昼寝するぶた 掲示板過去ログ:#4263

昼寝するぶた

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No.4263 Re:様々な意見ありがとう。 投稿者:Samsung 投稿日:2003/10/20 19:08   少し壊れてる  
> 本当に言いたいことは、エホバの証人は批判されるような人ではない、ということですので、

まるっきり分かっていませんね。あなたが言っているようなことは皆さん十分すぎるほど承知していることです。批判されるような人はたくさんいますよ。もちろん、エホバの証人すべてが悪い人だとか、カルト集団の危険人物だとか、そんなことを言うはずはありません。自分たちだってかつては一員だったのですから。
あなたが「エホバの証人は素晴らしい人たちです」なんていうから、それは違うと言ったまでです。あなたがどう思おうと勝手ですけど。もちろん私が思い返しても人格的に魅力を感じる人はたくさんいましたよ。でもその一方で偽善的な人も非常に多かったですね。


>  まずは、エホバの証人の信者でない人は救われないという点。これはエホバの証人が一宗教であるうえ、仕方のないことではないでしょうか。宗教の根底には、正しいことを信じるもののみが救われるというのがあるでしょう。

あなたはキリスト教およびキリスト教と同根であるイスラム教やユダヤ教しか知らないのですか。
そんなことは分かりきったことですが、それで自分たちだけが救われると思っているような人たちが果たして「素晴らしい人たち」なのでしょうか?自分たちだけが救われると思うからこそ、背協者や断絶者にあれほど非人間的な扱いが平気でできるのでしょう。「一宗教であるから仕方ない」などといっておられますが、エホバの証人の背協者に対する扱いはまずどのキリスト教諸派や他の宗教を探してもそう見当たるものではありません。あるとすればオウムや統一教会のようなカルト集団でしょう。
もちろんキリスト教だってイスラム教だって同じ要素があるでしょう。でも大方の教派はもっと寛容ですよ。
たとえばマザー・テレサはカトリック教徒でしたが、なぜ彼女がヒンズー教の国インドでカトリック式の国葬にされるまで人々に受け入れられたか分かりますか?彼女は死んでいった人の宗教を尊重してその人の宗教で葬式を行ったのですよ。エホバの証人と比べてみてください。
彼女も当初はずっと偏見にさらされていたのですよ。でもバラモンという聖書でいえばパリサイ人か律法学者のようなヒンズー教の僧がコレラにかかり、生前はあがめていたであろう周囲の人々が誰も寄り付こうとしないのに彼女は何も言わず引き取ったそうです。それで「あなたの宗教は本物に違いない」と人々が言い出したそうですよ。

>歴史をたどっても、聖戦などといった表現、異端審問、現在でもイスラムとキリストの対立など、この考えが元となっているのです。これを否定するのでは、宗教全体を否定していることになってしまいます。 

またエホ証お得意の他の宗教批判ですが、もちろんあなたの言うようにエホ証は一般の既成宗教よりも高い道徳基準を守ろうとしているでしょう。でも排斥者に対する非道な扱いや、都合の悪い情報をまるで全体主義国家のように排除しようとするその組織のあり方は、他の既成宗教よりもはるかにひどいものです。
また宗教とはそういうものであるから、というのがいったい何の言い訳になるのでしょうか。宗教であれなんであれ、人間一人一人の内心の自由、言論の自由、知る権利、等々といったものは、いかに過去の歴史がどうであれ人類が長いことかかって勝ち得てきたものです。非人道的な扱いが当然のように行われている組織があるとすれば、そのような宗教は当然批判されるべきであるし、それでも改めようともしないというなら社会的見地から消滅してもいいと思います。信者の信じる権利と同様、非信者が害を被らない権利というのもあるはずです。現代社会では信教の自由ばかりが強調されているきらいがありますが、私はもう少し考え直す必要があると思います。
だいたい、隣人愛を説くくせになんで自分の権利ばっかり主張するんですかね?あなたはエホバの証人は争わないと言いましたが、協会はとにかく自分たちの正当性を認めさせるためによく法廷での争いをしていますよ。争いを好まないなら、何で訴訟なんてするのでしょうか?単なる殴り合いのケンカなんかより、法廷での争いっていうのは人間の醜さがすべて現れるような醜悪なものですよ。


>エホバの証人は、自分達が正しいと思って、自分達以外にも救われてほしいと、みんなに伝えようとしているだけマシだと思うのですが。

だから人の人生を左右する宗教を薦めるということをどうしてそんなに軽々しく言えるのでしょうね?責任の重さを痛感しているなら、自分たちの悪い点に対する批判は謙虚に受け止めるくらい人間として当然のことでしょう。まともな宗教団体なら、エホ証のように批判をすべてシャットアウトしたりはしません。

