> やっぱりよく分かりません。まあ私は別にクリスチャンになる気もないし、三位一体を受け入れなければイエス・キリストを否定したことになり地獄に落ちる、とも思っていないので(別に落ちてもいいですが)。理解できないことをそのまま信じよとか受け入れよって言う方が無理だと思います。
☆それでいいんですよ。私も不正に排斥されてから七年間ほどはJWの神理解でいましたから。私の場合は,ものみの塔に「父なる神=エホバ」というボタンのかけ違いをさせられていたことに気づいたことが転機でした。「エホバ」が「父なる神」ではなく「父+子+α」のユニットで,キリスト前の「エホバ」との交渉のすべてはその窓口たる御子に対するものであった(「ことば」なのだから当然),と分かってみればJW時代に当然と思っていた理解が全部正反対に見えるようになったのです。
だからものみの塔の示すカトリック的「聖三位一体」など私は信じてはいません。あれはインチキですね。
> 大空の浪人さんのような説明をしている教会はごくわずかだと思います。普通は三位一体は自明の理、聖書に書いてある、信じなければ救われない、と言われます。
☆そうなんですよ。信徒では自分の目で聖書全文を読んだこともない人ほど偉そうにそう言います。教職者では,自分の属する教団教派特有の三位一体論を正しく説明できない人ほど偉そうにそう言います。
聖書には「イエス・キリストを信じなさい」とあるだけで,「『三位一体』を信じなさい」などとは一言も書かれていません。そんなことも知らない人々に認めてもらう必要はありません。
> ルターは信仰義認説によりカトリックに異議を唱えたのでしょうがその他の大方の教義はそのまま継承した(認めた)のではないでしょうか。
☆ほぼそういうことなのですが,それはルター派に合流しなかった教団教派の立場からの説明の仕方です。ルター派の側からはそこに至る経緯の方が大きな問題なのですよ。
ルターを良く知らない方々も多いと思うのでかい摘んで要約すると,ルターは親が俗的だっために苦労して修道院に入り,厳しい禁欲と奉仕の生活を実践します。神学者として認められるようになってカトリックの高位僧職者たちの会合に出るようになると,彼らのひそひそ話が妾囲いの話であることに衝撃を受けます(僧職者は独身制)。
それでもカトリックを内部から穏便に改革しようと努めるのですが,「免罪符」問題でついに95箇条の提題(質問状)を城門に打ちつけます。その内容は主に,人の罪を許す権威を与えられているという法王の贖罪権と煉獄の問題,つまり「法王が煉獄から人を解放する権威を神から授かっているのなら,なぜただちに無料で煉獄の人々を解放することをしないのか」という点でした(カトリックは階級制で,超天使級の法王,天使級の枢機卿,という罪の無い人種を頂点に末端の僧職者までの聖なる人種(独身制)と,罪深い庶民という構図の社会になっていて,庶民は死んだら天国へ行くためにまず生前の罪を煉獄で償わなくてはならならず,それで,煉獄にいる親族が早く卒業させてもらえるよう法王様にお祈りしていただくための善行献金,というのが免罪符販売の意味するところでした。(だから正しくは「免償符」…「免罪符」は俗称)。
神聖にして冒すべからざる法王の権威に異議を唱えたということでルターは破門されますが,ドイツの領主たちがルターをかくまってカトリックの権威の及ばない領域が出現したところから後に「宗教改革」と呼ばれる現象がヨーロッパ各地に飛び火してゆくことになります。
当初ルターとその支持者には一定した呼称が無かったのですが,ドイツで一時カトリック側の政治的な巻き返しが起きた際にドイツの議会に抗議声明の文書を提出したところから「プロテスタント(抗議者)」と呼ばれ,それが次第にルター派の呼称として定着してゆきます(だから「プロテスタント」とは狭義にはルター派のことなのです)。
