私も元長老として、何件かの審理問題に関係して、何人かの人を排斥にしたことがあります。nonさんの投書を読んでふと、その頃のことを思い出しました。いったい、自分は何様だったのかとつくづく思います。どうして、人が人を裁くことが出来るのか、その頃は何も考えませんでした。自分は傲慢で、人の心の痛みも分からずに何であのようなことが出来たのかと思うと自分が嫌になります。いったい、長老って何なんだ、何で排斥なんていう制度が許されていて未だに現役たちは排斥を恐れ、また仲間を無視して平気なのかと思います。排斥措置なんか、勝手な長老たちが自分たちの主観だけでやっているいい加減な措置で、神の是認があるとは到底思えない方法だと思います。