小梅さん
私も、排斥されてからの母との関係に悩んできました。
こちらが期待すればするほど裏切られ、傷つけられ…。
私も、JWであった頃、母に同じ事をしていたのかも知れませんが…。
現在は母とは離れて暮らしているため、ほとんど連絡をとりません。
母は組織の教えに忠実で
「排斥された家族に対する対応」を曲げようとしません。
しかし、こちらが戸惑うようなやり方で接近してこようとして
こちらが戸惑うようなこともしばしばです。
> 本署の第十一章では、この外にもさまざまな対処法を紹介しているが、そのなかの一つに、「相手を許す」というのがある。この「許す」という考えかたに戸惑いを覚えた読者は少なくないだろう。だが、ここでいう「許す」とは、虐待者と和解して今までどおりのつきあいを続ける、ということではなく、「相手への執着を断つ」という意味だ。相手を恨み続けるということは、相手に振りまわされ続けているのに等しい。
上記の記述は、ものすごくうなずいてしまいました。
その通りだと。
私は、母に振り回され続けていましたから…
最低限の接触しかもたない今は、穏やかな生活です。
> 変えられないものは受け入れるしかない。たとえば、「あの親のもとに生まれた」という事実は変えられない。しかし、変えられるものはあるはずだ。自分の力で変えられるものは何だろう。変えられるものを変えていく努力を少しずつでも続けていれば、私たちは必ず、変われるのである。
私の中で、変えられるものは何でしょう?
母親はもう変えられません。
20年もあの世界にいて、すがるものはあそこにしかないから。
これから、私と母の関係はどうなるのかわかりませんが
今は、ただ
母に、私の幸せを壊してほしくないだけです。
ただ、それだけです。
最近、母が寝たきりになったらどうしよう・死んだらどうしようと考えるようになりました。
死んでしまうのが悲しいとかではなく
葬式うんぬんのことです。
とにかく私に迷惑をかけてほしくない。
かかわりたくない。
そんな感情しか、今はわきません。
普通の親子に戻れる日は、来ないのでしょうね…
悲しいことですが。
私も、排斥されてからの母との関係に悩んできました。
こちらが期待すればするほど裏切られ、傷つけられ…。
私も、JWであった頃、母に同じ事をしていたのかも知れませんが…。
現在は母とは離れて暮らしているため、ほとんど連絡をとりません。
母は組織の教えに忠実で
「排斥された家族に対する対応」を曲げようとしません。
しかし、こちらが戸惑うようなやり方で接近してこようとして
こちらが戸惑うようなこともしばしばです。
> 本署の第十一章では、この外にもさまざまな対処法を紹介しているが、そのなかの一つに、「相手を許す」というのがある。この「許す」という考えかたに戸惑いを覚えた読者は少なくないだろう。だが、ここでいう「許す」とは、虐待者と和解して今までどおりのつきあいを続ける、ということではなく、「相手への執着を断つ」という意味だ。相手を恨み続けるということは、相手に振りまわされ続けているのに等しい。
上記の記述は、ものすごくうなずいてしまいました。
その通りだと。
私は、母に振り回され続けていましたから…
最低限の接触しかもたない今は、穏やかな生活です。
> 変えられないものは受け入れるしかない。たとえば、「あの親のもとに生まれた」という事実は変えられない。しかし、変えられるものはあるはずだ。自分の力で変えられるものは何だろう。変えられるものを変えていく努力を少しずつでも続けていれば、私たちは必ず、変われるのである。
私の中で、変えられるものは何でしょう?
母親はもう変えられません。
20年もあの世界にいて、すがるものはあそこにしかないから。
これから、私と母の関係はどうなるのかわかりませんが
今は、ただ
母に、私の幸せを壊してほしくないだけです。
ただ、それだけです。
最近、母が寝たきりになったらどうしよう・死んだらどうしようと考えるようになりました。
死んでしまうのが悲しいとかではなく
葬式うんぬんのことです。
とにかく私に迷惑をかけてほしくない。
かかわりたくない。
そんな感情しか、今はわきません。
普通の親子に戻れる日は、来ないのでしょうね…
悲しいことですが。