やっぱりあのタッチは、かい君=かゐ君だよね?
元気ですか?
> 自分のあり方だよ、
> 自分の立ち位置だよ。
「自分」か。。。
「自分」は変わりうる存在です。
かい君のメッセージに啓発されたので、
私もちょっとコメントします。
「自分のあり方」、「自分の立ち位置」、
そうですね。「自分」というものを見つめ続けることが、大切であると思っています。
デルフォイ神殿に刻まれた「汝自身を知れ」(グノーティ・セアウトン)のメッセージは、ソクラテスをして「無知の知」を自覚させました。
仮に自分の「知」の範囲を円で描写するなら、無知の領域はその円周の外側です。「知」の円が広がれば広がるほど、「無知」の円周は大きくなります。
例えば、ITの知識に当てはめてみるなら、パソコンやインターネットを使いこすようになるにつれて、IPアドレスとか、プライベートアドレスとか、NATとか、知らない単語もどんどん増えてゆきました。
何かを学んだなら、その先にさらに学ぶべきものがあるように感じています。
「自分」を知ることも、これに似ていると思います。
JWを辞めた当時を振り返るなら、JWの世界観から抜け出せずにいたため、自己の抱える問題をJWに結び付けて考える傾向が強かったと思います。
しかし、たくさんの恥をかき、あるいは、JW以外の人々の様々な生き様に接しながら、「知」の円が徐々に広がってゆきました。自己分析の切り口が多様化し、掘り下げが深まってゆき、JWと切り離して冷静に考えることができるようになっていきました。自分本来の性格に根ざす問題や、自己努力の不足に起因する問題を識別してゆくようになりました。
JWをやっていなければ違った人生があったはずですが、「たら、れば」を夢想するだけでは現状を打開することはできません。現在に将来に目を見据えて、自分を磨いて前に進むのが得策であることに気付かされました。
JWであったことさえも自分の個性と受け入れて、できることなら、それをプラスに転じさせるようでありたいと願います。
自分を広げるうちに、「自分にこんな才能があったのか」、「なんとかやればできるものだ」と気付かされることがあります。
今まで知らなかった自分を知ることができたという意味において、
「無知」が「知」に変わり、円が大きくなりました。
そして、先に述べたとおり、「知」の領域が広がることにより「無知」も広がります。私は、この「無知」を「可能性」と呼びたいと思います。
それは、新しい自分を発見できる可能性であり、よりよい将来を切り開くことのできる可能性です。自分が広がることにより、自分の可能性も選択肢も将来も広がってゆくのです。
「自分」は変わりうる存在です。広がりうる存在です。
だからこそ、「汝自身を知れ」のスタンスを抱きつづけ、
自己研鑽に励んで「無知」を「知」に変え、
「知」を拡げて「可能性」を拡げて
新たに見出された将来の目標に向かって、果敢にチャレンジしてゆきたいと願います。
元気ですか?
> 自分のあり方だよ、
> 自分の立ち位置だよ。
「自分」か。。。
「自分」は変わりうる存在です。
かい君のメッセージに啓発されたので、
私もちょっとコメントします。
「自分のあり方」、「自分の立ち位置」、
そうですね。「自分」というものを見つめ続けることが、大切であると思っています。
デルフォイ神殿に刻まれた「汝自身を知れ」(グノーティ・セアウトン)のメッセージは、ソクラテスをして「無知の知」を自覚させました。
仮に自分の「知」の範囲を円で描写するなら、無知の領域はその円周の外側です。「知」の円が広がれば広がるほど、「無知」の円周は大きくなります。
例えば、ITの知識に当てはめてみるなら、パソコンやインターネットを使いこすようになるにつれて、IPアドレスとか、プライベートアドレスとか、NATとか、知らない単語もどんどん増えてゆきました。
何かを学んだなら、その先にさらに学ぶべきものがあるように感じています。
「自分」を知ることも、これに似ていると思います。
JWを辞めた当時を振り返るなら、JWの世界観から抜け出せずにいたため、自己の抱える問題をJWに結び付けて考える傾向が強かったと思います。
しかし、たくさんの恥をかき、あるいは、JW以外の人々の様々な生き様に接しながら、「知」の円が徐々に広がってゆきました。自己分析の切り口が多様化し、掘り下げが深まってゆき、JWと切り離して冷静に考えることができるようになっていきました。自分本来の性格に根ざす問題や、自己努力の不足に起因する問題を識別してゆくようになりました。
JWをやっていなければ違った人生があったはずですが、「たら、れば」を夢想するだけでは現状を打開することはできません。現在に将来に目を見据えて、自分を磨いて前に進むのが得策であることに気付かされました。
JWであったことさえも自分の個性と受け入れて、できることなら、それをプラスに転じさせるようでありたいと願います。
自分を広げるうちに、「自分にこんな才能があったのか」、「なんとかやればできるものだ」と気付かされることがあります。
今まで知らなかった自分を知ることができたという意味において、
「無知」が「知」に変わり、円が大きくなりました。
そして、先に述べたとおり、「知」の領域が広がることにより「無知」も広がります。私は、この「無知」を「可能性」と呼びたいと思います。
それは、新しい自分を発見できる可能性であり、よりよい将来を切り開くことのできる可能性です。自分が広がることにより、自分の可能性も選択肢も将来も広がってゆくのです。
「自分」は変わりうる存在です。広がりうる存在です。
だからこそ、「汝自身を知れ」のスタンスを抱きつづけ、
自己研鑽に励んで「無知」を「知」に変え、
「知」を拡げて「可能性」を拡げて
新たに見出された将来の目標に向かって、果敢にチャレンジしてゆきたいと願います。