> もし差し支えなかったら、あなたがどうしてJWとなり、今現在に至っているかを教えていただけませんか?どの様な体験をしたのか?
> とかを・・・。(ご無理ではありませんので)
>
いろいろなハンドルを使っていますが、一応このハンドルが現時点では正式なものということに勝手にしています。不謹慎ですが、私にとってはもはやJW問題は趣味のレベルの問題のようになっています。
インターネットが無い時代ならこうして元JWが意見を交わすなどと想像さえできませんでしたね。
私は小学校時代にも近くの姉妹が渡してくれた聖書物語の本など読んでいました。中学時代にカトリックの教理の本などを読み始め、どうも三位一体など受け入れられない教理に疑問を感じたり、世界史を見ても戦争ばかりやっているキリスト教に親近感を持てませんでした。それでJWが真理の宗教だと勘違いしてしまったということになるでしょうか。
協会に直接出版物を注文したりしていたので巡回監督の訪問を受けある兄弟との研究がはじまりました。
ずっと研究生の立場だったとはいえ高校で国歌・高歌斉唱はできないと証言しましたし柔道の時間は受身以外ずっと見学でした。大会出席を理由に学校を休んだこともありました。先生はそういう理由で欠席にするのは実は困っていたらしく、勝手に出席にしてくれていたようなのですが、後で出席簿を見て出席になっていたのをわざわざ直してくださいと申し出たり、今から思えば何とも融通の利かない他人を困らせるだけの若気の至りだったなあと思います。
両親はずっと反対でしたが高3になって大学進学しないと言い出して最高潮に達しました。私は覚悟を決めていましたが、私が学校の勉強と集会と奉仕(当時は伝道者でした。バプテスマを強く希望していましたが時期尚早ということで見送られました。結局のところ両親が強硬に反対しているなど周囲の状況や私自身の状態からそのように判断されたのでしょう。熱意は負けないつもりだったのですが。)などで憔悴している様子を見てか、ある時コロッと司会者の兄弟が態度を変えて大学進学OKになりました。今までの苦労は何だったのかと思いました。その後は大学に行きながらも信仰を貫いている兄弟姉妹はいっぱいいる、という話をよく聞かされました。それまでは大学に行くと必ず不道徳とか誘惑が多いから離れる可能性が非常に高い、と何度も聞かされていましたけどね。
大学で都会の会衆の兄弟姉妹と交わるようになり、正直な話彼らに失望を覚えました。大学の講義も全然興味がもてず、完全に行き詰ってしまい会衆はとりあえず休む(つまり不活発宣言)ということで離れました。その後も何度か訪問は受けましたけどね。その当たりからか、私が妙な宗教に入っていたとの噂を流されてウソを言って否定したり、ずっと後ろめたさを引きずっていました。でもJWの信仰自体はそんなに間違っていないとずっと思っていました。
でもJWICでレイモンド・フランズの良心の危機の要約を読んでがっかりしましたね。統治体員が排斥されることなどありえないと思っていましたから、完全にものみの塔が言っていることはウソだとやっと分かりました。
>(バプテスマを受ける前に伝道者になると言うこともありますよね?)
バプテスマを受ける前に伝道者になるのではなかったでしょうか?
ものみの塔の本部がアメリカということもあり、ずっとアメリカには憧れを持っていました。今こうして来ていることとも無関係とは言えないでしょうね。
> とかを・・・。(ご無理ではありませんので)
>
いろいろなハンドルを使っていますが、一応このハンドルが現時点では正式なものということに勝手にしています。不謹慎ですが、私にとってはもはやJW問題は趣味のレベルの問題のようになっています。
インターネットが無い時代ならこうして元JWが意見を交わすなどと想像さえできませんでしたね。
私は小学校時代にも近くの姉妹が渡してくれた聖書物語の本など読んでいました。中学時代にカトリックの教理の本などを読み始め、どうも三位一体など受け入れられない教理に疑問を感じたり、世界史を見ても戦争ばかりやっているキリスト教に親近感を持てませんでした。それでJWが真理の宗教だと勘違いしてしまったということになるでしょうか。
協会に直接出版物を注文したりしていたので巡回監督の訪問を受けある兄弟との研究がはじまりました。
ずっと研究生の立場だったとはいえ高校で国歌・高歌斉唱はできないと証言しましたし柔道の時間は受身以外ずっと見学でした。大会出席を理由に学校を休んだこともありました。先生はそういう理由で欠席にするのは実は困っていたらしく、勝手に出席にしてくれていたようなのですが、後で出席簿を見て出席になっていたのをわざわざ直してくださいと申し出たり、今から思えば何とも融通の利かない他人を困らせるだけの若気の至りだったなあと思います。
両親はずっと反対でしたが高3になって大学進学しないと言い出して最高潮に達しました。私は覚悟を決めていましたが、私が学校の勉強と集会と奉仕(当時は伝道者でした。バプテスマを強く希望していましたが時期尚早ということで見送られました。結局のところ両親が強硬に反対しているなど周囲の状況や私自身の状態からそのように判断されたのでしょう。熱意は負けないつもりだったのですが。)などで憔悴している様子を見てか、ある時コロッと司会者の兄弟が態度を変えて大学進学OKになりました。今までの苦労は何だったのかと思いました。その後は大学に行きながらも信仰を貫いている兄弟姉妹はいっぱいいる、という話をよく聞かされました。それまでは大学に行くと必ず不道徳とか誘惑が多いから離れる可能性が非常に高い、と何度も聞かされていましたけどね。
大学で都会の会衆の兄弟姉妹と交わるようになり、正直な話彼らに失望を覚えました。大学の講義も全然興味がもてず、完全に行き詰ってしまい会衆はとりあえず休む(つまり不活発宣言)ということで離れました。その後も何度か訪問は受けましたけどね。その当たりからか、私が妙な宗教に入っていたとの噂を流されてウソを言って否定したり、ずっと後ろめたさを引きずっていました。でもJWの信仰自体はそんなに間違っていないとずっと思っていました。
でもJWICでレイモンド・フランズの良心の危機の要約を読んでがっかりしましたね。統治体員が排斥されることなどありえないと思っていましたから、完全にものみの塔が言っていることはウソだとやっと分かりました。
>(バプテスマを受ける前に伝道者になると言うこともありますよね?)
バプテスマを受ける前に伝道者になるのではなかったでしょうか?
ものみの塔の本部がアメリカということもあり、ずっとアメリカには憧れを持っていました。今こうして来ていることとも無関係とは言えないでしょうね。