おそらく,一世・二世の既存の分類に加えて1.5世ともいうべきジャンルを設ける必要があるということだと思います。
たとえば私は高校時代に研究を始めた一世ですが,その後約13年間の現役時代の意識を振り返ってみると,
1)JWの中央やそれに忠実なJWが世の中で唯一正しい宗教だと信じてるからJW信者をやっている。
2)末端のJWが腐敗しているのも組織に不正が見られるのも背教した古代イスラエルと全く同じパターンだから,その中で忠実を保つことこそJWたる意義である。
3)だから(末端の)JWが間違っている事実など言われるまでもなく熟知していてそれと闘っている。
ということになるでしょうか。そうであるからこそ快楽主義一世やお気楽二世を軽蔑しつつ研究や宣教には過労と栄養失調で倒れながら真剣に取り組んだものですし,それゆえにJW生活には有意義な部分も多かった訳で,JWの教義や組織に対する感情は純粋な一世とも二世とも微妙に異なるものが残るのだと思います。
つまり人生の進路の選択段階でJWになることを選んだ人は,世俗人から進路を変更した一世とも,JW親によって進路を押しつけられていた二世とも異なる人種なので,分けて扱う必要があると重います。
fcさんの個人的な事情は知らないのですが,意識面では1.5世に近いものを感じます。二世でもお気楽二世に堕することができず真剣にJW生活に取り組んだ面があると,1.5世に似た意識になるのでしょうね。
たとえば私は高校時代に研究を始めた一世ですが,その後約13年間の現役時代の意識を振り返ってみると,
1)JWの中央やそれに忠実なJWが世の中で唯一正しい宗教だと信じてるからJW信者をやっている。
2)末端のJWが腐敗しているのも組織に不正が見られるのも背教した古代イスラエルと全く同じパターンだから,その中で忠実を保つことこそJWたる意義である。
3)だから(末端の)JWが間違っている事実など言われるまでもなく熟知していてそれと闘っている。
ということになるでしょうか。そうであるからこそ快楽主義一世やお気楽二世を軽蔑しつつ研究や宣教には過労と栄養失調で倒れながら真剣に取り組んだものですし,それゆえにJW生活には有意義な部分も多かった訳で,JWの教義や組織に対する感情は純粋な一世とも二世とも微妙に異なるものが残るのだと思います。
つまり人生の進路の選択段階でJWになることを選んだ人は,世俗人から進路を変更した一世とも,JW親によって進路を押しつけられていた二世とも異なる人種なので,分けて扱う必要があると重います。
fcさんの個人的な事情は知らないのですが,意識面では1.5世に近いものを感じます。二世でもお気楽二世に堕することができず真剣にJW生活に取り組んだ面があると,1.5世に似た意識になるのでしょうね。