20章「エホバの手は短くなったのではない」から・・
JW(ユダ国民)は,エホバとの契約関係にあると
唱えています。しかし,至る所で難儀が起きています。
公正が行なわれることはまれで,犯罪と虐げが横行し,
改善の望みもついえています。何かがひどく間違っています。
多くの人は,エホバはいつか事態を正されるのだろうか,
と疑問に思っています。
(イザヤ)の時代には,そのような状況が
見られます。しかし,その時代に関するイザヤの記述は,
単なる(古代の)歴史ではありません。
その言葉には,神を崇拝すると唱えながら神の律法を無視する
人すべてに対する預言的な警告が含まれています。
また,イザヤ 59章に記録されている霊感による預言には,
困難で危険な時代に生きていてもエホバに仕えようと努める
すべての人に対する,温かな励ましも収められています。
まことの神からの孤立
考えてもみてください。JW(エホバの契約の民)が背教に
陥っているのです。JW(民)は,造り主に背を向け,
そうすることによって神の保護の手のもとから離れ,
そのため厳しい苦難を経験しています。
自分たちが苦しい時期を迎えているのはエホバのせいだ,
とでも言うのでしょうか。イザヤは彼らにこう言います。
「見よ,エホバの手は救いを施すことができないほど
短くなったのではない。また,その耳は聞くことができない
ほど重くなったのではない。ただ,JW(あなた方)のとがが
JW(あなた方)とJWの神(あなた方の神)との間に
分裂を生じさせるものとなり,JW(あなた方)の罪が
神のみ顔をJW(あなた方)から覆い隠させた
ので,神は聞くことをされなかったのである」イザヤ 59:1,2
この言葉は率直であり,真実です。エホバは依然として
救いの神です。「祈りを聞かれる方」として,
忠実な僕たちの祈りに耳を傾けておられます。
とはいえ,悪行者を祝福なさることはありません。
JW(民)がエホバから疎外されていることの責任を
負うべきなのは,JW自身(民自身)です。JW(民)の
邪悪さのゆえに,神はJW(民)から顔を覆い隠しておられる
のです。
実のところ,JW(ユダ)は甚だしく悪い歩みをして
きました。イザヤの預言は,告発されているJW(ユダ)の
罪を幾つか挙げ,こう述べています。
「あなた方のたなごころは血で汚れ,あなた方の指は
とがで汚れてしまった……。あなた方の唇は偽りを語った。
あなた方の舌は全くの不義をつぶやきつづけた」。
(イザヤ 59:3)
JW(民)はうそをつき,不義な事柄を語っています。
『血で汚れたたなごころ』に関する言及は,
殺人を犯した者たちさえいることを示しています。
神にとってなんと不名誉なことなのでしょう。
その方の律法は,殺人だけでなく,
『心の中で自分の兄弟を憎む』ことをさえ禁じているのです。
今日のわたしたち各人は,JW(ユダ)の住民の
底なしの罪深さと,その必然的な帰結とを考えるとき,
自分も罪深い考えや気持ちを抑制する必要のあることを
銘記させられます。そうしないなら,やがて邪悪な事柄を
行ない,神から引き離されてしまいかねないのです。
JW組織(国民全体)が,罪という病に冒されています。
預言はこう述べています。
「義をもって叫ぶ者はだれもいない。
だれひとり忠実さをもって法廷に行かなかった。
実在しないものに依り頼み,無価値なことを語った。
難儀を宿し,有害なことを産むのであった」(イザヤ 59:4)
義を語る者は一人もいません。審理委員会(法廷)において
さえ,信頼できる,あるいは忠実な人はめったにいません。
JW(ユダ)はエホバに背を向け,NGO(諸国家)との
同盟や,株式(命のない偶像)にまで依り頼んでいます。
それらはすべて「実在しないもの」であり,全く用をなしま
せん。そのため,多くの話し合いはなされても,それはすべて
無価値です。計画が立案されても,難儀と有害なことを生み出すだけです。
不義と暴虐の点でユダと非常によく似ているのは,
JW組織(キリスト教世界)です。
恐るべき二つの世界大戦には,いわゆるキリスト教国も
参戦しました。現在に至るまで,JW(キリスト教世界)
