目覚め太です
ペコイチさん・・
>集会・大会では必ずノートを取るように指示される。その時みんな決まっ て主題を書いた後に、講演者の兄弟の名前を書く。司会者が講演者の名前を言うから。それも第○○巡回区で奉仕している・・とか、ベテルで奉仕している・・とか。でもこれは考えてみるとへんではないだろうか。筋書きはみな統治体で作成されているし、講演者は朗読講演を行うのだから、何も講演者が何様であるという紹介はいらないのではないだろうか。
同感です・・
>一昔前までは会衆の集会でも、ものみの塔協会を代表してこの会衆で奉仕しておられる○○兄弟・・というように紹介していた。これは、教えているのは統治体で作成された筋書きであるという考えを意識していたことの表れだったのではないだろうか。
地元のJWたちは、ものみの塔協会の代表者では無いという見解で変更され
ました。なら、ものみの塔協会っていったい何様??って思いますよね・・
だってみんなJWなんでしょう?
地元の会衆と支部との関係も全く理解できないですね・・
地元の会衆から送られる毎月の寄付で協会は運営されておきながら、地元の
会衆をアゴで使う尊大な態度・・・
今回の国際、地域大会の取り決めはその顕著な例でしょう。
>大会などで肩書きつきで講演者の名前を紹介するのは、エホバの証人としての進歩とは大会などで講演をするようになることだという見方の表れではないだろうか。考えすぎなのかもしれません・・・
そのとおりだと思いますよ・・
進歩はその人の立場、つまり目に映るモノで判断されます・・
> エホバの証人はバプテスマを受ける前に研究を数ヶ月以上することになっている。でも使徒たちの活動とか見ると、ほんのちょっとの間でバプテスマ受けてますよね? あの、エチオピアの宦官事件でもそうです。祈っていると聖霊が注がれたとか。パウロに到ってはパウロにその気はなかったのに、キリストの方からお呼びがかかったことになっています。
一定の期間研究したという記録などないではないか!
みんな速攻でバプ受けているではないか。
「しかし,真夜中ごろ,パウロとシラスは祈ったり,歌で神を賛美したりしていた。そして,囚人たちもそれを聞いていた。ところが,突然大きな地震が起こり,牢屋の土台が揺れ動いた。そのうえ,戸がみな直ちに開き,すべての者のかせが解けた。牢番は眠りから覚めて獄の戸が開いているのを見ると,囚人たちが逃げてしまったものと思って,剣を抜いて自害しようとした。しかしパウロは大声で叫んで言った,「自分を傷つけてはいけない。わたしたちは皆ここにいる!」それで彼は明かりを求めてから中に駆け込み,おののきながらパウロとシラスの前にひれ伏した。そして,彼らを外に連れ出してからこう言った。「皆様,救われるためにわたしは何をしなければなりませんか」。31 彼らは言った,「主イエスを信じて頼りなさい。そうすれば救われます。あなたも,あなたの家の者たちも」。そして,ふたりはエホバの言葉を彼に,またその家にいるすべての者に語った。そののち彼は,夜のその時刻にふたりを連れて行ってそのむち跡を洗った。そして,彼もその[家の者]もひとり残らずすぐにバプテスマを受けた。それから彼はふたりを自分の家の中に連れて来て,その前に食卓を据え,自分が神を信じるようになったことを家の者たちすべてと共に大いに歓んだ」使徒15:25〜34
牢番は、いえ牢番の家族も地震があったその日のうちにバプですからね・・
凄いです!
> 要するに重要なのは組織の枠型にはまっているかどうかがポイントなんで すよね。これはファシズムではないだろうか。
「それゆえ,下役たちは祭司長とパリサイ人たちのところに戻って行った。すると,それらの者たちが彼らに言った,「あなた方はどうして彼を連れて来なかったのか」下役たちは答えた,「あのように話した人はいまだかつてありません」それに対してパリサイ人たちは答えた,「あなた方まで惑わされたわけではあるまい。支配者やパリサイ人で彼に信仰を持った者は一人もいないではないか。だが,律法を知らないこの群衆はのろわれた者たちなのだ」以前に[イエス]のもとに来たことがあり,また彼らの一人であったニコデモが言った,「わたしたちの律法は,まず人[の言い分]を聞いてその人が何を行なっているかを知ってからでなければ,人を裁かないではないか」
それに答えて彼らは言った,「あなたもガリラヤの出というわけではあるまい。預言者はガリラヤからは起こらないことを調べてみなさい」
ヨハネ7:45〜52
JWは明らかにパリサイ宗教です!
