自然消滅した元信者=元伝道者さんの意見に対して
納得いかないので、自己レスという形で解決したいと思います。
以下ゲストブックより・・
>ただ、エホバの証人の人たちは素晴らしい人たちです。どんなこと>を信じているかは別として(たとえば輸血拒否とか)、人格的に素>晴らしい。彼らは決して、争いを好まないし、人に対して敬意を持>って接してくれます。世の中彼らのような人たちが多ければどれだ>け平和になるだろうと思います。
元信者さんの意見が「JWでもいい人たちがいる」というものなら、それは私も同意できます。確かにその通りです。いい人たちもいます。ですが、「彼らのような人たちが多ければ、世の中平和になる」というのは、必ずしも言い切れないとも思います。
何故なら、JW内には、同じ仲間同士の闘争やねたみが確かに存在しており、実質的に「平和が全く無い」会衆もあるのです。
誰が一番偉いのか?
これはJW問題の基本的な難題です。
彼らが仲間を愛する方法は上層部によって決められています。
その許容範囲内でしか愛を示せません。
限界のある愛・・
形式的にでも示さなければ、組織内での自分の地位や評判に影響するという、ただそれだけの理由で示される「親切」に、どれほどの人が心を動かされるでしょうか?
JWが本当に仲間に対する愛を実践するというなら、会衆の長老達の
目を伺ったり、上層部の指導を仰がなくても、自主的に行なえるはずです!私はJWがいわゆる「世の人」「未信者の家族」に対して示す
笑顔は作り笑いであり、偽善的な行為であると思います。
JWでは「地位」か「資力」のどちらかがあればやっていけます。
その両方を持ち合わせていれば、万全なのです。
しかしながら、そのどちらも持ち合わせていないなら、
アムハーアーレツ・・すなわち単なる「地の人」なのです。
「未信者のご主人」にいい顔するのは当たり前です。
JW組織に金銭面で多大の貢献をしているのですから・・
不適切な表現かもしれませんが、彼らはJW労働者と呼ばれるに
値する働きをしているのです。
>彼らの教えを批判するのは自由です。僕もこれはおかしいだろうと>思うことがいくつもあります。けれども、彼らの人としての存在を>否定、中傷するようなことはやめてください。
個人としてのJWを見た場合に、確かに魅力的な性格、多彩な能力や
人徳を有している人々がいるのは事実です。
それでも・・
そうした「素晴らしい」特質をJW組織内で十分に発揮できないというのも、また真実です。
人々が自主的に行なう崇拝を、神が「快い」とみなされるのであれば・・JW内で行なわされている崇拝の形式は本当に有益でしょうか?私は聖書が勧めている「理性による神聖な奉仕」をJWが捧げて
いるとは思えません。
個人的に魅力を感じるJWたちがいるのは事実で、そうした人々のことを悪く言うつもりは毛頭ありません。
ですが、そうした「素晴らしい素材」を十分活かせない組織に魅力を感じることは、出来ないことでしょう。
貴方の主張を代弁して書いたつもりです。
一応、これをもって、元信者=元伝道者さんの提起した論議に対する私の答弁を終わりに致します。
納得いかないので、自己レスという形で解決したいと思います。
以下ゲストブックより・・
>ただ、エホバの証人の人たちは素晴らしい人たちです。どんなこと>を信じているかは別として(たとえば輸血拒否とか)、人格的に素>晴らしい。彼らは決して、争いを好まないし、人に対して敬意を持>って接してくれます。世の中彼らのような人たちが多ければどれだ>け平和になるだろうと思います。
元信者さんの意見が「JWでもいい人たちがいる」というものなら、それは私も同意できます。確かにその通りです。いい人たちもいます。ですが、「彼らのような人たちが多ければ、世の中平和になる」というのは、必ずしも言い切れないとも思います。
何故なら、JW内には、同じ仲間同士の闘争やねたみが確かに存在しており、実質的に「平和が全く無い」会衆もあるのです。
誰が一番偉いのか?
これはJW問題の基本的な難題です。
彼らが仲間を愛する方法は上層部によって決められています。
その許容範囲内でしか愛を示せません。
限界のある愛・・
形式的にでも示さなければ、組織内での自分の地位や評判に影響するという、ただそれだけの理由で示される「親切」に、どれほどの人が心を動かされるでしょうか?
JWが本当に仲間に対する愛を実践するというなら、会衆の長老達の
目を伺ったり、上層部の指導を仰がなくても、自主的に行なえるはずです!私はJWがいわゆる「世の人」「未信者の家族」に対して示す
笑顔は作り笑いであり、偽善的な行為であると思います。
JWでは「地位」か「資力」のどちらかがあればやっていけます。
その両方を持ち合わせていれば、万全なのです。
しかしながら、そのどちらも持ち合わせていないなら、
アムハーアーレツ・・すなわち単なる「地の人」なのです。
「未信者のご主人」にいい顔するのは当たり前です。
JW組織に金銭面で多大の貢献をしているのですから・・
不適切な表現かもしれませんが、彼らはJW労働者と呼ばれるに
値する働きをしているのです。
>彼らの教えを批判するのは自由です。僕もこれはおかしいだろうと>思うことがいくつもあります。けれども、彼らの人としての存在を>否定、中傷するようなことはやめてください。
個人としてのJWを見た場合に、確かに魅力的な性格、多彩な能力や
人徳を有している人々がいるのは事実です。
それでも・・
そうした「素晴らしい」特質をJW組織内で十分に発揮できないというのも、また真実です。
人々が自主的に行なう崇拝を、神が「快い」とみなされるのであれば・・JW内で行なわされている崇拝の形式は本当に有益でしょうか?私は聖書が勧めている「理性による神聖な奉仕」をJWが捧げて
いるとは思えません。
個人的に魅力を感じるJWたちがいるのは事実で、そうした人々のことを悪く言うつもりは毛頭ありません。
ですが、そうした「素晴らしい素材」を十分活かせない組織に魅力を感じることは、出来ないことでしょう。
貴方の主張を代弁して書いたつもりです。
一応、これをもって、元信者=元伝道者さんの提起した論議に対する私の答弁を終わりに致します。