モーリスさん、オフ以来ですね、こんばんは。
>偽善の笑みを浮かべた長老兄弟を追っ払うにはどうするか考え中。
そうですね、モーリスさんの1〜4はどれも効果的だと思いますよ。でも、どうでしょうね。そんなに工夫を凝らす必要もあるのかなーとも思います。
たしかに、顔見知りのJWならどう接していいか対応に困るということもあるでしょうが、知らない人たちなら、「あ、けっこうです」と一言いって、ドアを閉めてもいいんじゃないでしょうかね?JWのことを全然知らない多くの一般の人たちはそうしてるし、私も以前そうしたけど、何の問題もありませんでしたよ。
「愛の反対は憎しみ」なのかなー?って思います。組織にいた頃は愛着があったり、逆にいやな思い出があったりするから、愛か憎しみがあると思うんですよね。でも、どちらも、同じ感情の表と裏という気がします。
「愛の反対は無関心」、「憎しみの反対も無関心」じゃないでしょうか?JWのことを考えても、なーんとも思わなくなったそのときこそ、本当に心が癒されて、自然な自分になれたときじゃないかな?と思います。克服できたときというか…。
といいつつも、知ってる証人とあったら、まだうろたえてしまうでしょうね、私の場合。でも、以前と比べたら、JWに対する考えがだいぶ淡白になってきたというか、特に「憎しみ」が希薄になってきたのを感じます。そういう状態のほうが気が楽な感じがします。
モーリスさんの状態が正確にはわからないので、これがあてはまるか確信ないんですが、あまりに身構えてしまうと、疲れちゃうと思うので、適度にしたほうがいいんじゃないかなー?と思います。だめかな?
ツヨシ
>偽善の笑みを浮かべた長老兄弟を追っ払うにはどうするか考え中。
そうですね、モーリスさんの1〜4はどれも効果的だと思いますよ。でも、どうでしょうね。そんなに工夫を凝らす必要もあるのかなーとも思います。
たしかに、顔見知りのJWならどう接していいか対応に困るということもあるでしょうが、知らない人たちなら、「あ、けっこうです」と一言いって、ドアを閉めてもいいんじゃないでしょうかね?JWのことを全然知らない多くの一般の人たちはそうしてるし、私も以前そうしたけど、何の問題もありませんでしたよ。
「愛の反対は憎しみ」なのかなー?って思います。組織にいた頃は愛着があったり、逆にいやな思い出があったりするから、愛か憎しみがあると思うんですよね。でも、どちらも、同じ感情の表と裏という気がします。
「愛の反対は無関心」、「憎しみの反対も無関心」じゃないでしょうか?JWのことを考えても、なーんとも思わなくなったそのときこそ、本当に心が癒されて、自然な自分になれたときじゃないかな?と思います。克服できたときというか…。
といいつつも、知ってる証人とあったら、まだうろたえてしまうでしょうね、私の場合。でも、以前と比べたら、JWに対する考えがだいぶ淡白になってきたというか、特に「憎しみ」が希薄になってきたのを感じます。そういう状態のほうが気が楽な感じがします。
モーリスさんの状態が正確にはわからないので、これがあてはまるか確信ないんですが、あまりに身構えてしまうと、疲れちゃうと思うので、適度にしたほうがいいんじゃないかなー?と思います。だめかな?
ツヨシ