♪疲れ果てた…
あなた、あたしのまぼろしを愛したの…
マザコン男性は自分の好みのイメージどおりでいることを恋人に明に暗に要求する…でも自分は自分、あなた好みの女を演じることにもう倦み疲れてしまった…
この手の男はかならず女を不幸にする。人は誰かのお守りをするために一緒に暮らすんじゃない。自分の選んだパートナーと共同で生きてゆくためなのに。自分の個性を潰して生きていて、そんな人生に何の意味があるでしょう?
いづみさん(実はA.A.さんではないかという指摘の書き込みがあったが)、あなたも同様の人です。あなたはあなたの理想的な人格をエホバにイメージしています。エホバの証人という組織に自分の理想的な人格をイメージしています。あなたを受け入れてくれる、理想的な親のような存在をイメージしています。
実際はエホバの証人は、
「血を絶対に輸血するなとはいわれていません」
とは言っていません。どんな事情があろうと、たとえそのために自分の命、子どもの命を失おうとも、協会の教理の方を擁護せよと命じています。輸血拒否をめぐって多くの疑問が提示されてきたにもかかわらず。
「輸血をしたからといって会衆でなにか言われることもないし、むしろ心配してなぐさめてくれるでしょう」
これも実際と異なっています。どんな事情があろうと協会の教えを破るなら排斥です。村八分という精神的拷問を加えます。あなたのイメージしている協会像とぜんぜん違います。
「私だったらしてあげるかもしれません」。
このことばについては、あなたにも多少の良心が残っていることのあらわれとみなしましょう。わたしはそう思いたいのです。たとえ自分の心の拠りどころを守るためとはいえ、自分の血を引いた子どもを見殺しにして、「おれは神に神聖な奉仕を捧げた」と思う、ということがあまりにも無情で退廃的で、絶望的だからです。最近のJWIC で胸の悪くなるような投稿を読んだばかりですので、そういう人間の実在が実証されているのです。
あなたの信仰の根拠は何でしょう。人間が、死ななくてもいいのに、助かる機会があるのに「信教の自由」を楯に生きる事を放棄する、こんな信仰の根拠は何でしょう?
「私は今まで集会に行ってても携帯をいぢったりして親を侮辱するような事ももしてきた。親と今までで一番すごい喧嘩をしたとき何故かエホバに祈ってた。そしたら、今まで私を出て行けといっていた親がいきなり穏やかになり私の心も落ち着いてきたその瞬間エホバありがとうって感謝できた。そのほかにも、私がいろんな事でまいってた時祈りで打ちあけたときいろんな方法で解決法が私の耳に入ってきた」
たったこれだけなのです。家を追い出されそうになったが、親の気が変わった、これはエホバのおかげに違いない。たったこれだけなのです。世界には、イスラム教徒がキリスト教徒を家族共に惨殺してまわっている、キリスト教徒が何の保護も受けずに、殺害されている、そんな現実が繰り広げられているのに…。
あなたのいうエホバの証人像はあまりにも現実と食い違いすぎています。あなたの信仰の根拠もあまりにも私小説的で薄弱です。あなたの書き込みはまるでスプラッター映画のようにおぞましくて、気分が悪いです。エホバ賛美の与太話は現役系のサイトで行ってください。
杏里の「オリビアを聴きながら」で歌われている男性と対極にあるのが、キャロル・キングの「ナチュラル・ウーマン」です。
♪あなたはわたしにありのままの女でいさせてくれる…
ここで、自分のダークな面を吐き出すわたしは、ありのままの自分です。受けてきた傷に苦しんではいますが、それでも這いずるようにして前進しつつ生きている、ナマのわたしです。そしてこの傷をつけたのはまぎれもなくエホバの証人だった、親という仮面をかむったエホバの証人なのです。
誰に何を言われようと、わたしは時間がある限り、ここでエホバの証人を、そしてエホバの証人の無力な木偶人形(でくにんぎょう)であるエホバを何度も何度も杭か十字架か知りませんが、磔(はりつけ)にします。機嫌の悪いときには「AWAIKED!」でもやってやるのです。
あなた、あたしのまぼろしを愛したの…
マザコン男性は自分の好みのイメージどおりでいることを恋人に明に暗に要求する…でも自分は自分、あなた好みの女を演じることにもう倦み疲れてしまった…
この手の男はかならず女を不幸にする。人は誰かのお守りをするために一緒に暮らすんじゃない。自分の選んだパートナーと共同で生きてゆくためなのに。自分の個性を潰して生きていて、そんな人生に何の意味があるでしょう?
