もしもしさん、こんにちは。
> 親を赦すって難しいです。
> 親は、まだ、現役ですし。
そうですね。私の親もまだ現役です。でも、引きずっても集会に連れて行ったような昔のパワーはもうなくて、最近は交わり会みたいなものも許されているようで、集会の日でもないのに料理を作っていそいそと出かけるときもあります。そんな様子をみると「昔はなんだったんだ!」という気にもなりますよ。
でも、昔を振り返って、三人の育ち盛りの子供を抱えて、結婚に絶望した女性の姿を思い浮かべると、「自分がそういう人を救えたか?」なんて考えます。結局、偽りにしろ、その女性に慰めを与えることができたのは、JWしかなかったんだなー、さびしいけど、現実はそうだったんだなぁ、と思うと、ちょっと母がかわいそうに思えてきます。
自分だったらどうだろう?家庭が完全に崩壊しているのに、家族のために身体を張って働けるだろうか?自分よりエホバが第一と言っている妻や、自分に話しかけようともしない子供たちのために、冬の寒さで床に氷の張った工場に毎日出勤する気になるだろうか?なんて考えます。
結局、家庭の不和は夫婦の自業自得であることに変わりはないのですが、家庭をうまく治められるほど立派な大人がたくさんいるかなー?と思うと???です。職場で人のうわさ話ばっかりしている人、何かしてあげてもお礼もいわない人、道端でつばを吐き散らしている人。こんな人を見るとき、「人間って何でもうまくできるものじゃないんだなぁ」と思います。自分だって、そうですしね。
なんかレスになってませんが(笑)、「悩む」「恨む」「悔やむ」ってことから少しでも解放されれば、自分の苦しみを癒すことにつながると思います。
功利的な考えですが、私は、自分がどうしようもなくなって、もう死にたくなってその衝動を抑えきれなくなったとき、「このままでは本当に死んでしまう」と思いました。それが直接の原因になって「自分が生きるために赦そう」と決心したんです。結局、それほどのことがなければ赦すことはできなかったのですが、一歩間違えたら本当に死んでいたなー、と思うと、できればそういう切羽詰った状況に陥らないうちに赦せたら…と思います。
ツヨシ
> 親を赦すって難しいです。
> 親は、まだ、現役ですし。
そうですね。私の親もまだ現役です。でも、引きずっても集会に連れて行ったような昔のパワーはもうなくて、最近は交わり会みたいなものも許されているようで、集会の日でもないのに料理を作っていそいそと出かけるときもあります。そんな様子をみると「昔はなんだったんだ!」という気にもなりますよ。
でも、昔を振り返って、三人の育ち盛りの子供を抱えて、結婚に絶望した女性の姿を思い浮かべると、「自分がそういう人を救えたか?」なんて考えます。結局、偽りにしろ、その女性に慰めを与えることができたのは、JWしかなかったんだなー、さびしいけど、現実はそうだったんだなぁ、と思うと、ちょっと母がかわいそうに思えてきます。
自分だったらどうだろう?家庭が完全に崩壊しているのに、家族のために身体を張って働けるだろうか?自分よりエホバが第一と言っている妻や、自分に話しかけようともしない子供たちのために、冬の寒さで床に氷の張った工場に毎日出勤する気になるだろうか?なんて考えます。
結局、家庭の不和は夫婦の自業自得であることに変わりはないのですが、家庭をうまく治められるほど立派な大人がたくさんいるかなー?と思うと???です。職場で人のうわさ話ばっかりしている人、何かしてあげてもお礼もいわない人、道端でつばを吐き散らしている人。こんな人を見るとき、「人間って何でもうまくできるものじゃないんだなぁ」と思います。自分だって、そうですしね。
なんかレスになってませんが(笑)、「悩む」「恨む」「悔やむ」ってことから少しでも解放されれば、自分の苦しみを癒すことにつながると思います。
功利的な考えですが、私は、自分がどうしようもなくなって、もう死にたくなってその衝動を抑えきれなくなったとき、「このままでは本当に死んでしまう」と思いました。それが直接の原因になって「自分が生きるために赦そう」と決心したんです。結局、それほどのことがなければ赦すことはできなかったのですが、一歩間違えたら本当に死んでいたなー、と思うと、できればそういう切羽詰った状況に陥らないうちに赦せたら…と思います。
ツヨシ