> ゆーじさんと同じ感覚を持っていました。実際、JW時代には自分の父親がなくなったときでも、どこか遠くに行ってしまったぐらいの感覚で、今でも父に関してはその感覚のままです。
うーん、私も…遠くに行ったというか、出張にいったまま帰ってこないみたいな感覚でした。
しばしの間、保護者名を父親の名前ではなくて母親の名前を書くといういびつ感を味わいました。数年前まで…。父がいないというよりは、父親という存在がなくなったショックだったのだと最近は思うようになりました。
> どう形容したら良いか自分にも分からないのですが・・・
> 要は自分にとっての重要度の問題かとも思います。
感情の交流があった人に対してのショックは甚大だと思います。
> 皮肉なことに、人間の死は悲しめなくても、動物の死は悲しめたのです。
> なんだかな・・・・と今だから思えるお話です。
確かに、皮肉ですよね。人が亡くなったより悲しいかもしれないというのは…。
ただ…私も、飼っていたうさぎの死はおととしの話ですが、いまだに悲しいです。かわいがっていたし、家に帰るとケージに前足をかけて迎えてくれたし・・・。愛情を持って接していると悲しいですねえ…。
うーん、私も…遠くに行ったというか、出張にいったまま帰ってこないみたいな感覚でした。
しばしの間、保護者名を父親の名前ではなくて母親の名前を書くといういびつ感を味わいました。数年前まで…。父がいないというよりは、父親という存在がなくなったショックだったのだと最近は思うようになりました。
> どう形容したら良いか自分にも分からないのですが・・・
> 要は自分にとっての重要度の問題かとも思います。
感情の交流があった人に対してのショックは甚大だと思います。
> 皮肉なことに、人間の死は悲しめなくても、動物の死は悲しめたのです。
> なんだかな・・・・と今だから思えるお話です。
確かに、皮肉ですよね。人が亡くなったより悲しいかもしれないというのは…。
ただ…私も、飼っていたうさぎの死はおととしの話ですが、いまだに悲しいです。かわいがっていたし、家に帰るとケージに前足をかけて迎えてくれたし・・・。愛情を持って接していると悲しいですねえ…。