みなさんいろんな反応ありがとう。ゲストブックのほうには自分について少し書いてしまいましたが、本当に言いたいことは、エホバの証人は批判されるような人ではない、ということですので、それについて説明させてください。
まずは、エホバの証人の信者でない人は救われないという点。これはエホバの証人が一宗教であるうえ、仕方のないことではないでしょうか。宗教の根底には、正しいことを信じるもののみが救われるというのがあるでしょう。歴史をたどっても、聖戦などといった表現、異端審問、現在でもイスラムとキリストの対立など、この考えが元となっているのです。これを否定するのでは、宗教全体を否定していることになってしまいます。 エホバの証人は、自分達が正しいと思って、自分達以外にも救われてほしいと、みんなに伝えようとしているだけマシだと思うのですが。
「ハルマゲドンで滅んでしまえ」という表現は確かに適切ではありません。ただ、人間には主観が存在します。皆さんも「あいつを殺したい」と思うことがあるでしょう。エホバの証人も例外ではありません。彼らにも人としての欲求があるでしょう。僕も実際エホバの証人をやっていたときは、日曜日遊びたいとか、恋愛したいとか、幼いながらにさまざまな欲求がありました。ただ、彼らはそれらの欲求を表に出さず、口では、神の喜ばれることを求めようとするのです。 たとえば「隣人を愛す」というのは有名な教えですが、彼らは内在的に受け付けない人とかがいるだろうにも関わらず、その教えを全うしようとする。これは人間にはなかなかできることではありません。今の人類にこのような精神が必要であるとは思わないでしょうか。自分の内在的な欲望をおさえることができるようになれば、世の平和につながると考えてしまうのですが。
エホバの証人に精神病が多いというのはデータにもあるようですね。現役信者の私の親もそのようなことを言っていました。ただそれは、彼らの理想とする世の中、人類のありかたと現実が余りにも離れてしまっている。彼らは生真面目ですから、つきつめて考えてしまうのでしょう。また、エホバの証人になり実際に直面する問題にまいってしまうというのもあるでしょう。でも、エホバの証人になるというのは少なからずして自分の意思です。自分で選んでエホバの証人になったのであれば、それらの問題で悩むということを、組織のせいにするのは的外れではないでしょうか。 そして、やめたいと思っているときに、彼らは心理的圧迫を加えてくるというのは、厳しい言い方ですが、あなたの主観でしかないでしょう。彼らは自分達が正しいと思っているわけで、正しい組織に引きとめようとするのは、当然の行動ではないですか。それは宗教組織に関わらず、様々な組織や、友達関係においてもいえることです。組織から抜けようとすれば、当然その構成員に引き止められます。もちろんそのような行為において、抜ける側の人間はそれをうざったいと思うでしょう。しかし、それを引きとめようとするのは自然な行為だと思います。 それでも、あなたが必要以上に心理的圧迫を感じたというのであれば、それは、組織を抜けることに対し、少しでも引け目を感じていたからではありませんか?
長々と申し訳ないです。僕は組織を離れて10年弱たちました。離れた当初は、エホバの証人について嫌悪感を抱いていましたが、今ではやっと客観的に見られるようになった気がします。もちろん、元二世であるならば、気づいたらエホバを学んでいた、という不可抗力的な部分に怒りを感じるかもしれませんが、僕はこの時期になって、彼らの教えを学んだことは無駄ではなかったと思えるようになっています。そして、昔の思い出は、たとえば、若いお兄さん兄弟に遊んでもらったことなどは本当にいい思い出になっていますよ。
まずは、エホバの証人の信者でない人は救われないという点。これはエホバの証人が一宗教であるうえ、仕方のないことではないでしょうか。宗教の根底には、正しいことを信じるもののみが救われるというのがあるでしょう。歴史をたどっても、聖戦などといった表現、異端審問、現在でもイスラムとキリストの対立など、この考えが元となっているのです。これを否定するのでは、宗教全体を否定していることになってしまいます。 エホバの証人は、自分達が正しいと思って、自分達以外にも救われてほしいと、みんなに伝えようとしているだけマシだと思うのですが。
「ハルマゲドンで滅んでしまえ」という表現は確かに適切ではありません。ただ、人間には主観が存在します。皆さんも「あいつを殺したい」と思うことがあるでしょう。エホバの証人も例外ではありません。彼らにも人としての欲求があるでしょう。僕も実際エホバの証人をやっていたときは、日曜日遊びたいとか、恋愛したいとか、幼いながらにさまざまな欲求がありました。ただ、彼らはそれらの欲求を表に出さず、口では、神の喜ばれることを求めようとするのです。 たとえば「隣人を愛す」というのは有名な教えですが、彼らは内在的に受け付けない人とかがいるだろうにも関わらず、その教えを全うしようとする。これは人間にはなかなかできることではありません。今の人類にこのような精神が必要であるとは思わないでしょうか。自分の内在的な欲望をおさえることができるようになれば、世の平和につながると考えてしまうのですが。
エホバの証人に精神病が多いというのはデータにもあるようですね。現役信者の私の親もそのようなことを言っていました。ただそれは、彼らの理想とする世の中、人類のありかたと現実が余りにも離れてしまっている。彼らは生真面目ですから、つきつめて考えてしまうのでしょう。また、エホバの証人になり実際に直面する問題にまいってしまうというのもあるでしょう。でも、エホバの証人になるというのは少なからずして自分の意思です。自分で選んでエホバの証人になったのであれば、それらの問題で悩むということを、組織のせいにするのは的外れではないでしょうか。 そして、やめたいと思っているときに、彼らは心理的圧迫を加えてくるというのは、厳しい言い方ですが、あなたの主観でしかないでしょう。彼らは自分達が正しいと思っているわけで、正しい組織に引きとめようとするのは、当然の行動ではないですか。それは宗教組織に関わらず、様々な組織や、友達関係においてもいえることです。組織から抜けようとすれば、当然その構成員に引き止められます。もちろんそのような行為において、抜ける側の人間はそれをうざったいと思うでしょう。しかし、それを引きとめようとするのは自然な行為だと思います。 それでも、あなたが必要以上に心理的圧迫を感じたというのであれば、それは、組織を抜けることに対し、少しでも引け目を感じていたからではありませんか?
長々と申し訳ないです。僕は組織を離れて10年弱たちました。離れた当初は、エホバの証人について嫌悪感を抱いていましたが、今ではやっと客観的に見られるようになった気がします。もちろん、元二世であるならば、気づいたらエホバを学んでいた、という不可抗力的な部分に怒りを感じるかもしれませんが、僕はこの時期になって、彼らの教えを学んだことは無駄ではなかったと思えるようになっています。そして、昔の思い出は、たとえば、若いお兄さん兄弟に遊んでもらったことなどは本当にいい思い出になっていますよ。