はんどうさん、はじめまして!レスありがとうございます!
> 今もある罪悪感は宗教色の濃い事をする時です
> 初詣、松飾、お焼香、などなど…
たしかに、一般の人は単に習慣や付き合いでやってるとしか思えないものに対しても、抵抗ありますよね。そうすると、今度は、抵抗持ってる自分にネガティブになってしまう…。悪循環ですね。
> 今は違和感があっても、何も感じなくなるまでやるつもりです
気合入ってますね!やっぱりこれが唯一の解決策なのかな?やりつづけて抵抗なくす、という。
> いつか御輿かついでみたいなぁ(^.^)
これはウケました(笑)。おみこしかつぐ人は普通でも少ないからそこまでしなくても…。でも、よいリハビリにはなりそう。
由里さん、こんにちは!
>私は子供の誕生日がまだ喜べません。
私も誕生日はなしです。家族の誕生日すらよくわかってません(笑)。でも、最近は少しずつ変えようとして、誕生日控えておいてメール送ったりしてるかな?
自分の子供の誕生日を心から嬉しいと思えるようになったらいいですね。子供は親が喜んでくれたらうれしいだろうと思うなー。でも、「自分がひっかかってるから誕生日はやりたくない」っていうふうにしないで、自分を克服して子供たちのために努力してる母親って、それだけで子供たちは敏感に愛情を感じてると思いますよ!
レス読んでて思ったのですが、結局、罪悪感の正体って、エホバに背いてしまった、ということなのかな?正しいはずのエホバに。頭では変だとわかっていても、こころはまだ縛られている。
たしかに、誕生日も初詣も楽しく過ごした経験がなければ(というか苦い経験しかなければ)、「はい、楽しんでいいですよー」って言われても、すぐには変われないですよね。逆にエホバの記憶を呼び起こすトリガーにしかならない。
だから、縛られたこころを解き放つには、「いや、それでいいんだ。楽しくていいんだ!」ってことを自分に言い聞かせて、他人からもそういう意見をばんばん言ってもらって自分の感じ方を変えていく。そうして、はんどうさんのおっしゃったように、「やりつづける」。それが楽しい経験になるように自分で工夫しながら。これしかないのかな。
エホバを離れても、罪悪感という形で縛られ続ける。ものみの塔ってほんとうに恐ろしい団体ですね。知らなければならないことがまだまだたくさんあるんだな、ということを思い知らされました。
> 今もある罪悪感は宗教色の濃い事をする時です
> 初詣、松飾、お焼香、などなど…
たしかに、一般の人は単に習慣や付き合いでやってるとしか思えないものに対しても、抵抗ありますよね。そうすると、今度は、抵抗持ってる自分にネガティブになってしまう…。悪循環ですね。
> 今は違和感があっても、何も感じなくなるまでやるつもりです
気合入ってますね!やっぱりこれが唯一の解決策なのかな?やりつづけて抵抗なくす、という。
> いつか御輿かついでみたいなぁ(^.^)
これはウケました(笑)。おみこしかつぐ人は普通でも少ないからそこまでしなくても…。でも、よいリハビリにはなりそう。
由里さん、こんにちは!
>私は子供の誕生日がまだ喜べません。
私も誕生日はなしです。家族の誕生日すらよくわかってません(笑)。でも、最近は少しずつ変えようとして、誕生日控えておいてメール送ったりしてるかな?
自分の子供の誕生日を心から嬉しいと思えるようになったらいいですね。子供は親が喜んでくれたらうれしいだろうと思うなー。でも、「自分がひっかかってるから誕生日はやりたくない」っていうふうにしないで、自分を克服して子供たちのために努力してる母親って、それだけで子供たちは敏感に愛情を感じてると思いますよ!
レス読んでて思ったのですが、結局、罪悪感の正体って、エホバに背いてしまった、ということなのかな?正しいはずのエホバに。頭では変だとわかっていても、こころはまだ縛られている。
たしかに、誕生日も初詣も楽しく過ごした経験がなければ(というか苦い経験しかなければ)、「はい、楽しんでいいですよー」って言われても、すぐには変われないですよね。逆にエホバの記憶を呼び起こすトリガーにしかならない。
だから、縛られたこころを解き放つには、「いや、それでいいんだ。楽しくていいんだ!」ってことを自分に言い聞かせて、他人からもそういう意見をばんばん言ってもらって自分の感じ方を変えていく。そうして、はんどうさんのおっしゃったように、「やりつづける」。それが楽しい経験になるように自分で工夫しながら。これしかないのかな。
エホバを離れても、罪悪感という形で縛られ続ける。ものみの塔ってほんとうに恐ろしい団体ですね。知らなければならないことがまだまだたくさんあるんだな、ということを思い知らされました。