> あのさ〜〜みんなさ〜〜会衆の人たちが・・あーだ・こーだって書いてるけど・・みんな不完全だからしょうがナイんじないかなぁ〜〜
そうですね、不完全なのは致し方ないですね。その現実をご自分に適用する力があればのことですけれど・・・。
実際にその場にいて現実に直面しなければ理解できないでしょう。彼らの欺瞞と反省のなさを。
1973年に研究生だった私は聖書を読んでいてイエスのあの言葉を読んで驚きました。そこには「その日その時刻については御使いも知らず子も知らず」と書かれていたからです。子つまりイエスキリストも知らないと書かれているではありませんか。そのことを長老に質問し見解を求めると、「聖書にはそう書かれているが組織がはっきりと1975年を言っているのでそれに従った方がいいですよ」とかれらなりにご親切に言ってくださいました。その当時私ははっきりとこうだからという理由を理解していたわけではありませんでしたがエホバの証人の信仰が何かおかしいと直感的に感じておりました。私は彼らに聖句にあるように人の言葉にではなく神の言葉の方に信仰をおくと言って「私は自分の信仰にかけるので1975年がすぎるまであなた方と行動を共にできない」と宣言して彼らと別れたのです。1975年がくるまでは何度も戻るようにお誘いがありました、しかし驚いたことに1975年がすぎてからは誰も私のところに来る人はありませんでした。ところが結婚をし、つれあいが研究をすることになり、レイモンドF
の書いた反省の言葉を読んで、あの馬鹿騒ぎをやめたのならいいだろうと思い再び交わるようになったのでした。
確かに会衆にいたほとんどの人は善良な人々でしばらくは平和が続いたのです。しかしある事件がきっかけで聖書に書かれている基準やものみの塔誌をはじめとした出版物に忠実に物事を進めようとしたとき。思わぬ展開となってしまったのです。特に長老たちは1975年説について組織が間違ったと発言することに異論を唱えるようになりだしました。それだけでなくそんな事件はなかったとまで言い出すものも現れるようになったのです。あれほどその当時騒いでいたにもかかわらずです。ある時期から長老たちが平気でうそをつくようになりいったいどうしてそのようなことが起きるのか不思議に思っておりました。実はあまりにおかしな答えが多いため統治体当てに例のイエスの言葉「御使いも知らず子も知らず」の見解を質問していたのです。その質問に激怒したのがロイドバリーであったことが後に推察されたのですがその当時はそこまで大げさなことになっているとは考えてもおりませんでした。その質問の答えはものみの塔誌に乗ってきました。統治体の答えは「イエスは天に昇った時にすでに終わりの時を知らされている」と言うおかしな結論でした。つまり地上におけるイエスの全権を委任されている統治体がそのことを言う権利があるというものでした。お笑いですハッハッハ。それなら何ではずれるの。
挙げ句の果てに聖書は否定する、ものみの塔誌に書かれている通りに行動するなら排斥になるなど、信じられないような言葉が彼らの口から聞かされたのです。とどのつまりは私にもその見解については嘘を付けというものでした。それを断ったために排斥になったのです。
> 俺はそう思うよ・・・・
> 色んな人がいおうと・・自分がしっかりしていれば・・他の人は関係ないと思うね^^
貴方の言によれば私にもうそをつけと言いたいのでしょうね、それがエホ証の正しいあり方だとね。
> それに統治体なんだけど・・所詮人間だしね〜神ではないし・・・・・
> 調整だってあるし・・言いたいことも分かるけど・・でも人間なんだからさ^^
> 多目に見てやろうよ〜〜
何処まで大目に見たら納得するのかな。本来なら統治体はあの時点で偽予言者として石打の刑に当たるのではないでしょうか。それをおお目に見てやったのに・・・。彼らは組織は間違ったことはないとはっきり宣言したのですよ。今でもあの審理委員会で語られた「組織」ていったいどうゆうものなのかいまだによく分りません。ふつうに私たちが認識しているものとは違っているような感じがしました。いっぱんにわたしたちにしらされていない「組織」がものみの塔の中に秘密裏に存在しているのでしょうか?。