>  「ハルマゲドンで滅んでしまえ」という表現は確かに適切ではありません。ただ、人間には主観が存在します。皆さんも「あいつを殺したい」と思うことがあるでしょう。

人を殺したいとか思いませんよ。思い込みで決め付けないでください。血を見るの嫌いですから。まあ、さっさといなくなってくれればいいと思うことはありますが。同じと言われるかもしれませんが、違いますよ。
都合の悪いことはまともに答えずにはぐらかし、脱会信者のふりした現役でしょう。あなたの回答には誠意が感じられません。あなたが「素晴らしい」というエホバの証人そのままの回答です。こういう不誠実な回答をするような偽善者だから私は彼らの多くがとても「素晴らしい」人などではないと申し上げたのです。


エホバの証人も例外ではありません。彼らにも人としての欲求があるでしょう。僕も実際エホバの証人をやっていたときは、日曜日遊びたいとか、恋愛したいとか、幼いながらにさまざまな欲求がありました。ただ、彼らはそれらの欲求を表に出さず、口では、神の喜ばれることを求めようとするのです。
たとえば「隣人を愛す」というのは有名な教えですが、彼らは内在的に受け付けない人とかがいるだろうにも関わらず、その教えを全うしようとする。これは人間にはなかなかできることではありません。今の人類にこのような精神が必要であるとは思わないでしょうか。自分の内在的な欲望をおさえることができるようになれば、世の平和につながると考えてしまうのですが。

長々と言い訳するのがお好きなようですが、それこそ、「隣人愛」があれば簡単なことでしょう。そんな屁理屈で自己弁護しないといけないのは隣人愛が欠けているからですよ。

>  エホバの証人に精神病が多いというのはデータにもあるようですね。現役信者の私の親もそのようなことを言っていました。ただそれは、彼らの理想とする世の中、人類のありかたと現実が余りにも離れてしまっている。彼らは生真面目ですから、つきつめて考えてしまうのでしょう。また、エホバの証人になり実際に直面する問題にまいってしまうというのもあるでしょう。でも、エホバの証人になるというのは少なからずして自分の意思です。自分で選んでエホバの証人になったのであれば、それらの問題で悩むということを、組織のせいにするのは的外れではないでしょうか。 

誰が組織のせいにしていると言いましたか?仮に組織のせいにしたところで、あの無責任集団は責任など取るつもりは全くこれっぽっちもないのですからね。信仰が自己責任であるのは分かりきったこととして、だから組織は無責任でいいという理屈がどこから出てくるのでしょうか?そんなものがどうして唯一真理の愛の組織なんでしょうか?

そして、やめたいと思っているときに、彼らは心理的圧迫を加えてくるというのは、厳しい言い方ですが、あなたの主観でしかないでしょう。彼らは自分達が正しいと思っているわけで、正しい組織に引きとめようとするのは、当然の行動ではないですか。

よくこんなことが平然といえますよね。だから素晴らしい人どころが冷血人間の集団だといわれるのですよ。



>それは宗教組織に関わらず、様々な組織や、友達関係においてもいえることです。組織から抜けようとすれば、当然その構成員に引き止められます。

何を言っているのでしょうか?そんなことはありませんよ。会社だって、辞めるときっぱり言えばあっさりしたものです。エホバの証人の組織が異常なのです。



>もちろんそのような行為において、抜ける側の人間はそれをうざったいと思うでしょう。

うざったいなどというレベルではありません。何を言っているのでしょうか。人の意見を理解しようともせずに、高飛車に偉そうにものを言うあなたは傲慢な典型的エホ証ですね。

しかし、それを引きとめようとするのは自然な行為だと思います。 それでも、あなたが必要以上に心理的圧迫を感じたというのであれば、それは、組織を抜けることに対し、少しでも引け目を感じていたからではありませんか?

当初から排斥や断絶を念頭に置いて信者になるわけありませんからね。なってからいろんなことが分かってくるものです。愛があるなら、なぜそこまで追い詰められる前に手を差し伸べてくれないのでしょうか?物事には時期というものがありますよ。「手遅れ」になってからお体裁だけで引き止められたら、どんな気持ちがしますか?
あなたは隣人愛だなんだといいながら、心の傷ついた人々に対する配慮はかけらもありませんね。あなたのような人の集団だからこそ怒りを感じて批判しているのですよ。

>
>  長々と申し訳ないです。僕は組織を離れて10年弱たちました。離れた当初は、エホバの証人について嫌悪感を抱いていましたが、今ではやっと客観的に見られるようになった気がします。もちろん、元二世であるならば、気づいたらエホバを学んでいた、という不可抗力的な部分に怒りを感じるかもしれませんが、僕はこの時期になって、彼らの教えを学んだことは無駄ではなかったと思えるようになっています。そして、昔の思い出は、たとえば、若いお兄さん兄弟に遊んでもらったことなどは本当にいい思い出になっていますよ。

あなたにとってよかったのならそれに越したことありませんが、あなたは傷ついた人々の心の内を理解しようともせずその神経を逆なでするようなことを平気で書いてすましていることに気づいていますか?

少なくともあなたは素晴らしい証人では到底なかっただろうし、あなたのような人から見て素晴らしいと思うエホバの証人も私にとってはぜんぜん素晴らしくないただの偽善的な典型エホ証にすぎないでしょう。
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