回は以下の記事を引用し、投稿したいと思います。
「聖書は,激しい怒りの感情に屈することを強く戒めて,親が行き過ぎないよう助けています。もし親がこうした諭しを無視して,怒りを爆発させ,
子供をひどく打ちたたくなら,懲らしめが愛の一つの表現であると述べる神の言葉に反することになるでしょう。聖書は,怒りに駆られてむちを加えたり,打ちつけたりすることを容認していません。そうした体罰は幼い子供に傷を負わせ,ある場合には子供をかたわにすることさえあるのです。それは愛ある懲らしめではなく,子供の虐待です。
賢明な親は,子供を矯正し罰する様々な方法があることを認めています。時には,厳しい言葉だけで十分でしょう。わがままな子供をしばらく隔離することもできます。子供らしい不注意や無責任が原因で何かをこぼしたり壊したりした場合,もしふさわしいなら子供に掃除をさせたり,償いをするために働かせたりするのは,えてして非常に効果があるものです。もちろん,融通性をもたせ,状況と子供によってこらしめを変えることは大切です」
子供に体罰を与えるのは正しいことですか
目ざめよ79,8/8 28,29P
このようにJWは懲らしめという名目での体罰を容認しながらも、それが
児童虐待につながる恐れがあることを認めています。
ここで注意しなければならないのは「子供を矯正し罰する様々な方法がある」ということ「時には,厳しい言葉だけで十分である」という一文です。
つまり懲らしめが自動的にムチという行為に繋がるわけでは無いと認めているにも関わらず、これまで多くの子供たちが虐待されてきたのです・・
それが一番、容易にカタがつく方法とみなされていたのでしょう。
子供を平気でムチしてきた親たちの多くは、それが虐待に繋がり、さらに神の目に重大な罪を犯しうるという認識が欠落していたと言わなければならないでしょう。それは神の言葉に対する重大な違反行為です。
加えてJW組織はそれを容認し、奨励さえしてきました。
かつては子供を育てたことも無いJWたちが、懲らしめについて親に助言することも多く見受けられましたが、いわゆるこうしたド素人が神の言葉を教えること自体が問題だったのです!
結果として、心に大きな傷を負った子供たちは、恐れの気持ちからJWを
やらされる破目になり、そして多くのアダルトチルドレンが生まれました。
子供の時から大人と同じ行儀や振る舞いを要求し、それを霊的と見るJWの基準は大いに間違っており、こうした見方は自然の情愛の欠如と言わざるを得ません!
最近の傾向として、子供たちを王国会館でムチすることは少なくなっていると感じていますが、それでも夜遅くまで集会で起こされたり、野外に連れまわされたりすることは、親の身勝手な行為です!
子供は子供らしく、大人は大人らしくあるべきなのです・・
こうした純粋さが幼少の頃から失われ、常に他の人の目を気にしながら生きなければならないように教育したJWの責任は恐ろしく重大です!
ムチについて・・・
皆さん、色々な意見を出されていますが、私もアウシュビッツ王国会館で
幼少時期を過ごした、生き残りJWであります・・
集会中に横を向いただけで引っ叩かれた経験もありますし、集会後に自宅に
帰ってから延々とムチ打たれたこともあります。
ですから、JWのムチについては言いたいことがたくさんありますが、
今回は以下の記事を引用し、投稿したいと思います。
「聖書は,激しい怒りの感情に屈することを強く戒めて,親が行き過ぎないよう助けています。もし親がこうした諭しを無視して,怒りを爆発させ,
子供をひどく打ちたたくなら,懲らしめが愛の一つの表現であると述べる神の言葉に反することになるでしょう。聖書は,怒りに駆られてむちを加えたり,打ちつけたりすることを容認していません。そうした体罰は幼い子供に傷を負わせ,ある場合には子供をかたわにすることさえあるのです。それは愛ある懲らしめではなく,子供の虐待です。
賢明な親は,子供を矯正し罰する様々な方法があることを認めています。時には,厳しい言葉だけで十分でしょう。わがままな子供をしばらく隔離することもできます。子供らしい不注意や無責任が原因で何かをこぼしたり壊したりした場合,もしふさわしいなら子供に掃除をさせたり,償いをするために働かせたりするのは,えてして非常に効果があるものです。もちろん,融通性をもたせ,状況と子供によってこらしめを変えることは大切です」
子供に体罰を与えるのは正しいことですか
目ざめよ79,8/8 28,29P
このようにJWは懲らしめという名目での体罰を容認しながらも、それが
児童虐待につながる恐れがあることを認めています。
ここで注意しなければならないのは「子供を矯正し罰する様々な方法がある」ということ「時には,厳しい言葉だけで十分である」という一文です。
つまり懲らしめが自動的にムチという行為に繋がるわけでは無いと認めているにも関わらず、これまで多くの子供たちが虐待されてきたのです・・
それが一番、容易にカタがつく方法とみなされていたのでしょう。
子供を平気でムチしてきた親たちの多くは、それが虐待に繋がり、さらに神の目に重大な罪を犯しうるという認識が欠落していたと言わなければならないでしょう。それは神の言葉に対する重大な違反行為です。
加えてJW組織はそれを容認し、奨励さえしてきました。
かつては子供を育てたことも無いJWたちが、懲らしめについて親に助言することも多く見受けられましたが、いわゆるこうしたド素人が神の言葉を教えること自体が問題だったのです!
結果として、心に大きな傷を負った子供たちは、恐れの気持ちからJWを
やらされる破目になり、そして多くのアダルトチルドレンが生まれました。
子供の時から大人と同じ行儀や振る舞いを要求し、それを霊的と見るJWの基準は大いに間違っており、こうした見方は自然の情愛の欠如と言わざるを得ません!
最近の傾向として、子供たちを王国会館でムチすることは少なくなっていると感じていますが、それでも夜遅くまで集会で起こされたり、野外に連れまわされたりすることは、親の身勝手な行為です!
子供は子供らしく、大人は大人らしくあるべきなのです・・
こうした純粋さが幼少の頃から失われ、常に他の人の目を気にしながら生きなければならないように教育したJWの責任は恐ろしく重大です!