どなたかご存じありませんか。
そうですね、不完全なのは致し方ないですね。その現実をご自分に適用する力があればのことですけれど・・・。
実際にその場にいて現実に直面しなければ理解できないでしょう。彼らの欺瞞と反省のなさを。
1973年に研究生だった私は聖書を読んでいてイエスのあの言葉を読んで驚きました。そこには「その日その時刻については御使いも知らず子も知らず」と書かれていたからです。子つまりイエスキリストも知らないと書かれているではありませんか。そのことを長老に質問し見解を求めると、「聖書にはそう書かれているが組織がはっきりと1975年を言っているのでそれに従った方がいいですよ」とかれらなりにご親切に言ってくださいました。その当時私ははっきりとこうだからという理由を理解していたわけではありませんでしたがエホバの証人の信仰が何かおかしいと直感的に感じておりました。私は彼らに聖句にあるように人の言葉にではなく神の言葉の方に信仰をおくと言って「私は自分の信仰にかけるので1975年がすぎるまであなた方と行動を共にできない」と宣言して彼らと別れたのです。1975年がくるまでは何度も戻るようにお誘いがありました、しかし驚いたことに1975年がすぎてからは誰も私のところに来る人はありませんでした。ところが結婚をし、つれあいが研究をすることになり、レイモンドF
の書いた反省の言葉を読んで、あの馬鹿騒ぎをやめたのならいいだろうと思い再び交わるようになったのでした。
確かに会衆にいたほとんどの人は善良な人々でしばらくは平和が続いたのです。しかしある事件がきっかけで聖書に書かれている基準やものみの塔誌をはじめとした出版物に忠実に物事を進めようとしたとき。思わぬ展開となってしまったのです。特に長老たちは1975年説について組織が間違ったと発言することに異論を唱えるようになりだしました。それだけでなくそんな事件はなかったとまで言い出すものも現れるようになったのです。あれほどその当時騒いでいたにもかかわらずです。ある時期から長老たちが平気でうそをつくようになりいったいどうしてそのようなことが起きるのか不思議に思っておりました。実はあまりにおかしな答えが多いため統治体当てに例のイエスの言葉「御使いも知らず子も知らず」の見解を質問していたのです。その質問に激怒したのがロイドバリーであったことが後に推察されたのですがその当時はそこまで大げさなことになっているとは考えてもおりませんでした。その質問の答えはものみの塔誌に乗ってきました。統治体の答えは「イエスは天に昇った時にすでに終わりの時を知らされている」と言うおかしな結論でした。つまり地上におけるイエスの全権を委任されている統治体がそのことを言う権利があるというものでした。お笑いですハッハッハ。それなら何ではずれるの。
挙げ句の果てに聖書は否定する、ものみの塔誌に書かれている通りに行動するなら排斥になるなど、信じられないような言葉が彼らの口から聞かされたのです。とどのつまりは私にもその見解については嘘を付けというものでした。それを断ったために排斥になったのです。
> 俺はそう思うよ・・・・
> 色んな人がいおうと・・自分がしっかりしていれば・・他の人は関係ないと思うね^^
貴方の言によれば私にもうそをつけと言いたいのでしょうね、それがエホ証の正しいあり方だとね。
> それに統治体なんだけど・・所詮人間だしね〜神ではないし・・・・・
> 調整だってあるし・・言いたいことも分かるけど・・でも人間なんだからさ^^
> 多目に見てやろうよ〜〜
何処まで大目に見たら納得するのかな。本来なら統治体はあの時点で偽予言者として石打の刑に当たるのではないでしょうか。それをおお目に見てやったのに・・・。彼らは組織は間違ったことはないとはっきり宣言したのですよ。今でもあの審理委員会で語られた「組織」ていったいどうゆうものなのかいまだによく分りません。ふつうに私たちが認識しているものとは違っているような感じがしました。いっぱんにわたしたちにしらされていない「組織」がものみの塔の中に秘密裏に存在しているのでしょうか?。
どなたかご存じありませんか。