私も。クララさんと一緒。
全部うらやましくて、全部やりたくて、たまんなかった。
小3くらいの時、学校の授業で、七夕の飾りを作る時、我慢出来なくてみんなと一緒に作った事がありました…
先生に「私はエホバの証人なので出来ません」と言いに行かなかった。
先生は家庭訪問の時に母から大方聞いていたにもかかわらず、黙って私に作らせてくれてました…
作った作品を家に持ち帰る時は、本当にドキドキしていた。見つからないように自分の机の上の、
母親に見つからないようなところにずっと隠しておいた。
捨てればよかったんだけど、せっかく作った綺麗な飾りを捨てるのが嫌で、捨てれなかった。
あとバレンタインも、年賀状も、小6の時は我慢出来なくて、こっそりやりました。
父の財布からお金を取って、(私はストレスからくる盗みの常習だった。)材料を買いに行き、好きだった男の子に
チョコサンドクッキーを焼きました。
みんなが寝静まった夜中に決行。台所で焼いたらバレるから
2階の自分の部屋にトースターと材料を一式持っていき、せっせと焼きました。
部屋の中はあま〜〜い匂いが充満してて、次の日すぐにバレたんだけど、
バレンタインとは関係ないと、適当に母を騙して、うまくやり過ごして。。。
行事ごとは私にとって、わくわくしてたまんない事だったのに、
それをすべて禁止されるのは苦痛でしかありませんでした。
そして、学校のブロシュアーで、何でやってはダメなのかを答えさせられても
全然心に入ってきませんでした。その理由が小難しすぎて、書いてある通りに読んで答える事は出来たけれど、
心に染み入ってこない。私の心は、やりたい。それだけだったから。
そういう気持ちをひた隠して、母や会衆の中ではエホバの証人的いい子を演じてたのが、さらなる苦痛だった。
ほんっといっつもいっつも感じなくていいストレスでいっぱいの子供でした。
自分を騙し騙しやってくのは本当に苦痛でしかありませんでした。
今となってみると、私にはエホバの証人は全然合わず、
辞めて当然だったよなーと、つくづく思います。
全部うらやましくて、全部やりたくて、たまんなかった。
小3くらいの時、学校の授業で、七夕の飾りを作る時、我慢出来なくてみんなと一緒に作った事がありました…
先生に「私はエホバの証人なので出来ません」と言いに行かなかった。
先生は家庭訪問の時に母から大方聞いていたにもかかわらず、黙って私に作らせてくれてました…
作った作品を家に持ち帰る時は、本当にドキドキしていた。見つからないように自分の机の上の、
母親に見つからないようなところにずっと隠しておいた。
捨てればよかったんだけど、せっかく作った綺麗な飾りを捨てるのが嫌で、捨てれなかった。
あとバレンタインも、年賀状も、小6の時は我慢出来なくて、こっそりやりました。
父の財布からお金を取って、(私はストレスからくる盗みの常習だった。)材料を買いに行き、好きだった男の子に
チョコサンドクッキーを焼きました。
みんなが寝静まった夜中に決行。台所で焼いたらバレるから
2階の自分の部屋にトースターと材料を一式持っていき、せっせと焼きました。
部屋の中はあま〜〜い匂いが充満してて、次の日すぐにバレたんだけど、
バレンタインとは関係ないと、適当に母を騙して、うまくやり過ごして。。。
行事ごとは私にとって、わくわくしてたまんない事だったのに、
それをすべて禁止されるのは苦痛でしかありませんでした。
そして、学校のブロシュアーで、何でやってはダメなのかを答えさせられても
全然心に入ってきませんでした。その理由が小難しすぎて、書いてある通りに読んで答える事は出来たけれど、
心に染み入ってこない。私の心は、やりたい。それだけだったから。
そういう気持ちをひた隠して、母や会衆の中ではエホバの証人的いい子を演じてたのが、さらなる苦痛だった。
ほんっといっつもいっつも感じなくていいストレスでいっぱいの子供でした。
自分を騙し騙しやってくのは本当に苦痛でしかありませんでした。
今となってみると、私にはエホバの証人は全然合わず、
辞めて当然だったよなーと、つくづく思います。