目覚め太さん
英語版は以前から全文公開されてるから特別でも何でもなくなってますね。
それにしても欧米のネットの著作権の扱いのいいかげんさはうらやましいです。
全文公開が許されるなんて信じられませんよ。お国柄ってやつはいろいろありますね〜
>組織としては、いつでも方向転換出来ますから、仮にこの資料が
>表に出ても、また内容を改訂するか、手紙で訂正すればおしまいです。
結局そういうことなんですよね。
最新の余白の書き込みがあってそれで意味が通じる部分が多いわけで、
それを画像処理で全部消しちゃいましたから片手落ちと言えば片手落ちなんですが、
普通の人は審理委員会なんて呼び出されるまで縁がない世界ですから、
何も知らない人達には役に立つと思います。
でも私が排斥された時とまるっきり同じ流れってのもなんだかなぁって思いましたよ。
大空の浪人さん
>おそらく,一世・二世の既存の分類に加えて1.5世ともいうべきジャンルを設ける
>必要があるということだと思います。
今までは1.5世と言うと未成年の時に現役になった1世という意味で使っていて、
高校時代に研究を始めた大空の浪人さんは1.5世という扱いになります。
2世なんだけど1世的な2世というのは今の所それに適した用語はないですね。
以前はおおざっぱにジャンル分けしておけばだいたいその枠の中に収まってたから
相手をイメージするのもレスをするのも簡単だったんですが、今はいろいろなタイプ
の人が出てきてわけのわからん時代になって来てますね。
20世紀末のJW信者のあるべき姿とは鉄道のレールみたいな感じで、
このレールの幅の中を歩いていくのが正しいエホバの証人であって、
このレールから外れたらその人はエホバの証人であっても間違いなく
ハルマゲドンで滅ぼされてしまう。(羊とヤギの話)ってなってましたが、
最近は昔に比べて緩くなったらしくて「2車線道路の片側を歩きましょう」とか
「歩行者天国の中にいてください、勝手に裏道に行っちゃ駄目ですよ」
になりつつあるような気がします。
数年前のネットの世界は70〜90年代の一枚岩だったJWの世界を知っている
人たちでしたから、現役も元もお互いに「あるべき正しいエホバの証人」の姿を
知っていたので、改めてそれについて何も言わなくても共通の価値観として
以心伝心が通じたわけですが、ここ数年は急激に変わりつつあるようで、
???になる時があります。
何て言うか、JWという宗教に対して自分なりの独自の信仰スタイルを持つ人が増えた
感じで、「それでいいの?そんなんで平気なの?今のJWはそれが許されちゃうわけ?」
ってこっちが焦る時があります。
でも実際に会衆の中にいると感覚が全然違うのかなぁ?
熱心な人は昔通り熱心で、いい加減な人はとことんいい加減で中間は無い、
そんな2極化現象になってるのかなぁ?とも思ってます。
英語版は以前から全文公開されてるから特別でも何でもなくなってますね。
それにしても欧米のネットの著作権の扱いのいいかげんさはうらやましいです。
全文公開が許されるなんて信じられませんよ。お国柄ってやつはいろいろありますね〜
>組織としては、いつでも方向転換出来ますから、仮にこの資料が
>表に出ても、また内容を改訂するか、手紙で訂正すればおしまいです。
結局そういうことなんですよね。
最新の余白の書き込みがあってそれで意味が通じる部分が多いわけで、
それを画像処理で全部消しちゃいましたから片手落ちと言えば片手落ちなんですが、
普通の人は審理委員会なんて呼び出されるまで縁がない世界ですから、
何も知らない人達には役に立つと思います。
でも私が排斥された時とまるっきり同じ流れってのもなんだかなぁって思いましたよ。
大空の浪人さん
>おそらく,一世・二世の既存の分類に加えて1.5世ともいうべきジャンルを設ける
>必要があるということだと思います。
今までは1.5世と言うと未成年の時に現役になった1世という意味で使っていて、
高校時代に研究を始めた大空の浪人さんは1.5世という扱いになります。
2世なんだけど1世的な2世というのは今の所それに適した用語はないですね。
以前はおおざっぱにジャンル分けしておけばだいたいその枠の中に収まってたから
相手をイメージするのもレスをするのも簡単だったんですが、今はいろいろなタイプ
の人が出てきてわけのわからん時代になって来てますね。
20世紀末のJW信者のあるべき姿とは鉄道のレールみたいな感じで、
このレールの幅の中を歩いていくのが正しいエホバの証人であって、
このレールから外れたらその人はエホバの証人であっても間違いなく
ハルマゲドンで滅ぼされてしまう。(羊とヤギの話)ってなってましたが、
最近は昔に比べて緩くなったらしくて「2車線道路の片側を歩きましょう」とか
「歩行者天国の中にいてください、勝手に裏道に行っちゃ駄目ですよ」
になりつつあるような気がします。
数年前のネットの世界は70〜90年代の一枚岩だったJWの世界を知っている
人たちでしたから、現役も元もお互いに「あるべき正しいエホバの証人」の姿を
知っていたので、改めてそれについて何も言わなくても共通の価値観として
以心伝心が通じたわけですが、ここ数年は急激に変わりつつあるようで、
???になる時があります。
何て言うか、JWという宗教に対して自分なりの独自の信仰スタイルを持つ人が増えた
感じで、「それでいいの?そんなんで平気なの?今のJWはそれが許されちゃうわけ?」
ってこっちが焦る時があります。
でも実際に会衆の中にいると感覚が全然違うのかなぁ?
熱心な人は昔通り熱心で、いい加減な人はとことんいい加減で中間は無い、
そんな2極化現象になってるのかなぁ?とも思ってます。