ペコイチさん・・
>集会・大会では必ずノートを取るように指示される。その時みんな決まっ て主題を書いた後に、講演者の兄弟の名前を書く。司会者が講演者の名前を言うから。それも第○○巡回区で奉仕している・・とか、ベテルで奉仕している・・とか。でもこれは考えてみるとへんではないだろうか。筋書きはみな統治体で作成されているし、講演者は朗読講演を行うのだから、何も講演者が何様であるという紹介はいらないのではないだろうか。
同感です・・
>一昔前までは会衆の集会でも、ものみの塔協会を代表してこの会衆で奉仕しておられる○○兄弟・・というように紹介していた。これは、教えているのは統治体で作成された筋書きであるという考えを意識していたことの表れだったのではないだろうか。
地元のJWたちは、ものみの塔協会の代表者では無いという見解で変更され
ました。なら、ものみの塔協会っていったい何様??って思いますよね・・
だってみんなJWなんでしょう?
地元の会衆と支部との関係も全く理解できないですね・・
地元の会衆から送られる毎月の寄付で協会は運営されておきながら、地元の
会衆をアゴで使う尊大な態度・・・
今回の国際、地域大会の取り決めはその顕著な例でしょう。
>大会などで肩書きつきで講演者の名前を紹介するのは、エホバの証人としての進歩とは大会などで講演をするようになることだという見方の表れではないだろうか。考えすぎなのかもしれません・・・
そのとおりだと思いますよ・・
進歩はその人の立場、つまり目に映るモノで判断されます・・
> エホバの証人はバプテスマを受ける前に研究を数ヶ月以上することになっている。でも使徒たちの活動とか見ると、ほんのちょっとの間でバプテスマ受けてますよね? あの、エチオピアの宦官事件でもそうです。祈っていると聖霊が注がれたとか。パウロに到ってはパウロにその気はなかったのに、キリストの方からお呼びがかかったことになっています。
一定の期間研究したという記録などないではないか!
みんな速攻でバプ受けているではないか。
「しかし,真夜中ごろ,パウロとシラスは祈ったり,歌で神を賛美したりしていた。そして,囚人たちもそれを聞いていた。ところが,突然大きな地震が起こり,牢屋の土台が揺れ動いた。そのうえ,戸がみな直ちに開き,すべての者のかせが解けた。牢番は眠りから覚めて獄の戸が開いているのを見ると,囚人たちが逃げてしまったものと思って,剣を抜いて自害しようとした。しかしパウロは大声で叫んで言った,「自分を傷つけてはいけない。わたしたちは皆ここにいる!」それで彼は明かりを求めてから中に駆け込み,おののきながらパウロとシラスの前にひれ伏した。そして,彼らを外に連れ出してからこう言った。「皆様,救われるためにわたしは何をしなければなりませんか」。31 彼らは言った,「主イエスを信じて頼りなさい。そうすれば救われます。あなたも,あなたの家の者たちも」。そして,ふたりはエホバの言葉を彼に,またその家にいるすべての者に語った。そののち彼は,夜のその時刻にふたりを連れて行ってそのむち跡を洗った。そして,彼もその[家の者]もひとり残らずすぐにバプテスマを受けた。それから彼はふたりを自分の家の中に連れて来て,その前に食卓を据え,自分が神を信じるようになったことを家の者たちすべてと共に大いに歓んだ」使徒15:25〜34
牢番は、いえ牢番の家族も地震があったその日のうちにバプですからね・・
凄いです!
> 要するに重要なのは組織の枠型にはまっているかどうかがポイントなんで すよね。これはファシズムではないだろうか。
「それゆえ,下役たちは祭司長とパリサイ人たちのところに戻って行った。すると,それらの者たちが彼らに言った,「あなた方はどうして彼を連れて来なかったのか」下役たちは答えた,「あのように話した人はいまだかつてありません」それに対してパリサイ人たちは答えた,「あなた方まで惑わされたわけではあるまい。支配者やパリサイ人で彼に信仰を持った者は一人もいないではないか。だが,律法を知らないこの群衆はのろわれた者たちなのだ」以前に[イエス]のもとに来たことがあり,また彼らの一人であったニコデモが言った,「わたしたちの律法は,まず人[の言い分]を聞いてその人が何を行なっているかを知ってからでなければ,人を裁かないではないか」
それに答えて彼らは言った,「あなたもガリラヤの出というわけではあるまい。預言者はガリラヤからは起こらないことを調べてみなさい」
ヨハネ7:45〜52
JWは明らかにパリサイ宗教です!