昼寝するぶた 掲示板過去ログ:#7364

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No.7364 なかざわさんへ 投稿者:NEXT 投稿日:2005/06/28 20:04 元1世研究生 ♀  昔壊れてたけど今元気 20代中盤 宗教が無くても平気な人

お仕事、お疲れさまでした!

>いいご家族がいるんやなぁ・・・って羨ましい

うちの場合は、親がエホバの証人ではありませんでしたが
でも、別の意味での宗教を信仰していました。

これから書き込む内容につては、本人(母)も同意
(「是非そうして!」と言ってました)し、
正直言って自分もこの変な宗教の被害者であったことは事実です。

私がもの心ついた頃には、いつも大勢の他人が自分の家を
占領していました。主にアジア系の女性が多く、学校から
帰って玄関の扉を開ける時など「今日はいませんように・・
今日はいませんように」と祈りながら・そーっと・・・。

フォリナー(外国人)対象の「夫婦間での虐待や暴力」
「その子どもに対するネグレクトや暴行」「病院の手配」
「住居の世話」や「学校への連絡」「役所への手続き」
などなどを母はこの15年以上ボランティアでやってます。

「おたくのママは、立派な人」
どの人にもそう言われて来ました。

でも、子どもたち(特に私は)「ふつうの人」でいてほしかった。

子ども3人分の学校の参観日や運動会や行事には必ず
来てくれていましたが、学校から帰ると必ず私の座る
イスには「他人」がいる。

それに幼い頃から、被害にあった女性たちを直接見ているせいで、「男は怖い!」とインプットされたし

子連れで駆け込んでくる人に対応する時は、
たいてい私が子どものベビー・セッター役。
子どもは好きだったし
「この子はかわいそうな子だから親切にしなくちゃ」
なーんて思って自分なりにその役割をこなしていました。
(まだ自分だって十分に子どもだったのにね)

私が風邪で学校休んでいた時でも、
他人の子どもを病院へ連れて行ってたこともあったり
(後でわかったのですが、そのお子さんは盲腸炎だったそうです)


住居が見つかるまで部屋の提供をしたり(いつも私の部屋)

父は普通のサラリーマンですが、
そんな母の一番の理解者であったために父にも文句を言えず
私たち兄弟(兄・私・弟)3人は自分たちで対処できる問題は
なるべく自分たちで解決するようになってました。

「お母さんの事を作文に書く」の宿題でも
「私のお母さんは立派な人です。それは・・」って
外受けのいい模範的な作文を書いていたし
とにかく「立派な母」には、「とてもいいお子さん」を
演じてました。別に強制されたワケではありませんが。
そうする事で母が喜んでくれたので・・・・・・・。

毎日、毎日「人のため」「こまっている人がいるから」
「あなたたちは、幸せなのだから少しだけ人に分け与えて」
「一番良いものは人に譲りなさい」 エトセトラ・・
人のため・人のため・人のため・人のため・・・・・

エホバの証人は
「エホバのため」「王国のため」「永遠の命のため」

両者がリンクしてるのは「隣人救済」って名目のとこかな

『はじめから、完璧な親なんて一人もいない』って
なかざわさんに伝えて欲しかったみたいです。

自己弁護だよねーそういうのって(笑)

今は、母の宗教好きです!
熱狂的な信者にはなれませんけどね。(⌒_⌒)ニコ  
     以上カースケでした
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