の宗教方式には,JW(同世界)の成員同士による階級差別
(民族浄化)や特権追求(部族間の大虐殺)を抑止する力の
ないことが明らかになってきました。
イエスは神の王国に依り頼むよう追随者に教えましたが,
JWの統治体(キリスト教世界の諸国家)は依然として,
安全を求めて軍備や政治同盟に頼っています。
実のところ,世界の主要な兵器生産国の大半はJW組織
(キリスト教世界)の国々です。
そうです,JW(キリスト教世界)も,安全な将来を求めて
人間の努力や様々な機構に依り頼むことにより,
「実在しないもの」に依り頼んでいるのです。
苦い実を刈り取る
偶像礼拝や不正直さが健全な社会を生み出すことはありません。
不忠実なJW(ユダヤ人)は,そうした手段に訴えるゆえに,
今や自分のまいた難儀を刈り取っています。
こう書かれています。
「彼らがかえしたのは毒へびの卵であり,彼らはただのくもの
巣を織りつづけた。その卵を食べる者は死に,打ち砕かれた卵
はかえって,まむしになるのであった」(イザヤ 59:5)
JW(ユダ)の企ては,立案から実行に至るまで,
実質的なものを何も生み出しません。
彼らの間違った考えからは,悪いものしか生じません。
毒へびの卵から毒へびしか生まれないのと同じです。
そのため,JWの目覚めた人々、研究生、家族(ユダの国民)は苦しみます。
霊感によるこの言葉から連想されるのは,
JW組織(キリスト教世界)の流血の記録です。
エホバはJW組織(同世界)に,嘆かわしいまでに
キリスト教を誤り伝えたことの責任を問われるに
違いありません。
イザヤの時代のユダヤ人のように,JW組織(キリスト教世界)は
道徳的にゆがんだ道を歩み続けてきました。
JWの統治体(同世界の指導者たち)が,それ以外には
実際的な道はないと思い込んでいるからです。
彼らは平和について語りながら,不公正な行ないをしています。
なんという二面性でしょう。
JWの統治体(キリスト教世界の指導者たち)は
この方策を用い続けるので,いつになっても真の平和を
実現できません。預言の続きの部分が述べるとおりです。
「彼らは平和の道を無視した。彼らの進路に公正はない。
彼らはその通り道を自分のために曲げた。
それを踏んで行く者には,真実に平和を知る者はだれひとり
いない」イザヤ 59:8。
霊的な闇の中でさまようエホバが,JW(ユダ)の,
正道をはずれた破滅的な歩みを祝福なさるはずはありません。
それでイザヤは,国民全体を代表して,(ユダ)の罪科を
告白します。
「公正はわたしたちから遠く離れてしまい,
義はわたしたちに追いつかない。
わたしたちは光を待ち望むが,見よ,闇があり,
輝きを待ち望むが,わたしたちは絶えざる暗闇の中を
歩みつづけた。わたしたちは盲人のように手探りで壁を捜し,
目のない者のように手探りを続ける。
真昼なのに夕闇の中にいるときのようにつまずいた。
頑強な者たちの中にあって,わたしたちは死者のようだ。
わたしたちは皆,熊のようにうめき,はとのように悲しげに
くーくーと鳴きつづける」
(イザヤ 59:9‐11前半)
JW(ユダヤ人)は神のみ言葉を,自分たちの足のともしび,
通り道の光としていません。
そのため暗くて物が見えません。
真昼でも,夜のように手探りして歩き回ります。
まるで死んだかのようです。
救助を求めて,飢えた,あるいは手負いの熊のように,
大きなうめきを上げます。
寂しげなはとのように,哀れっぽく,くーくーと鳴く者たちも
います。
イザヤは,JW(ユダ)が窮状に陥っているのは神に対する
反抗のゆえであることを痛感し,こう述べています。
「わたしたちは公正を待ち望んだが,それはなかった。
救いを待ち望んだが,それはわたしたちから遠く離れて
しまった。わたしたちの反抗はあなたの前に多くなり,
わたしたちの罪は,その各々がわたしたちに不利な証言をした
からです。わたしたちの反抗はわたしたちと共にあり,
わたしたちのとがについては,わたしたちがそれをよく知って
いるからです。違犯をおかすことと,エホバを否むこととが
あった。わたしたちの神から退くこと,虐げと反抗を語ること
心からの偽りの言葉を宿すこととつぶやくこととがあった」
