目覚め太です。
知りたくも無いかもしれませんが、2004年JWの掲げる
聖句はマタイ24:42,44です。
「ずっと見張っていなさい。・・・用意のできていることを
示しなさい」というものです。
「ずっと見張っていなさい」と訳されている言語のギリシャ語
には、「あなた方は目ざめていなさい」という字義通りの意味
があるそうで・・見張るとは、目覚めると同じ意味のようです。
これは私としても?見逃すわけにはいきませんね。。。
しかし、極論言うなら、JW的意味合いの「見張っている」
とは、「JWの活動に忙しく」あることを意味します。
いわゆる「王国の活動」に熱心に携わること・・
そうすることが「目ざめている」ことの意なのです。
JWの活動に邁進していれば・・それは見張っていることに
なるという考え・・
言い換えれば、それは「他の事柄に構わなくなる」ということ
に繋がるのではないでしょうか・・
忙し過ぎて、その「目ざめた」状態を保つべく、JWの活動に
全身全霊傾けて、邁進することで、他のことに使うべきエネル
ギーが切れる・・そういう状態が生じないでしょうか・・?
「霊的な眠り」に警告しておきながら、「霊的な疲労」には
注意しないのでしょうか・・?
多くの純粋なJWたちは、組織の言うがままに生活を合わせて
きました。何でも従ってきたのです。
組織の言うことが神の指示であると信じているためです。
しかも唯一の経路として・・
その結果、「霊的な眠り」にではなく「霊的な疲労」・・
いえ「霊的な過労」に陥ってきたのです!
ほとんど何も残らないほどに、エネルギーを消耗し尽くして、
「燃え尽き」状態になったJWも少なくありません。
それほど・・
組織の要求は過酷なのです!
決して満足することの無い組織なのです!
一体、これ以上、何を行なえというのか・・
ここにも「平衡」が関係するはずです。
既に「廃人?状態」になっていても、自分には不足があり、
もっと行なわなければいけない、もっと頑張らなければ
いけない、これをしなければ是認されない・・という
恐怖感に捕らわれているJWたち・・
本当に見張っていることになるのでしょうか・・?
眠い時には、新鮮な空気を吸い、顔を洗い、シャワーを浴び、
ストレッチ体操やその他の運動などをする・・
そうして体を動かすことが、「何か」をするという意味だと説明
するJW組織・・
それこそが「準備」なのであり、「用意のできていること」を
示すことに繋がると指導しています。
私はスポーツインストラクターではありませんから、よく知ら
ないのですが、「疲れている」人たちに、果たして「準備」
運動が必要なのでしょうか?
それが効果的なのでしょうか・・?
むしろ・・治療・・癒し・・休息・・リハビリ・・
こうしたことが必要なのではないでしょうか・・?
下記にJWの主張をそのまま引用します。
「用意を整えておくべき理由に関して、42節と44節が述べ
ている興味深い点に注目してください。42節には、自分たちの
主がどの日に来るかを知らないからです。また44節には、あ
なた方の思わぬ時刻に人の子は来るからです、とあります。
このことにはどんな重要な意味があるでしょうか。イエスは少し
前に、その日と時刻については誰も知りません。天のみ使いた
ちも子も知らず、ただ父だけが知っておられます。と述べてい
ました。それで人の子が到来する「日」や「時刻」について憶測
することには何の益もありません。むしろ私たちは自分自身に
注意を払う必要があります。それは人の子が到着する時に、
その方の弟子、また仲間の証人であると言うに値する生き方を
しているよう、またきまり悪い思いをしたり、恥をかいたりする
ことが決してないようにするためです」
2004「日ごとに聖書を調べる」序文より
「人の子が到来する「日」や「時刻」について憶測することに
は何の益もありません」などと言っておきながら、「世代」に
執拗に拘り続け、聖書の年代計算を勝手に想定し、解釈してき
たのは、紛れも無いJW組織であり、統治体自身です!
(ちなみにJWの公式見解では、統治体は霊によって油注がれて?
はいても、神の霊感を受けてはいません。その記した出版物も神の
霊感を受けていないと、ものみの塔誌上で認めています)
現在、どうにも判らなくなったので、沈黙しているだけです!
彼らが認めた通り・・全く何の益も無かったのです!
むしろ、深刻で有害な結果が残っただけです!
その責任は・・一体誰が取るのでしょうか・・?
そのすぐ後にはこうありました・・
「むしろ私たちは自分自身に注意を払う必要があります。
それは人の子が到着する時に、その方の弟子、また仲間の証人
であると言うに値する生き方をしているよう、またきまり悪い
思いをしたり、恥をかいたりすることが決してないようにする
ためです」
赤っ恥をかくのは統治体のほうです!
