こんばんは。 属性に「元2世経験者」を加えることにしました。
元1世、2世のそれぞれの立場からの皆様の書き込み、大変興味深く拝読しております。
書き込みを読んで、「自分の中にある、何かわからないモヤモヤした感情」に
意味付けができたり、『自分の親もこうだったのかもしれない』と思ったり、
自分の来し方行く末を考える上で参考にできる情報を得たりしています。
◇読んでばかりでは申し訳ないので、自分の近況を報告します。
集会にも奉仕にも行かなくなってしばらくたったある日、親のほうから
さりげなく「このまま行かない気なのかい?」と聞いてきました。
会衆の人たちが心配していることに触れた以外には、私をののしったり、
怒りにまかせてわめいたりもしませんでした。
この話題になる時は、親が激怒したり取り乱したりしても仕方ないな、と
覚悟していた私は、平静な物言いだったことに少し面食らいました。
ただ、私が奉仕や集会に行かなくなってからも、親にはこれまでと全く同じ接し方で
生活してきましたので、私の行動が発作的なものでなく、撤回するつもりの無い
「決断」によるものであることに気づいていたのかもしれません。
わめいたり叱りつけたり、あるいは泣き落としたりして翻意させようなどと
しない親であったことを、私はありがたく思わないといけないのかも知れません。
親も、言いたいことは山ほどあるでしょう。未信者の配偶者を持ちながら
子供をJWとして育てるには、少なからず苦労があったはずです。
たいした出世はしてないけど、まぁ、そこそこのJWになったな、と思った矢先、
突然「霊的な闇」に落ち込んでしまったわけですから、心中穏やかなはずはありません。
会衆内での立場は確実に悪くなるでしょうし、プチイゼベルたちの嫌がらせが
始まるのも、目に見えています。
JWに何十年もの時間を奪われたこと、その中には、可能性に満ちた少年時代、
一人の人間としての自身やプライドを形成できたはずの青年期もあったことを
不問に付してやろうとは思っておらず、深い憤りを抱いていることに違いはありません。
しかし私が、親が享受できたかもしれない「JWの子を持つ、JWの親の幸せ」を
奪ったことも、また事実です。何かを奪ったなら、何かで贖わなければなりません。
立派に育った子を持つ親の幸せは、なにもJWの親だけが味わえるものではありません。
親にとっては、私はいつまでも「子」なわけですから、何らかの形で幸せを
味わってもらうことはできるはずです。
私にとっても本当の戦いは、今から始まります。
クサいせりふですみません。でもこのくらいの意気込みなんです。
とりあえず、こんなところです。
これまでにあったいろいろなことは、整理できたら書き込んでいきます。
元1世、2世のそれぞれの立場からの皆様の書き込み、大変興味深く拝読しております。
書き込みを読んで、「自分の中にある、何かわからないモヤモヤした感情」に
意味付けができたり、『自分の親もこうだったのかもしれない』と思ったり、
自分の来し方行く末を考える上で参考にできる情報を得たりしています。
◇読んでばかりでは申し訳ないので、自分の近況を報告します。
集会にも奉仕にも行かなくなってしばらくたったある日、親のほうから
さりげなく「このまま行かない気なのかい?」と聞いてきました。
会衆の人たちが心配していることに触れた以外には、私をののしったり、
怒りにまかせてわめいたりもしませんでした。
この話題になる時は、親が激怒したり取り乱したりしても仕方ないな、と
覚悟していた私は、平静な物言いだったことに少し面食らいました。
ただ、私が奉仕や集会に行かなくなってからも、親にはこれまでと全く同じ接し方で
生活してきましたので、私の行動が発作的なものでなく、撤回するつもりの無い
「決断」によるものであることに気づいていたのかもしれません。
わめいたり叱りつけたり、あるいは泣き落としたりして翻意させようなどと
しない親であったことを、私はありがたく思わないといけないのかも知れません。
親も、言いたいことは山ほどあるでしょう。未信者の配偶者を持ちながら
子供をJWとして育てるには、少なからず苦労があったはずです。
たいした出世はしてないけど、まぁ、そこそこのJWになったな、と思った矢先、
突然「霊的な闇」に落ち込んでしまったわけですから、心中穏やかなはずはありません。
会衆内での立場は確実に悪くなるでしょうし、プチイゼベルたちの嫌がらせが
始まるのも、目に見えています。
JWに何十年もの時間を奪われたこと、その中には、可能性に満ちた少年時代、
一人の人間としての自身やプライドを形成できたはずの青年期もあったことを
不問に付してやろうとは思っておらず、深い憤りを抱いていることに違いはありません。
しかし私が、親が享受できたかもしれない「JWの子を持つ、JWの親の幸せ」を
奪ったことも、また事実です。何かを奪ったなら、何かで贖わなければなりません。
立派に育った子を持つ親の幸せは、なにもJWの親だけが味わえるものではありません。
親にとっては、私はいつまでも「子」なわけですから、何らかの形で幸せを
味わってもらうことはできるはずです。
私にとっても本当の戦いは、今から始まります。
クサいせりふですみません。でもこのくらいの意気込みなんです。
とりあえず、こんなところです。
これまでにあったいろいろなことは、整理できたら書き込んでいきます。