証人時代私は信仰を守ることに、忠実を保つことに「いのちをかけて」もいいとおもっていた。高校生のころ伝道中に家の人から「あなたは神様が死ねといったら死にますか」と問われて「はい」と即答し、家の人をあきれさせてしまったこともあった。でも、エホバの証人に見切りをつけた今は、命をかけてまでするものがみつからない。というよりも、そんなに簡単に命をかけなくなった。軽々しく「命をかける」などといわなくなった。現役時代の情熱的な自分がときどきうらやましくもなり(何かに熱中できたということが、です)、あのころの自分はすごかったなあ、と、ふと思ってしまうこともときどきある。でも、我は今の我のほうが好きだ。つーか、過去も現在も全部含めて自分を好きになれるように努めている。