うわあ、大問題になってるなあ。口は災いの元ですね。
>Q9さんがどの事をさして、組織の評価に頼っていると言われるのか分かりませんが。
父と母は精神的に自立できていない人間です。人生を自分で切り開いてゆくことの出来ない人間です。だからいわゆる“権威”のあるところからの承認を得ることで自分を一人前とみなす、という種類の人たちです。
子どもというのはティーンにはいると徐々に親から離れようとします。それは自然な成長です。ところが精神的におとなになりきれてないと、それを脅威に思う親がいるのです。子どもの世話を焼き、子どものことにいちいち関わることで、自分の存在の意味を見出そうとする親がいるのです。
そういう親は子どもが自立するのを許しません。「あなたのためを思って言うんでしょ!」というのは、その真相は「わたしがいなければあなたはダメなのですよ」という意味であり、それは「この子がいないとわたしの存在する意味って何だろう」という“不安”が基礎にある、という見解がいまや多いのです。子どもがヘンになってる時代ですから。
わたしの親は、自分に自信を与え、子どもを自分の元に留めておける理由づけをエホバの宗教に見出したのです。いちいち証拠をあげろといわれても急にはまとめられませんし、かなりプライバシーもあるしで言いませんけれど、わたしに関しては事実です。そういう意味でした。
>それは信じるも、信じないも自由ですが、では信じないと言われる証拠はなんでしょうか?そのように問われると私は返事に窮しました。反対に、その証拠が、出版物から活字を通して教えられると納得しました。今は、神がいるかも知れないし、いないかも知れない、と言うのが私の中の答えですが。
神を信じないと主張する根拠は、おっしゃるとおりです。神のような者が実在することを実証することはできませんし、実在しないということを直接に実証することも出来ません。しかし、神を持ち出さなくとも、エホバの証人が言うような問題には回答はだせるのです。すなわち、人間が生きていることには特別な意味があるのか、ないとしたら何のために理知が存在したのか、悪がはびこるのはなぜか、理想郷を実現することは単なる夢か、環境破壊のようなことを解決できるかというようなことも、神を持ち出さなくとも説明はつくのです。もうここではひとつひとつあげませんが。
ひとつだけ言うと、エホバの証人はアミノ酸には左手型と右手型があって、生物は左手型だけでできあがっている、このような選別があるのは理知による設計だと言います。一方生物学は、だからこそ生命は単一の源から発生したと言います。しかも遺伝子というのは人間でもゴキブリでも基本的にはおなじで、僅かの部分での相違が種の相違を生み出しているという事実などを総合的に重ね合わせて進化論を主張します。学者の方が公正じゃないですか。だからわたしは神はいないという意見に賛成するのです。
>私は、小学生で、いわゆる「この世」に絶望し、中学生でマルクスを知り、共産主義の平等な社会にあこがれ、でも、その夢も高校生で砕かれ、その後、JWの教理を知り、それを信じて、ここにこそ平等な世界があると信じて、20才直前に水没し、結局JWの世界にも絶望して、今は、どこにも帰る所が無くなってしまいました。
これから残りの人生を、何をどうやって捜していったらいいのか、現在も模索中です。
ノリタマさんは思索的な方なんですね。物事を通り一遍の説明では納得できない方なんですね。「なぜそういうのか」ととことん突き詰めようとされる方でしょうね。学者向きの方なんです。今の世の中は要領だけでのし上がってゆく風潮ですから、あまり評価してもらえない人物でもあります。ひょっとしてそれが原因で一線を越えてうつにでも苦しんでおられるのでしょうか。
わたしがよく読んできた自己啓発本では、他人にどう思われるかを気にするのは「病理」で説明していました。精神科医はこの社会で生きてゆけるよう援助するのが仕事ですから、突き詰めて考えることは薦めないようです。
時にはちょっと辛くても、学者の容赦ない分析も参考にされたりできないでしょうか。わたしに元気をくれた本があります。「人間性の心理学」という一冊5千円もする本です。普通は「病理」を分析することが多いのですが、この本は健康な心理というものを分析したものです。自分の居場所探しの一助になるとは思いますが。
もちろん、ここの管理人さんの経験も元気をくれます。注目点は管理人さんも、自分が変われる契機をじっと待っていたのではなく、自分から変わろうとされたことです。結局それしか方法はないんです、居場所獲得のためには。
ごめんね、月並みなことしか言えなくて。月並みなことしかいえないのは、それしかないんです。精神科医も最終段階では、「自分の考え方を変えるように」というんです。
ああ、しんどかった。
一時間かかっちゃった。ほんとうにみなさんごめんなさい。
