>どうせそんなことをするのなら、いっそのこと、ものみの塔誌の中でだって、
>性教育をすれば良いんですよ。堂々と。その方がよっぱど清潔なカンジがしますよね・・・。
いやー、これは勘弁して欲しいなぁ・・・
私はものみの塔で性教育を受けた世代ですからねぇ・・・
子供が「エホバです!」って注解で答えるパターンがあるでしょ。あのノリで
4歳児 「はい!」
司会者 「はい○○くん」
4歳児 「口腔交接と肛門交接は良くないです!」
司会者 「そうですね。ほかにありますか?」
小1児童「はい!」
司会者 「はい○○くん」
小1児童「ペッティングとネッキング、それとイマラチオも良くないです」
司会者 「そうですね、よくできました」
当時はこれが注解の日常風景だったからねぇ。性に目ざめてない小学校低学年児童に
ものみの塔が余計な性教育をしてくれるおかげで、思春期になってから妄想が頭の中を
駆けめぐってえらい目に遭いましたよ。
当時は片方が未信者の場合は口腔交接(フェラチオ)肛門交接(アナルセックス)
したら信者は離婚しろ、信者夫婦が口腔交接や肛門交接をしたら審理委員会に
かけられて排斥という時代だから集会の注解は凄かったですよ。
要するに組織がシステムとして機能不全を起こしているからそういうことになるんでしょうね。
*** 塔73 6/15 382ページ 読者からの質問 ***
夫婦が性関係を持つ自然な方法は,創造者が付与した男女おのおのの性器の作り
それ自体からして明らかですから,正常な性交のさい男女両性の性器がどのように
互いに補足し合うかをここで述べるには及びません。『結婚関係のわく内であれば,
何でも行なえる』という考え方を教え込まれた人びとを別にすれば,大多数の人びとは
口腔交接のような行為を,肛門交接の場合もそうですが,普通嫌悪すべき行為として
退けていると,わたしたちは考えます。もし,この種の交接が「不自然」ではないとすれ
ば,どんな行為が不自然な行為なのでしょうか。そうした行為をならわしにしている人た
ちは,夫婦相互の同意の上でそうするからといって,その種の行為が自然な行為となる
わけではありませんし,「恥ずべき」つまり卑わいな行為ではなくなるというわけでもあり
ません。
<省略>
もし,会衆内のある夫婦がこれまでに,あるいは最近でさえ,前述のとおりの行為に関係
してきて,その悪行の重大性を今まで認識していなかった場合はどうですか。その場合,
ふたりは祈りを通して神の許しを求め,そうしたはなはだしい不自然な行ないをやめること
によって,誠実に悔い改めたことを示せます。
確かにクリスチャン会衆内の長老あるいはその他のだれにも,結婚した夫婦の私生活を
詮索する責任は課されていません。とはいえ,口腔あるいは肛門交接などの行為のような
はなはだしい不自然な行ないに関する問題が今後長老たちの注意を引く場合には,長老
たちは他の重大な悪行の場合と同様,いっそうの害がもたらされないうちに事態を正すよう
処置を講ずべきです。もちろん,長老たちは,さ迷って『悪魔にとらわれて』いる人を助ける
ことに意を用いるべきです。(テモテ後 2:26)しかし,もしエホバ神の定められた結婚の取り
決めに対して故意に不敬の態度を示すなら,そのような人は,他の人びとを汚すおそれの
ある危険な「パン種」として会衆から除外されなければならなくなります。―コリント前 5:6,11‐13。
*** 塔75 2/15 128ページ 読者からの質問 ***
このように,「淫行」は離婚の唯一の根拠として述べられています。イエスのことばは
共通ギリシャ語で記録されていますが,この共通ギリシャ語における「淫行」という語は
「ポルネイア」で,口腔交接や,肛門交接などを含め,売春宿などで行なわれているか
もしれない,あらゆる形の不道徳な性関係を示します。
離婚に関するイエスのことばは,「淫行」すなわちポルネイアが,だれを相手に行なわれ
るものであるかを明示せず,問題を未決定のまま残しています。結婚関係内の性倒錯
もポルネイアに含まれると考えてまちがいないことは,妻に不自然な性関係を強いる夫
は事実上妻を「卑劣な目的に使う」,あるいは妻を「汚す」ものである,という点から理解
できます。この行為によって夫はポルネイアの罪を持つ者となります。なぜなら,類語の
ギリシャ語の動詞ポルネウオーは,「卑劣な目的に使う,汚す」という意味を持つからです。
したがって,既婚者のその配偶者に対するみだらな行為が,離婚の聖書的根拠となる事
態は生じ得ます。たとえば,妻は,売春宿で行なわれるような道をはずれた行為を夫が強
制するのを防ぐために,自分にできることを行なうかもしれません。しかし,夫のほうが力
が強いために妻に勝ち,倒錯した性のために妻を用いるかもしれません。それでクリスチ
ャンの妻は,再びそのように悪用されないよう,離婚を決意するかもしれません。その場合
彼女は,離婚を決意した真の理由がポルネイアであることを会衆に対して証明し,しかるの
ち,国の裁判所が離婚の理由として受け入れる事柄のうちなんでも,実際にある事柄を理由
にして,正式な離婚の手続きを進めることができます。
一方,もし夫と妻の双方が賛成のうえでみだらな行為を行なった場合は,どちらの配偶者も,
ポルネイアを離婚の聖書的理由として主張する根拠を持ちません。なぜなら,どちらも潔白
ではなく,ポルネイアの罪のある配偶者から自由になることを求めているのではないからで
す。夫婦双方に罪があります。そのようなケースは,もし会衆の長老たちの前に持ち出され
