大空の浪人さん
引っ込んでお休みしてるつもりがつい釣られて出てきてしまいました(苦笑)
今さら3年前のばぁねっと議論の続きをする気はないし、
当人不在の議論ほど虚しいものはないんでほどほどにしておきますが、
大空の浪人さんと私のように、キリスト教信者と脱宗教の人では感じ方が
全然違うって意味でサムソンさんにレスしました。
この件ははっきり言って他人事なわけだからハードなつっこみ無しね。
>,「元超大物長老」を自負する彼でさえ時には私が「???」と思うようなことを平気で
>言ったり書いたりしています。
私が一番ショックだったのは上智大学で行われたJDCCの講演で、開始前の時間つぶし
に構内の公園でI村牧師といろいろお話した時に、のっけから私に「JWにはムチは無い。
それはあなただけの不幸な経験だ」ってはっきり言われた事ですね。
私は思わず大声で「はぁ!?」って言っちゃいましたよ。
I村牧師はその意見に確信持ってるから、私は持ってきたノートパソコン開いて
「昼寝するぶた」を無理矢理見てもらってムチのことを詳しく説明しちゃいました。
その後のJDCCの講演で私が詳しくJWのムチの話をしたんで、I村牧師がJWのムチ
について今はどう思ってるか全然知りませんけど、その時は確信持ってそう思っていたので、
「この人は想像してた人と全然違う」ってすんごいショックがありましたね。
で、同じJWだったのにどうしてこうも考え方が違うんだろうと思っていろいろとお話しした
んですが、要するに『同じ経験でも立場が違うと視点が全然違う』という事なんですね。
I村牧師は長老だったわけですから、JWの新しい教理が、統治体→日本支部→I村長老
と来て、I村長老はそれを自分が全て消化して、(閲覧制限付きの会衆宛の手紙もあるわけ
だし)その消化内容で会衆内の信者を導く「先生」の立場だったわけです。
対して私の場合は、JWの教理が、統治体→日本支部→長老→指導する信者
→末端信者(自分の親)→私、と来るわけですから、JWの純粋な教理ではなく、
人間関係込みの末端信者向けの教理、つまり「生徒」の立場だったわけです。
だからI村牧師がJWの出版物を純粋に教理面から分析して出した結果と、
私がやるJWの発表を末端信者達がどう受け止めて、それを消化したら
どう行動するかという、人間の行動パターンとか信者の心情分析込みの
教理判断と答えがずれて来るんですよ。
いろいろ話してみてわかった事は、こういうのは経験した立場の違いだから
しかたがないんだなって思いました。
きっとね、私が熱心なキリスト教徒で大空の浪人さん並に正義感が強かったら
大空の浪人さんと同じような事を言っているような気がするんですが、
私は完全に脱宗教の人だから、「この人は凄い人だけど、凄すぎて付いて行けん」
という感想が先に立ちました。
「いやー世の中には本当に凄い人がいるんだなぁ」って勉強になりましたよ。
やっぱ神を本気で信じている人は全然違いますね。
I村牧師は強烈な個性を持った仙人みたいな人でした。
それとね。I村牧師を通して、一度も会った事がない大空の浪人さんの性格が
読めたのも面白い経験でした。
引っ込んでお休みしてるつもりがつい釣られて出てきてしまいました(苦笑)
今さら3年前のばぁねっと議論の続きをする気はないし、
当人不在の議論ほど虚しいものはないんでほどほどにしておきますが、
大空の浪人さんと私のように、キリスト教信者と脱宗教の人では感じ方が
全然違うって意味でサムソンさんにレスしました。
この件ははっきり言って他人事なわけだからハードなつっこみ無しね。
>,「元超大物長老」を自負する彼でさえ時には私が「???」と思うようなことを平気で
>言ったり書いたりしています。
私が一番ショックだったのは上智大学で行われたJDCCの講演で、開始前の時間つぶし
に構内の公園でI村牧師といろいろお話した時に、のっけから私に「JWにはムチは無い。
それはあなただけの不幸な経験だ」ってはっきり言われた事ですね。
私は思わず大声で「はぁ!?」って言っちゃいましたよ。
I村牧師はその意見に確信持ってるから、私は持ってきたノートパソコン開いて
「昼寝するぶた」を無理矢理見てもらってムチのことを詳しく説明しちゃいました。
その後のJDCCの講演で私が詳しくJWのムチの話をしたんで、I村牧師がJWのムチ
について今はどう思ってるか全然知りませんけど、その時は確信持ってそう思っていたので、
「この人は想像してた人と全然違う」ってすんごいショックがありましたね。
で、同じJWだったのにどうしてこうも考え方が違うんだろうと思っていろいろとお話しした
んですが、要するに『同じ経験でも立場が違うと視点が全然違う』という事なんですね。
I村牧師は長老だったわけですから、JWの新しい教理が、統治体→日本支部→I村長老
と来て、I村長老はそれを自分が全て消化して、(閲覧制限付きの会衆宛の手紙もあるわけ
だし)その消化内容で会衆内の信者を導く「先生」の立場だったわけです。
対して私の場合は、JWの教理が、統治体→日本支部→長老→指導する信者
→末端信者(自分の親)→私、と来るわけですから、JWの純粋な教理ではなく、
人間関係込みの末端信者向けの教理、つまり「生徒」の立場だったわけです。
だからI村牧師がJWの出版物を純粋に教理面から分析して出した結果と、
私がやるJWの発表を末端信者達がどう受け止めて、それを消化したら
どう行動するかという、人間の行動パターンとか信者の心情分析込みの
教理判断と答えがずれて来るんですよ。
いろいろ話してみてわかった事は、こういうのは経験した立場の違いだから
しかたがないんだなって思いました。
きっとね、私が熱心なキリスト教徒で大空の浪人さん並に正義感が強かったら
大空の浪人さんと同じような事を言っているような気がするんですが、
私は完全に脱宗教の人だから、「この人は凄い人だけど、凄すぎて付いて行けん」
という感想が先に立ちました。
「いやー世の中には本当に凄い人がいるんだなぁ」って勉強になりましたよ。
やっぱ神を本気で信じている人は全然違いますね。
I村牧師は強烈な個性を持った仙人みたいな人でした。
それとね。I村牧師を通して、一度も会った事がない大空の浪人さんの性格が
読めたのも面白い経験でした。