>Q9さんがどの事をさして、組織の評価に頼っていると言われるのか分かりませんが。
父と母は精神的に自立できていない人間です。人生を自分で切り開いてゆくことの出来ない人間です。だからいわゆる“権威”のあるところからの承認を得ることで自分を一人前とみなす、という種類の人たちです。
子どもというのはティーンにはいると徐々に親から離れようとします。それは自然な成長です。ところが精神的におとなになりきれてないと、それを脅威に思う親がいるのです。子どもの世話を焼き、子どものことにいちいち関わることで、自分の存在の意味を見出そうとする親がいるのです。
そういう親は子どもが自立するのを許しません。「あなたのためを思って言うんでしょ!」というのは、その真相は「わたしがいなければあなたはダメなのですよ」という意味であり、それは「この子がいないとわたしの存在する意味って何だろう」という“不安”が基礎にある、という見解がいまや多いのです。子どもがヘンになってる時代ですから。
わたしの親は、自分に自信を与え、子どもを自分の元に留めておける理由づけをエホバの宗教に見出したのです。いちいち証拠をあげろといわれても急にはまとめられませんし、かなりプライバシーもあるしで言いませんけれど、わたしに関しては事実です。そういう意味でした。
>それは信じるも、信じないも自由ですが、では信じないと言われる証拠はなんでしょうか?そのように問われると私は返事に窮しました。反対に、その証拠が、出版物から活字を通して教えられると納得しました。今は、神がいるかも知れないし、いないかも知れない、と言うのが私の中の答えですが。
神を信じないと主張する根拠は、おっしゃるとおりです。神のような者が実在することを実証することはできませんし、実在しないということを直接に実証することも出来ません。しかし、神を持ち出さなくとも、エホバの証人が言うような問題には回答はだせるのです。すなわち、人間が生きていることには特別な意味があるのか、ないとしたら何のために理知が存在したのか、悪がはびこるのはなぜか、理想郷を実現することは単なる夢か、環境破壊のようなことを解決できるかというようなことも、神を持ち出さなくとも説明はつくのです。もうここではひとつひとつあげませんが。
ひとつだけ言うと、エホバの証人はアミノ酸には左手型と右手型があって、生物は左手型だけでできあがっている、このような選別があるのは理知による設計だと言います。一方生物学は、だからこそ生命は単一の源から発生したと言います。しかも遺伝子というのは人間でもゴキブリでも基本的にはおなじで、僅かの部分での相違が種の相違を生み出しているという事実などを総合的に重ね合わせて進化論を主張します。学者の方が公正じゃないですか。だからわたしは神はいないという意見に賛成するのです。
>私は、小学生で、いわゆる「この世」に絶望し、中学生でマルクスを知り、共産主義の平等な社会にあこがれ、でも、その夢も高校生で砕かれ、その後、JWの教理を知り、それを信じて、ここにこそ平等な世界があると信じて、20才直前に水没し、結局JWの世界にも絶望して、今は、どこにも帰る所が無くなってしまいました。
これから残りの人生を、何をどうやって捜していったらいいのか、現在も模索中です。
ノリタマさんは思索的な方なんですね。物事を通り一遍の説明では納得できない方なんですね。「なぜそういうのか」ととことん突き詰めようとされる方でしょうね。学者向きの方なんです。今の世の中は要領だけでのし上がってゆく風潮ですから、あまり評価してもらえない人物でもあります。ひょっとしてそれが原因で一線を越えてうつにでも苦しんでおられるのでしょうか。
わたしがよく読んできた自己啓発本では、他人にどう思われるかを気にするのは「病理」で説明していました。精神科医はこの社会で生きてゆけるよう援助するのが仕事ですから、突き詰めて考えることは薦めないようです。
時にはちょっと辛くても、学者の容赦ない分析も参考にされたりできないでしょうか。わたしに元気をくれた本があります。「人間性の心理学」という一冊5千円もする本です。普通は「病理」を分析することが多いのですが、この本は健康な心理というものを分析したものです。自分の居場所探しの一助になるとは思いますが。
もちろん、ここの管理人さんの経験も元気をくれます。注目点は管理人さんも、自分が変われる契機をじっと待っていたのではなく、自分から変わろうとされたことです。結局それしか方法はないんです、居場所獲得のためには。
ごめんね、月並みなことしか言えなくて。月並みなことしかいえないのは、それしかないんです。精神科医も最終段階では、「自分の考え方を変えるように」というんです。
ああ、しんどかった。
一時間かかっちゃった。ほんとうにみなさんごめんなさい。