(イザヤ 59:11後半‐13)
JW(ユダの住民)は,悔い改めていないので,
依然として罪を問われます。公正はこの地から離れました。
JW(民)がエホバから離れたためです。
JW(民)は偽りに染まりきっていることを示し,
兄弟たちを虐げることさえしています。
今日のJWの監督たち(キリスト教世界の人々)に
なんとよく似ているのでしょう。
多くの人は,単に公正を無視するだけでなく,
神のご意志を行なおうと努める忠実なエホバの証人たちを
積極的に迫害することまでしています。
エホバは裁きを執行される
JW(ユダ)には,公正も義も真実もないようです。
「公正は後ろに退くことを余儀なくされ,義もただ遠く離れて
立ちつづけた。真実はほかならぬ公共広場でつまずき,
正直なことは入ることができないからである」
(イザヤ 59:14)
JWの施設(ユダの都市の門の内側)には委員会(公共広場)
があり,JWの著名な監督たち(年長者たち)がそこに集まって
法的な訴えを取り上げます。
そうした男子は,義をもって裁き,公正を追い求めるべきで
あり,わいろを受け取ってはなりません。
しかし実際には,自分勝手な考えに基づいて裁いています。
さらに悪いことに,誠実に善を行なおうとする人々を,
格好の獲物とみなしています。こう書かれています。
「真実はうせ,悪から離れて行く者は奪略を受けている」
イザヤ 59:15前半。
道徳的な退廃に異を唱えない人々は,神が盲目でも無知でも
無力でもないことを忘れています。
イザヤはこう書いています。
「エホバはご覧になったが,公正のないことはその目に
悪いことであった。そして,人がだれもいないのをご覧に
なると,仲裁に入る者がいないことに非常な驚きを
表わされた。そして,その腕がご自身のために救いを施す
ようになり,その義がご自身を支えるものとなった」
(イザヤ 59:15後半,16)
JWの監督たち(任命された裁き人たち)が職務に怠慢である
ため,エホバは事態に介入なさいます。
その際,神は義と力をもって行動されます。
今日でも同様の状況が見られます。
今の世で,多くの人は「いっさいの道徳感覚を通り越し」
ています。地から悪を根絶するためにエホバがいつか介入
なさることを信じる人はほとんどいません。
しかしイザヤの預言によると,エホバは人間の営みを注意深く
観察しておられます。
裁きを行ない,ご自分の定めの時に,その裁きに基づいて
行動されます。神の裁きは公明正大でしょうか。
イザヤは,そうであると述べています。
JW(ユダ国民)に関して,こう書いています。
「それから,[エホバは]義を小札かたびらのように身に着け,
救いのかぶとを頭にかぶられた。
さらに,復しゅうの衣を衣服として身に着け,
熱心をそでなしの上着であるかのようにして身を包まれた」
(イザヤ 59:17)
この預言的な言葉はエホバを,戦いの用意をしている戦士
として描いています。エホバは,ご自分の大義の救いに
注意を集中しておられます。
絶対的かつ非難の余地のない,ご自分の義に確信を抱いて
おられます。そして,裁きを行動に移す際には,何ものをも
恐れない熱心さを示されます。
義が行き渡ることに疑問の余地はありません。
正しいことを行なおうと懸命に励む人々は,エホバから
義にかなった者として裁かれます。
イザヤは,地の一方の果てから他方の果てまで,つまり全地に
おいて,そうした人々が生き残ることを予告しています。
その人々は,エホバの保護を経験することにより,
その方に対する崇敬の念と敬意をいよいよ深くするでしょう。
こう書かれています。
「彼らは日の沈む方からエホバのみ名を恐れ,日の昇る方から
その栄光を恐れはじめる。神は,エホバの霊が駆り立てた苦難
の川のように入って来られるからである」(イザヤ 59:19)
強烈な風あらしが破壊的な水の壁を前方に押して,
行く手にあるものすべてを流し去るのと同じように,
エホバの霊は,神のご意志の成就を妨げるいっさいのものを
ぬぐい去るでしょう。神の霊は,人間の持ついかなる力よりも
強力です。神は,その霊を用いて人々と諸国家に裁きを
