お久しぶりです。また、お邪魔します。みなさんもいろいろな悩みを抱えながら、それでもたくましく生きられてますね。
暇な時間にまた聖書をバラバラと開いてました。ふと、新約の方で、イエスが述べていたことが気にかかりました。キリスト教徒にとって、最も大切なことは何かを説いていたと思います。
第一に、神を愛せよ
第二に、隣人を愛せよ
という旨のことだったと思います。
当然、エホ証の方々は、常にこのことを念頭においているのだろうと思ってます。まさか、「私たちは、神を愛することに忙しいので、隣人を愛することはずっと後回しにします」という論理を使うことはないだろうと思います。もし、こんな論理で行動していたら、パリサイ人とさほどかわりないように見えます。(でも、兄を見ているとパリサイ人的に見えるのは何故?)
掲示板を読むと、教団内部の陰湿な部分がが出てきますが、それでも隣人愛を実践はしているのでしょう。というのも、以前兄の机に文書がおいてましたが、そこに奉仕という字が見えましたので、どこかでボランティアでもしているのかもしれません。人助けをしているのであれば、まだ救われます。
先月阪神大震災についての記事がありました。それを読んで思ったのですが、隣人愛を実践するのですから、震災の時兄は教団の指示で神戸に行ったかもしれません。そのことを確認する気はないですが、被災地では王国会館は市民のための避難所として使われ、エホ証の方々は全国から人を派遣して被災者支援を組織的に行ったのだろうと思いました。
でも、もうボランティアはよいから、一番身近な隣人の家族のために、もっと家族の心情を察してほどほどの行動をしてほしいと思うこのごろです。
暇な時間にまた聖書をバラバラと開いてました。ふと、新約の方で、イエスが述べていたことが気にかかりました。キリスト教徒にとって、最も大切なことは何かを説いていたと思います。
第一に、神を愛せよ
第二に、隣人を愛せよ
という旨のことだったと思います。
当然、エホ証の方々は、常にこのことを念頭においているのだろうと思ってます。まさか、「私たちは、神を愛することに忙しいので、隣人を愛することはずっと後回しにします」という論理を使うことはないだろうと思います。もし、こんな論理で行動していたら、パリサイ人とさほどかわりないように見えます。(でも、兄を見ているとパリサイ人的に見えるのは何故?)
掲示板を読むと、教団内部の陰湿な部分がが出てきますが、それでも隣人愛を実践はしているのでしょう。というのも、以前兄の机に文書がおいてましたが、そこに奉仕という字が見えましたので、どこかでボランティアでもしているのかもしれません。人助けをしているのであれば、まだ救われます。
先月阪神大震災についての記事がありました。それを読んで思ったのですが、隣人愛を実践するのですから、震災の時兄は教団の指示で神戸に行ったかもしれません。そのことを確認する気はないですが、被災地では王国会館は市民のための避難所として使われ、エホ証の方々は全国から人を派遣して被災者支援を組織的に行ったのだろうと思いました。
でも、もうボランティアはよいから、一番身近な隣人の家族のために、もっと家族の心情を察してほどほどの行動をしてほしいと思うこのごろです。