そして配下にいる日本支部委員会もそうです!
彼らは今後更に「恥」をかき、「きまりの悪い思い」をしていく
必要があります。当然の結果ですが。。。
「自分自身に注意を払う」からこそ・・
自分の必要や限界を悟るのです。
そしてキリストの弟子であることを本当に意識しているので
あれば、見える兄弟たちを愛せるはずです。
「愛」が、誰の目にも、はっきりと見える、しるしになって
いなければなりません。
JW組織にそのような愛が顕著に見られているでしょうか?
それとも忙しさのあまり、しかも「霊的残業」のあまり、
自分自身の必要を顧みず、自分の家族と一緒に時間を過ごす
ことも出来ず、何もかも捨てて、「組織の業」を行なっている
でしょうか・・?
しるしが「愛」か「業」か・・
もし「愛」を動機とする「業」であるならば・・
そこには平和があるはずです・・
自分自身の平和・・平安・・
他の人々との平和・・平安・・
JW組織の中に、不和や言い争い、ねたみ、闘争、がみられる
なら・・多くの時間をかけて行なわれる「業」の動機は「愛」
では有り得ない!
それは、自己中心的な誇り、虚栄心ではないだろうか・・
用意が出来ていることを数多くの「業」で証明しようとするの
では無く、互いに対する真の愛や気遣い、善良さで証明するこ
とのほうが、より勝った信仰の歩みなのではないか・・
それが「見張っている、用意のできていることを示す」ことに
繋がり、「その方の弟子、また仲間の証人であると言うに
値する生き方をしている、またきまり悪い思いをしたり、
恥をかいたりすることが決してないようにする」ことになるの
ではないでしょうか・・
聖書にはこうある。
「その日には,多くの者がわたしに向かって,『主よ,主よ,
わたしたちはあなたの名において預言し,あなたの名において
悪霊たちを追い出し,あなたの名において強力な業を数多く
成し遂げなかったでしょうか』と言うでしょう。しかしその時
わたしは彼らにはっきり言います。わたしは決してあなた方を
知らない,不法を働く者たちよ,わたしから離れ去れ,と」
マタイ7:22,23
知りたくも無いかもしれませんが、2004年JWの掲げる
聖句はマタイ24:42,44です。
「ずっと見張っていなさい。・・・用意のできていることを
示しなさい」というものです。
「ずっと見張っていなさい」と訳されている言語のギリシャ語
には、「あなた方は目ざめていなさい」という字義通りの意味
があるそうで・・見張るとは、目覚めると同じ意味のようです。
これは私としても?見逃すわけにはいきませんね。。。
しかし、極論言うなら、JW的意味合いの「見張っている」
とは、「JWの活動に忙しく」あることを意味します。
いわゆる「王国の活動」に熱心に携わること・・
そうすることが「目ざめている」ことの意なのです。
JWの活動に邁進していれば・・それは見張っていることに
なるという考え・・
言い換えれば、それは「他の事柄に構わなくなる」ということ
に繋がるのではないでしょうか・・
忙し過ぎて、その「目ざめた」状態を保つべく、JWの活動に
全身全霊傾けて、邁進することで、他のことに使うべきエネル
ギーが切れる・・そういう状態が生じないでしょうか・・?
「霊的な眠り」に警告しておきながら、「霊的な疲労」には
注意しないのでしょうか・・?
多くの純粋なJWたちは、組織の言うがままに生活を合わせて
きました。何でも従ってきたのです。
組織の言うことが神の指示であると信じているためです。
しかも唯一の経路として・・
その結果、「霊的な眠り」にではなく「霊的な疲労」・・
いえ「霊的な過労」に陥ってきたのです!
ほとんど何も残らないほどに、エネルギーを消耗し尽くして、
「燃え尽き」状態になったJWも少なくありません。
それほど・・
組織の要求は過酷なのです!
決して満足することの無い組織なのです!
一体、これ以上、何を行なえというのか・・
ここにも「平衡」が関係するはずです。
既に「廃人?状態」になっていても、自分には不足があり、
もっと行なわなければいけない、もっと頑張らなければ
いけない、これをしなければ是認されない・・という
恐怖感に捕らわれているJWたち・・
本当に見張っていることになるのでしょうか・・?
