目覚め太です
ものみの塔、03年2月15日号、第二研究記事に何気なく書いてあった
一文が大変気になったもので、今回緊急に投稿致します。
記念式に関する研究記事でしたが、以下引用します。
11節
「ですから、1930年代までに、天的な級はおおむね選び終えられたことが明らかになっていました。以来、幾十年も行なわれてきた探す業の対象は
地的な希望を抱くほかの羊です。もし油そそがれた人のだれかが不忠実になるとしたら、恐らくは、ほかの羊として長年忠実に神に仕えてきた人の一人が、14万4,000人に生じたその欠員を補うように召されることでしょう」
質問:献身の日付が、その人の希望に影響し得るのはなぜですか
おいおい・・
今まで散々「楽園」「永遠の命」「亡くなった家族の再会」を期待させておいて、欠員が生じたら?楽園待ちグループの人間を選んで、天に行かすのか???
この説明の聖書的な見解が出ていないぞ!
どこの聖句を根拠にしているのかきちんと説明してくれ!!
結局は年功序列かい・・
世のものでないはずの組織が、思いっきりぃ世の影響を受けて・・・
こういうことをする位なら、初めから「今は楽園で永遠に生きる人々しか集めていない」なんて声高に言わないことです!!!
これは「恐らく」じゃあ片付けられない大変な問題です!
それと・・
15節
「・・・1世紀に王国相続者が召された時、その全員が会衆で責任ある立場に就いたわけではありません。また、天の召しを受けている人は、目立とうとはしませんし、油そそがれていることを誇りもしません。キリストの思いを持つ人に期待される謙遜さを示します」
個人的な感想ですが、JWでは「油そそがれた」人物とは「謙遜さ」どころかむしろ「神格化」されていると強く感じます。彼らは「神の養子」であり、「天の王」また「祭司」となる見込みがあることを明らかに誇ってきました。
これまで散々ものみの塔紙面を通じて、また集会や大会を通じてJW組織はそれを強調してきたのではないでしょうか。
例えば・・
自分の豪邸を協会の資金を使って建てさせたラザフォードや、こんな日本の礎を築いたロイド・バリーなどの人物は、謙遜さが表われている人物には到底思えません。NGO加盟もロイド・バリーがやったんでしたっけ???
全く最悪です・・
16節
「・・しかし、霊による油そそぎによって、非凡な理解力がもたらされるわけではありません。パウロは油そそがれていたある人たちに、諭しや助言を
与えなければなりませんでした。神は、ご自分の民すべてに霊的食物を供給する、一つの取り決めを設けておられます。ですからだれにしても、油そそがれたクリスチャンは地的な希望を持つ人より知恵が優れている、と考えるべきではありません。霊によって油そそがれていることは、聖書の質問に答える際、証言する際、あるいは聖書講演をする際の熟練ぶりに表われるわけでもありません。そうした点では、地的な希望を持つクリスチャンもよく果たしています」
結局のところ・・
JWが散々強調してきた、個人研究、注解、野外奉仕、再訪問、研究・・・それらの業で信仰や霊性?、進歩?が測られるのではないということでしょう。そんなの当たり前のことです!
それをクドクドと強調して、多くの人々に、やれ霊性が低いとか認識が浅い、理解が乏しいなんてよくも言ってきたものです!
立場で人を偏り見て、差別してきたくせに・・・
全く最悪です!
加えて・・
「知恵が優れていない」のなら・・どうやって理解が得られるのか???
上からの知恵、漸進的な理解、光が輝きを増すって・・・
これまでJW組織は、
油そそがれたクリスチャン→忠実で思慮深い奴隷級→統治体
という構図を示してきました。
ですからJW内では当然、王また祭司級の人々はより深い洞察や理解を持ち合わせているに違いないと信じて疑わないはずです。
ですが、油そそがれたクリスチャンが地的な希望を持つクリスチャンより「知恵が優れていない」、もしくは「たいして差が無い」のであるなら、
JW各自が自ら考え、神との個人的な関係において良心的に決定したことを、こうするべき、ああするべきだなどと協会が、支部が、旅行する監督が、または会衆の長老が言う権利が果たしてあるのでしょうか?
この論理でゆくと、JW600万信者の信仰の主人と化している統治体は、構成員が皆「知恵が優れていない」人々の集まりという様にも受け取れ、
そもそも統治体に問い合わせる必要性そのものが無くなり、またその傘下である日本支部にも問題を扱う資格など全く無いことになります。
むしろ各自が神との個人的な関係において良心的に決定できるということになるのではないでしょうか・・
これも重大な問題だと思います!
このように・・
紙面に何気なく書いてある一文でも、実はもの凄いことを意味しています。
こういう記事を出すってことは・・そろそろ・・教義の方向転換か???
どうでもいいけど・・
もうこれ以上、信者を振り回すのはやめてくれ!