いづみさん(実はA.A.さんではないかという指摘の書き込みがあったが)、あなたも同様の人です。あなたはあなたの理想的な人格をエホバにイメージしています。エホバの証人という組織に自分の理想的な人格をイメージしています。あなたを受け入れてくれる、理想的な親のような存在をイメージしています。
実際はエホバの証人は、
「血を絶対に輸血するなとはいわれていません」
とは言っていません。どんな事情があろうと、たとえそのために自分の命、子どもの命を失おうとも、協会の教理の方を擁護せよと命じています。輸血拒否をめぐって多くの疑問が提示されてきたにもかかわらず。
「輸血をしたからといって会衆でなにか言われることもないし、むしろ心配してなぐさめてくれるでしょう」
これも実際と異なっています。どんな事情があろうと協会の教えを破るなら排斥です。村八分という精神的拷問を加えます。あなたのイメージしている協会像とぜんぜん違います。
「私だったらしてあげるかもしれません」。
このことばについては、あなたにも多少の良心が残っていることのあらわれとみなしましょう。わたしはそう思いたいのです。たとえ自分の心の拠りどころを守るためとはいえ、自分の血を引いた子どもを見殺しにして、「おれは神に神聖な奉仕を捧げた」と思う、ということがあまりにも無情で退廃的で、絶望的だからです。最近のJWIC で胸の悪くなるような投稿を読んだばかりですので、そういう人間の実在が実証されているのです。
あなたの信仰の根拠は何でしょう。人間が、死ななくてもいいのに、助かる機会があるのに「信教の自由」を楯に生きる事を放棄する、こんな信仰の根拠は何でしょう?
「私は今まで集会に行ってても携帯をいぢったりして親を侮辱するような事ももしてきた。親と今までで一番すごい喧嘩をしたとき何故かエホバに祈ってた。そしたら、今まで私を出て行けといっていた親がいきなり穏やかになり私の心も落ち着いてきたその瞬間エホバありがとうって感謝できた。そのほかにも、私がいろんな事でまいってた時祈りで打ちあけたときいろんな方法で解決法が私の耳に入ってきた」
たったこれだけなのです。家を追い出されそうになったが、親の気が変わった、これはエホバのおかげに違いない。たったこれだけなのです。世界には、イスラム教徒がキリスト教徒を家族共に惨殺してまわっている、キリスト教徒が何の保護も受けずに、殺害されている、そんな現実が繰り広げられているのに…。
あなたのいうエホバの証人像はあまりにも現実と食い違いすぎています。あなたの信仰の根拠もあまりにも私小説的で薄弱です。あなたの書き込みはまるでスプラッター映画のようにおぞましくて、気分が悪いです。エホバ賛美の与太話は現役系のサイトで行ってください。
杏里の「オリビアを聴きながら」で歌われている男性と対極にあるのが、キャロル・キングの「ナチュラル・ウーマン」です。
♪あなたはわたしにありのままの女でいさせてくれる…
ここで、自分のダークな面を吐き出すわたしは、ありのままの自分です。受けてきた傷に苦しんではいますが、それでも這いずるようにして前進しつつ生きている、ナマのわたしです。そしてこの傷をつけたのはまぎれもなくエホバの証人だった、親という仮面をかむったエホバの証人なのです。
誰に何を言われようと、わたしは時間がある限り、ここでエホバの証人を、そしてエホバの証人の無力な木偶人形(でくにんぎょう)であるエホバを何度も何度も杭か十字架か知りませんが、磔(はりつけ)にします。機嫌の悪いときには「AWAIKED!」でもやってやるのです。