ししっぱちさん、おはようございます。いつぞやはたいへん失礼いたしました。
>否定的でしょうか?
「匿名」さんの意図が否定的とは思いません。否定的というのは、たとえば、
「以前いた巡回区のある姉妹はこれこれこういう不測の事態に見舞われ、気分が沈むこともありました。が、巡回監督の提案にしたがい、毎日とにかく家々でその月の話題を話すことだけは果たそうとしました。そうするうちに経路が取り決まり、研究を目標に再訪問を重ねてついに1件報告できました。その姉妹は、たとえ人間の観点からは絶体絶命のように思えても、エホバに依り頼むなら、開拓奉仕を支えてくださるということを学んだ、とおっしゃっておられました。姉妹はこの経験から学ぶことはありますか」…
などと成功談を話して、人が進むべき道を別の人が望む方向だけに絞ってしまうような言い方も含まれます。言外に開拓を降りようなどという考えや、そういう考えを起こさせる人間的な感情を否定しています。
一方、「匿名」さんのことばは「文字の羅列は目障りだ」と言っているだけです。でもこれは「わたしメッセージ」にはなっていないので、落ち込んでいる人にとっては「自分の書き込みは目障りだ」と拡張して受けとめがちです。自信喪失のために、批判に過敏になっているのが原因です。ですからわたしは、へこむなよーというエールを送ろうとしました。
ただその際の引用文の取り扱いかたには慎重さが欠けていたと思います。あのように書けば、たしかに「匿名」さんの方には、攻撃的なニュアンスで伝わってしまいます。わたしのミスです。
「わたしメッセージ」にして言えば、そういう過剰解釈を軽減させることができます。「わたしメッセージ」は自分と他者の境界を意識した話しかた、違いを尊重した話しかたです。「わたしはこう感じる、こう考える、あなたにこのように行動してほしいと思っている」という言い方です。当てはめてみると、
「気持ちはよく分かるけれど、たとえ文字であっても、うめき声が描写されていると気味悪く感じる。わたしにとって、ここの掲示板はけっこう気持ちを入れ込んでいるので、たいせつな場所と思っている。だからできるだけ、文章で気持ちを表現してほしい」…というような言い方です。反対なのが「あなたメッセージ」です。これは相手の言動、行動を評価し、修正を図ろうとする言い方に陥りやすいものです。
「思いやりの人間関係スキル/R.ネルソン=ジョーンズ・著」から、例を引用しておきます。
自分の感情、思考、行動について「わたし」メッセージで意思伝達することもできますし、それ以外のメッセージを送ることもできます。
*ある感情を持っているとき
レイとキャシーは口論している。
レイの非「わたし」メッセージ:「おまえは最低だ、思いやりも何もない」
レイの「わたし」メッセージ:「僕は傷ついた。腹が立っている」
*ある思考を持っているとき
ベティが気に入った映画を、リチャードと共に観にいった。
ベティの非「わたし」メッセージ:「この映画どう思った? おもしろかったでしょ?」
ベティの「わたし」メッセージ:「私はこの映画、すばらしいと思ったわ」
*ある行動を取るとき
ジュリーは皿を割ってしまった。
ジュリーの非「わたし」メッセージ:「お皿が割れちゃった」
ジュリーの「わたし」メッセージ:お母さん、私、お皿割っちゃった」
「おまえは最低だ…」は相手に攻撃のニュアンスを伝えます。
「この映画、どう思った?」では半ば同意を要求していて、操作的です。
「お皿がわれちゃった」は、責任逃れの意図が見え隠れします。
「わたし」メッセージの利点は…
第三に、「あなた」メッセージは言外に意味を持たせて非難する傾向がありますが、「わたし」メッセージはそのように自己防衛的ではありません。
…ということです。これからは、わたしもこれにならって、非日常の掲示板での書き込みも、日常の会話の場面でも、できるだけ注意してゆこうと思います。わたしはコミュニケーションのベテランになりたいからです。そうすることで、自分の暗い半生にも反面教師的教訓の宝庫という意味を持たせることができるのです。
>こういう所って「文字だけのコミュニケーション」になる訳だから、
"ある程度"誰にでも分かる表現で発言するのはマナーだと思います。
「話題はなんでもあり」かもしれないけど、マナーはあって然るべきだと思います。
>例えば、ペルシャ語を書いたり話したり出来る人がいて、
「今日はペルシャ語で書きたい気分」
とか思って、ここにペルシャ語で書込みをしたりしたら、
それはその人の自由かもしれないけど、
意味の分からないその他の人たちにとっては、
「何の意味もない言葉の羅列」で、目障りに受け取られてもしょうがない。
だから、別に匿名さんの意見は「人格攻撃」をしてる訳でもなさそうだし、不特定多数の人が出入りする掲示板のマナーについて苦言を呈した。くらいなものだと思いますよ。
おっしゃるとおりです。聖書にも「ラッパの音が不明瞭なら…」とありますよね。
ただわたしは夜に孤独感にさいなまれて眠れないことがあります。だから感情の激しい吐露の表現に対する許容範囲が「匿名」さんよりずっと広いです。それでこんなぐらいは容認してあげればいいのに、と思うのです。
>そんなに深く気にすることはないのでは?
人間誰でも波があります。ぜんぜん気にならないときもありますし、ちょっとしたことに過敏に反応することもあります。でもやっぱり、細かいことをいちいち気にしないで生きてくほうがいいし、たいていの人はそのようにしておられるものです。
>否定的でしょうか?