ものみの塔、03年2月15日号、第二研究記事に何気なく書いてあった
一文が大変気になったもので、今回緊急に投稿致します。
記念式に関する研究記事でしたが、以下引用します。
11節
「ですから、1930年代までに、天的な級はおおむね選び終えられたことが明らかになっていました。以来、幾十年も行なわれてきた探す業の対象は
地的な希望を抱くほかの羊です。もし油そそがれた人のだれかが不忠実になるとしたら、恐らくは、ほかの羊として長年忠実に神に仕えてきた人の一人が、14万4,000人に生じたその欠員を補うように召されることでしょう」
質問:献身の日付が、その人の希望に影響し得るのはなぜですか
おいおい・・
今まで散々「楽園」「永遠の命」「亡くなった家族の再会」を期待させておいて、欠員が生じたら?楽園待ちグループの人間を選んで、天に行かすのか???
この説明の聖書的な見解が出ていないぞ!
どこの聖句を根拠にしているのかきちんと説明してくれ!!
結局は年功序列かい・・
世のものでないはずの組織が、思いっきりぃ世の影響を受けて・・・
こういうことをする位なら、初めから「今は楽園で永遠に生きる人々しか集めていない」なんて声高に言わないことです!!!
これは「恐らく」じゃあ片付けられない大変な問題です!
それと・・
15節
「・・・1世紀に王国相続者が召された時、その全員が会衆で責任ある立場に就いたわけではありません。また、天の召しを受けている人は、目立とうとはしませんし、油そそがれていることを誇りもしません。キリストの思いを持つ人に期待される謙遜さを示します」
個人的な感想ですが、JWでは「油そそがれた」人物とは「謙遜さ」どころかむしろ「神格化」されていると強く感じます。彼らは「神の養子」であり、「天の王」また「祭司」となる見込みがあることを明らかに誇ってきました。
これまで散々ものみの塔紙面を通じて、また集会や大会を通じてJW組織はそれを強調してきたのではないでしょうか。
例えば・・
自分の豪邸を協会の資金を使って建てさせたラザフォードや、こんな日本の礎を築いたロイド・バリーなどの人物は、謙遜さが表われている人物には到底思えません。NGO加盟もロイド・バリーがやったんでしたっけ???
全く最悪です・・
16節
「・・しかし、霊による油そそぎによって、非凡な理解力がもたらされるわけではありません。パウロは油そそがれていたある人たちに、諭しや助言を
与えなければなりませんでした。神は、ご自分の民すべてに霊的食物を供給する、一つの取り決めを設けておられます。ですからだれにしても、油そそがれたクリスチャンは地的な希望を持つ人より知恵が優れている、と考えるべきではありません。霊によって油そそがれていることは、聖書の質問に答える際、証言する際、あるいは聖書講演をする際の熟練ぶりに表われるわけでもありません。そうした点では、地的な希望を持つクリスチャンもよく果たしています」
結局のところ・・
JWが散々強調してきた、個人研究、注解、野外奉仕、再訪問、研究・・・それらの業で信仰や霊性?、進歩?が測られるのではないということでしょう。そんなの当たり前のことです!
それをクドクドと強調して、多くの人々に、やれ霊性が低いとか認識が浅い、理解が乏しいなんてよくも言ってきたものです!
立場で人を偏り見て、差別してきたくせに・・・
全く最悪です!
加えて・・
「知恵が優れていない」のなら・・どうやって理解が得られるのか???
上からの知恵、漸進的な理解、光が輝きを増すって・・・
これまでJW組織は、
油そそがれたクリスチャン→忠実で思慮深い奴隷級→統治体
という構図を示してきました。
ですからJW内では当然、王また祭司級の人々はより深い洞察や理解を持ち合わせているに違いないと信じて疑わないはずです。
ですが、油そそがれたクリスチャンが地的な希望を持つクリスチャンより「知恵が優れていない」、もしくは「たいして差が無い」のであるなら、
JW各自が自ら考え、神との個人的な関係において良心的に決定したことを、こうするべき、ああするべきだなどと協会が、支部が、旅行する監督が、または会衆の長老が言う権利が果たしてあるのでしょうか?
この論理でゆくと、JW600万信者の信仰の主人と化している統治体は、構成員が皆「知恵が優れていない」人々の集まりという様にも受け取れ、
そもそも統治体に問い合わせる必要性そのものが無くなり、またその傘下である日本支部にも問題を扱う資格など全く無いことになります。
むしろ各自が神との個人的な関係において良心的に決定できるということになるのではないでしょうか・・
これも重大な問題だと思います!
このように・・
紙面に何気なく書いてある一文でも、実はもの凄いことを意味しています。
こういう記事を出すってことは・・そろそろ・・教義の方向転換か???
どうでもいいけど・・
もうこれ以上、信者を振り回すのはやめてくれ!