執行なさる時,確実で徹底的な成功を収めます。
JW(ユダ国民)は,エホバとの契約関係にあると
唱えています。しかし,至る所で難儀が起きています。
公正が行なわれることはまれで,犯罪と虐げが横行し,
改善の望みもついえています。何かがひどく間違っています。
多くの人は,エホバはいつか事態を正されるのだろうか,
と疑問に思っています。
(イザヤ)の時代には,そのような状況が
見られます。しかし,その時代に関するイザヤの記述は,
単なる(古代の)歴史ではありません。
その言葉には,神を崇拝すると唱えながら神の律法を無視する
人すべてに対する預言的な警告が含まれています。
また,イザヤ 59章に記録されている霊感による預言には,
困難で危険な時代に生きていてもエホバに仕えようと努める
すべての人に対する,温かな励ましも収められています。
まことの神からの孤立
考えてもみてください。JW(エホバの契約の民)が背教に
陥っているのです。JW(民)は,造り主に背を向け,
そうすることによって神の保護の手のもとから離れ,
そのため厳しい苦難を経験しています。
自分たちが苦しい時期を迎えているのはエホバのせいだ,
とでも言うのでしょうか。イザヤは彼らにこう言います。
「見よ,エホバの手は救いを施すことができないほど
短くなったのではない。また,その耳は聞くことができない
ほど重くなったのではない。ただ,JW(あなた方)のとがが
JW(あなた方)とJWの神(あなた方の神)との間に
分裂を生じさせるものとなり,JW(あなた方)の罪が
神のみ顔をJW(あなた方)から覆い隠させた
ので,神は聞くことをされなかったのである」イザヤ 59:1,2
この言葉は率直であり,真実です。エホバは依然として
救いの神です。「祈りを聞かれる方」として,
忠実な僕たちの祈りに耳を傾けておられます。
とはいえ,悪行者を祝福なさることはありません。
JW(民)がエホバから疎外されていることの責任を
負うべきなのは,JW自身(民自身)です。JW(民)の
邪悪さのゆえに,神はJW(民)から顔を覆い隠しておられる
のです。
実のところ,JW(ユダ)は甚だしく悪い歩みをして
きました。イザヤの預言は,告発されているJW(ユダ)の
罪を幾つか挙げ,こう述べています。
「あなた方のたなごころは血で汚れ,あなた方の指は
とがで汚れてしまった……。あなた方の唇は偽りを語った。
あなた方の舌は全くの不義をつぶやきつづけた」。
(イザヤ 59:3)
JW(民)はうそをつき,不義な事柄を語っています。
『血で汚れたたなごころ』に関する言及は,
殺人を犯した者たちさえいることを示しています。
神にとってなんと不名誉なことなのでしょう。
その方の律法は,殺人だけでなく,
『心の中で自分の兄弟を憎む』ことをさえ禁じているのです。
今日のわたしたち各人は,JW(ユダ)の住民の
底なしの罪深さと,その必然的な帰結とを考えるとき,
自分も罪深い考えや気持ちを抑制する必要のあることを
銘記させられます。そうしないなら,やがて邪悪な事柄を
行ない,神から引き離されてしまいかねないのです。
JW組織(国民全体)が,罪という病に冒されています。
預言はこう述べています。
「義をもって叫ぶ者はだれもいない。
だれひとり忠実さをもって法廷に行かなかった。
実在しないものに依り頼み,無価値なことを語った。
難儀を宿し,有害なことを産むのであった」(イザヤ 59:4)
義を語る者は一人もいません。審理委員会(法廷)において
さえ,信頼できる,あるいは忠実な人はめったにいません。
JW(ユダ)はエホバに背を向け,NGO(諸国家)との
同盟や,株式(命のない偶像)にまで依り頼んでいます。
それらはすべて「実在しないもの」であり,全く用をなしま
せん。そのため,多くの話し合いはなされても,それはすべて
無価値です。計画が立案されても,難儀と有害なことを生み出すだけです。
不義と暴虐の点でユダと非常によく似ているのは,
JW組織(キリスト教世界)です。
恐るべき二つの世界大戦には,いわゆるキリスト教国も
参戦しました。現在に至るまで,JW(キリスト教世界)
の宗教方式には,JW(同世界)の成員同士による階級差別