「匿名」さんの意図が否定的とは思いません。否定的というのは、たとえば、
「以前いた巡回区のある姉妹はこれこれこういう不測の事態に見舞われ、気分が沈むこともありました。が、巡回監督の提案にしたがい、毎日とにかく家々でその月の話題を話すことだけは果たそうとしました。そうするうちに経路が取り決まり、研究を目標に再訪問を重ねてついに1件報告できました。その姉妹は、たとえ人間の観点からは絶体絶命のように思えても、エホバに依り頼むなら、開拓奉仕を支えてくださるということを学んだ、とおっしゃっておられました。姉妹はこの経験から学ぶことはありますか」…
などと成功談を話して、人が進むべき道を別の人が望む方向だけに絞ってしまうような言い方も含まれます。言外に開拓を降りようなどという考えや、そういう考えを起こさせる人間的な感情を否定しています。
一方、「匿名」さんのことばは「文字の羅列は目障りだ」と言っているだけです。でもこれは「わたしメッセージ」にはなっていないので、落ち込んでいる人にとっては「自分の書き込みは目障りだ」と拡張して受けとめがちです。自信喪失のために、批判に過敏になっているのが原因です。ですからわたしは、へこむなよーというエールを送ろうとしました。
ただその際の引用文の取り扱いかたには慎重さが欠けていたと思います。あのように書けば、たしかに「匿名」さんの方には、攻撃的なニュアンスで伝わってしまいます。わたしのミスです。
「わたしメッセージ」にして言えば、そういう過剰解釈を軽減させることができます。「わたしメッセージ」は自分と他者の境界を意識した話しかた、違いを尊重した話しかたです。「わたしはこう感じる、こう考える、あなたにこのように行動してほしいと思っている」という言い方です。当てはめてみると、
「気持ちはよく分かるけれど、たとえ文字であっても、うめき声が描写されていると気味悪く感じる。わたしにとって、ここの掲示板はけっこう気持ちを入れ込んでいるので、たいせつな場所と思っている。だからできるだけ、文章で気持ちを表現してほしい」…というような言い方です。反対なのが「あなたメッセージ」です。これは相手の言動、行動を評価し、修正を図ろうとする言い方に陥りやすいものです。
「思いやりの人間関係スキル/R.ネルソン=ジョーンズ・著」から、例を引用しておきます。
自分の感情、思考、行動について「わたし」メッセージで意思伝達することもできますし、それ以外のメッセージを送ることもできます。
*ある感情を持っているとき
レイとキャシーは口論している。
レイの非「わたし」メッセージ:「おまえは最低だ、思いやりも何もない」
レイの「わたし」メッセージ:「僕は傷ついた。腹が立っている」
*ある思考を持っているとき
ベティが気に入った映画を、リチャードと共に観にいった。
ベティの非「わたし」メッセージ:「この映画どう思った? おもしろかったでしょ?」
ベティの「わたし」メッセージ:「私はこの映画、すばらしいと思ったわ」
*ある行動を取るとき
ジュリーは皿を割ってしまった。
ジュリーの非「わたし」メッセージ:「お皿が割れちゃった」
ジュリーの「わたし」メッセージ:お母さん、私、お皿割っちゃった」
「おまえは最低だ…」は相手に攻撃のニュアンスを伝えます。
「この映画、どう思った?」では半ば同意を要求していて、操作的です。
「お皿がわれちゃった」は、責任逃れの意図が見え隠れします。
「わたし」メッセージの利点は…
第三に、「あなた」メッセージは言外に意味を持たせて非難する傾向がありますが、「わたし」メッセージはそのように自己防衛的ではありません。
…ということです。これからは、わたしもこれにならって、非日常の掲示板での書き込みも、日常の会話の場面でも、できるだけ注意してゆこうと思います。わたしはコミュニケーションのベテランになりたいからです。そうすることで、自分の暗い半生にも反面教師的教訓の宝庫という意味を持たせることができるのです。
>こういう所って「文字だけのコミュニケーション」になる訳だから、
"ある程度"誰にでも分かる表現で発言するのはマナーだと思います。
「話題はなんでもあり」かもしれないけど、マナーはあって然るべきだと思います。
>例えば、ペルシャ語を書いたり話したり出来る人がいて、
「今日はペルシャ語で書きたい気分」
とか思って、ここにペルシャ語で書込みをしたりしたら、
それはその人の自由かもしれないけど、
意味の分からないその他の人たちにとっては、
「何の意味もない言葉の羅列」で、目障りに受け取られてもしょうがない。
だから、別に匿名さんの意見は「人格攻撃」をしてる訳でもなさそうだし、不特定多数の人が出入りする掲示板のマナーについて苦言を呈した。くらいなものだと思いますよ。
おっしゃるとおりです。聖書にも「ラッパの音が不明瞭なら…」とありますよね。
ただわたしは夜に孤独感にさいなまれて眠れないことがあります。だから感情の激しい吐露の表現に対する許容範囲が「匿名」さんよりずっと広いです。それでこんなぐらいは容認してあげればいいのに、と思うのです。
>そんなに深く気にすることはないのでは?
人間誰でも波があります。ぜんぜん気にならないときもありますし、ちょっとしたことに過敏に反応することもあります。でもやっぱり、細かいことをいちいち気にしないで生きてくほうがいいし、たいていの人はそのようにしておられるものです。