眠い時には、新鮮な空気を吸い、顔を洗い、シャワーを浴び、
ストレッチ体操やその他の運動などをする・・
そうして体を動かすことが、「何か」をするという意味だと説明
するJW組織・・
それこそが「準備」なのであり、「用意のできていること」を
示すことに繋がると指導しています。
私はスポーツインストラクターではありませんから、よく知ら
ないのですが、「疲れている」人たちに、果たして「準備」
運動が必要なのでしょうか?
それが効果的なのでしょうか・・?
むしろ・・治療・・癒し・・休息・・リハビリ・・
こうしたことが必要なのではないでしょうか・・?
下記にJWの主張をそのまま引用します。
「用意を整えておくべき理由に関して、42節と44節が述べ
ている興味深い点に注目してください。42節には、自分たちの
主がどの日に来るかを知らないからです。また44節には、あ
なた方の思わぬ時刻に人の子は来るからです、とあります。
このことにはどんな重要な意味があるでしょうか。イエスは少し
前に、その日と時刻については誰も知りません。天のみ使いた
ちも子も知らず、ただ父だけが知っておられます。と述べてい
ました。それで人の子が到来する「日」や「時刻」について憶測
することには何の益もありません。むしろ私たちは自分自身に
注意を払う必要があります。それは人の子が到着する時に、
その方の弟子、また仲間の証人であると言うに値する生き方を
しているよう、またきまり悪い思いをしたり、恥をかいたりする
ことが決してないようにするためです」
2004「日ごとに聖書を調べる」序文より
「人の子が到来する「日」や「時刻」について憶測することに
は何の益もありません」などと言っておきながら、「世代」に
執拗に拘り続け、聖書の年代計算を勝手に想定し、解釈してき
たのは、紛れも無いJW組織であり、統治体自身です!
(ちなみにJWの公式見解では、統治体は霊によって油注がれて?
はいても、神の霊感を受けてはいません。その記した出版物も神の
霊感を受けていないと、ものみの塔誌上で認めています)
現在、どうにも判らなくなったので、沈黙しているだけです!
彼らが認めた通り・・全く何の益も無かったのです!
むしろ、深刻で有害な結果が残っただけです!
その責任は・・一体誰が取るのでしょうか・・?
そのすぐ後にはこうありました・・
「むしろ私たちは自分自身に注意を払う必要があります。
それは人の子が到着する時に、その方の弟子、また仲間の証人
であると言うに値する生き方をしているよう、またきまり悪い
思いをしたり、恥をかいたりすることが決してないようにする
ためです」
赤っ恥をかくのは統治体のほうです!
そして配下にいる日本支部委員会もそうです!
彼らは今後更に「恥」をかき、「きまりの悪い思い」をしていく
必要があります。当然の結果ですが。。。
「自分自身に注意を払う」からこそ・・
自分の必要や限界を悟るのです。
そしてキリストの弟子であることを本当に意識しているので
あれば、見える兄弟たちを愛せるはずです。
「愛」が、誰の目にも、はっきりと見える、しるしになって
いなければなりません。
JW組織にそのような愛が顕著に見られているでしょうか?
それとも忙しさのあまり、しかも「霊的残業」のあまり、
自分自身の必要を顧みず、自分の家族と一緒に時間を過ごす
ことも出来ず、何もかも捨てて、「組織の業」を行なっている
でしょうか・・?
しるしが「愛」か「業」か・・
もし「愛」を動機とする「業」であるならば・・
そこには平和があるはずです・・
自分自身の平和・・平安・・
他の人々との平和・・平安・・
JW組織の中に、不和や言い争い、ねたみ、闘争、がみられる
なら・・多くの時間をかけて行なわれる「業」の動機は「愛」
では有り得ない!
それは、自己中心的な誇り、虚栄心ではないだろうか・・
用意が出来ていることを数多くの「業」で証明しようとするの
では無く、互いに対する真の愛や気遣い、善良さで証明するこ
とのほうが、より勝った信仰の歩みなのではないか・・
それが「見張っている、用意のできていることを示す」ことに
繋がり、「その方の弟子、また仲間の証人であると言うに
値する生き方をしている、またきまり悪い思いをしたり、
恥をかいたりすることが決してないようにする」ことになるの
ではないでしょうか・・
聖書にはこうある。
「その日には,多くの者がわたしに向かって,『主よ,主よ,
わたしたちはあなたの名において預言し,あなたの名において
悪霊たちを追い出し,あなたの名において強力な業を数多く
成し遂げなかったでしょうか』と言うでしょう。しかしその時
わたしは彼らにはっきり言います。わたしは決してあなた方を
知らない,不法を働く者たちよ,わたしから離れ去れ,と」
マタイ7:22,23