(民族浄化)や特権追求(部族間の大虐殺)を抑止する力の
ないことが明らかになってきました。
イエスは神の王国に依り頼むよう追随者に教えましたが,
JWの統治体(キリスト教世界の諸国家)は依然として,
安全を求めて軍備や政治同盟に頼っています。
実のところ,世界の主要な兵器生産国の大半はJW組織
(キリスト教世界)の国々です。
そうです,JW(キリスト教世界)も,安全な将来を求めて
人間の努力や様々な機構に依り頼むことにより,
「実在しないもの」に依り頼んでいるのです。
苦い実を刈り取る
偶像礼拝や不正直さが健全な社会を生み出すことはありません。
不忠実なJW(ユダヤ人)は,そうした手段に訴えるゆえに,
今や自分のまいた難儀を刈り取っています。
こう書かれています。
「彼らがかえしたのは毒へびの卵であり,彼らはただのくもの
巣を織りつづけた。その卵を食べる者は死に,打ち砕かれた卵
はかえって,まむしになるのであった」(イザヤ 59:5)
JW(ユダ)の企ては,立案から実行に至るまで,
実質的なものを何も生み出しません。
彼らの間違った考えからは,悪いものしか生じません。
毒へびの卵から毒へびしか生まれないのと同じです。
そのため,JWの目覚めた人々、研究生、家族(ユダの国民)は苦しみます。
霊感によるこの言葉から連想されるのは,
JW組織(キリスト教世界)の流血の記録です。
エホバはJW組織(同世界)に,嘆かわしいまでに
キリスト教を誤り伝えたことの責任を問われるに
違いありません。
イザヤの時代のユダヤ人のように,JW組織(キリスト教世界)は
道徳的にゆがんだ道を歩み続けてきました。
JWの統治体(同世界の指導者たち)が,それ以外には
実際的な道はないと思い込んでいるからです。
彼らは平和について語りながら,不公正な行ないをしています。
なんという二面性でしょう。
JWの統治体(キリスト教世界の指導者たち)は
この方策を用い続けるので,いつになっても真の平和を
実現できません。預言の続きの部分が述べるとおりです。
「彼らは平和の道を無視した。彼らの進路に公正はない。
彼らはその通り道を自分のために曲げた。
それを踏んで行く者には,真実に平和を知る者はだれひとり
いない」イザヤ 59:8。
霊的な闇の中でさまようエホバが,JW(ユダ)の,
正道をはずれた破滅的な歩みを祝福なさるはずはありません。
それでイザヤは,国民全体を代表して,(ユダ)の罪科を
告白します。
「公正はわたしたちから遠く離れてしまい,
義はわたしたちに追いつかない。
わたしたちは光を待ち望むが,見よ,闇があり,
輝きを待ち望むが,わたしたちは絶えざる暗闇の中を
歩みつづけた。わたしたちは盲人のように手探りで壁を捜し,
目のない者のように手探りを続ける。
真昼なのに夕闇の中にいるときのようにつまずいた。
頑強な者たちの中にあって,わたしたちは死者のようだ。
わたしたちは皆,熊のようにうめき,はとのように悲しげに
くーくーと鳴きつづける」
(イザヤ 59:9‐11前半)
JW(ユダヤ人)は神のみ言葉を,自分たちの足のともしび,
通り道の光としていません。
そのため暗くて物が見えません。
真昼でも,夜のように手探りして歩き回ります。
まるで死んだかのようです。
救助を求めて,飢えた,あるいは手負いの熊のように,
大きなうめきを上げます。
寂しげなはとのように,哀れっぽく,くーくーと鳴く者たちも
います。
イザヤは,JW(ユダ)が窮状に陥っているのは神に対する
反抗のゆえであることを痛感し,こう述べています。
「わたしたちは公正を待ち望んだが,それはなかった。
救いを待ち望んだが,それはわたしたちから遠く離れて
しまった。わたしたちの反抗はあなたの前に多くなり,
わたしたちの罪は,その各々がわたしたちに不利な証言をした
からです。わたしたちの反抗はわたしたちと共にあり,
わたしたちのとがについては,わたしたちがそれをよく知って
いるからです。違犯をおかすことと,エホバを否むこととが
あった。わたしたちの神から退くこと,虐げと反抗を語ること
心からの偽りの言葉を宿すこととつぶやくこととがあった」
