昼寝するぶた 掲示板過去ログ:#4887

昼寝するぶた

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No.4887 感激しました、ハシモトさん! 投稿者:Q9 投稿日:2004/01/31 21:47     
>私は「世の中には嘆く場所がない」ってことが大きな問題だと思ってます。明るくて、何事も気にしなくって、っていうことばかりがいいことと思われていて、でも本当は誰でも悲しんだり、嘆いたりしたいときがあると思うんです。そういうときには思いっきり嘆いてもいいんじゃないかと思うよ。決して自分が弱いからじゃないと思う。

わたしもまったくそう思います。今の世の中、みんな本音を吐露することを、弱いことあるいはギブ・アップすることっていう受け止め方してますよね。それ、やっぱり世の中全体がうそ、ごまかしで動いているからですよね。世の中を滞りなく回転させるためには個人の事情を訴えるのは抑えなさいっていう暗黙のおきてがある。「和をもって尊しとする」っていうやつ。

他の個人の立場に立つっていう意味ならうなずけるけれど、会社や国家や宗教組織の体質のために個人に犠牲になれっていうんじゃ、それぜったい狂ってる、わたしはそのこと“論じる”ためなら一演説ぶてますよ。
「個人の事情を考慮していたら、まとまるものもまとまらないでしょう? “わがまま”もいいかげんにしなさい!」っていうのが通る場合と通らない場合をしっかり見分けるのが、分別だとわたしは言いたい。

全体のために個人の事情を抑えなければならない状況もたしかにあるけれど、それは必要最小限でなきゃね。なぜって自分の人生は自分のもので、他の人の道具じゃないから。サイコ系の学者たちによるとACの親は子どもの人生を、子どもに代わって生きようとするから、人格に障害をもつようになるって言います。エホバの証人はもっとひどい。エホバの証人は、ものみの塔協会の偉いさんの自己確認、自己満足のために、自分の人生を放棄して差し出されてる。

長老や女長老的開拓者たちの不満の解消用の道具にされてる、文字通り“羊さん”たちは。
エホバの証人の中ではそういう事情に気づいても、さて外へ出て、一社会人、一母親、一父親になったとき、子どもや友人に対して、自分は褒められた態度に出れるか、と思うと背筋がぞっとします。でもわたしはぜんぜんやれる自信がないって訳でもないです。ぜったいそうやろうっていう意気込みはあります。

本音を大事にするってことを「ギブ・アップじゃない」って言ってくれたハシモトさんは、もう一皮むけたんだと思います。
引用したことば、わたし、これからもずっと頭に入れておきます。すてきなセリフ、ありがとう。とってもさわやかでした。

>Q9さんの心の中にこれほど大きな憎しみが渦巻いているとは知らず、ちょっと軽率にレスしてしまいました。

いや、べつに本気でどうこうってことでもないんです。
わたしが親の態度で気に入らないのは、自分たちの正体、所業についての自覚が全然ないっていう点なんです。
あくまでわたしの信仰の弱体化と、それを許したのはクリスチャンの責任感の無さ、個人研究の習慣を怠ったこととかをネチネチ責めるでしょう?それが悔しいんですよ。もっともそれで「撒いたものを刈り取る」のは本人たちですから、ほうっときゃいいんでしょうけれどね。

でもね、自分の本心をごまかす人っていうのは、必ず自分の身近な人を責めるんですよ。これはほんとうです。サイコ用語で「投影」って言うらしいです。よーく自分のまわりのそういう人見ててご覧なさい。うわべだけの正論かざして説教したり、非難したりします。ほんとうに相手の立場に立って考えよう、という態度がありません。それがやさしさ、親切、愛っていうことなんですけどね。

自分の本心を偽って生きてる人の言い分は、とにかく自分の顔を立てろ、おれの思い通りになれっていうものです。こういうのには、たとえ親であっても、いいえそれこそ神、仏、キリストであっても、絶対NOというべきです。でないとまたうつが再発します。
またまた長くなりましたね。じゃ、このへんで。でもほんとに感激しました、ハシモトさんのあのセリフ。
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