そういう訳で「ルターは信仰義認説によりカトリックに異議を唱えた」というのは要約のしすぎで意味が変わってしまいます。宗教改革がスタートした時点でルターは認められた神学者だったので,カトリックの教理の問題点は熟知していて,今さら「カトリックに異議を唱え」る必要もありませんでした。むしろルターの破門を機に各地で始まった宗教改革の動きの中で,極論を唱える各教派との議論を通じてルター派の拠って立つ信仰義認説の位置づけを示した,とういうことです。実際,ルターの論じ方は,特定の論題に関して聖書から論じながら,各派の見解を引用し,それがどのように聖書に矛盾しているかを示して自身の見解の許容範囲を示す,という論じ方のものが少なくありません(邦訳の「和協信条集」くらいしか目を通していませんけど)。見解を引用され論破される各派はカトリックだけでなく,再洗礼主義者(≒バプテスト派),改革派,熱狂主義者(≒ペンテコステ派)等々多岐に及んでいて,それら各派の極論とカトリック神学との間の穏当な神学理念の整備がルター後半生のテーマであったことが理解できます。
それゆえにまた,神学教育を受けていない一般大衆の生活を混乱させないようにするため,明確に聖書が否定していない物事は各自の良心に鑑みて採用するべき灰色領域(ルター用語で「アディアフォラ」)として踏襲させ,後世の議論に委ねました(「聖書が明確に否定すること以外は自由」というルターの立場に対し,改革派の祖となった?(度忘れご容赦)は「聖書が明確に肯定すること以外は否定する」という極論を採り,極論の極論が離合集散して清教徒などに発展し,米大陸へ渡ってものみの塔などの源流になってゆきます)。
三位一体は準アディアフォラとされましたが,理由は簡単で,聖霊の神性について聖書から明確に否定も肯定もできないからです。だからルターが心血を注いだのは御子の神性の論証であって,その過程で聖霊の人格性は半ば否定されるのですが,聖書が明確に「『聖霊』とはこれこれのものである」とか「〜ない」とか言い切っていないため,「三位一体はあまり言及したくない」という消極肯定に終始したようですが,それは実質的にカトリックの「聖三位一体」論の消極否定なのです。
> 私はバプテスマも受けたくても受けられなかった「落ちこぼれ」ですが、JWを究められたというとべテル奉仕者だったとか?もっと上とか?究め方にもいろいろありますが。。。
☆あらためて書くと長くなるので割愛します(一部はここの過去ログにあります)が,ルターは枢機卿にも法王にも昇進することなくカトリック教会から破門されましたが,神学者としてカトリック神学を,また修道士として戒律主義の実践を,それぞれ究めた人物でした。
それと同じように,理念や活動の面でJWを究めるためにはベテル奉仕など意味をなさないことが理解できると思います。
☆それでいいんですよ。私も不正に排斥されてから七年間ほどはJWの神理解でいましたから。私の場合は,ものみの塔に「父なる神=エホバ」というボタンのかけ違いをさせられていたことに気づいたことが転機でした。「エホバ」が「父なる神」ではなく「父+子+α」のユニットで,キリスト前の「エホバ」との交渉のすべてはその窓口たる御子に対するものであった(「ことば」なのだから当然),と分かってみればJW時代に当然と思っていた理解が全部正反対に見えるようになったのです。
だからものみの塔の示すカトリック的「聖三位一体」など私は信じてはいません。あれはインチキですね。
> 大空の浪人さんのような説明をしている教会はごくわずかだと思います。普通は三位一体は自明の理、聖書に書いてある、信じなければ救われない、と言われます。
☆そうなんですよ。信徒では自分の目で聖書全文を読んだこともない人ほど偉そうにそう言います。教職者では,自分の属する教団教派特有の三位一体論を正しく説明できない人ほど偉そうにそう言います。
聖書には「イエス・キリストを信じなさい」とあるだけで,「『三位一体』を信じなさい」などとは一言も書かれていません。そんなことも知らない人々に認めてもらう必要はありません。
> ルターは信仰義認説によりカトリックに異議を唱えたのでしょうがその他の大方の教義はそのまま継承した(認めた)のではないでしょうか。
☆ほぼそういうことなのですが,それはルター派に合流しなかった教団教派の立場からの説明の仕方です。ルター派の側からはそこに至る経緯の方が大きな問題なのですよ。
ルターを良く知らない方々も多いと思うのでかい摘んで要約すると,ルターは親が俗的だっために苦労して修道院に入り,厳しい禁欲と奉仕の生活を実践します。神学者として認められるようになってカトリックの高位僧職者たちの会合に出るようになると,彼らのひそひそ話が妾囲いの話であることに衝撃を受けます(僧職者は独身制)。
