最近よく思うのですが
喫煙はもともと南米に端を発する習慣ですよね。
それがコロンブスによって欧米に持ち込まれて普及した。
そしてアメリカでは、タバコ会社が50年代に喫煙が有害であるという研究をしておきながら
それをひた隠しにしてきたという事実が90年代になって裁判を通して明らかになった。
タバコ会社は軒並み敗訴の判決を受けまくりました。
こうした「だまされた」という気持ちがあるので
アメリカではヒステリックなまでの反タバコ感情があるわけです。
加えて我々はJWを通してさらにヒステリックな反タバコ感情を植えつけられてきた。
でももともとは南米で行われてきた習慣なわけです。
なんら社会的意味を付与されず、宗教的な意味もなかった。
だから「病気になりたくない」という気持ち以外の理由で
「喫煙という習慣」に対して否定的な感情を持ちたくない。
「やめなければ」という強迫観念に促されて禁煙したくない。
実際、わたしはこの「喫煙という習慣」が好きです。
回りくどい心理状態ですが、ココロが解放された上で
納得して禁煙したいです。
ツヨシ
喫煙はもともと南米に端を発する習慣ですよね。
それがコロンブスによって欧米に持ち込まれて普及した。
そしてアメリカでは、タバコ会社が50年代に喫煙が有害であるという研究をしておきながら
それをひた隠しにしてきたという事実が90年代になって裁判を通して明らかになった。
タバコ会社は軒並み敗訴の判決を受けまくりました。
こうした「だまされた」という気持ちがあるので
アメリカではヒステリックなまでの反タバコ感情があるわけです。
加えて我々はJWを通してさらにヒステリックな反タバコ感情を植えつけられてきた。
でももともとは南米で行われてきた習慣なわけです。
なんら社会的意味を付与されず、宗教的な意味もなかった。
だから「病気になりたくない」という気持ち以外の理由で
「喫煙という習慣」に対して否定的な感情を持ちたくない。
「やめなければ」という強迫観念に促されて禁煙したくない。
実際、わたしはこの「喫煙という習慣」が好きです。
回りくどい心理状態ですが、ココロが解放された上で
納得して禁煙したいです。
ツヨシ