(イザヤ 59:11後半‐13)
JW(ユダの住民)は,悔い改めていないので,
依然として罪を問われます。公正はこの地から離れました。
JW(民)がエホバから離れたためです。
JW(民)は偽りに染まりきっていることを示し,
兄弟たちを虐げることさえしています。
今日のJWの監督たち(キリスト教世界の人々)に
なんとよく似ているのでしょう。
多くの人は,単に公正を無視するだけでなく,
神のご意志を行なおうと努める忠実なエホバの証人たちを
積極的に迫害することまでしています。
エホバは裁きを執行される
JW(ユダ)には,公正も義も真実もないようです。
「公正は後ろに退くことを余儀なくされ,義もただ遠く離れて
立ちつづけた。真実はほかならぬ公共広場でつまずき,
正直なことは入ることができないからである」
(イザヤ 59:14)
JWの施設(ユダの都市の門の内側)には委員会(公共広場)
があり,JWの著名な監督たち(年長者たち)がそこに集まって
法的な訴えを取り上げます。
そうした男子は,義をもって裁き,公正を追い求めるべきで
あり,わいろを受け取ってはなりません。
しかし実際には,自分勝手な考えに基づいて裁いています。
さらに悪いことに,誠実に善を行なおうとする人々を,
格好の獲物とみなしています。こう書かれています。
「真実はうせ,悪から離れて行く者は奪略を受けている」
イザヤ 59:15前半。
道徳的な退廃に異を唱えない人々は,神が盲目でも無知でも
無力でもないことを忘れています。
イザヤはこう書いています。
「エホバはご覧になったが,公正のないことはその目に
悪いことであった。そして,人がだれもいないのをご覧に
なると,仲裁に入る者がいないことに非常な驚きを
表わされた。そして,その腕がご自身のために救いを施す
ようになり,その義がご自身を支えるものとなった」
(イザヤ 59:15後半,16)
JWの監督たち(任命された裁き人たち)が職務に怠慢である
ため,エホバは事態に介入なさいます。
その際,神は義と力をもって行動されます。
今日でも同様の状況が見られます。
今の世で,多くの人は「いっさいの道徳感覚を通り越し」
ています。地から悪を根絶するためにエホバがいつか介入
なさることを信じる人はほとんどいません。
しかしイザヤの預言によると,エホバは人間の営みを注意深く
観察しておられます。
裁きを行ない,ご自分の定めの時に,その裁きに基づいて
行動されます。神の裁きは公明正大でしょうか。
イザヤは,そうであると述べています。
JW(ユダ国民)に関して,こう書いています。
「それから,[エホバは]義を小札かたびらのように身に着け,
救いのかぶとを頭にかぶられた。
さらに,復しゅうの衣を衣服として身に着け,
熱心をそでなしの上着であるかのようにして身を包まれた」
(イザヤ 59:17)
この預言的な言葉はエホバを,戦いの用意をしている戦士
として描いています。エホバは,ご自分の大義の救いに
注意を集中しておられます。
絶対的かつ非難の余地のない,ご自分の義に確信を抱いて
おられます。そして,裁きを行動に移す際には,何ものをも
恐れない熱心さを示されます。
義が行き渡ることに疑問の余地はありません。
正しいことを行なおうと懸命に励む人々は,エホバから
義にかなった者として裁かれます。
イザヤは,地の一方の果てから他方の果てまで,つまり全地に
おいて,そうした人々が生き残ることを予告しています。
その人々は,エホバの保護を経験することにより,
その方に対する崇敬の念と敬意をいよいよ深くするでしょう。
こう書かれています。
「彼らは日の沈む方からエホバのみ名を恐れ,日の昇る方から
その栄光を恐れはじめる。神は,エホバの霊が駆り立てた苦難
の川のように入って来られるからである」(イザヤ 59:19)
強烈な風あらしが破壊的な水の壁を前方に押して,
行く手にあるものすべてを流し去るのと同じように,
エホバの霊は,神のご意志の成就を妨げるいっさいのものを
ぬぐい去るでしょう。神の霊は,人間の持ついかなる力よりも
強力です。神は,その霊を用いて人々と諸国家に裁きを
執行なさる時,確実で徹底的な成功を収めます。