ちゅーりっぷさん>
れすどうもです〜。
>う〜ん・・・本来の自己か、操作されているのか・・・
>やっぱり、わかりません(涙)
本来の自己とマインドコントロールを明確に切り分けることはできないと思ったほうがいいと思いますし、そうする必要も無いと思います。
つまり、JWのマインドコントロールをすべて悪とみなし、すべて排除すべし。では無くてよいと思います。
例えば「愛」という特質について考えてみましょう。
JWでは「愛さねばなりません」という律法があり、細かな規定で人を操作して、「愛」のある人の集団とみなされる「組織」を作り出そうとします。
それはなぜかというと、自分たちが神の組織に属しているという証明のためで、自分はその組織に属しているから神に是認されている。と安心するから…という「隠された目的」があります。
それが「第三者の利益」です。
特にベテラーであったり統治体であったりするなら、よりその益を享受できるでしょう。
しかし、JWのマインドコントロールの結果だとしても、「愛」と言う特質はJWのマインドコントロールの操作「だけ」で出来上がるわけではありませんし、その益は本人にも及ぶものです。
JWのマインドコントロールの操作があったとしても、それプラス「本来の自己」がもっている「愛」という特質が喚起された結果であったり、「経験」として(JWの組織内での経験でも)「愛」と言う特質が強化されたりします。その結果、私達はJWらしく振舞っている・JW要請に応じている、と同時に、一個人として人間的に「愛のある人間」として成長することができるのです。
結果的に見て、自分の本来持っている「愛」という特質が強化されて、「愛」を(多少ゆがんだ形ではあっても)獲得することはJWの組織内においても可能であるし、またそれは「良いこと」ではないでしょうか。
それは結局、聖書のまた神さまの聖霊の力に帰すべきものだと思いますし、「人間力」というものかもしれません。しかし、すこしはJWのお陰であるかもしれません。
しかしそこで私たちがなすべきことは、「愛」という霊の実という特質を、JWのマインドコントロール下に置いたままにしないで(そのままだと条件付の「愛」になる)、JWのパラダイムからシフトし、一個人として、さらに押し広げ、聖書本来が解く真の「愛」の姿に昇華させること、自分本来の内奥から発する自然の情愛としての「人間力」として獲得するように目指す、ということなのです。
ですからJWのマインドコントロールすべてが悪ではありません。自分に益になることもあるんです。
しかし、JWのパラダイムだけだとJWという枠の中に押し込められまた、ネガティブなマインドコントロールに「やられる」結果になります。
なすべきことは、JWのネガティブなマインドコントロールから自由になることと、JWのパラダイムからシフトして一個人として自己実現を目指すと言うことが大事なのであります。
れすどうもです〜。
>う〜ん・・・本来の自己か、操作されているのか・・・
>やっぱり、わかりません(涙)
本来の自己とマインドコントロールを明確に切り分けることはできないと思ったほうがいいと思いますし、そうする必要も無いと思います。
つまり、JWのマインドコントロールをすべて悪とみなし、すべて排除すべし。では無くてよいと思います。
例えば「愛」という特質について考えてみましょう。
JWでは「愛さねばなりません」という律法があり、細かな規定で人を操作して、「愛」のある人の集団とみなされる「組織」を作り出そうとします。
それはなぜかというと、自分たちが神の組織に属しているという証明のためで、自分はその組織に属しているから神に是認されている。と安心するから…という「隠された目的」があります。
それが「第三者の利益」です。
特にベテラーであったり統治体であったりするなら、よりその益を享受できるでしょう。
しかし、JWのマインドコントロールの結果だとしても、「愛」と言う特質はJWのマインドコントロールの操作「だけ」で出来上がるわけではありませんし、その益は本人にも及ぶものです。
JWのマインドコントロールの操作があったとしても、それプラス「本来の自己」がもっている「愛」という特質が喚起された結果であったり、「経験」として(JWの組織内での経験でも)「愛」と言う特質が強化されたりします。その結果、私達はJWらしく振舞っている・JW要請に応じている、と同時に、一個人として人間的に「愛のある人間」として成長することができるのです。
結果的に見て、自分の本来持っている「愛」という特質が強化されて、「愛」を(多少ゆがんだ形ではあっても)獲得することはJWの組織内においても可能であるし、またそれは「良いこと」ではないでしょうか。
それは結局、聖書のまた神さまの聖霊の力に帰すべきものだと思いますし、「人間力」というものかもしれません。しかし、すこしはJWのお陰であるかもしれません。
しかしそこで私たちがなすべきことは、「愛」という霊の実という特質を、JWのマインドコントロール下に置いたままにしないで(そのままだと条件付の「愛」になる)、JWのパラダイムからシフトし、一個人として、さらに押し広げ、聖書本来が解く真の「愛」の姿に昇華させること、自分本来の内奥から発する自然の情愛としての「人間力」として獲得するように目指す、ということなのです。
ですからJWのマインドコントロールすべてが悪ではありません。自分に益になることもあるんです。
しかし、JWのパラダイムだけだとJWという枠の中に押し込められまた、ネガティブなマインドコントロールに「やられる」結果になります。
なすべきことは、JWのネガティブなマインドコントロールから自由になることと、JWのパラダイムからシフトして一個人として自己実現を目指すと言うことが大事なのであります。