たなら,他の重大な悪行と同様の扱いを受けるでしょう。
>性教育をすれば良いんですよ。堂々と。その方がよっぱど清潔なカンジがしますよね・・・。
いやー、これは勘弁して欲しいなぁ・・・
私はものみの塔で性教育を受けた世代ですからねぇ・・・
子供が「エホバです!」って注解で答えるパターンがあるでしょ。あのノリで
4歳児 「はい!」
司会者 「はい○○くん」
4歳児 「口腔交接と肛門交接は良くないです!」
司会者 「そうですね。ほかにありますか?」
小1児童「はい!」
司会者 「はい○○くん」
小1児童「ペッティングとネッキング、それとイマラチオも良くないです」
司会者 「そうですね、よくできました」
当時はこれが注解の日常風景だったからねぇ。性に目ざめてない小学校低学年児童に
ものみの塔が余計な性教育をしてくれるおかげで、思春期になってから妄想が頭の中を
駆けめぐってえらい目に遭いましたよ。
当時は片方が未信者の場合は口腔交接(フェラチオ)肛門交接(アナルセックス)
したら信者は離婚しろ、信者夫婦が口腔交接や肛門交接をしたら審理委員会に
かけられて排斥という時代だから集会の注解は凄かったですよ。
要するに組織がシステムとして機能不全を起こしているからそういうことになるんでしょうね。
*** 塔73 6/15 382ページ 読者からの質問 ***
夫婦が性関係を持つ自然な方法は,創造者が付与した男女おのおのの性器の作り
それ自体からして明らかですから,正常な性交のさい男女両性の性器がどのように
互いに補足し合うかをここで述べるには及びません。『結婚関係のわく内であれば,
何でも行なえる』という考え方を教え込まれた人びとを別にすれば,大多数の人びとは
口腔交接のような行為を,肛門交接の場合もそうですが,普通嫌悪すべき行為として
退けていると,わたしたちは考えます。もし,この種の交接が「不自然」ではないとすれ
ば,どんな行為が不自然な行為なのでしょうか。そうした行為をならわしにしている人た
ちは,夫婦相互の同意の上でそうするからといって,その種の行為が自然な行為となる
わけではありませんし,「恥ずべき」つまり卑わいな行為ではなくなるというわけでもあり
ません。
<省略>
もし,会衆内のある夫婦がこれまでに,あるいは最近でさえ,前述のとおりの行為に関係
してきて,その悪行の重大性を今まで認識していなかった場合はどうですか。その場合,
ふたりは祈りを通して神の許しを求め,そうしたはなはだしい不自然な行ないをやめること
によって,誠実に悔い改めたことを示せます。
確かにクリスチャン会衆内の長老あるいはその他のだれにも,結婚した夫婦の私生活を
詮索する責任は課されていません。とはいえ,口腔あるいは肛門交接などの行為のような
はなはだしい不自然な行ないに関する問題が今後長老たちの注意を引く場合には,長老
たちは他の重大な悪行の場合と同様,いっそうの害がもたらされないうちに事態を正すよう
処置を講ずべきです。もちろん,長老たちは,さ迷って『悪魔にとらわれて』いる人を助ける
ことに意を用いるべきです。(テモテ後 2:26)しかし,もしエホバ神の定められた結婚の取り
決めに対して故意に不敬の態度を示すなら,そのような人は,他の人びとを汚すおそれの
ある危険な「パン種」として会衆から除外されなければならなくなります。―コリント前 5:6,11‐13。
*** 塔75 2/15 128ページ 読者からの質問 ***
このように,「淫行」は離婚の唯一の根拠として述べられています。イエスのことばは
共通ギリシャ語で記録されていますが,この共通ギリシャ語における「淫行」という語は
「ポルネイア」で,口腔交接や,肛門交接などを含め,売春宿などで行なわれているか
もしれない,あらゆる形の不道徳な性関係を示します。
離婚に関するイエスのことばは,「淫行」すなわちポルネイアが,だれを相手に行なわれ
るものであるかを明示せず,問題を未決定のまま残しています。結婚関係内の性倒錯
もポルネイアに含まれると考えてまちがいないことは,妻に不自然な性関係を強いる夫
は事実上妻を「卑劣な目的に使う」,あるいは妻を「汚す」ものである,という点から理解
できます。この行為によって夫はポルネイアの罪を持つ者となります。なぜなら,類語の
ギリシャ語の動詞ポルネウオーは,「卑劣な目的に使う,汚す」という意味を持つからです。
したがって,既婚者のその配偶者に対するみだらな行為が,離婚の聖書的根拠となる事
態は生じ得ます。たとえば,妻は,売春宿で行なわれるような道をはずれた行為を夫が強
制するのを防ぐために,自分にできることを行なうかもしれません。しかし,夫のほうが力
が強いために妻に勝ち,倒錯した性のために妻を用いるかもしれません。それでクリスチ
ャンの妻は,再びそのように悪用されないよう,離婚を決意するかもしれません。その場合
彼女は,離婚を決意した真の理由がポルネイアであることを会衆に対して証明し,しかるの
ち,国の裁判所が離婚の理由として受け入れる事柄のうちなんでも,実際にある事柄を理由
にして,正式な離婚の手続きを進めることができます。
一方,もし夫と妻の双方が賛成のうえでみだらな行為を行なった場合は,どちらの配偶者も,
ポルネイアを離婚の聖書的理由として主張する根拠を持ちません。なぜなら,どちらも潔白
ではなく,ポルネイアの罪のある配偶者から自由になることを求めているのではないからで
す。夫婦双方に罪があります。そのようなケースは,もし会衆の長老たちの前に持ち出され
たなら,他の重大な悪行と同様の扱いを受けるでしょう。