それでもカトリックを内部から穏便に改革しようと努めるのですが,「免罪符」問題でついに95箇条の提題(質問状)を城門に打ちつけます。その内容は主に,人の罪を許す権威を与えられているという法王の贖罪権と煉獄の問題,つまり「法王が煉獄から人を解放する権威を神から授かっているのなら,なぜただちに無料で煉獄の人々を解放することをしないのか」という点でした(カトリックは階級制で,超天使級の法王,天使級の枢機卿,という罪の無い人種を頂点に末端の僧職者までの聖なる人種(独身制)と,罪深い庶民という構図の社会になっていて,庶民は死んだら天国へ行くためにまず生前の罪を煉獄で償わなくてはならならず,それで,煉獄にいる親族が早く卒業させてもらえるよう法王様にお祈りしていただくための善行献金,というのが免罪符販売の意味するところでした。(だから正しくは「免償符」…「免罪符」は俗称)。
神聖にして冒すべからざる法王の権威に異議を唱えたということでルターは破門されますが,ドイツの領主たちがルターをかくまってカトリックの権威の及ばない領域が出現したところから後に「宗教改革」と呼ばれる現象がヨーロッパ各地に飛び火してゆくことになります。
当初ルターとその支持者には一定した呼称が無かったのですが,ドイツで一時カトリック側の政治的な巻き返しが起きた際にドイツの議会に抗議声明の文書を提出したところから「プロテスタント(抗議者)」と呼ばれ,それが次第にルター派の呼称として定着してゆきます(だから「プロテスタント」とは狭義にはルター派のことなのです)。
そういう訳で「ルターは信仰義認説によりカトリックに異議を唱えた」というのは要約のしすぎで意味が変わってしまいます。宗教改革がスタートした時点でルターは認められた神学者だったので,カトリックの教理の問題点は熟知していて,今さら「カトリックに異議を唱え」る必要もありませんでした。むしろルターの破門を機に各地で始まった宗教改革の動きの中で,極論を唱える各教派との議論を通じてルター派の拠って立つ信仰義認説の位置づけを示した,とういうことです。実際,ルターの論じ方は,特定の論題に関して聖書から論じながら,各派の見解を引用し,それがどのように聖書に矛盾しているかを示して自身の見解の許容範囲を示す,という論じ方のものが少なくありません(邦訳の「和協信条集」くらいしか目を通していませんけど)。見解を引用され論破される各派はカトリックだけでなく,再洗礼主義者(≒バプテスト派),改革派,熱狂主義者(≒ペンテコステ派)等々多岐に及んでいて,それら各派の極論とカトリック神学との間の穏当な神学理念の整備がルター後半生のテーマであったことが理解できます。
それゆえにまた,神学教育を受けていない一般大衆の生活を混乱させないようにするため,明確に聖書が否定していない物事は各自の良心に鑑みて採用するべき灰色領域(ルター用語で「アディアフォラ」)として踏襲させ,後世の議論に委ねました(「聖書が明確に否定すること以外は自由」というルターの立場に対し,改革派の祖となった?(度忘れご容赦)は「聖書が明確に肯定すること以外は否定する」という極論を採り,極論の極論が離合集散して清教徒などに発展し,米大陸へ渡ってものみの塔などの源流になってゆきます)。
三位一体は準アディアフォラとされましたが,理由は簡単で,聖霊の神性について聖書から明確に否定も肯定もできないからです。だからルターが心血を注いだのは御子の神性の論証であって,その過程で聖霊の人格性は半ば否定されるのですが,聖書が明確に「『聖霊』とはこれこれのものである」とか「〜ない」とか言い切っていないため,「三位一体はあまり言及したくない」という消極肯定に終始したようですが,それは実質的にカトリックの「聖三位一体」論の消極否定なのです。
> 私はバプテスマも受けたくても受けられなかった「落ちこぼれ」ですが、JWを究められたというとべテル奉仕者だったとか?もっと上とか?究め方にもいろいろありますが。。。
☆あらためて書くと長くなるので割愛します(一部はここの過去ログにあります)が,ルターは枢機卿にも法王にも昇進することなくカトリック教会から破門されましたが,神学者としてカトリック神学を,また修道士として戒律主義の実践を,それぞれ究めた人物でした。
それと同じように,理念や活動の面でJWを究めるためにはベテル奉仕など意味をなさないことが理解できると思います。